[ 三妖神物語 第三話 女神乱舞 ] 文:マスタードラゴン 絵:T-Joke

第二章 天と地にて

 康夫が指定した場所は駅前公園だった。
 竜一は右肩に黒猫、左肩に小鳥という同行者(?)をつれて公園のベンチに座っていた。
 穏やかな(夏に近い)春の日差しの中、子ども連れで親子が彼の前を通り過ぎると、彼の肩に猫と小鳥が乗っていることに気づいた子ども達は、歓声を上げてそれを見る。
「わーかわいい」
「いいなーー、あたしもほしいなあ」
 子ども達の歓声に、大人達もつられて竜一を見つめる。
 それを見て、はじめはぬいぐるみか何かだろうと思い、笑いをこらえるが、時々、猫が顔を前足で拭いたり、小鳥が羽を動かしてさえずったりすると、とたんに、驚愕の表情を浮かべ、そして、先ほどとは微妙に違う笑みを浮かべる。
 はじめは小馬鹿にした笑いだが、その二匹が本物であることを知って、かわいらしさと、物珍しさに微笑むのだ。あるいは、内心でうらやましいと思っているのかも知れない。
 ただ、これだけの陽気の中、彼の首に巻き付いている奇妙な模様の銀のマフラーはいただけない。あるいはアクセサリーなのかも知れないが、妙な趣味と思われたかも知れない。
 そのアクセサリーの模様は極めてリアルに有る生き物を連想させる。
 その表面にびっしりと描かれた細かい模様、鱗。
 蛇皮のアクセサリーを銀色に塗ったものかもしれない。しかし、その銀の鱗は不思議に人の心を打つ美しさを持っていた。
 見ようによっては、小さな銀の板を連ねた鎖のように繊細な美しさを誇っている。しかし、誰が想像するだろう。
 身じろぎもせず、彼の首に巻かれているそれが、本物の生きた蛇であることを。

 しばらくベンチで日光浴を楽しんでいた竜一は、大欠伸をかみ殺した。
 そろそろ、強さを増してきてはいるが、まだ、柔らかさが含まれているその陽光。
 うららかな春の日の温もりは、寝不足の彼にとって最高の誘惑である。
 そして、それは、彼の元に有る魔物を遣わした。
 睡魔の名を持つその魔物は、彼にとって、おそらく最強の強敵であった。
 その力にあっさりと竜一は屈してしまった。睡魔が手招きするたび、それにあがらう事さえ出来ず、竜一はその誘惑に身をまかせた。
 睡魔の誘うままに、眠りの園へと迷い込んだ時・・・・
「こんな所で寝るな!」
 いきなり彼を小突き起こしたのは、彼をここに呼び寄せ睡眠不足に追い込んだ元凶であった。
「よう! 竜一、生きてるか」
「半分死んでる・・・・」
 寝ぼけた頭を振りながら、何とか目を覚ます竜一。彼が完全に目覚める前に康夫はいきなり大声を出した。
「竜一! その小鳥はどーした? それに、その首の蛇は!」
「・・・・・・」
 あまりのことに竜一は絶句した。

「これは・・・・唯のアクセサリー! 
 そう! ただのアクセサリー、蛇に見えるだけ!!」
 自分の首に巻き付いたそれを指さして、慌てて言いつくろうが、竜一は心の中で悲鳴を上げていた。
(簡単に見抜くなーー!!)
 康夫は、一目で竜一の首に巻き付いているのが”生きた”蛇で有ることに気が付いていたのだ。
 全くもって、とんでもない奴である。今更ながら、どういう目を持っているのだろうか? この男は・・・・
 目の前の親友兼悪友をしげしげと見つめる竜一であった。
「ごまかすな。それが本物の蛇だって事くらい誰にだって分かるぞ」
 あっけらかんと言う康夫に竜一はかみついた。
「馬鹿抜かせ! そんな器用な芸当、己しか出来んわ!」
「そーかなー」
「そうだ!」
 どこまで行っても漫才コンビの二人であった。
 康夫は、竜一の隣りに腰を下ろし、竜一の首に巻き付いている蛇と左肩にとまっている小鳥を物珍しげに見る。
「・・・・珍しい鳥だな。なんて種類なんだ?」
 これまた、あっさりとばれたようである。
 しかし、先ほどの事でメイルの事がばれるのは、有る程度、覚悟済みであった。
 竜一は冷静に対処する。
「鷲もどき」
「へ?」
 竜一の答えに、康夫は間の抜けた返事を返した。
 ・・・・どうやら、竜一は完全に開き直ってしまったらしい・・・・
「鷲もどきぃ? なんだそりゃ?」
「つい最近発見された珍種中の珍種だ。だが、ただの鳥だ」
 開き直った竜一は、もはやこわい者なしであった。口からでまかせを言って煙に巻こうと言う魂胆である。
「・・・・まあ、それはいいさ。それにしても・・・・」
 竜一の肩で、あるいは首で大人しくしている小鳥と蛇を見て康夫は言葉を続ける。
「その蛇が全然動かないのも凄いが・・・・、その鳥の方、何で逃げないんだ?
 羽の筋でも切っているのか?」
 それを聞いて竜一は激怒した。
「俺が、そんな馬鹿なことをするとでも思っているのか!?」
 その剣幕に、康夫は大慌てで頭を下げる。
「すまん、馬鹿なことを言った。お前がそんな事をするはずがなかった。
 悪い、許してくれ」
「分かれば良いさ」
 平謝りする康夫に竜一は頷いた。

 竜一の左肩に止まっていた小鳥が不意に顔を上げた。それと同時に右肩に座っている黒猫も空を見上げ、その一点を睨み付ける。
 死んだふりをして、竜一の首に巻き付いていた白銀の蛇がわずかに身じろぎしたように竜一には思えた。
 すると、竜一の左肩にとまっていた小鳥は、一声甲高くさえずると、あっと言う間に空の一角へ向けて飛び出した。
「なんだ? どうしたんだ?」
 竜一と並んで公園のベンチに腰掛けていた康夫は、いきなり飛び出した小鳥−メイル−を呆気にとられたように見つめていたが、その姿は、すさまじい勢いで彼らの視界から消え去った。
「・・・・さあ? 何かおもしろい物でも見つけたんじゃないかな?」
 気のない竜一の返事だったが、そんな物かと、康夫は納得した。
「しかし、本当にあの小鳥、お前になれてたんだなあ・・・・」
 康夫はそう言って感心したように竜一を見つめた。竜一はただ黙ってメイルの消えた方向を凝視した。
「まあな・・・・」
 康夫の言葉に竜一は素直に頷いた。

 竜一と康夫は、そのまま映画館へと足を運んだ。
 今日は、康夫が見たがっていたカンフー映画の新作が封切られる記念すべき日であった。
 竜一はあまりカンフー映画は好きではないのだが、康夫が”無料チケット”などを二枚手に入れたために、つきあわされる事になったのだ。
「それにしても男二人で映画とは虚しいな」
 竜一が愚痴ると、同感と康夫が頷く。
「男と一緒に映画を見なければならんとはな、お前、これを利用して女を誘おうとは思わなかったのか?」
 竜一の問いに、康夫はわかり切ったことを聞くな、と答える。
「思い当たる相手がいれば、お前なんぞ誰が誘うか」
 その答えに、納得顔で頷く竜一。
「至言だな。」
 全く持ってその通りだった。

 二人の男が不毛な会話をしていた頃、竜一の肩から飛びたった小鳥は、風をまといながら、すさまじい勢いで天空をかけ上り、一瞬後には高度三万mにまで達していた。
 常識ではあり得ない早さである。
 超音速戦闘機でも、これほどの速度を出すことは絶対に不可能だ。
 もしも、この小鳥の飛翔を目撃していたら、生物学者や航空物理学の教授達は頭を抱えたことだろう。
 もしかしたら、今までの自分の人生に疑問を持ったかもしれない。
 だが、彼女の超絶的な飛翔は幸いなことに、誰にも目撃されることはなかった。
 それは、恐らく地球上の全ての科学者と常識人にとって幸せだったに違いない。
 自分達の常識が壊れる瞬間を目撃せずにすんだのだから。
 そして、その空間にとどまっていたメイルの前の空間の(ヒズ)みが少しずつ大きくなっていく。
 (ヒズ)みは(ユガ)みとなり、高さ数十mにまで成長したそれは、やがて、きらびやかな輝きを放つ黄金の門と化した。
 その門には、扉の中程に左右対称で幼い天使と唐草模様が絡まり合った柄が浮き彫りで描かれており、その上に雲の上に立つ神の図柄が記されている。
(相変わらず、悪趣味だな・・・・)
 メイルは、心の中で吐き捨てた。
 彼女は、小鳥の姿から本来の姿−黄金のグリフォン−に戻ると、その扉の正面に陣取り、激しい光を宿す黄金の瞳で門をにらみつけている。
 やがて、重々しい音をたてて門が開き、そこから8人の人影が静かに現れた。
 いや、人影ではない、彼らは一様に背中に大きな一対の翼を背負っており、その衣装は、布を巻き付けたような簡単な、それでいて清楚な雰囲気を醸し出すものだった。
 そう、聖書や宗教画によく登場する”天使”、メイルの眼前に現れたのは、間違いなくクリスチャン達が神の使徒として崇める存在−天使−であった。

「ほお、これは・・・・」
 門から出そろった天使のうち、最初にメイルを認めた男(?)は静かな笑みをたたえた。
「これは驚きました、こんな幻獣が未だに生き残っていたとは・・・・
 この世界の幻獣達は、確か2000年前に滅ぼしたと思っていたのですが・・・・」

”滅ぼした”という天使達、そのまがまがしい言葉の響きにメイルは眉をひそめる。
(やはり、そういうことか・・・・)
 ミューズから話は聞いていた。
 この世界にもあの”外道”が手を伸ばしていたことを。
 自ら唯一絶対の神と称し、自分以外の神の存在を認めず、自らの教典に逆らう者は、ことごとく邪悪な存在として滅ぼす。独善的で偏狭な”神”。
 この世界が自分にとって異世界であることを知りながら、この世界に不当に干渉し自らを神と呼ばせている浅ましい存在・・・・
 礼節を知らず、秩序を砕き、無知なる者を産ませ己の奴隷となす事を至上の喜びとする最悪の”神”
 その先兵が今、彼女の目の前にいた。メイルが憎んでも憎み足りない存在。
 かつて、盟主マスタードラゴンをその浅ましい欲望の犠牲にしようとした、最低最悪の神−ヤフェイ−の下僕が・・・・
 メイルを認めた天使達は、静かに彼女の廻りを包囲した。
 その目は喜びに輝いている。
 それは彼らにとって最高の快楽、弱者をなぶる娯楽が得られたため。
 ヤフェイをメイル達が好きになれないのは、その性格にあった。
 本来、ヤフェイは異世界、彼女たちが住んでいた向こうの世界の人間の神であった。
 こちらの世界はともかく、向こうの世界では正真正銘、人間の創造神であり、本来ならばマスタードラゴンや彼女達の崇拝を受けるにふさわしい存在であるはずだった。
 だが、彼はあまりに小さな存在だった。
”力”ではなく、”器”の大きさが。
 たとえ、力が小さくとも、その心が、器が大きければマスタードラゴンも彼を愛し、崇拝しただろう。
 現実にあの当時、マスタードラゴンより強い神など存在しなかった。最高の力を持つ創造神でさえ、力ではマスタードラゴンに遠く及ばなかったのである。
 マスタードラゴン−竜の力を統べる者−の名は伊達ではない。彼の力は神を凌駕した最高種族たる竜族、その長、竜王にさえ迫るものだったのだ。
 それでも、彼は多くの神を敬愛し、多くの魔王と友好を結んでいた。マスタードラゴンは、神々の力ではなく、その器の大きさを認めていたのだ。
 だが、ヤフェイはそうではなかった。

 彼は、神と言うにはあまりにも小さな存在だった。
 独善的で高慢、偏狭で陰湿、猜疑深く嫉妬深い。
 あまりにも俗物的であり、あまりにも欲深く、そしてあまりにも愚かな存在だった。
 そんな神に作られた人間が、まともであるわけがなかった。
 多くの人間は自らの欲望のために世界を食いつぶそうとした。
 人間は自分達だけが現界の住人であり、所有者であるかのように振る舞い、多くの神や精霊や魔族、そして竜族の不興を買った。
 しかし、それも仕方がないのかもしれない。
 人間を作った神が、そう言う存在だったのだから。
 人間が持ちうるあらゆる悪徳の全てを持った神によって作られた罪深き生物。それが人間だった。
 人間の悪徳は全て、創造神ヤフェイのものだったのだから・・・・
 この世界で、彼をあがめる宗教の教典には、人間の原罪という物がある。
 人間は生まれながらに罪な生き物であると言う物だが、向こうの世界の人間も重く大きな原罪を抱えていた。
 それは、彼等が生まれ落ちた時から持っている、深く救い様のない罪。
 彼等の創造神が持っている罪なのだ。

 そして今、メイルの目の前にその最低最悪の神の下僕が現れた。
 天使という名の、ヤフェイの分身達が・・・・。
 天使達はゆっくりとメイルの廻りを固めている。
 彼らは、創造神たるヤフェイから命じられていた。
 この世界に存在する幻獣や精霊を滅ぼし、それらを神として信奉する者達を一人残らず殺せと。
 自分が絶対神となるために、他の存在を神とする宗教は、彼等にとって邪魔以外の何者でもない。
 そうして彼等は、この世界で2000年もの間、殺掠を続けていたのだ。
 そのかいあって、異世界の存在であるはずのヤフェイを崇める宗教がこの世界で最大の勢力を誇ることになった。
 唯一神ヤファエイを崇める宗教が・・・・
 そうして全ての精霊や幻獣を滅ぼしたはずであるのに、今彼らの目の前に何も知らない風の愚かな幻獣がいる。
 黄金の輝きに身を包む、美しく気高く、そして力強い。誇り高き幻獣グリフォン。
 それが至上の獲物であることは明白であった。
 久しぶりの獲物に嬉々として、天使達は群がっていた。

 その真の力も知らずに・・・・

 メイルは居並ぶ天使達を睨み付けた。
 天使達の顔をメイルはよく覚えている。
 天使達は、かつて彼女達と戦ったこともある。その時に、彼女は徹底的に彼等を打ちのめした事もあった。
 だが、彼等は目の前にいるのが自分達を叩きのめした”闘神”で有ることに全く気づいていなかった。
 この世界は本来三妖神たるメイルが存在するべき世界ではない。
 理由も無しに異世界の神たる彼女がこの世界に干渉する事はない。
 そのような無法なまねをするのはヤフェイ位のものなのだ。
 当然、こんな所に彼女がいるなど、天使達にとっては計算外の事態であった。
 彼等は、目の前にいるのがこの世界に生息している唯のグリフォンだと信じていた。
 そしてそれは、彼等にとって最悪の事態を呼び寄せる結果となった。
 知らぬが仏とはよく言った。
 いや、この場合、無知が最悪の状況を演出しようとしているのだ。
 誰にとって最悪かと言えば、勿論、天使達にとってである・・・・

 7人の天使達は恐れるこもとなく、メイルに対し殺気を放っていた。
 天使がこのようなことをして喜んでいるなど、いったい誰が想像できるだろう。
 神の使徒であり、清廉な天使達が、その力を無益な殺生に使っているなどと。
 彼らを聖なる下僕として崇拝している人間達にとっては、非常識の極致といえるのかもしれない。あるいは、悪しき者を滅ぼす神の下僕として、当然の行為だと彼等は納得するのだろうか?
 たとえ相手に敵意が無くても、害意を持っていなくても、異教の存在を滅ぼすならば弱者を虐待することも正義と思うかもしれない。
 彼等の信徒達はそう信じて、自らの神に従ってきたのだろうから・・・・
 殺気と敵意のこもった非友好的な天使達の中で、ただ一人、それに加わらない天使がいた。
”彼女”はただメイルと仲間達を見つめるだけであった。その瞳には悲しみとも哀れみともとれる色を浮かべている。
 それが、自分に向けられているものか、仲間の天使達に向けられているのか、メイルには判断が付かなかった。
 だが、妙な存在だった。
 かつての戦いでも、彼女はその漆黒の瞳で眺めていただけだったのだから・・・・

 メイルが天空で天使達と相対していた頃、地上にいた竜一達は何をしていたかと言うと。
 映画どころか、はなはだ不本意なことに、むさ苦しい男どもにデートの誘いを受けていた。
 それも、威嚇と恫喝を持っての極めてはた迷惑なデートのお誘いだった。
 竜一と康夫を包囲した30人余りの男達は、手に拳銃を握りしめて二人を威嚇した。
「二人とも、我々と一緒に来てもらおうか。」
 リーダーとおぼしき男が静かに進み出て、流暢な日本語で命令する。
 彼らの後ろにある黒塗りのロールスロイスの後部座席のドアが開き、二人を招く。
「そちらの事は全て調査させてもらった。
 特に”竜一”君だったね、君に関して我々はたいへんな興味を持っている。
 是非とも我々に力を貸してもらいたい」
 男の瞳を憶することなくにらみつけていた康夫が、傍らの悪友に顔を向ける。
「おいおい、外人さんに目を付けられるなんて、お前何をやらかした?」
 その瞳にあるのは、純粋な好奇心だけだった。
 そうと知ったとき、竜一は康夫に問わずにはいられなかった。
「康夫・・・・他に言うことはないのか?」
「何が?」
 問い直す康夫に竜一は少し沈んだ表情で、答える。
「いや、こんな事に巻き込まれて迷惑だとか、事情を説明しろとか・・・・」
 竜一が沈んだ声でそう答えると、康夫は、はじかれたように笑い出した。
 あまりの大声に、廻りで銃を構えていた男達が何事が起きたのかと、狼狽した顔をするほどの。
 ひとしきり笑った康夫は、呼吸を整えるとあっさりと答えた。
「馬鹿いえ、こんな面白い事につきあわせてもらえるんだ、迷惑な訳ねえだろ。
 それに、人にはいろいろ事情があるんだから、別に言いたくないなら言わなくてもいいさ」
 そこでいったん区切ると、いたずらっ子のような笑みを浮かべてつけ加えた。
「あとで、参加料を取るなんて言うなよな」
 あまりのことに、呆然としていた竜一だが、その康夫の台詞に苦笑を浮かべた。
「ちぇ、後で夕食おごらせようと思ったのに」
「せこいぞ、お前」
 竜一の答えに康夫も笑いながら答える。
 そのやりとりに、呆気にとられていた男達は、憤怒の形相で二人をにらみつけた。
 拳銃で脅された、ただの大学生が、これほど自分達をなめた行動をとるなど、彼らには信じがたい事だった。
 ただでさえ自分達の力に自信を持っている男達は、その怒りのはけ口を求めてリーダーの男に詰め寄る。
「リーダー! このガキどもに少し礼儀を教えましょう!」
「日本人は目上の者に礼儀正しいと聞いていたが、こいつ等は日本人の恥のようですからな。私たちが礼儀を教えても日本の恥を治してくれたという事で、規制好きの日本政府も文句は言いますまい」
「そうだな、それどころか文部省から表彰状をもらえるぜ!」
 男達の勝手な言いぐさに、竜一と康夫も毒舌で反撃した。
「おやおや、彼らは日本のことをよく知らないらしいな。
 目上の者に礼儀を守るというのは、模範的な年長者に対してのものだ。
 賄賂をせびる馬鹿な政治家や、宗教家の顔をしたテロリストや、拳銃で善良な市民を脅す暴力団やマフィアの類に礼儀は無用だと法律にも書いている。
 今度から日本の民法をよく勉強しておいた方がいいぞ」
 したり顔で講釈した康夫に竜一も皮肉な笑みを浮かべる。
「アメリカ人はジョークのセンスが発達していると聞いたが、大した事はないようだな。つまんねえ人種だ」
 さらに竜一は、一般のまじめで善良なアメリカ人が聞いたら、拳銃で撃ち殺されても文句の言えない罵詈雑言を、男達に早口でまくしたてた。
「ガキが! 大人に対する礼儀を教えてやる!!」
 高度な訓練によるたまものなのだろう。
 これほどに感情を激しても、母国語を出さないことは大したものだ。
 竜一がアメリカ人と断言しても、尚自分達の国籍を隠そうと試みるその用心深さは尊敬に値するかもしれない。
 もっとも、善良(?)な一般市民に銃を突きつける男達が尊敬に値するかどうかは、人それぞれの価値観とでも言うべきか。
 男達の表情を見て、からかいすぎたかと康夫は思った。
 自分一人なら何とでもなるが、竜一は体力と運動神経は人並み程度で銃を持った相手とやり合うだけの力はないはずだった。
 元々喧嘩が苦手で、危ない橋は避けて通るタイプの男である。
 似たもの同士といわれる二人だったが、喧嘩やトラブルに対しては全くの正反対の趣味を持っていた。
「どうする? 竜一」
 康夫は、竜一が降参するなら、つきあうつもりだった。
 少なくとも、喧嘩の苦手な竜一に、一人でこんな得体の知れない連中の相手をさせるのは気の毒だと思っているのだ。
 沢田康夫19歳。今時、珍しいほどに義理堅い男なのであった。
 その彼に竜一は”にやり”という笑みを浮かべて返答する。
「大丈夫だ、何とかできる」
 その答えを聞いて、康夫は驚きの表情を浮かべる。竜一は続けて事情を説明した。
「いや、最近いとこがこの近所に越してきてな。
 これが武術の達人で、しかも、困ったことに俺に特訓までさせるんだ。
”自分の身内にこんな弱い奴がいるのはゆるせん”ってな」
 おかげで、家にいて、休む暇も無いという。
 康夫はその答えに疑問を持った。どれほどのレベルの特訓か知らないが、そんな短期間で人間の体が変わるものだろうか?
 そもそも、竜一が特訓しているなら、痣の10や20、体にあってもおかしくはない。
 それが無い方が不自然だが、今まで竜一が体に傷や痣をつけていたのを見た事がない。
「心配するな、お前一人を置いて逃げるほど、俺は柔じゃねえ。
 本当のことをいえよ」
 康夫は竜一が自分に気を使って嘘を付いていると思っていた、だが、それに竜一は行動で答えた!
 いきなり走り出した竜一に康夫は唖然とした、何をするつもりなのか。
 奴等を殴り倒して逃げると言うことか? 康夫はとにかく竜一の後を追う。

 ドガシャア!

 今まで拳銃に威嚇されて、逃げ出すこともできなかった平和ぼけした日本人の”ガキ”にいきなりの逆襲を食らった不幸な男は、自分の身に何が起こったのか理解するより早く、顎に食らった衝撃に後ろへと吹き飛ばされた。

「ひょお! やるう!」
 思わず康夫は口笛を吹く。
 その動きといい、的確に決める攻撃といい、そのパワーといい、確かに竜一の言うことは、はったりではなかった。これなら、銃を持った彼らとも互角以上に渡り合えるだろう。
 康夫はすばやく決断する。
「そう言うことなら、俺も楽しませてもらう!」
 一声ほえると、竜一の真後ろから横に飛び出し、右手にいる男に挑みかかる。
 竜一の方は、康夫の動きを気配で知ったのだろう、左側にいる連中につっこんでいった。

 ドガシャ! バキ! ベキ!

 竜一が相手の腹を殴る間に、康夫が数人の男の間をすり抜ける。
 康夫がすり抜けた後、男達は絶叫を放ち、口から泡を吹いて倒れ込む。
 竜一がそちらに視線を走らせると、男達の両手両足が絶対にあり得ない方向に曲がってしまっていた。
 それを見て、竜一は改めて康夫の強さを思い知らされる。
 康夫が強いことは知っていた。ただ、運動神経も体力も人並みで、格闘技の類はからっきしの竜一は、今まで康夫がどれほどのレベルの強さなのかは、まるで知らなかった。
 だが、今こうしてその目で見ると、彼の強さは脅威的ともいえる。
 竜一が先ほど康夫に話しためちゃくちゃ強い身内とは”メイル”のことだった。
 再び竜一を狙って現れるだろう馬鹿者対策のため、ミューズとメイルが竜一を特訓していたのだ。
 特訓を始めたのはわずか2カ月前だったが、ミューズの魔力とシリスの薬膳料理によって少しづつ体を強くし、ミューズの魔法教育とメイルの格闘技の特訓により、今の竜一の戦闘能力は人間としては超一流といっても良い水準に達している。
 ミューズやシリスの力なら、問答無用で絶対的な力を竜一に与えられるように思われるが、そううまくは行かないのだ。
 それというのも、今はその力の殆どを封印されているとはいえ、竜一は元々ミューズよりもはるかに強大な魔力を持っている。(ミューズを作ったのがマスタードラゴンである竜一なのだから当たり前といえば当たり前のことだが)
 そのために、強大な魔力を誇り”雷神”と謳われるミューズの力をもってしても、竜一をこれ以上強くすることはできない。
 せいぜい失われた記憶を取り戻し、魔道の知識を回復して、封印の中から漏れ出ている力を使いこなせるようにするのが精いっぱいなのだ。
 シリスの薬術も同じだった。
 封印のために彼の得意な性質も押さえられてはいるが、元々竜一は、あらゆる薬物・科学物質が通じない特異体質なのである。
 現在人類が知りうる、あらゆる毒物を持ってしても、今の彼にさえ、致命傷を与えることは不可能なのだ。せいぜい体調を崩す程度の効果しか望めない。
 そんな彼であるから、シリスの薬も芳しい効果は得られない。
 いやシリスが作った薬だからこそ、かろうじて薬効が得られると言うべきで、これは称賛に値するのだ。
 実際、彼は今まで、病気らしい病気をしたことがない。彼の体が細菌やウイルスの出す毒物を無力化するためである。
 彼がする病気は、唯一”風邪”だけだが、これも、睡眠不足や過労による体の変調にすぎず、一日寝れば完治するという有り様だった。
 そんな彼であるから、薬膳も魔法もそれほどめざましい効果は得られない。
 彼の力を上げるために三人は地道な筋力トレーニングと結界による時間操作を選んだ。
 時間の流れを変えた結界を作り、その中で竜一を特訓する。
 それにより、本来なら数十年もの時をかけて会得する技や力を身につけていた。
 それには、竜一自身が元々持っていて、眠っている才能も力を貸していたらしく、ミューズ達が計算した以上の効果があったのである。

 相手を翻弄し、銃を使う暇を与えずに懐に飛び込んで、手のひらで相手の顎をすくい上げる。
 竜一は軽くいなしているが、それでも相手の顎を砕く位の威力は十分にあった。
 顎を叩かれた相手は、その勢いのまま宙に舞う。口から血を吐きながら。
 そのまま地面に叩きつけられた彼は、打ちつけられた背中と砕かれた顎の痛みとで地面を転がり回っているが、竜一は気にせず次の獲物を探す。
 その瞳に再び康夫の影がよぎる。
 彼がいったいどんな攻撃をしているのか、今の竜一の動体視力を持ってしても、彼の動きを見切ることができなかった。あまりの早業に、竜一は舌を巻く。
 今の竜一が超一流の戦士なら、康夫は”超”の文字が6〜7個は付くだろう。
 横をすり抜ける一陣の風、それが自分達のねらっていた男の相棒だと気づくことさえ、黒服の男達にはできない。
 彼らが気づくのは、両手両足に激痛を感じ、そのまま地べたに這い蹲ったときだ。
 そうして、初めて彼らは自分達が何者かの攻撃を受け、戦闘不能に陥ったことに気づくのである。その耐え難い激痛とそれ以上の敗北感とともに。
 まさしく暴れ回る疾風。康夫の戦いは一瞬の出来事。
 疾風が吹き抜けた後には、その両側にいた男達が絶叫とともに崩れ、のたうち回る。
 右の男の腹に回し蹴りをぶち込んで相手を吹っ飛ばすと同時に、肘うちを顔面に打ち込む竜一。
 右に左に。
 後ろで前で。
 悲鳴と怒号が、絶叫とうめき声が狭い路地を満たし、男達の葬送歌となって流れていく・・・・

 ・・・・銃を持った黒服姿が戦闘不能に陥るまでにそれほどの時間は必要ではなかった。
 時間にして、30秒にも満たなかったかもしれない。
 彼らは銃という凶器も30人という数の暴力も全く生かすことができなかった。
 いや、生かすどころか、数と銃がむしろ逆効果にさえなった。
 30人という人数が狭い道に集まっていたため、彼らは満足に動くこともできず、味方に当たることを恐れて銃を撃つことさえできなかったのだ。
 もっとも、銃を撃ったところで、あの二人に当たったとはとても思えない。
 彼らは相手を甘く見すぎていたのだ。
 相手はたかが大学生、ケツの青いガキだと信じていた。
 バチカンからの情報収集もしていた。
 その得られた情報の中にあった、得体の知れない術を使う者の事は彼らも承知の上だったし、そのための準備もしていた。
 しかし、その”魔法使い”は女だと教えられていた。その女が出てくるまでに片を付けるつもりであったのに、このケツの青いガキどもは彼らの思惑も常識も完全に無視して暴れまくったのだ。
 足下に血塗れの怪我人を侍らせている竜一と、両手両足を砕き、行動不能の芋虫人間を大量生産した康夫は、ただ一人を残して”敵”を全滅させた事を確認すると、お互いの顔を見つめて”にやり”と笑う。
「なかなかやるなあ、竜一。まさかここまで腕を上げているとは思わなかった」
「まあね、俺も自分がこれほど強くなっていたとは思っていなかったよ。
 だが、お前さんのでたらめな強さにはもっと驚かされた」
 肩をすくめながら言う竜一に、そうか? と康夫が笑う。
「ああ、全然お前の動きが見えなかったぜ」
 そう言いながら、竜一は廻りに倒れている男達を見た。
 足下で敗北のうめき声を上げている人数は30人だが、そのうち血を吐いたり腹を押さえてうめいている者は全体の1/3ほどだ、残りの20人は全て両手両足が異様な方向にネジ曲がっている。
 即ち、竜一の2倍の数を康夫はこなしていたのだ、しかも、竜一が相手を”一撃”で倒していたのに対し、康夫は両手両足をその信じがたい握力で”握りつぶして”いたのだ。
 康夫の方が竜一より圧倒的に手間のかかる手段を選んでいた。それにも関わらず倒した数は康夫の方が上なのだから、康夫の強さがどれほどのものか想像が付くというものだ。
 そのことに竜一は内心舌を巻く、そして康夫に問いかけた。
「なあ、何で、一発で倒さなかったんだ? その方が楽なのに」
 康夫は、その問いに、肩を軽くすくめると、
「いや、手加減ができないんだよ、俺」
 康夫はそう言って、苦笑いした。
 何でも小学生の頃、やくざ風の男に絡まれていた女性を助けたとき、相手の腹を殴って内臓を破裂させた事があるらしい。
 しかも、胃腸だけでなく、その衝撃で心臓も危なかったそうだ。もう少し強く殴っていたら、そのやくざは、間違いなく死んでいたのだそうだ。
「で、俺もこの若さで殺人犯にはなりたくないんで、相手を”倒す”のではなく、”戦闘力を奪う”方法にしたって訳。」
 両手両足をへし折っても命に別状はないし、確実に抵抗力を奪い去ることができる。
 手加減も考えなくていい。
 まさに一石二鳥、いや三鳥だと、くったくなく笑う康夫。
 それに笑いで竜一が答えたとき、ただ一人残された男は、二人に無視されたのがよほど許せないのだろう。大声を張り上げる。
「そこまでにしておけ! ミスター竜一。大人しく私と一緒に来ていただこう」
 そして、スーツの胸ポケットから何か小さなグレーの物体を取り出す。それが小さなスイッチだと気づくのに、時間は必要なかった。
「これが何かわかるか?」
 男がサディスティックな笑みを浮かべた。その顔にどす黒い邪気がある。
 それを見て二人にはだいたいの見当が付いた。こういう追いつめられた時に悪党がすることなど決まり切っていた。くだらない口上を聞く義理など二人にはない。
 しかし、彼等の心中を無視して、男は勝ち誇って口上を並べ始めた。
「動くな! 動けばこのスイッチを押すぞ!
 私の指と、君たちの足。どちらが早いか試してみようか?」
 たぶん自分達の足の方が早いと竜一も康夫も思ったが、何もわからないうちにつっこむのは無謀だった。もしかしたらスイッチと見せかけて、全く別の代物かもしれないし、あるいは彼はおとりで、他の場所から指示が出るかもしれないのだ、迂闊には動けない。
 少なくともあれが何を意味するのかわからない今は、動くべきではなかった。
「そうそう、大人しくしていた方が身のためだ。さもないと、この都市にすむ全ての人間が死に至るのだからな」
 男は狂ったように哄笑した。
 この都市に飲料水を供給しているダムに新型ウイルスを入れたタンクを仕掛けてあるという。彼が手に握っているのはそのタンクを爆破する為のスイッチだった。
 そのタンクに入っている新型のウイルスはわずか数mgで億単位の人間を発病させ死に至らしめる。現段階でこのウイルスの治療薬はまだ完成しておらず。かろうじて、ワクチンによって身を守るしかないと。
「我々はすでにワクチンを与えられているから平気だが、お前達はそうではないからな」
 悪魔の発想、普通の人間ならそう思うだろうが、竜一はそうは思えなかった。
 悪魔が同族で殺し合うことはごく希なことである。まして、何の関係もない相手を万単位で犠牲にできるような残忍な行為など彼らはしない。

 よほどの理由がない限りは・・・・

 この残忍で愚かしい思考こそ、あるいはもっとも人間らしい行為なのかもしれないと竜一などは思っている。
「そのワクチンはどうやって作った?」
 治療法もできていない新型のウイルスに対して、それほど早くワクチンを作れるものだろうか?
 いくら動物実験を重ねたところで、人間に試してみない限り効果を確認することはできないのだから・・・・
 竜一のその疑問に男は、無言で口の端を上げる。先ほどまでの声を出しての笑いとは違い、そこにはあまりにも醜く、深い狂気が秘められている。
 その顔に浮かぶ醜悪な笑いをみて、二人は知った。彼らがその成果を得るために手段を選ばなかったことを。
おそらく、数多くの人間を人体実験という名の生け贄にして捧げたに違いない。
”科学”という名の彼らの信じる”神”に・・・・
「外道め!」
 康夫は嫌悪をむき出しにしてはき捨てる。ここで”ペッ”と唾でもはけば、かっこいいのかもしれないが、道路に罪は無いし無駄なことなので、それはしない。
 変なところで道徳心が働く男だった。
「さてどうするね、お二人さん」
 余裕を持って、男が言う。
 自分は彼ら自身を含めて数十万の人間の命をその手に握っている。その自分に彼らが手を出せることはない。男はそう信じて、余裕を取り戻していた。
(さて、どうしたものか・・・・)
 竜一はしばし悩んだ。
 別にこのまま彼をはり倒したところで、全く竜一は困らなかった。
 自分の方がまず間違いなく早い。男がスイッチを押す前に、彼をどつきたおしてスイッチを奪うこともそれほど難しいとは思えない。
 それに、彼には最強のカードがある。
 圧倒的な魔力を誇る”雷神”ミューズとミューズほどではないが強力な魔力と、その豊富な薬学の知識によって”薬神”と崇拝されるシリス。
 どれほど複雑な構造を持つウイルスだろうが、すさまじい威力を誇る猛毒だろうが、ミューズの魔力とシリスの魔力と薬学の前に敵はいない。何が起こってもまず心配など無いのだが・・・・
(ここは大人しく従った方がいいかもね)
 竜一の頭の中にそうささやいたものがいる。
 彼は自分の右肩を見た。そこにいる黒猫が竜一の方を見て、小さくウインクする。
(この場は大人しく従って、奴等の本体なり本拠地なりを叩き潰した方がいいと思うわ。禍根を残さないために)
(ですが、そのような手間をかける必要があるのでしょうか?
 ウイルスはわたくし達の力で処理することが可能ですし、彼らの本拠地も調べればすむことですわ。何も、相手の手の中に入っていく危険を冒さなくても良いのでは?)
 竜一の頭の中に響く三人目の声、白銀の蛇−シリス−は相変わらず死んだふりをしたまま、思念だけで竜一とミューズに語りかけてきた。
(虎穴に入らずば虎児を得ず。
 罠があるならその中に飛び込んで咬み破ってやるのも一興よ)
(この場合はむしろ、君子危うきに近寄らずでは?
 第一、そのような危険を冒す価値があるのでしょうか?
 彼らは所詮、敵の末端のその又末端の一つにしかすぎないのですよ?
 彼らを倒したところで、本体をつぶさない限り、労力と時間の浪費にすぎないのではないでしょうか?)
 いきなり竜一の頭の中で論議を始めた二匹に苦笑する竜一。だが、それを見て感情を激したものがいた。
「何を笑っている! まだ答えを聞いていないぞ」
 そう言って、男はこれみよがしにスイッチに指をかける。
「ほれ、早く答えろ。さもないとスイッチを押すぞ」
「じゃあ押してみたら? そんなことをしたら、俺も死ぬぜ。
 俺を生け捕りにしたいなら、そんなものがはったりになるのか?」
 竜一が薄く笑う。竜一は彼らが自分を生け捕りにするためにそんな仕掛けをしてと思っていたが、それはさすがに甘かった。
 竜一の問いに男は残忍な笑みを浮かべて答える。
「心配は無用だ。
 我々の雇い主はお前自身ではなく、お前の側に現れるという”存在”がターゲットだからな、お前自身は死体でも良いのさ」
 くっくとのどを鳴らしながら、さらに残忍なことを言う。
「いや、むしろ、お前を死体にしてそのターゲットをおびき寄せる餌にでもするか」
 その台詞が竜一の神経を逆撫でした。両手をきつく握りしめて、男をにらみつける。
(この野郎・・・・人のことなんだと思ってやがるんだ・・・・)
 怒りにふるえる竜一を、優しい瞳でミューズは見つめた。シリスも、動きこそしなかったが、彼のその様子に驚き、そしてうれしさがこみ上げてくる。
(御主人様が・・・・怒りを表に現すことができるなんて・・・・)
 ミューズに話は聞いていたが、シリスが竜一の怒りを自分で感じたのはこれが初めてだった。
 それは、彼女たちにとって喜ばしい事であった。

 シリスはその閉じた瞳の奥にかつての光景を思い浮かべていた。
 まだ、彼が別の名を名乗っていた頃。
 マスタードラゴンと呼ばれ、竜と精霊と聖霊、妖魔や神や魔王の寵愛を受けていた頃のこと。
 遥かな時の果て、次元を越えた遠い世界。そこで暮らしていたときのことを・・・・
 彼は、その強大な力、竜にも匹敵する力を持っていた。
 しかし、それは、決して彼の幸福にはつながらなかった。
 その力は彼にとても大きな代償を要求したのだから。
 力が要求した代償、それは、彼の人としての幸せである。
 その強大な力故に人々に恐れられたこともある。その力を欲する権力者達の暗闘に巻き込まれたことも数え切れないほどあった。
 竜王にさえ近い力を持つ彼、神の力を持つ三人の使い魔。
 彼は望んで得たわけでもない力に翻弄され、苦しんできた。
 彼がミューズとメイルを作り出したのは、他の魔道師達のように、自分に従順な奴隷を欲したわけでも、欲望のはけ口としての道具を望んでいたわけでもない。

 ただ、寂しかったから。
 そばに誰かいてほしかったから。ただそれだけ・・・・

 強大な力故に、孤独の影の中で生きるしかなかった彼、自ら手をさしのべても、人は彼の力を恐れ、利用しようとはしても、決して心を開いてはくれなかった。

 極少数の例外を除いては・・・・。

 特に多くの人間を支配する力を持つ権力者にとって、彼の存在は疎ましいものだった。
 どれほどの権力を持とうと、強大な武力を蓄えようと、彼と、使い魔の気分次第でそれを破壊し尽くすことができるのだから、権力者にとってこれほど恐ろしいものはない。
 特に、権力者を倒して富を得ようとする者達の野望を掻き立てる存在として恐れられていた。もっとも、そう言った権力者の中には彼の力を利用してより強大な力を得ようとするものもいた。
 彼は人間にとって、恐怖と欲望の対象でしかなかった。
 同じ人間であるのに、いや同じ人間であればこそ、よけいに恐れられ疎まれ、羨ましがられる。
 同じ強大な力を持つ竜族や神・魔族、聖霊と精霊などは人より大きな力を持っていて当たり前だった、だから誰もが気にしない。それに、彼らは人間ではない。人間らしい欲望を持たないと言う安心感があった。まあ、ときどき悪戯好きの精霊や魔族、極めて希に欲望にまみれた神が、つまらないことで人間の政治や国家に干渉してきたりもしたが、それは、本当に珍しいことだった。
 勿論、個人的な干渉などは多くあった。あの世界では人間と、聖霊や精霊、竜族や神魔が割と仲良く暮らしていけた世界なのだ。
 だが、マスタードラゴンは”人間”だった。
”人間”であるが故に人間に持ち得ない強大な力を得た彼を、人間達は恐れた。
 彼は、人間社会から孤立し、孤独に生きてきた。それを心配して竜族や神や魔族が彼の元を訪れ、慰めてはいたが、それはよけいに彼を人間社会から離す結果となってしまった。
 竜族や神・魔族、聖霊や精霊が彼の力となり彼の友となればなるほど、人々は彼を恐れ、彼自身も又、同族の冷たさと醜さに嫌気がさして異種族とともにいる時間が長くなっていった。
 そして、彼は、感情までも失ってしまった。
 元々それほど感情が豊かな人間ではなかった。それも、巨大な力の代償なのだが、ただでさえ感情の起伏に乏しい彼が、人間の社会から離されて生きていたため、感情を顕にする機会を失ってしまったのだ。
 そのために、彼は、滅多に感情を見せなくなってしまった。
 人間は感情の生き物だというのに、その感情さえ彼は忘れてしまっていた。ほんのわずかなものを残して・・・・
 そして、彼が本当の感情を取り戻したとき、”怒り”という感情を思い出したその時に、彼の罪が始まってしまったのだ。皮肉にも。

 その彼が怒りという感情を持つことが許されていることを、ミューズもシリスも、心の底から喜んだ。
 力の封印がこんな所でも、竜一のプラスになっているのだ。
 力がないからこそ、竜一は人として、今を生きている。彼を守るのが自分達の役目だということを二人は改めて決意する。
 かつてのように”家族”として彼に守られるのではなく、今度こそ自分達が”使い魔”として”主人”を守るのだと。
 ただ、シリスは喜ぶと同時に気を引き締めなくては、と決意する。
 かつての過ちを”主人”に繰り返させないためにも・・・・

 さて、二人がそんな感慨に浸っていた時、竜一は決断した。
(こいつ等、全員ぶちのめす!)
 今まで、我慢してきた竜一だが、こうもたびたび馬鹿な連中がちょっかいを出してきては、たまったものではない。いつ自分ではなく、家族や友人に手を出してくるか知れたものではない。
 このさい、徹底的にたたきつぶしておくべきだと思った。
 それも、自分がたたきつぶしたとわかるように。馬鹿どもが自分にちょっかいを出す気が起きなくなるように。
 以前、魔道師の秘密結社と、バチカンからの”聖騎士団”のメンバーを叩きのめして再起不能に追い込んだ事がある。
 これにより事実上、宗教的な力を持つことになったのを竜一は気が付いていなかったが、そう言った方面の連中が大人しくなったのはわかっていた。
 それなら次は宗教とは別の存在、科学者に自分の力をあえて見せることで、彼らのくだらない探求心や野心を牽制する番だと考えたのだ。もっとも、竜一の力ではなくミューズ達の力だったが・・・・
「しょうがねえな・・・・都市の人間全てを人質に取られていては手も足も出ない」
 小さくため息を付いた竜一。
 それが観念したものではなく、演技によるものだと見抜いたのはミューズとシリスそして、康夫だった。
 わずかなつきあいだ。せいぜい1年程度のものだった。それでも、康夫には竜一のことがよくわかる。

 演技をすると言うことは、それほど彼等に驚異を感じていないと言うことだ、なぜ、竜一はこれほどの自信を持っていられるのか、それが疑問であったが。
 彼は悪友の肩に乗る猫と首に巻き付いて死んだふりをしている蛇の力を知らされていないのだから。
「理解してもらって、恐縮だな。これで日本政府に恨まれなくてもすむ」
「どういう事だ?」
 いぶかしげに訪ねる康夫に、男は小さく笑ったが、あえて答えるつもりはないようだ、側に止めてある車に乗るように二人を促す。
「気が変わらないうちに乗ってもらおう」
 黒塗りの車の後部座席のドアが開く、その招きに応じて竜一が歩き出す。と康夫も付いてきた。あわてて竜一は康夫に振り向く。
「康夫、付いてこなくていいぜ」
「それは無いぞ、これからおもしろくなるのに、一番おいしいところを独り占めする気か?」
 康夫の剛毅な発言に、竜一は苦笑し、男は鼻にしわを寄せた。
「康夫、これ以上俺につきあうと、せっかくの映画がパーになるぞ」
「ばかいえ、作りもののカンフー映画より本物のスリルの方がおもしろいに決まっているだろうが」
 こう言われては返す言葉もない。
 だが、竜一としてはこれ以上康夫を同行させたくなかった。彼の身の安全を心配したのではなく、自分のことを知られたくなかったのだ。
 康夫の実力は今知ったばかりだが、そのレベルは強いという言葉を逸脱し、非常識としかいいようがないほどだ。
 竜一自身、人間としては極限に近いレベルに達しているが、康夫の強さは竜一から見ても桁違いなのだ。
 おそらく、この地球上に、素手で、いや、例え武器を持っていたとしても、康夫に勝てる人間などいないと言ってもいいだろう。
 だから、彼の身の心配など無用だろし、いざとなればミューズ達が十分にサポートしてくれる。
 康夫をサポートするくらい、彼女たちには負担でも何でもないのだから。
 だが、敵の本拠地になぐり込みをかけるのだ、いろいろな状況でミューズ達のことを知られる可能性はかなり高い。竜一はそれを恐れた。
「いろいろと理由があるんだ・・・・頼むよ」
 だが、頑として聞かない。
 おもしろいという理由もあるが、竜一のことを心配しているのも確かなのだ、竜一にもそれはわかる。
 わかるからこそあまり強くはいえなかった。
 普通、こういう状況では「危険に巻き込みたくない」の一言がよく効くのだが、何しろ相手が悪すぎる。その必殺技も康夫には通用しない。
 頭を抱えたくなった竜一。ひょっとしたら黒服の男達やその黒幕などより、康夫の方がよっぽどの難物かもしれない。
(いいじゃない、つきあわせてやれば?)
 大人しくしていたミューズが、再び竜一の心に語りかけてきた。
(いざとなったら私が彼の記憶を消すから)
(しかし・・・・)
 ミューズのその案に渋る竜一。
 あまり人の心をいじるというのは竜一の主義ではない。その相手が敵であるならまだしも、親友と言うのならなおさらである。
(とにかくこのままじゃ話が進まないわよ。
 大人しく帰ってくれる彼とも思えないし・・・・)
(その点に関してだけはわたくしも同意見ですわね)
 ミューズの言葉に相槌を返すシリス。
 シリスにまでそう言われては仕方がない。竜一はあきらめた顔で康夫に頷く。
 康夫はそれを見て、会心の笑みを浮かべた。
 その笑顔を見て、竜一は自分が人生最大のミスを犯している様な気がした。
 竜一がマリアナ海溝より深く落ち込んでいると、彼を元気づけるようにミューズが優しく声をかけた。
(落ち込まないで、良いことを教えて上げるから)
(いいこと?)
 竜一が尋ね返すと、彼女は実にそっけなく答えた。
(ウイルス、処分しておいたから)
(・・・・ありがと・・・・)
 あまりの手際の良さであった・・・・

 こうして、竜一と康夫の不毛なデート(!)は新たな展開を見せたのだった。

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