[ 三妖神物語 第三話 女神乱舞 ] 文:マスタードラゴン 絵:T-Joke

第七章 天使薄命?

 深海を進む鋼の城に通信が届いたのは、東京湾を出発してわずか30分後の事だった。
『速やかに例のサンプルをこちらに届けてもらう。』
 艦長室のメインモニターに映し出された男は、尊大な態度でそう命じた。
「しかし、計画では我が艦で研究所へ運搬するはずでしたが?」
『状況が変わった。
 どうやら、バチカンがこちらの動きをキャッチしたらしい、向こうが何らかの手を打ってくる前に、サンプルを研究所に移動する。』

 −彼等は知らなかった。
 バチカンから”魔女”の情報を手に入れたのが、自分達の実力によるものでは無く、向こうが故意に流したのだと言う事に。
 そして、今回の情報もまた、バチカンの情報操作によるものであることを−

 その説明にロドリマンは不満だった。
「それならむしろこの艦の中で研究を続けた方がよろしいのでは?
 いかに聖騎士団といえ、この深海ではおいそれと手が出せないはず。
 それなら、地上の施設よりもこちらのほうが安全だと思われますが。」
 しかし、モニターに映し出された男の答えはそっけなかった。
『ドレッドノートは確かに一応の研究設備を用意しているが、それは科学兵器のデータ集計用の物にすぎん。
 超能力の研究設備はほとんどないと言っていい。そんな状態では満足なデーターなどとれん』
「しかし・・・・」
『すでに迎えの飛行艇をそちらに送った。これは上層部の決定だ。
 それと、教授にもサンプルと同乗してもらう。サンプルの分析には教授の協力が必要だからな。』
 結局、彼はその命令を承諾した。もともと、彼に選択の余地はなかったのである。
 そして、深海の旅はわずか2時間で終わった。
 マンボウの巨体が、海面に白波をたたて浮き上がる。
 東京湾から直線距離にして約340km離れた海上。
 黒鋼の巨大な城がその姿を太陽の下にさらしたのだ。
 ほどなく、白波を従えて海を突き進んでいたマンボウの正面の空に、小さな黒い点が見えた。それは見る見るうちに大きくなり、中型飛行艇の姿となる。
 全長20m、翼で4基の高出力エンジンが唸っている。
 最高速度(マッハ)2.37、並のジェット戦闘機を凌ぐスピードを誇る高速飛行艇”アホウドリ”がドレッドノートの後部甲板上に垂直に着陸する。
”アホウドリ”から、ドレッドノートの甲板に降り立ったスーツ姿の男は、出迎えたドレッドノートの乗組員達を眺めることさえせずに、正面にたつロドリマンを見ると、挨拶抜きに切り出した。
「それではサンプルを頂きましょう。」
「分かりました・・・・」
 渋々、ロドリマンはうなずき、部下に命じる。程なく頑強そうな特殊鋼の箱が貨物室から現れた。
 一辺が5mほどの、巨大な正方形のコンテナは、その下につけられた車輪を回しながらゆっくりと甲板に進んでくる。
 その中には、二人の青年と猫と蛇が押し込められていた。
 彼らが監禁されていた部屋そのものが、特殊鋼で作られたコンテナだったのである。
 そのコンテナの中で、相変わらず二人の男達は呑気な高鼾であった。
 それに呆れながらも、事態を静観していたミューズとシリスの脳裏に、聞き慣れた声が届いた。
(ミューズ、頼みがある)
(なによ、メイル)
(もうすぐ、そっちに天使が一匹行くはずだ、そいつの面倒を見てくれ。)
(どういう事ですか?)
 メイルの”言葉”にシリスが眉をひそめた。が、すぐに納得する。
(なるほど、天使達はあなたにかなわないことを知って、地球を盾に取るつもりなのですね?)
(妙ね・・・・、天使達は私たちの力を知っていたはずなのに・・・・)
 すでにシリスと同じ結論に達していたミューズだったが、それが疑問だった。
 彼らは向こうの世界でさんざん彼女たちの力を見ているはずである。
(何らかの理由で記憶に混乱をきたしているのか・・・・あるいは、あたい達だと全く気が付かなかったのか・・・・)
 冷静な口調でメイル。
 だが、その通りだった。
 まさか闘神メイルがこんな世界にいるとは彼らには想像もできなかったのだ。
 そして天使達は、この期に及んでなお、メイルがこの世界にいる訳をはかりかねていた。せいぜい、退屈しのぎに遊びに来ている程度にしか思っていなかったのだ。
 そして、そのために、”地球を盾にして”メイルと戦おうなどという愚考をしたのである。
 もしも、彼らがメイルがこの世界にいる理由を少しでも考えていたら、無駄な抵抗などせずにさっさと逃げ出していたかもしれない。
(それなら、その天使がこっちに来る前にあんたが潰せばいいじゃない)
 ミューズのもっともな反論に、メイルは苦笑したようだった。
 それが出来れば苦労はない。
 彼等の攻撃は、ガキの遊びだから本気になれん・・・・
 奴等を倒すためには”大義名分”が必要だ)
(それでは仕方がありませんわね・・・・ご主人様の命令ですものね)
(確かにマスターは無用な戦闘はさけろと言ったけどねえ・・・・
 あの馬鹿がこの世界に不当に干渉しているのは歴史上の事実なのよ。
 なにも遠慮する必要は無いと思うけど・・・・)
 鼻を鳴らしながらミューズが言うと、メイルは冷静な口調で答える。
(だが、あたい達が直接害を受けたわけではない。)
 そのメイルの言葉に、シリスは思わず苦笑した。
 今、メイル自身は天使達の攻撃を受けているのだから、客観的に言えば十分に害を受けているはずなのだ。だが、本人が彼等の攻撃を”攻撃”だと思っていないのだから仕方がない。
 メイルに言わせれば、天使達の攻撃など姉妹(三妖神)喧嘩のじゃれあい以下のレベルなのだ。
 実際、メイルとミューズが姉妹喧嘩をすれば、その戦いのすさまじさときたら、今の天使達の攻撃の比ではない。
 メイルに言わせれば姉妹喧嘩以下のレベルの戦いで大義名分など立たないのである。
 これは完璧にミューズにとっては誤算だった。
 このままぐずぐずしていれば、事態はややこしいことになるだろう。
 メイルのモットーが”弱い者いじめをしない”と”大義名分”なら、ミューズは”先手必勝!”に”問答無用!”が信条である。
 先手必勝がモットーのミューズにしてみれば、さっさとけりを付けてしまいたいのだが、肝心のメイルがこのざまではどうしようもない。
 天使が地球を盾にすれば否応もなく自分達が対処せざるを得ない事になる。
 そして、ここで自分達が力を使えば、天使達、ひいては彼らの上にいる神に自分達の存在を知られる可能性もあるのだから。
 自分達の存在を知られることなく、天使を抹殺することも確かに可能だ。ミューズにとってその程度の芸当は難しいことではない。
 しかし、向こうの世界ならいざ知らず、こちらの世界では彼等に対抗しうる存在はいないのだ。仲間が抹殺されれば、そのことに疑問を抱くだろう。
 そうなれば、自分達の存在を知られる可能性もありうる。
 それは、即ちマスタードラゴンがこの世界にいる事を神に教えてやるようなものだ。
 わざわざ、メイルが天使達を迎撃に出たのも、自分達”三妖神”がこの世界にそろっていることを悟られないための苦肉の策であったはずだ。
 そのはずであるのに、メイルが大義名分にこだわってしまっているのでは・・・・
(だいたい、今までさんざんマスターにちょっかいを出してきた馬鹿の片割れに、何の遠慮がいるって言うの?
 そんな奴等、問答無用でぶち殺してやればいいじゃない。)
 いらだたしさを隠しもせず、ミューズは言い募る。
(弱い者いじめは・・・・)
 メイルの言葉は続かなかった、彼女の言葉を断ち切って、ミューズがほえる。
(奴等は、この世界にも、私達にも、そしてなによりマスターに不当干渉しているわ!
 十分、大義名分はたつはずよ!)
 ミューズの怒りも分かる。だが、メイルとしては、完全な大義名分が必要なのだ。
 それが竜一の命令でもあるのだから。
(だが、それが盟主の命令だ・・・・)
 同じ言葉を繰り返す石頭のメイルにあきれながらも、ミューズは考えを改めた。
 確かに、ここで完全な”大義名分”を手に入れることは悪いことではない。さらにもう一つミューズは有ることを思いついた。
(そうね・・・・、確かに、彼等に私達の事を知られるのは得策じゃないけど・・・・
 私達の力でマスターを守ってゆくことに変わりはないし・・・・)
 知られたならばそれはそれ、向こうが手を出してくるならば叩き潰せばいいことだ。
 ミューズは完全に開き直ってしまった。
 ミューズのその様子にシリスは不安を覚えた。
(ミューズ・・・・あなたまさか・・・・)
 ミューズはシリスに答える。
(遅かれ早かれ、私達がこの世界にいることにあの馬鹿は気づくわ。
 どうせ知られるなら早い方がいいと思わない?)
(いけません! 御主人様を危険にさらすなんて!!
 あなたなら、彼等に気づかれないように手を打つこともできるでしょう?)
 ミューズはシリスの不安を敏感に感じとっていた。だが、あえてそれを無視し、言葉を続ける。
(シリス、マスターは人間よ。人間には寿命があるわ。
 マスターが天寿を全うするまでの間、あの馬鹿が私達に気が付かないのなら、それが一番望ましいわ、でも・・・・
 もしもマスターが老いた頃・・・・
 そう、自分自身の力の圧力に耐えられないほどに肉体が衰えたとき、あの馬鹿が現れたらどうするの?)
(それは・・・・)
 ミューズの反論にシリスは言葉に詰まった。
(それに、私達が三人そろっているのよ。いったい何を恐れることがあるの?)
(・・・・・・・・・)
 しばしの沈黙。
 やがて、あきらめたように、シリスは呟く。
(分かりました・・・・)
 それを聞いてミューズはメイルに返答する。
(こっちに来る奴は、私が責任を持って面倒見て上げるから、後はうまくやってよ)
 それを聞いてメイルは安堵したように答えた。
(分かった)
 そして、会話は終わった。
 彼女たちがそんな相談をしている間にも、コンテナは甲板上に移動していた。
 やがて、コンテナが”アホウドリ”の貨物運搬口の正面まで移動する。
 そこからさらに、ゆっくりとアホウドリの中へと進んでいった。

 地球からの距離約60万キロ。
 月軌道を遥かに越える位置にそれはいた。
 大きな純白の翼を背中に背負ったハンサムな男が宇宙空間に浮いている。
 それが、戦線を離脱したガブレイルであることは一目瞭然だった。
 ここからが彼の正念場だった。
 この星にメイルがいたのなら、彼女が興味を示した何かがあったはずだ。それを盾にすればメイルの猛攻を防げるはずだった。ミラヴィエルはそう信じていた。
 その”何か”が何であるかを考えもせずに、それを盾にすべく、ガブレイルはここにいる。ミラヴィエルの指示の通りに。

「我らの勝ちだ闘神殿」
 敬意のかけらもない、だが、口調だけは丁寧にミラヴィエルは言い放った。
 彼女の”メイル”の名を言葉に出すことは、彼らには出来ない。
 あまりにも格が違いすぎるのだから。
 力のある存在は、その名を口にするだけで、大きな力を発揮する。それが魔法の基本でもある。
 神々の中でも屈指の実力者である”メイル”の名は一介の天使風情が口にして良い物ではなかった。
「ほう?」
 メイルが眉をひそめる。
「我らの同志の一人、ガブレイルが、地球のそばにいる。これがどう言うことか分かりますかな?」
「・・・・・・・・」
「分からぬならば教えてさしあげよう。今、地球の命運はガブレイルの手の内にある。
 いかにあなたの力が全ての魔力を消し去るとは言え、これほど離れていては、ガブレイルの力を押さえることは出来ますまい。
 そして、あなたの俊敏さを持ってしても、ガブレイルが地球を砕く前に、それを止めることは出来ません。」
「それで?」
 まったく意に介さないメイルにミラヴィエルは、内心の動揺を何とか隠しながら、反論する。
「あの星には、何やら秘密があるようですな。
 あなた様が、わざわざ我々を出迎えて守らなければならぬほどの”何か”が。
 それを失ってもよろしいのか?」
 その”何か”が何であるのか、もう少しミラヴィエルが考えていれば、このような取引など考えもつかなかっただろう。
「だが、そうすると、お主等も困るのではないか?
 あの星の人間はお前達の神への供物なのだろう?」
 メイルの確認の問いかけに、自分の方が有利だと信じて疑わぬミラヴィエルはさらに続けた。
「ご心配めさるな。
 あのような星ごときで、あなたの命と力をいただけるなら、我が神もお喜びになりましょう。
 第一、たかが、人間50億と、あなた様の力では比較にもなりませぬ」
 メイルを倒し、その魂を自分達の神に捧げることがかなえば、もはや、人間など飼ってやる必要など無かった。
 彼女の強大な力を手に入れることが出来れば、彼らの神は、神族において並ぶ者のない、最高神となるのだから。
「しかし、ミラヴィエル様、そのようなことを本当に我が神はお望みなのでしょうか?」
 ミラヴィエルに突然疑問を投げかけたのは、今まで事態を見守っていた唯一の女性態の天使である。
「あの星の人間達は、確実に我が神の信徒となりつつあります。今彼らを失うのは我が神にとっても大いなる損失ではありませぬか?
 信者達を無益に失うわけには・・・・」
 柔らかな声音でそう言う彼女を、しかしミラヴィエルは侮蔑の目で睨みつける。
「お前は、未だに我が神の望みを理解していないようだな、あきれたものだ。
 貴様のような出来損ないが、私に指図するなど10万年早い!」
 そう一喝して、彼女を黙らせる。
 そこまで言われては、彼女に反抗の自由はなかった。渋々引き下がる。
 メイルはそんな天使達のやりとりを見て、疑惑を覚えた。彼女はいったい何者なのか?
 ただの天使なのだろうか? それとも他に何か意味があるのか?
 そういえば、他の天使達が戦闘に適した男性態になっているのに対して、彼女は未だに女性態のままであるのも奇妙なことである。
 本来、エネルギー生命体の天使に肉体はかりそめのものにすぎない。いくらでも変えることが出来るはずなのだが・・・・
 しかし、そんな疑問は後回しだった。今は、目の前にいる愚かな天使達を懲罰する方がメイルには重要だった。
「では、闘神殿、覚悟召されよ。」
 勝利を確信し、残忍な笑みを浮かべる天使達。その表情はあまりにも醜悪なものだった、神の下僕にはあるまじき姿であろう。
「やれ!」
 ミラヴィエルの号令以下、5名の天使達は思い思いの獲物を手に、あるいは、力を蓄えて、彼等はメイルに襲いかかった。
 ただ一人、戦いに参加しなかった天使は、冷静と言うより冷淡な瞳で仲間達の行動を見つめていた。

 ぎゅしゃああああ!
 奇妙な音が響いた。重力波の音が・・・・

「ぎゃう!」
「げは!」
 悲鳴を上げて吹き飛ぶ天使達。
 メイルは、正確に全員の顔面に拳を打ち込んでいた。
 そのパワーに吹き飛ばされた天使達は、自分達の身になにが起こったのか、すぐには理解できなかった。
「き・・・・貴様! 地球がどうなってもいいというのか!」
 逆上したミラヴィエルの声が響く。
 彼にとっては誤算も甚だしい状況だった。
 地球を人質(?)にとられたメイルにはもはや成す術はなく、自分達に切り刻まれるだけだと思っていたのが、いきなり逆襲を食らってしまったのだ。
 だが、逆上しているミラヴィエルに視線を向けて、彼女は空間にたたずんでいた。
 両腕を組み、侮蔑しきった瞳を彼に向けて・・・・。
「き・・・・貴様! 地球がどうなってもいいのか
 あの星には”何か”が在るのだろうが! それを失うぞ!!
 それでも・・・・」
「やるがいい・・・・」
 逆上したミラヴィエルの台詞を、メイルの冷ややかな声が切り裂いた。
「貴様等ごときに出来るものならばな・・・・」
「なっ・・・・」
 その言葉に絶句するミラヴィエル。
 元々、地球を”盾”にしたのは、自分達の実力ではとうていかなわないからである。
 その切り札が通用しないとき、どう対処すればよいのか?
 そもそも、人質(?)などは、脅すのが目的なのだ。もしも、それを実行して人質を失ってしまえば次の手が無くなってしまうのだから。
 メイルの予想外の反応に呆然としていたミラヴィエルだったが、すぐに体勢を立て直す。
 彼はメイルがはったりを言っていると考えた。
 向こうの世界で何度も戦った相手なのだ、その記憶を思い出した今、彼女の性格は熟知していた。
 彼女に無力な、無関係の人間を犠牲にする事など出来ない。何よりも弱い者いじめを嫌い、弱者を踏みつける存在を嫌悪するのが彼女だ。
 今、地球を見殺しにすれば、自分自身がその最も嫌悪する存在に成り下がるのだから。
 異常なまでにプライドの高い彼女にそんなまねが出来るはずがなかった。
 人質が通じないはずがない。そう、ミラヴィエルは結論した。
 これが、あの恐るべき”雷神”ミューズであったならば、人質など平然と見殺しにするだろうが・・・・
「無意味な虚勢など、我らには通じませぬ。
 次の攻撃で最後です。今度、抵抗したらその時こそ・・・・」
 ミラヴィエルがもう一度念を押し右手で指さしながらメイルに言い募ったとき・・・・

 どがしゃ!

「ぎゃふ!」
 短い悲鳴が空間に響きわたる。
 その光景を天使達は、呆然と見ていた。何が起こったのか、すぐには理解できなかったのだろう。
「能書きはそれくらいにしろ」
 冷ややかな台詞をミラヴィエルに叩きつけたのは、勿論メイルだ。
 何時の間にそこに来たのか? 彼女はミラヴィエルの真正面に立っていた。
 彼女の無造作にはなった拳は、正確にミラヴィエルの顔面を割っていたのである。
「ぐ・・・・があああぁぁぁ・・・・あぐぐぅううう・・・・」
 顔を両手で押さえて、転げ回るミラヴィエル。
 他人の命を玩具にするのは平然と出来る彼だが、自分自身の痛みにはまるで弱いようである。
 えてして、他人の痛みに鈍い者ほど自分のことで大げさに騒ぐものだ。
「少しは他人の痛みを理解できたか?」
 転げ回るミラヴィエルに侮蔑の眼差しを向けてメイルがはき捨てる。
 この世界で平和に暮らしていた精霊や魔獣達を殺し続けていた彼等。
 この世界を治めていた神や魔族を追い払い、この世界の人間達からその絆を奪った。
 多くの信仰を踏みにじり、人間達から素朴な信仰心を奪い、歪んだ宗教を押しつけた。
 それが、人々にとって、神や魔族達にとってどれほどの苦痛であったことか。
 だが、加害者の立場の彼等は、決してそれを知ることはなかった。この世界で彼等に対抗しうる者は存在しなかったのだから。
 しかし、今、初めて彼等はその裁きを受けた。
 いまや彼等は加害者ではなく何の力もない生け贄に過ぎない。”闘神”の怒りを鎮めるための、哀れな生け贄だ。
「ぐあがぁあぁぁ・・・・う・ぐううぅぅ・・・・」
 やっとの事で、顔の傷を治癒したミラヴィエルだったが、肉体的な痛みより、精神的な屈辱の方が遥かに大きかったのだろう。そして、精神面の傷をいやすことは出来なかった。
「よ・・・・よくも・・・・」
 熱い怒りに煮えたぎった視線をメイルに向け、ミラヴィエルはついに呪いの言葉をはいた。
「後悔しろ! お前の軽挙により地球は滅びるのだ!
 やれ! ガブレイル!!」
 盾を失った後どうするか。地球を滅ぼそうとすればいかなる結果になるか。
 そこまで彼は考えることは出来なかった。
 屈辱と憎悪、恐怖と怒り、それらに沸騰した頭脳は正しい判断能力を既に失っていたのである。
(やれ! ガブレイル!!)
 ガブレイルの脳裏にミラヴィエルの命令がこだました。
 その命令が伝わると同時に、体内に蓄えていた、地球を、太陽系そのものを破壊するに足る巨大な力を彼は解放していた。
 一瞬でも遅れれば、次の瞬間にはメイルにまっぷたつにされる恐れさえあった。
 直線距離にして数千兆光年。人類の宇宙物理学の極限を超える絶対的な距離さえ僅かな距離でしかない。天使達にとっても、そして、メイルにとっても。
 僅かな距離が与えてくれる時間は、瞬きする程度のものに過ぎないのだ。それを恐れて、いつでも力を出せるように準備していた。
 巨大な力の放出。地球のみならず、太陽系をそっくり消し去るだけの力が放たれた。そのはずだった、だが、眼前の光景はいっこうに変化しない。
 青く輝く小さな星は、全く何事もないように、彼の目の前にその美しい姿を誇っている。
 馬鹿な!
 そう思うより早く、巨大な力が自分をとりまいていることにガブレイルは気が付いた。
 そして、その力は、明確に自分に対して敵意を、そして殺意さえ抱いていた。

 この世界に仇なす愚か者よ。ここに汝の存在すべき理由はない。
 消え去れ

 美しい、しかし、心が凍り付くほどに冷たい声がガブレイルの頭の中に響いた。
 と、次の瞬間、彼をとりまく巨大な力は、あっと言う間に彼を押し包み、膨大な圧力を持ってその存在を抹殺した。

 ・・・・・・それが、天使ガブレイルの最後だった。
 まるで蟻が握りつぶされたような、あまりにもあっけない、天使に似つかわしくない惨めな末路だった。
 断末魔さえ残すことの出来なかった哀れな死だった・・・・・・・・
「ガ・・・・ガブレイル!!」
 その悲鳴は誰が上げたのか。
 天使達は、ガブレイルの死を知った。
 自分達の中では、最強の戦闘力を持つはずの彼。その彼のあまりにもあっけない最後を彼らは信じられなかった。
 地球を破壊しようとした彼の身にいったい何事が生じたのだろうか?
 彼らに理解できたのは、地球を破壊しようとしたガブレイルが、次の瞬間、巨大な力に”握りつぶされた”かのように、消滅したことだけだった。
「な・・・・何だ!? なにが起こったのだ!!」
 狼狽し、ウリエイルが叫ぶと、絶望を背負ったラファイルがうなった。
「ヤツだ・・・・」
 ごくり・・・・
 誰かがのどを鳴らした。
 天使が唾を飲み下すという事は普通はない。だが、その極めて人間に近い恐怖に対する行動をとらせる、それほどの存在が、この世界にいるのだ。彼等はそれに気が付いた。
「ら・・・・雷神・・・・か?」
 雷神・ミューズ。
”最凶”・最悪の敵。

 実力においてはメイルに一歩譲るが、メイル以上に恐れられる存在。
 敵に対しては残忍無情・極悪非道・冷酷非情。
 メイルに対しては、プライドのために無謀な戦いを挑める天使達でさえ、彼女には反撃の意志を持つことさえ出来ない。
 何しろ、彼女にはいっさいの抵抗が無意味だ。
 メイル一人ならば、そのプライドを刺激し、あるいは、人質を取ることで活路を見いだせるかもしれない。
 シリスのみならば、情に訴えることで生き延びるチャンスを得られる可能性もある。
 しかし、ミューズには全く打つ手がなかった。
 彼女は敵にいっさいの情けも容赦もない。
 人質を取ろうと、お構いなしに人質ごと叩き潰されるありさまなのだから。
 いかなる反抗も、あらゆる策略も、ミューズの前では全て無力。
 ミューズに対抗する方法はただ一つ、彼女以上の力で、実力を持って打ち倒すことのみ。
 そして、ガブレイルを”握りつぶした”力はまさしく彼女のものだった。
 ミューズがその気になれば、天使ごときに気配を気取られることなく事を成すこともたやすかったが、すでに、天使達に対しての態度を決した以上、ミューズは力を隠すようなまねはしない。それは、彼等への警告でもあった。
 ――この世界にこれ以上干渉するなら、お前達も、そして、お前達の神も同じ末路をたどる――
 それは、明確な宣戦布告だった。
「馬鹿な・・・・そんな・・・・そんな馬鹿な!」
 ミラヴィエルは恐怖の悲鳴を上げた。
 闘神メイルだけでも、頭の痛い問題だった。彼女に対抗するための手段として地球を盾にしたというのに、それが、とんでもない相手の逆鱗に触れることになろうとは。
 完全に誤算だった。
 メイル一人が気まぐれを起こして、この世界に来ていると考えていた彼の想像は、見事にはずれていた。それを思い知らされると同時に、彼はある事実に気が付く。
 闘神メイル、そして、雷神ミューズ。
 この二神が同時にこの世界にいるという事は、残る一神も存在しうることを意味する。最後の女神、薬神シリスが・・・・

 そして、この三神――三妖神――がそろって存在する理由はただ一つ。

 彼女たちの絶対にして唯一、永遠の主人であるマスタードラゴンがこの世界に存在すること。
 そして、主人の住む世界に不利益な干渉を行う存在を、彼女達は決して許さない。
 メイルが彼等をこの場所まで引きずってきたのは、そのためであったのだ。
 地球に、地球が存在する宇宙に無用なダメージを負わせないために。
 地球にミューズを残しておけば、何の心配もなく戦えるのだから。
 こうなっては、天使達には反撃のチャンスは全くない。
 実力では遥かに及ばず、”盾”もない。
 なにより、地球に手を出したことで、自分達を抹殺するに足る”大義名分”をメイルに与えてしまったのだ。
 そのことにようやく気が付いたミラヴィエルは己の浅はかさを呪ったが、既に遅い。
「地球を盾に取りそれを破壊しようとした。その罪は、極めて重い」
 厳かにメイルは言葉を続けた。
「汝らの命で償え」
 淡々と語るメイル。冷酷な死の宣告は、ついに下された。
「ひ! ひいぃぃ・・・・」
 天使達の絶叫が空間に響きわたる。
 それは、絶望の悲鳴だったのか? それとも、断末魔の声だったのか?
 それを確かめるすべは既に失われていた。
 6人の天使達が悲鳴を上げて、ちりじりに逃げようとしたその瞬間、一瞬にして、その体は人としての形を失い、命のない力の固まり、光の結晶になった。
 メイルは、その怒りを眼光に込めたのだ。その眼光を浴びた天使達は、その光に命を奪われ、天使としての”命”を絶たれた。
 ただ、睨まれただけだ。
 たったそれだけのことで、天使達はその存在を解消されてしまったのである。

 闘神と天使。

 勝負にさえ成りようがなかった。
 その力には次元さえ違う、絶対的な差があったのだ。
 決して埋めようのない力の差が・・・・
 6人の天使だった物、メイルの眼光にその存在を解消されたそれは、やがて光の粉となり、崩れて、空間にとけ込んでいった。
 ただ一人の天使を残して・・・・
 メイルは重い溜息を吐き出した。まるで、自分の胸のつかえを取り除こうとするかのように。
 愚かな最後だ。彼等は己の行為にふさわしい報いを受けただけだ。
 だが、メイルは彼等を笑う気にはなれない。

 彼等は自分の主人に忠実だった。その命令に従って命を落としたのだから。
 自分もまた、主人を持つ使い魔だ。主人の命令なら、あるいは主人の命を守るためならば、どんな無謀なことでもするし、自分より強い相手でも戦うだろう。
 しかし、彼等にとって不幸なのは、出来の悪い主人を持ってしまったことだろう。
 子どもが親を選べぬように、下僕は(あるじ)を選べない。
 悪い主に出会ったとき、使い魔にとって最悪の運命をたどることになる。
 出来の悪い主人を持った不幸な天使達、彼等を見て、メイルは自分の主人の事を思わずにはいられない。
 メイルの主人、マスタードラゴンは決してそういう命令は出さなかった。
 メイル達の身を危うくするような命令は、決して。
 彼にとって、メイル達は単なる使い魔ではない。大切な家族なのだ。
 家族の命を危うくするような命令など出すはずがなかった。
 だからこそ、彼女達は主人が命令しなくとも彼を守るために動くのだ。
 あまりに優しすぎる愛すべき主人の為に。
 そして、そのためには敵を許すわけにはいかない。それでも、メイルの心は重かった。
 任務を達成したという満足感よりも、弱者をいたぶった後味の悪さのほうが、遥かに強かったのだ。
 いくら大義名分が有ろうとも、弱者をなぶった事は変わらない。
 彼女にとってそれは重い事実だ。

 それでも、彼女は自分の責任を放り出すことはしない。
 敵を倒すこと。主人を守ること。それが彼女の生き甲斐であり、全てなのだから。
 例え、そのために自分が不快な思いをしようとも。
 それが、彼女達の存在意義であり、愛なのだから・・・・

「何故、私を消滅させないのですか? 私も敵ですよ?」
 不思議そうに尋ねる彼女にメイルは視線を向ける。
「お前は本当に”敵”か?」
 メイルはその強い輝きを放つ黄金の瞳で、彼女を見据えた。
 その言動と言い、仲間であるはずの天使達を見る彼女の目の冷たさといい、メイルは疑問を抱いていた。
「それは・・・・答えられません・・・・。
 私はただ、我が”創造主”の意志に従って行動するのみですから・・・・」
「そうか・・・・」
 その言葉を聞いて、何故かメイルは納得したように頷き、背を向けた。
「私を消さないのですか?」
 呟く彼女に、背を向けたままでメイルは答えた。
「”敵”でない者を消す必要は無いな。お前の”創造主”によろしく伝えてくれ」
 メイルは、そう言うと、その場を立ち去った。
「はい、私の”創造主”に伝えておきます。」
 遠ざかるメイルに羨望の眼差しを送りながら、彼女はやがて静かに消え去った。
 自分達の世界へと・・・・

1 / 2 / 3 / 4 / 5 / 6 / 7 / < 8 > / 9 / 10 / 11 / 12 / 13 / 14 / 15

書架へ戻る