項目名 | 必殺仕置人 |
読み | ひっさつしおきにん |
分類 | 必殺シリーズ |
作者 | |
公的データ | 1973年4月21日〜10月13日 全26回 「必殺の顔」中村主水の初登場、シリーズ第2弾。 登場人物 ・中村主水(藤田まこと) 北町奉行所同心。佐渡金山奉行所勤務を経て江戸の中村家の婿養子となり、北町奉行所へ。免許皆伝の剣技と冴える頭脳を持つ。 ・念仏の鉄(山崎努) 元破戒僧の接骨師。不倫の罪により佐渡金山送りとなり、そこで主水と知り合う。主水とともにチームをまとめる。 ・棺桶の錠(沖雅也) 琉球生まれの棺桶屋。 ・鉄砲玉のおきん(野川由美子) 観音長屋に住む鉄火肌の女スリ。仕置人の密偵役。 ・おひろめの半次(津坂匡章) 観音長屋に住む瓦版屋。おきんとともに仕置人の密偵を務める。 ・天神の小六(高松英郎) 小伝馬町牢屋敷の牢名主で江戸暗黒街の大ボス。主水のよき相談相手であり、仕置人達の後見人的役どころ。 ・中村せん(菅井きん) 主水の義母。うだつの上がらぬ主水を養子に迎えたことを後悔し、何かといえば嫌味を言う。 ・中村りつ(白木万里) せんの娘で主水の妻。母とともに主水を馬鹿にするが、夫を愛する妻としての一面も見せることがある。 (おっぺ) 2 牢屋でのこす血の願い 3 はみだし者に情なし 4 人間のクズやお払い 5 仏の首にナワかけろ 6 塀に書かれた恨み文字 7 閉じたまなこに深い淵 8 力をかわす露の草 9 利用する奴される奴 10 ぬの地ぬす人ぬれば色 11 流刑のかげに仕掛あり 12 女ひとりの地獄旅 13 悪いやつほどよく見える 14 賭けた命のかわら版 15 夜がキバむく一つ宿 16 大悪党のニセ涙 17 恋情すてて死の願 18 備えはできたいざ仕置 19 罪も憎んで人憎む 20 狙う女を暗が裂く 21 生木をさかれ生地獄 22 楽あれば苦あり親はなし 23 無理を通して殺された 24 疑う愛に迫る魔手 25 能なしカラス爪をトグ 26 お江戸華町未練なし 天の裁きは待ってはおれぬ この世の正義もあてにはならぬ 闇に裁いて仕置する 南無阿弥陀仏 しかし、ここに言う仕置人とは、法の網を潜って蔓延る悪を裁く、闇の処刑人のことである。 ただし、その存在を証明する記録、古文書の類は、いっさい、残っていない。 |
感想文等 | ゲストのレベルの高さも、仕置人やらの完成度を高めていたのは間違いないと思うのです。 それが、ナンバー仕事人(3とか4とか5とか)になると、ちょっと。。。 古畑任三郎で、犯人役がもしもああいった1流どこ、ないし有名人たちでなかったら、かなり面白さは激減していたと思うんですよー。 どんなに凄いゲストでも、主役たちがそれに食われないだけの芝居をできている。それが仕置人の凄みだっ。(おっぺ) ・山崎努がよい。 ・鉄こそ唯一絶対の仕置人である。 ・旧仕置人の時より、新仕置人の時の方が実は好きだけど。 ・余裕の殺し。Mr.必殺!名優山崎努!1 ・錠を仕事人と呼ぶのは間違いだ。あくまで錠は仕置人なのだ。 ・バイオレンスな仕置人。 「中村主水」。諦めようとしながらも諦められずに仕置人の道を歩み始めた男。 実際、藤枝梅安を主人公とする「仕掛人」という時代劇は、ドラマでも映画でも他にいろいろと作られている。が、それはあくまで「仕掛人」であって、決して「必殺」ではない。少なくとも「必殺シリーズ」というモノたちとは違っている。 どこがどう、とは言い難いのだが、「必殺」の名が冠されない「仕掛人」は「普通の時代劇」に近い……のだろう。「普通」とはなんだ、となってしまうが、要は「過剰」なものがない、そんな気はする。……気はする、程度なので、ただの思いこみかもしれない。 そしてまた同時に、「仕置人」以降のシリーズと比べれば、「仕掛人」もまた、まだしも「普通の時代劇」に近い。もっともそれは、のちの過剰極まる種々のシリーズを見知ってしまったから感じることで、リアルタイムで初めて「必殺仕掛人」を観た視聴者には、これは「衝撃」以外の何物でもなかったらしいのだが。 とまれ……「必殺仕掛人」は終了し、引き続いて「必殺仕置人」が始まったとき、そこには、まさしく「仕置」という新しいコンセプトが誕生していた。そしてこの「仕置」というキーワードこそが、「必殺」というものの根幹を背負って立つものになったはずだ。 仕掛人以降の、特に中村主水を仲間として擁した主人公たちのグループは、名前こそ仕置人から仕留人・仕業人・商売人・仕事人、あるいは中村主水を擁しない助け人、からくり人など……と変わっても、その根底にあるのは常に「仕置」だったと思うのだ。 それは、仕掛人のビジネスライク性――依頼人のことも、依頼の理由も、特に知らされることはなく、ただ任された標的を仕掛けて仕損じない、そうした在り方と明らかに違う。というより、仕掛人たちが依頼の内容などに踏み込んでしまったときに生じる怒り、悲しみ、そういったこと達をこそ行動の理由に据えてスタート仕直したのが「仕置」というコンセプトだった。すなわち――「涙と手を組む」(必殺からくり人) 仕掛人にはなかったこの行動規範こそが、たぶんは仕置人以降での「過剰さ」を生み出すもとだっただろう。 口ではビジネスだと標榜しながら、行動に移る起爆材は「怒り」「涙」。 それは普通の時代劇と何処が違うのか……といえば、他の「普通の」時代劇では、それらは「正義の怒り」で罷り通り、主人公たちは惑うことなく「正義の刃」を悪党どもに振りおろすことができるのだ。 しかし、仕置人たちは違う。彼らには「正義の御旗」などはない。彼らは金を取って人殺しをする「殺し屋」に過ぎないのだ。 「俺たちと奴は違いますよ。奴は殺し屋ですよ」 「俺たちだってそうじゃねえか」 「違いますよ。あっしらは仕置屋ですよ」 これは、「必殺仕置屋稼業」の最初の頃に交わされた会話だ。「俺たちだってそうじゃねえか」と自嘲するように言っているのは中村主水だ。「必殺仕置屋稼業」は、主水にとっては三度目(もしくはそれ以上)の人殺し稼業であり、「俺たちだって」と答えるには答えるだけの理由がある。 主水は「暗闇仕留人」において、仲間から「俺たちのしてきたことで、世の中少しでも良くなったか?」「俺たちに殺られた奴にだって、家族や好きな相手がいたかもしれない」と、今更言うまでもないはずのことを突きつけられた。 世の中を良くするためなどではない、正義の味方ではないのだから殺す相手の事情など関係ない……しかし…… そして「必殺仕置屋稼業」のスタート地点では、主水は依頼人の「事情」を聞こうとせず、「金だけでいいんだ」と突きはなしてしまうのだ。ただの「悪党のやっているビジネス」なのだと断じるためのように。 こうした、「正義無用」「人情無用」と標榜しながら、しかしやはり、それらに囚われてしまうがために「崩壊」していく。そうした逸脱性が「必殺」にはずっと存在していたと思う。 たぶんそれは、最初の段階で「仕置」という言葉を選択してしまったがために。 「仕置」という、「悪を裁く」タームは、やはり「正義」の傾きを持ってしまっている。にもかかわらず、していることは――「俺たちに殺られた奴にだって……」 「必殺仕置人」では、まだその言葉を発する者はいない。 だが、「仕置人」という語を選んだときから、この宿命は決まっていたのだ……(おっぺ) |