項目名 | 必殺シリーズ |
読み | ひっさつしりーず |
分類 | 用語名 |
作者 | |
公的データ | 第2作 必殺仕置人 主水シリーズ 全26話 第3作 助け人走る 全36話 第4作 暗闇仕留人 主水シリーズ 全27話 第5作 必殺必中仕事屋稼業 全26話 第6作 必殺仕置屋稼業 主水シリーズ 全28話 第7作 必殺仕業人 主水シリーズ 全28話 第8作 必殺からくり人 全13話 第9作 必殺からくり人血風編 全11話 第10作 新必殺仕置人 主水シリーズ 全41話 第11作 新必殺からくり人 全13話 第12作 必殺商売人 主水シリーズ 全26話 第13作 必殺からくり人 富嶽百景殺し旅 全14話 第14作 翔べ!必殺うらごろし 全23話 第15作 必殺仕事人 主水シリーズ 全84話 第16作 必殺仕舞人 全13話 第17作 新必殺仕事人 主水シリーズ 全55話 第18作 新必殺仕舞人 全13話 第19作 必殺仕事人III 主水シリーズ 全38話 第20作 必殺渡し人 全13話 第21作 必殺仕事人IV 主水シリーズ 全43話 第22作 必殺仕切人 全18話 第23作 必殺仕事人V 主水シリーズ 全26話 第24作 必殺橋掛人 全13話 第25作 必殺仕事人V激闘編 主水シリーズ 全33話 第26作 必殺まっしぐら! 全12話 第27作 必殺仕事人V旋風編 主水シリーズ 全14話 第28作 必殺仕事人V風雲竜虎編 主水シリーズ 全19話 第29作 必殺剣劇人 全8話 第30作 必殺仕事人 激突! 主水シリーズ 全21話 Vシネマ 必殺始末人 全3話 劇場用作品 第1作 必殺! 監督・貞永方久 第2作 必殺!ブラウン館の怪物たち 監督・広瀬襄 第3作 必殺!III裏か表か 監督・工藤栄一 第4作 必殺4 恨みはらします 監督・深作欣二 第5作 必殺!5 黄金の血 監督・舛田利雄 第6作 必殺!主水死す 監督・貞永方久 第7作 必殺!三味線屋勇次 監督・石原興(おっぺ) テレビスペシャル 第1弾 特別編 必殺仕事人「恐怖の大仕事」水戸・尾張・紀伊 第2弾 必殺シリーズ10周年記念スペシャル「仕事人大集合」 第3弾 「必殺現代版 仕事人VS暴走族」主水の子孫が京都に現れた 第4弾 「仕事人アヘン戦争へ行く」翔べ!熱気球よ香港へ 第5弾 必殺仕事人意外伝「主水、第七騎兵隊と闘う」大利根ウエスタン月夜 第6弾 「新装必殺現代版」東京六本木・京都円山公園・大阪梅田〜3元仕事人ナマ中継〜 第7弾 「当たるトラ年!」今年も大躍進・必殺&タイガース 第8弾 「必殺忠臣蔵」 第9弾 「大老殺し」 第10弾 「久しぶり!主水、夢の初仕事」悪人チェック! 第11弾 「仕事人VS秘拳三日殺し軍団」 第12弾 「決定版!大奥、春日野局の秘密・主水、露天風呂で初仕事」 第13弾 「仕事人、京都へ行く・闇討人の謎の首領!」 第14弾 「仕事人VS仕事人・徳川内閣大ゆれ!主水にマドンナ」 第15弾 「大暴れ仕事人!横浜異人屋敷の決闘」 第16弾 「勢ぞろい仕事人!春雨じゃ、悪人退治」 第17弾 「仕事人VSオール江戸警察」 第18弾 「世にも不思議な大仕事」主水と秀・香港マカオで大あばれ 第19弾 「せんりつ誘拐される、主水どうする?」 |
感想文等 | だから、シンプルな「悪い奴がいるので正義が裁く」という黄金パターンの時代劇にはあんまりならない。何しろチャンバラがラストに控えているわけではないのだから、ドラマの展開やら人物の内面やらで物語を進めていかないと間延びしてしまう。(もっとも、「仕事人」後期からは「仕事=殺し」がチャンバラの代わりに成立するようになっているのだけれど) おかげで、必殺シリーズのエピソードには、いろいろと変形パターンが生まれることになった。「たったひとつの小さな約束」をモチーフにした、チャンバラどころかまともな仕置シーンすら完全には存在しない「新・仕置人」の「約束無用」など、ほとんど頂点ではないかと思うのだけど、それはそれとして、、、(おっぺ) 例えて言えば、江戸川乱歩の明智小五郎シリーズ、初期の変人明智の頃のと、のちの少年探偵団首魁の明智になってからのと、くらいの違いではないですかしら?(おっぺ) 「どちらかといえば」でもいいのだけれど。 したら、「仕掛人」は、まあ、梅安でしょ? 「仕置人」は、鉄か。 「助け人」は。。。平内じゃなくて文十郎だよね? 「仕留人」は貢でしょう。 「仕事屋」は半兵衛。 「仕置屋」は、主水が食い入ってきてるけど、まあ、市松か。 「仕業人」は。。。剣之介? なんか、あたし、そういう気しないんですが?(笑) まだ、やいとやのほうがインパクトが。。。(^^; 「からくり人」は、これは、主役、ないですな? 無理矢理言えば仇吉しか。 「血風編」は、けれど、土左衛門という感じがする。 「新仕置」は、「仕置屋」の時の感じで主水が食い入ってるけど鉄でしょう。 「商売人」は、もう主水ですね。決して新次ではない。まだしもおせいのほうだけど、やはり主水としか思いようがない。 「仕事人」は初期は左門も秀に拮抗していたけれど、途中から左門は脇に成っちゃった。 この辺から、「主役」というのがなんかはっきりしなく成っちゃった? 主役ってのは、その作品の「テーマ」だと思うんでげすよね。。。鉄・貢・市松と並べてみたら、この連中のカラーが即ち作品のカラーにすごく関係あったような。。。 だーかーらー。。。(おっぺ) 「仕事人」以降で、依頼人が少なくとも仕置の段階で死んでなくって、しかも、依頼人に目撃されながら。。。っていうので印象深かったのは、新・仕事人の「主水出張する」。 これは、半身不随か何かになっちゃってる奥さん(依頼人)を、加代がカゴか何かで連れ出して、まさにいま悪党を仕置きして殺してるって場面でカゴの覆い?を上げて見届けさせてた。。。これは、仕事人後半としては珍しかったので、やはり印象深かったですねー 「殺さないで!」で印象深いのは、やはりファースト仕事人の「仕事人危うし! あばくのは誰か?」。自分を裏切りとことん精神的にも肉体的にも虐待した男を殺してくれと依頼した女が、でもやっぱりいざ仕置の瞬間、「逃げてっ! 。。。殺さないで!」と絶叫する場面はせつないものがありましたー。でもってそのあと鹿蔵元締、その女を殺してしまうんだもんなあ。。。 そうそう、これ、どうして鹿蔵元締は彼女を殺したんだろうって思ってたんですよ。このときの仕事の内容が××(ネタバレのため伏せ字)だったので、女もそれに荷担していたって勘違いしたんでしょうか? それとも、最後の最後で「殺さないで、逃げて!」と気持ちを翻したのが理由なんでしょうか? どうでしょう?(おっぺ) 私は、「仕舞人」は1話と最終話しか見られてないのです。1話は、さっすが野上龍雄、という感じで見所満載、最終話は高橋悦史が死んだみたいなところだけは印象があるのですが。。。 でも、覆面から覗く京マチ子の殺しの時の目はステキでしたー。 「新・仕事人」では「主水アルバイトする」「出張する」「娘と同居する」はあっと思うシーンがありましたね。特に「出張する」は良くできた秀作だったかと。。。 「新・仕舞人」では、「喧嘩も楽しい河内音頭」。これ、プロットも実はなかなか仕掛けがあって面白かったのですが、「被害者」正司花江の殺されるときの「くそったれ。。。!」がなんといっても良かった! それから、これはエピソードではないですが、「仕事人IV」は、殺しのテーマは出だしのドンダダッタッタタタドンダタッダッダダダ。。。というのは「な、なんぢゃい?(^^;」なんですが(^^;、メロディラインというのか、だいたい勇ましいモノばかりの「後半」殺しのテーマの中ではなかなかシミジミと聴かせてくれる名曲だと思いますー。主水の殺しもあのダーダーダッダダッダダー。。。ではなくて、これの方がよかった。 (おっぺ) 仕掛→解散 仕置→解散 助け→解散(殉死者あり) 仕留→解散(殉死者あり) 仕事屋→解散(殉死者あり) 仕置屋→解散(殉死者あり) 仕業→解散(殉死者あり) からくり→壊滅 血風→解散(殉死者あり) 新・仕置→壊滅 新・からくり→減員 商売→解散(殉死者あり) 富岳→減員 うらごろし→解散(殉死者あり) 仕事→解散 仕舞→解散 以降は、基本的に解散で、ただ、 旋風→ドジ 剣劇→衣装亡失 か?(V)o\o(V)(おっぺ) そうか。 主水って、リアリティだったんだ(笑)(おっぺ) というより、ドラマ自体がとても切なくて苦しくて泣けてしまった(!)ので、そこで流れていた曲を聴くと、そのときの感情が甦るんでしょうね。そして、じっと聴き入っていると、他のことをあーだこーだといろいろ考えている暇がないので、いつの間にか安らかに寝ています(爆)。「新・仕事人」以降は、バラエティ路線で、ドラマ的にも普通の時代劇に近くなったので、あまり心に残る話もなく、だから、曲を聴いてもそれほど。。。ということなんでしょう。「仕事人」と「仕置人」はドラマとしての内容がまるで別物です。たとえるなら、同じ江戸川乱歩でも、陰獣とかと少年探偵団とかとほどは違う(笑)。 (´ー`)┌フッ、マニアなので、つい語ってしまったぜ(爆)。(おっぺ) 僕が「仕事人III、IV 」あたりをあんまり気合い入れて見てなかったのは、「スリリングじゃないなー」と思ったからです。これは、ストーリーそれ自体のことを言っているんじゃなくって、たぶんは演出も関係していると思います。いや、脚本に問題がないということでもないのですが。あと、役者のこととか。 ここで言う仕置人とは、じゃなくて、ここで言う「スリリング」とは、「読めない」ということであります。つまり、イデオット・プロットではない。読者や視聴者が、ストーリー展開や、キャラクターの次の行動を予測できない、という意味での「読めない」ということで、科白一つとってみても、旧作は「おおっ、ここでこういうことを言うか」という科白なわけです。比べて、後期仕事人はどうしても「普通」のことしか仕事人達も口にしなくなっちゃった。だから、見ている最中、ちょっとトイレに行って戻ってきても、話がちゃんと分かっちゃう。 そういう時代劇が悪いって言うんじゃなくて、ただ、自分はそういうのよりも「スリリング」な方が好きだなー、というだけのことなんですが。(おっぺ) 1話丸ごと評価する、というのは、やはり正直なところないのですが、「あ」と思う場面や何やらは幾つかあります。 一番最後の「激突」でいえば、「弁天小僧のかんざし」の最後のところ、仕事を済ませた主水が、仕事を済ませた(フリをしてる)秀のところへやってきて、「秀、俺しってるぞ。仕事料返せ」。で、秀から金を取り返して、にやっと笑う、あの笑顔は好き。これはワンシーンですね。 「仕切人」の、確か「珍発明展が開かれたら」だったと思うけれど、ラストシーンでの勇次と殿下の会話のところも何となく気に入っている。 つまり、「キャラの絡み」というやつかと。考えてみると、「新・仕事人」までは案外濃密だった仕置人同士のつるみ合いというのが、それ以降ではほとんどないのでは。やっぱりこれが自分にとっては面白さを消去するファクターだったなと、思うわけで。 こう考えると、僕がいきなり「新・仕置人」で転んだのも自分で納得してしまうわけです。 大げさなカッコつけの科白で絡むんじゃなくて、日常の中とかでさりげなく絡む、これが「ぐっ」と来るのであります。 あと、「旋風編」の「主水、コールガールの仇を討つ」は、主水が被害者の植えた木を眺めながら述懐する場面がありましたね。挿入歌なんか流れて、たいていなら「クサイ」場面で寧ろイヤなはずなのに、そのときだけは久しぶりに中村主水が怒ってるなー、と感じて、この話は「旋風編」の中で唯一ビデオに残ってたりするのです。 「新・仕舞人」の「喧嘩も楽しい河内音頭」。これは、丹下段平とその妻女が殺されるときのの感情の爆発の仕方がぬるま湯浸りのルーティンな死に方ばかりになっていた中で印象的でした。役者の演じ方がいいんだろうな。 逆に「橋掛人」のどれだったか、最後でどんでん返しがあって、依頼人が実は……というやつ。最後の科白も決まっていて、本当なら久々に面白かったぜとなるはずが、肝心のその依頼人の芝居がどっ下手だったので、全然感情移入できず、面白くなかった。旧作の頃は被害者も加害者も一流だったからなー、とか思いながら悲しみつつ見てました。 悪評ぷんぷんの「仕事人III 」の第1話は、実は案外面白く見ました。といっても、リアルタイムどころか、仕事人も風雲竜虎編くらいになっていた頃、やっとレンタルビデオ屋で見かけて観ることができたのですが。ずっと観る機会がなかったんです。 ただのアホにしか見えなくなっていた順之助しか知らなかったせいか、とっても面白くって、「何だよー、ちゃんと面白い脚本書けるんじゃないの、吉田剛」とか思いながら見てました。あとで各種のムック等でさんざんに言われることになった主水の順之助擁護の科白もその後の「正義の仕事人」を見慣れた目からは寧ろ「そうだろー、歯止めしとかないと正義の味方になっちゃうんだぞー」とか感じながら聞いてました。順之助の白痴化現象さえなければ、そして秀さえちゃんと死んでてくれれば(おいおい)、「仕事人III 」は価値観が全然違う「主水ともう一人の仕置人」という図式で面白いものになったのではないかと思うくらいでありました。 結局、順之助はどんどん白痴化していき、最後には仕置人史上で最悪の死に方をしたことで記録に残ってしまうわけです。道連れにしたのが銀平だから許すけど。もし巻き添えになってたのが他のもっとお偉い人だったら、あの世まで刺客を放つところだぞ。 「新・仕事人」の第1話は、主水がどうも本気で怒って仕事を再開したんじゃなくて、口実として怒ってみせた、という印象が強いので、かえってあんまり面白くなかった。 こう思いだしてみると、「新・仕事人」以降でも、何らかのかたちで「感情の爆発」が絡んでたりすると、僕は割と気に入るみたいであります。逆に言えば、「情」は絡むけど「感情」は絡まない話ばっかり後期には多かったように思えるわけです。本当に仕事としてやってるってだけで、あーだから仕事人つー名前か。 「風雲竜虎編」の最初の方はわりと好きでした。これは、影太郎のキャラクターが真っ正直に感情を出してるせいでしょう。特に「将軍の初恋騒動!」はこのタイトルだけで「ひい」とか思ってたんですが、政や竜の、型にはまった「仕事人でござい。だから、影があってちょっと暗いんだぜ」といったしゃべり方に疲れていた身としては「あー、やっと違うタイプがでてきてくれたぜ」という思いでありました。(おっぺ) ゴレンジャーの類いだと言えば、そんなもの知らないよ、という人にもイメージは大体沸くんじゃないかと思います。「子供向け」の「変身ヒーローもの」で、「チームで戦う」。ついでに、「色がついてる」(笑)。 で、なんでスレ違いデスというものをここに書いているのかといえば、本ばっかり読んでて殆どTVドラマなんぞを見ないがワタクシが、唯2つ、ずっと見続けている(「必殺」は「いた」と過去形になってしまう……涙)のがこの2つのシリーズだからであります。 どちらも20年上という記録モノですが、今や「必殺」は消え、「戦隊」は続いている。これは何故か……といえば、やはり「必殺」が「仕事人シリーズ」になってしまい、外は「つなぎものシリーズ」でしかなくなってしまったのに比して、「戦隊」の方は常に「次はどんな新しいことをやればいいんだ?」と困り果て泣きながらも(1年程前関係者が「本当にもうネタがなくなってしまったんです」と泣いていたのだ)やり続けていたからではないかと思います。 「戦隊」は子供向けで、子供はすぐに飽きるから、新しくなくちゃダメ……? でも、そういうなら、「必殺」は大人向けで、大人は飽きないから……いやいや、大人は飽きる。あっさりと。だから今、こんなことになっているのでは? 「仕事人」以前の「必殺」は、タイトルが変わればキャラクターも雰囲気も、変わっていた。主水シリーズを見ても、「仕置人」と「仕留人」とではカラーが違うし、「仕置屋稼業」でさらに違う。「仕業人」なんてもう別シリーズみたいなもんだ。「新・仕置人」も「新」がついてたけれど、「仕置人」とも大きく異なっていた。以下省略。 これは、プロットやストーリーのことを言っているのではありません。毎週1回60分枠の中で、新しいプロットを打ち出すことはほぼ不可能でしょう。そして、どうしてもストーリー的には似通ったものになって来てしまう。 それは仕方のないことだとは思います。どんな作家でも、「かつてどこにもなかったストーリー」を捻出することは困難です。そんなことを1週間に1度のペースで平気でやられた日には、世の作家たちはみんな首をくくらなければならなくなります(笑)。 しかし、実はストーリーやプロットは「たいしたことではない」とも言えると思います。「必殺」にしても20年続く間に、見比べれば同一のストーリー、プロットのものはそれこそ山のようにあります。最高傑作の誉れも高い「新・仕置人」にしたところで、大きな流れにせよ、毎回の話にせよ、「元ネタ」を探そうとすれば容易になし得る場合すらあります。――が、それでも「新・仕置人」はやはり傑作・名作と言われるでしょう。何故でしょうか? 「戦隊シリーズ」はそれこそ同一プロット、同一ストーリーの宝庫です。大体、悪の組織体正義のスーパー戦隊(3〜5,6人)という大前提がある上に、「子供向け」です。斬新なプロットやストーリーでは、かえって子供にそっぽを向かれる怖れもあります。 にも関わらず、「戦隊シリーズ」は、「必殺」に鍛えられまくった大のオトナのくせに、の僕が実に楽しく見続けたTV作品であり得ています。何故でしょうか? 「戦隊シリーズ」は今もって、相変わらず、タイトルが変わればキャラクターも、雰囲気も変わります。いや、キャラクターというだけなら、仕事人も後半はメンバーが入れ替わったし、「つなぎシリーズ」もキャラクターはそれぞれ異なっています。――けれども、問題は、彼らの「感情」はどうだったか、ということなのです。異なった「キャラクター」である「彼ら」は、しかし、「異なった感情」を持ち合わせていたでしょうか? 「使い回しのネタ」、同じプロット、同じストーリー――だから、同じ話? いえ、「登場するキャラクターが違えば、当然それに対するリアクションも異なり、全く違った話になる」、なぜなら、「持っている感情がちがうから」。 全く同じ事件が起きても、「鳥人戦隊ジェットマン」と「五星戦隊ダイレンジャー」では、主人公たちのリアクションが全く違い、見ていて全然別の話としか思われない。そして、主人公たちの「感情の表出」が違うので、全く別の感動をこちらは受け取ることになる。 要は、「物語」にのめり込むとは、作中人物と感情を共有することなのだ、と思っています。推理小説は面白くても、推理クイズにはいつか飽きてしまうのは、共有すべき「感情」を受け取ることができないからではないでしょうか。 「仕掛人」も「商売人」も、「プロフェッショナル」で「ハードボイルド」だと称しつつも、濃厚な「感情」がはっきりと、主人公たちに、被害者たちに、加害者たちに、ありました。 「新・仕事人」以降、「同じネタ」だと「同じ話」にしかならなくなったように思います。「先が読め」てしまうのです。いや、ストーリーのネタはどうせ大抵は最初からわかっているのですが、主人公達、被害者たち、加害者たち、がどんな反応を示し、どんな行動をとり、どんな科白を吐くか――までが、パターンの永劫回帰に陥り、「見なくてもわかる」状態になってしまったように思ってしまうわけです。 主人公達が、政だろうが竜だろうが秀だろうが――他の「つなぎシリーズ」の誰かだろうが――ある出来事があったとき、同じ反応の仕方しかしない――同じ態度をしかとらない――同じことをしか言わない……。 どんどんきつい言い方になってしまっているのですが、これでどうやって「飽きないドラマ」になるのでしょうか? 同じ事件でも、「仕置人グループ」が扱ったときと、「仕業人グループ」が扱ったときとでは、全く違う展開になったはずです。 激闘編の段階で、もし中村主水が政・竜とは別れ、壱・参の二人(どうせ弐はあんまり出ないから数えない)だけと組んでいたら――? それでもダメだったかもしれませんが。 いつも他から「必殺は凄い」と言われていたはずの「必殺シリーズ」が、もはや保守的な永劫回帰シリーズでしかなく、「子供向けじゃないか」と言われるはずの「戦隊」にシリーズとしての値打ちにおいて敗北している……というとんでもない意味のことをいわんとしているわけなのですが、つまりはもっとキャラクターを立てて欲しい、大人も飽きっぽいのだから、「戦隊」を見習う(!)つもりでがんばっていただきたい、ということになるわけでした。 かなり個人的な、一方的な論調となってしまいましたが……思ったままを書いてみたのでした。(おっぺ) 確か「俺達はよお、いろいろ事情があるから……こんなつれえ仕事をしてるんじゃねえか」とか言いながら秀をぶん殴っていた(笑)と思います。 どんな「事情」か? 主水は、復活するたんびに、いろいろ理屈を並べてますが、そこが、 「銭のためとか、人情のためとか、悪い野郎を裁くとか、そんなおめえ、安物の絵双紙に出てくるようなことじゃねえんだよ。殺しは殺しだい。この癖はなかなかやめられねえぞ」 と思いっきり「癖」と言い切ってしまう念仏の鉄に圧倒的に敗北してしまう。 僕は、主水がその悲しい「正義の味方病」の故に惨めにどぶの中で死んでいく姿をずっと待っていたのですが……。(おっぺ) だいたい、「仕業人」まではエンディングのキャストの順から見れば、「一応」主水は主人公では「なくて」、「押さえ」の役割なわけですから、タイトルが変わり、番組が変わる都度、新しい「主人公」が造られていたわけです。 「仕留人」の「主人公」は糸井貢、「仕置屋稼業」なら市松、「仕業人」には赤井剣之介。何しろ「主人公」なんだから、当然中村主水と堂々張り合えるパワーを持っているわけです。そうでなければとても主人公とは言えない。 次の「新・仕置人」では念仏の鉄が出てきましたから、これはさておいて、続く「商売人」、ドラマ自体の出来はともかく、僕は「新次」のキャラクターには「弱さ」を感じています。「主人公」をはれるだけのパワーは欠けていると思います。そして「仕事人」――。ここでは、左門はエンディングの順からすれば新次と同様「準主人公」格のはずですが、やはり「弱」く、結果、どんどん秀のキャラクターが際だってきたわけですね。実際、秀さんがヒットするにはヒットするだけの理由はあったのだとは思います。 問題は、その後も秀が存在し続け、但し、やはり「主人公」はあくまで「中村主水」であり、そして最初の「仕事人」ではとりあえず持ち続けられていた「秀らしさ」といキャラクター性がどんどん秀から失われ、ただの「秀」という役割をしか持たなくなっていったことです。 言ってしまいたいのは(言っていいのかなー(汗))、中村主水をキャストロールの一番最初に持ってきた、「主人公」にしてしまったのが「まずかった」んじゃないのかな、ということです。 主水という「主人公」が確定してしまったので、もう、「商売人」以降は、「主人公」を「造らなくてもよくなってしまった」主人公「中村主水」を立てる「押さえ」「補佐」がいればよくなってしまった、ということです。だから、どんどんキャラの「個性」がなくなっていってしまったのではないでしょうか……。 ううむ、言ってはいけないことを言っているような気がする(大汗)ので、この辺でやめます。誰か俺をとめてくれ〜。(おっぺ) ところが、テレビ局の編成の都合か何かで、「うらごろし」の途中で僕の地方では必殺が見られなくなっちゃったんです。それで、この誤解が解けるには、東京の方へ出てきて、「仕事人III 」と、そして並行して再放映されていた「仕留人」を見るまでは続いていた……。 そして。「仕事人III 」は論外として(なんてひどい言い方してんだ、俺は……(泣))、このときの「仕留人」がかなり面白かった。 最終的には、「新・仕置人」の「愛情無用」が僕をここまで導いた(笑)のですが、そこまで再放映を見続けようと思った原動力になったのは、「仕留人」だし、「仕置屋稼業」だし、「仕業人」だったんです。 つまり、あくまでも「僕にとっては」ということなんですが、「商売人」だけでは僕にはそこまでの圧倒的なパワーには欠けていた、ということなんですね。 これを、僕は、「新次のキャラクターとしての弱さ」だと感じているんですが……。ドラマとしては「渋い」に違いないんですが、あのとき再放映の連中に感じたような「圧倒的」なものはすでに「商売人」にはなくなってしまっていたような気もします。まあ、これはかなり個人的なバイアスもかかっているとは思います(苦笑)。 やっぱり、「仕事人」に定着しちゃったのが、「変化のなさ」「個性のなさ」「マンネリ」じゃないかと……(苦笑)。「仕置人」だって、もしあのメンバーのまま、あのタイトルのままでずうっとやってたら、いくら何でもどんどんつまらなくなっていったのでは……。 やはり、「激闘編」の段階で、政と竜には退場してもらって、壱と参で創ってみて欲しかった……。あ、影太郎も許す(笑)。 村上弘明も、三田村邦彦の真似をさせられて、さぞや無念であったろう。スカイライダー筑波洋のキャラクターで、明るい好青年として仕事人を演じていれば、秀とも勇次とも違う、「おっ?」という新しい仕事人になれていたのに。「好青年の仕事人」、これはなかった(後の影太郎はちょっとそう)。 でもって、京本政樹は、「地球防衛少女イコちゃん 大江戸大作戦」で演じたような、「おまえ、宮内洋のなり損ないね」みたいな、アホっぽい気障な仕事人をしていればよかったのだ。そうすれば、前作までと全くカラーの違う、新しい「仕事人」になれたのに。 こんなこと、思ってる私は変かしら。 でも、やっぱり、主水と拮抗できる殺し屋という、存在感のある「殺し屋」の登場を期待したいとも思ったりもして。 我々が唸らない必殺なんて、必殺じゃないでしょう。(突然強気)(おっぺ) 「顔」。 思い浮かべたとき、その登場人物の顔がまじまじと浮かぶんですよね〜。 僕は、イメージ喚起力の非常に乏しい人間なんですが、そんな僕がなぜか必殺の「顔」だけはしっかり頭に浮かぶんですよ。不思議でしょうがない。 僕の場合ですと、 「仕置人」の第一話での頼み人の少女が、目の前の仕置を唇を噛みながら見守る「顔」。 「仕置屋稼業」の同じく第一話で、捨三が秘密をばらしたと知って主水が印玄を殺しに行ったとき、かまどの前で狂ったような笑いを浮かべているときの印玄の「顔」。 「仕業人」最終話で、剣之介が惨殺されたのを見たときの凝固した又右衛門の「顔」。 「新・仕置人」のこれまた最終話で、「鉄……俺はおまえが何をしに辰蔵のとこに行ったか、ちゃんと判ってるぜ」と主水が言ったときの、主水と顔を見合わせじっと黙っていた鉄の「顔」。 辺りが特に……になりますかね。 役者の力量と圧倒的な演出力が、この「顔」のインパクトを産んでいるんではないですかね。他のドラマでの「顔」は、僕、全然思い浮かべられない(笑)(おっぺ) |