[ 三妖神物語 第四話 女神帰還 ] 文:マスタードラゴン 絵:T-Joke
第一章 夏祭りと里帰り?
1
・・・・目が覚めたら、そこは異世界だった・・・・
確かに、昨夜自室のベットで寝ていたはずなのに、これは一体どうしたことか。
必死に記憶の糸を手繰るが、さっぱり分からない。
彼の名は神崎竜一。
一昨日、大事件のあった沖縄の海から帰ってきて、康夫と格闘ゲームの徹夜対決をした。
実戦では無敵に近い力を持つ康夫も、ゲームはそれほど強くない。と言うより、滅茶苦茶弱い。救いがたいほど弱い。
反射神経も良いし、手先も起用なのだが、ムキになって指の力加減を間違えるとゲームのコントローラーなど直ぐに壊してしまう。そのため、今一つ上手く操作が出来ないという、この手のゲームには思いっきり不向きな人間なのだ。
竜一自身それほど格闘ゲームの類は得意ではないが、竜一に輪をかけて康夫の方が下手くそなので、珍しくも全戦全勝を飾った。
普通なら、こう言うことに淡泊な康夫が珍しく何度も挑み、そのことごとくに勝利を得た。が、それで康夫が収まるわけはなく、結局朝方まで連戦したのであった。
そしてその後、自分のベットの中に潜り込んで、そのまま寝込んだはずだった・・・・
だが、目が覚めた部屋は全く彼の記憶にないものだった。
慌てて窓に駆け寄り開いて外を見た時、彼の眼前には今まで見たことのない風景が広がっていたのである。
なんの脈絡もなく、ある日突然別の世界に吹っ飛ばされ、否応なく事件に巻き込まれて行く・・・・そんなパターンの物語はそれこそ数限りなくある。
しかし、いざ、自分がその状況に陥ったとき、他の人間はどんな反応をするのか竜一は極めて興味があった。
とりあえず、極めて常識的な一般人の自分としては、こんな非常識な状況ならパニックに陥るのが正常な反応であろう。と言うわけで、竜一はいきなりパニックに落ちることにした。
「ここは誰!? 私は何処!?」
「日本語になっていないぞ、盟主・・・・」
わざとらしくパニックに陥った竜一に、朝の挨拶に来た三人のうちメイルが呆れた口調で突っ込みを入れる。
「ここは、御主人様とわたくし達が共に暮らしていた世界”ガルフェスール”ですわ」
シリスが冷静に答えると、竜一はさらにパニックに陥った。
「うわああ! 消える、”世界の力”に消されるぅ! ”存在力”に抹殺される!!」
存在力。
世界が世界であるために、世界として存在するために必要な力であり、世界だけでなく、全ての生き物、全ての存在が発する力。その力があって初めて物質も世界も存在を許される不可視のエネルギー。
存在力は例えれば空気のようなものである。その力は有って当たり前のものであるため、その力の存在を意識することは超一流の魔術師でさえほとんどない。
人間が空気の存在を知り、その正体を知るのに膨大な時間を必要としたように、”存在力”の存在を人間が知るのは遥かな未来のことであろう。
その存在力は次元によってばらつきがある。
同じ存在力を持つ世界も勿論あるが、より強い力を持つ世界、弱い力を持つ世界など、その力の強さは様々だ。
そして、存在力の強弱がその世界の力そのものを意味する。
同種類の動物でも能力や体力、寿命などに個体差があるように、世界という存在にも個体差がある。それを決定するのが存在力だ。
存在力が強い世界の生物は、弱い世界の生物よりも遥かに巨大な力と生命力を持つ。
そして、それゆえにいろいろな現象も起きる。
存在力の強い世界の生き物が弱い世界に行けば、力の差によってはその世界を支配することさえ可能となる。
逆に存在力の弱い世界の生き物が強い世界に紛れ込めば、周りに存在する全ての物質、大気や、大地などから発する力の圧力によって、その存在を脅かされることになる。
寿命が縮んだり、力を失ったり、最悪の場合にはその世界に来た瞬間、消滅してしまうことさえ有るのだ。
この世界”ガルフェスール”と竜一が暮らしていた向こうの世界”ニューデラン”では存在力の差は歴然で有った。
”ガルフェスール”は全ての世界でもっとも強大な存在力を持つ世界であるのに対して、”ニューデラン”はもっとも平凡な世界である。その力の差は巨大であり、”ガルフェスール”の人間の見習い魔術師の力が、”ニューデラン”では上級精霊に匹敵するほどのものとなる。
この世界では下級神にすぎないヤフェイが竜一達の世界で最強で居られるのも、存在力の差による恩恵なのだ。
それほどの差のある世界であるから、当然逆の状況では致命的な事になる。
”ニューデラン”から、この”ガルフェスール”へ唯の人間が紛れ込むという事は、瞬時に消滅することを意味するのだ。
わざとらしくうろたえている竜一にミューズが声をかける。
「あーーもう、五月蝿いわねぇ。
私がちゃんと補正呪文をかけて有るから大丈夫よ」
ミューズがそう言うと、竜一は一通りパニック状態を満喫したらしく、じろりとミューズを睨んだ。
パニックの次は、自分をこんな状況に追い込んだ元凶に怒鳴るのが順番というものである。
ただ、この手の物語では、怒鳴るべき相手が居なかったりすることもあるのだが、竜一の場合は目の前にそれが居るため、パターン通りの反応が出来るのであった。
「ミューズ・・・・何を考えている?」
「別におかしな事を考えているわけではないわよ?」
しかし、それを聞いて竜一の額には青筋が浮かぶ。
「あのなあ・・・・元々俺はこの世界から追放された罪人なんだぞ!!
それなのに、罪の清算も終わってない身で、のこのこ来れるわけねえだろう!!」
「しかたがないでしょう?
明日からこの世界で私達を祭った十年ごとの大祭が有るんだもの」
噛み付く竜一にのんびりとミューズは答えた。
三妖神をまつる大祭。
十年ごとに行われるそれには、必ずご神体とも言える彼女達自身が顔を出す。
どの国のどの町、どの祭りの場所に来るかは彼女達の自由であるが、必ず、祭りの間に彼女達は自分達の神殿に顔を出すしきたりがあった。
この世界は元々、キリスト教をニューデラン世界にばらまいた”外道”ヤフェイ神も存在する世界である。
だが、この世界でヤフェイ神を祭る神殿など皆無であり、彼の信徒など天然記念物指定がされかねないほどの希少な存在であった。
もともと、ヤフェイ神はこの世界を自分の支配下に置くつもりだった。
神の中でも最下位の存在である彼は自分の地位に満足していなかった。
彼は己の力と器量を越える野心を持ち、その野心によって常軌を逸してしまったのである。
そして、人間達を自分の信徒とし、それを力として、神界最高峰の存在、すなわち絶対神になろうという、あまりにも無謀な策謀を行ったのである。
世界を支配しようというヤフェイ神の野心は、現界に存在する人間以外の存在にとってはとんでもない災厄であったが、人間達にとっても、それは大きな禍になった。
なぜなら、人間はヤフェイ神だけを信じて生きていくことは出来ないのである。
ヤフェイ神は所詮、最低の力しか持たない下級神である。
人を作った存在であるが故にそこそこの信仰を持っていたが、人間はこの世界でも弱い存在なのだ。
多くの魔獣や聖獣、精霊や魔物が存在するこの世界では、それらと友好を持つことが必要だった。
かりに人間が最高の存在だったとしても、大地や海からの恵が無ければ、餓死の未来があるだけであり、大気の精霊たちからそっぽを向かれたら窒息することになる。
大自然の神々をないがしろにして、人間が生きていくことは出来ないのだ。
その現実を無視して、彼は自分の信徒になることを強要した。そして、信徒になった者達に自分への絶対服従を命じ、他の神や精霊達を信仰することを一切禁じたのである。
そして、信者達の信仰心 ―― 盲信 ―― を持ってその力を高めようとした。
他の神々はヤフェイ神のように狭量ではない。
たとえ、信仰などしなくとも、恵は与えてくれるだろう。
しかし、自分達の信仰によってヤフェイ神が強大な力を持ち、他の神々の驚異となったとき、それでも自分達人間に恵を与えてくれるだろうか?
何より、あのヤフェイ神のことである。
自分達信徒に他の神々の下僕達を滅ぼすように命じかねない。
そうなれば、いかにこの世界に不干渉の原則を取っている神々といえども、手をこまねいてはいないだろう。
他の全ての神々や魔族、精霊や妖魔を敵に回して人類に未来などあり得るだろうか?
少々常識をわきまえている者ならばすぐに理解できるその程度の事さえ、ヤフェイ神には分からなくなっていた。
あるいは、自分の力を高めるためなら人間など滅んでもかまわないと思っていたのかも知れない。
彼にとって人間など”役に立つべき道具”程度の認識しかなかったのだから・・・・
もしも、ヤフェイ神の策謀が実行に移されていたら、人類は己の創造神に滅ぼされると言う前代未聞の事態に陥っていただろう。
だが、幸いにも、その無謀そのものとも言える計略は実行に移されなかった。
いや、実行はされた、だが、彼の野望は実現せず、彼の野心は微塵に打ち砕かれたのだ。
その出来事は、伝説ともなっている。
三つの子供でさえ知っている、それはあまりにも有名な物語。
何度と無く神の愚行は打ち砕かれた。その中でも特に有名な二つの事件がある。
神の二大愚行。その二度の事件によって、神の野望は微塵に砕かれた。そして、ヤフェイはその信仰を失った。
一度目は、”暗黒の”竜の暴走によって。
強大にして暴虐な力を持つ竜の逆鱗に触れた神は、その怒りにさらされ、消滅寸前にまで追い込まれたという。
暴走した竜は、その怒りをこの天地の全ての存在にぶつけようとした。
偉大なる三妖神が、聖霊達の力を借りて、やっとの事でその竜をいさめたという。
しかし、その代償はあまりにも大きく、三妖神に力を貸した七人の聖霊はその力を失った。
その力を回復するために、”雷神”ミューズは彼女等の安息を守るための聖域を作ったと言われている。
そして、竜の逆鱗に触れた愚かなる神は、その恐るべき力に叩きのめされ、その傷をいやすために自らの居城の奥で長い眠りについたのだと。
そして二度目はわずか数百年前のこと。
力を回復し眠りから覚めた”彼”は、再びその野望を実行に移した。
しかし、彼に危険を感じていた他の神々や魔王達、そして竜族は、三妖神にこの現界を守ることを依頼した。
神は現界に基本的に不干渉であったため、彼の愚行を直接止めることが出来なかった。
もしも、神が直接現界に干渉できるのなら、それぞれの神が己の下僕や創造物を守るために戦争になる恐れさえあった。
現界の生き物には弱肉強食の掟がある。
神が自分の私情で世界の営みに干渉することが出来るのなら、その”弱肉強食”の原則が失われかねないのだ。
また、竜族はその強大すぎる力故に神や魔王達に滅多に干渉しない。
彼等が神や魔王に干渉するのは己の存在を脅かされた時くらいである。
そのため、神や魔王、竜族が直接ヤフェイ神の人間界での行動を止めることは出来なかった。しかし、三妖神は違った。
彼女達は、元々、人の使い魔であった。
それ故に、”現界への不干渉”の法則に縛られることが無かったのである。
彼女達の力はヤフェイをいさめるのには十分すぎるものだった。だからこそ、神々と魔族は彼女達に期待したのだ。
そして、人間を作ったヤフェイ神とかつて人間に仕えていた三妖神の全面対決が起こった。
人間達は自分達の創造神の脅迫とその神罰を恐れ、彼の信者になることを余儀なくされた。
人間の七割以上が、ヤフェイ神の脅迫に屈して信徒となり、三妖神に対して戦いを挑んだ。自分達の創造神と共に・・・・
その戦いはあまりにも愚かしいものだった。
ヤフェイ神の信者達でさえ、正気を保っている者は自分達の敗北を知っていた。
三妖神とヤフェイ神とでは力の次元さえ違うのだから。
人に作られた身でありながら、上級神は勿論、竜族にさえ高く評価されていた彼女達の力は、一人一人がヤフェイ神を遥かに凌いでいた。
たとえ、ヤフェイ神が億単位で束になって戦ったとしても、彼女達には傷一つ付けられなかっただろう。
そして、その戦いはおおかたの予想通り、三妖神の一方的な勝利に終わった。
ヤフェイ神は再び己の野望を砕かれ、神界で謹慎処分となった。
それ以来、この世界にヤフェイ神は降臨できず、人々は安息を得られたのだと。
そして、この世界を守られる偉大なる三妖神は人々との絆を守るために、十年に一度の大祭には必ず我々の前に姿を見せられるのだと。
伝説は、そう語る。
だが、ヤフェイ神はまだ、その野望を捨ててはいない。
この世界で活動できぬのなら、別の世界を支配する。そして、力を蓄え何時の日にか、この世界全てを手中に収める。神界も魔界も、竜界さえも・・・・
彼の野望は不屈だった。
そのことを知っている人間は、この世界の極一握りの者達。
未だ、ヤフェイを神と崇める、敬虔なる信徒達のみであった。
さて、この異世界に知らないうちに連れてこられた哀れな青年は、この事態に青くなっていた。
元々この世界で暮らしていたとはいえ、それは既に三千年以上も前のことである。
さらに言えば、彼の記憶にはこの世界のことなどほとんど残っていない。
人の記憶の容量などたかが知れている。
三妖神の事でさえ、自分の部下であったことと、非常識な力を持っていることくらいしか記憶にないのだ。この世界のことなどろくに記憶にあるはずがない。
例えあったところで、それは三千年以上も前の記憶。
向こうの世界で言えば、それこそ、古代エジプトの人間が現代社会にタイムスリップしたようなものである、
地理も社会構造も経済機構も変わっている。それどころか、言葉さえ別物になっているはずだ。
例え、前世の記憶を完全に持っていたとしても、今のこの世界にはとうてい通用するはずがないのだ。
右も左も分からないと言う状況だ。と竜一はそう思っていた。
現実には竜一にかけられたミューズの補正呪文が必要最低限の知識を竜一に植え込んでいたのだが・・・・。
ただ、唯一の救いは、自分をここに連れ込んだ元凶は自分の身内であり、元の世界に帰る手段が確保されているという事だろう。
だからこそ、こんなにのんびりと出来るのである。そうでなければ、右往左往している間に行き倒れになることは間違いない。
その意味では、竜一の境遇はかなり恵まれたものであったのは間違いない。
・・・・自分はこの世界では罪人だった。
まだ罪を償っていないのにこんな所にいるのでは、何時、神や魔王に処分されるか知れたものではない。
戦々恐々としている竜一にミューズは深い溜息を付く。
「まだ、あのことを罪だと思っているの?
マスターを罪人だと思っているのは、マスター自身を除けば、あの”馬鹿”だけよ!!」
”あの馬鹿”の所に思いっきり力を込めてミューズがはき捨てる。
「確かに、その通りだな。
他の神々や魔王、竜族の方々は、盟主の事を不問にするつもりだった・・・・」
メイルが嘆息する。
「聖霊や精霊の方々、魔獣や妖魔の皆様も、随分と御主人様の事を心配しておられましたわ。
御主人様がこの世界に戻ってこられても、彼等が喜びこそすれ、嫌われることはあり得ません」
シリスさえ励ますようにそう言う。
「そうそう、あの馬鹿以外は、マスターの帰還を手放しで喜ぶわよ」
ミューズはきっぱり断言した。
(あのなあ・・・・)
ミューズ達のお気楽ぶりに竜一は頭を抱えた。
例え他の何者が自分の罪を許そうと、自分自身がそれを許せない以上、誰がどう言おうと自分は罪人なのだ。その思いは未だに彼の心を責め続けている。
思わず、痛みを訴える胃の辺りをなでる竜一。
この場所に、この世界にいつづけるかぎり、彼の罪悪感は彼の心と体を責め続け、そのストレスは彼に胃痛を与えるだろう・・・・
2
青い空がどこまでも広がる。
緑に萌える木々がその青葉を風にそよがせている。
信じられないほど透明な水が流れる川が大地を潤し、色とりどりの美しい鳥達が歌い、大地の精霊に愛された優美にして俊敏な獣達が時折こちらを覗き、挨拶を返して森に帰る。
「・・・・ミューズの
美しい自然に囲まれて、人間社会から孤立したような場所にぽつんとある建物。
木と石によって丁寧に丁重に作られた、重厚な建築物。
長い歴史を感じさせるが、作りはしっかりとしており、威風堂々としたその姿は女神の住居として申し分ない風格と、さりげない優美さをたたえている。
ミューズを祭る神殿や社では最も古い”最初の御座所”と呼ばれる、ミューズ信仰の聖域。
「あいつ等が神ねえ・・・・俺のことしか頭にない使い魔達が・・・・」
思わず苦笑する竜一。
一応、彼女達自身から、自分が追放された後のことをおおざっぱに説明を受けてはいる。
その時、彼女達がこの世界の女神としての地位を与えられたことも。
しかし、未だに竜一は半信半疑だった。
何しろ、”御主人様至上主義”の三妖神である。
実際に、自分の存在を見つけた彼女達は、この世界の勤めをあっさりと放棄し自分の元に駆けつけてしまったのである。こんな無責任な神がいて良いものだろうか?
「盟主、茶が入ったぞ」
メイルが社から出てきて竜一を呼んだ。
「・・・・なあ、いつまでこの世界にいるつもりだ?」
「祭りは十日十晩ぶっ通しだ。それが終わるまでここにいる」
「十日あぁ!?」
あまりのことに竜一は天を仰いだ。
「何だって・・・・んな馬鹿みたいに長いんだ?」
「あたい達三人が主役だからな。
一人一人を主役とする祭りが三日づつある」
つまりミューズが主役の祭り、メイルが主役の祭り、シリスが主役の祭りと、それぞれの女神を祭る日があると言うことになる。
「余った一日は?」
「一応、中休みの日と言われている・・・・」
メイルの言葉はそこでとぎれた。その理由を竜一は悟った。
残りの一日は彼女達の主である自分を祭った日なのだろう。本来は。
だが、ある理由から彼の存在を知る者は僅かしかいない。正確に言うなら、彼の存在は忘れ去られているのだ。
トリニティの神官達やトリニティア――三位一体帝国――の皇帝、そして魔術師等ごく一部の特殊な役職にある人間を除いて、マスタードラゴンの存在は歴史上から消されている。
三妖神のような派手な伝説はほとんど無く、人間にこれと言った恩恵を与えもしなかった彼に対し一般の人々の関心は少なかった。そして、長い時間の中でその存在は人々の記憶から消えていった。それは、マスタードラゴン自身が望んだことでもあった。
祭りの間にある一日は彼女達三妖神自身が望んで入れた休日。
彼女達の主の為の日。だが、その意味を知る者は少なく、多くの人間が唯の休日と思っているのだ。
「それで、十日も騒ぐわけ・・・・」
虚脱感に襲われた竜一だが、こんな所で話し込んでいても仕方がなかった。とりあえずせっかく入れてくれた茶を飲むことにした。
喉も乾いていたし、外でぼーっとしていても時間の無駄なので、メイルについて社に戻った。
「向こうを十日間も留守にするわけには行かないと思うんだが・・・・」
ミューズが入れてくれたお茶をすすりながら、竜一は切り出した。
「大丈夫、戻るときに時間をずらすから、元の世界では二日間しかたたないわよ」
ミューズは皿の中にある煎餅に手を伸ばしながら答える。
ミューズの力をもってすればその程度の時間操作は簡単なことだ。なぜ、当日にしないかというと、余り近すぎる時間に干渉すると、歪みが生じる危険があるためである。
やろうと思えば、五秒後の世界に戻ると言うような芸当もミューズには可能だが、時間の歪みは世界のバランスさえ崩しかねない。よほど都合が悪い時を除けば、有る程度余裕を持たせた方がいい。
そのために、二日間の時間差を置いているのである。
「この世界に必要なのはお前達だけだろう?
俺を連れてくることはなかったはずだ、俺だけ先に帰してくれよ」
竜一はそう懇願したが、ミューズは取り合わなかった。
「だめよ、マスターだけ向こうに帰したら、馬鹿共がマスターに危害を加える可能性もあるもの」
「・・・・それなら、お前の部下を貸してくれればいいだろう?
爛華と麗華はミューズの部下でも最強の力を持つ雷神四天王のメンバーであり、双子の精霊の名である。
雷神四天王で最強の力を持つのは火の上級精霊の
雷神四天王とはいえ、爛華と麗華は他の二人と比較するとかなり力は劣っている――向こうの世界では上級神以上の力を持つのだが―― ので、比較的扱いやすいと竜一は判断した。彼の中の遠い記憶がそう教えていた。
それでも危険であるなら、四天王以下のランクの精霊や妖魔達なら何とかなるんじゃないかなーと言う軽い気持ちがあったことも事実だ。
ミューズには数千以上もの部下がいる。その中の一人でも借りることが出来るなら、わざわざミューズ達と一緒にいる必要はなかった。
「爛華と麗華は、この世界でやらなければならないことがあるから貸せないし、他の妖魔達だって、弱いとはいえ人の手に余る存在よ。
かつてのマスターならともかく、今のマスターの手には負えないわ」
「・・・・じゃあ、精霊は?」
縋るようにミューズに問いかけるが、彼女の答えはそっけなかった。
「だーめ、貸さない」
「・・・・お前、何がなんでもこの祭りが終わるまで、俺をこの世界に置いておくつもりだな?」
「そうよ、こっちの世界で遊ぶのもたまには悪くないでしょう?」
「・・・・俺には針の筵だ・・・・」
唸る竜一に、シリスは静かに微笑んだ。
「御主人様、もしも、神々や魔王の方々、それに竜族のお方達が御主人様を罪人と思っていらっしゃるのなら、とうに御主人様を拘束なさっているはずですわ。
御主人様がこの世界にいらしたことなど、既に皆様はご存知のはずですもの」
「・・・・まあ・・・・そりゃ、そうだろうけど・・・・」
唸る竜一に意地悪な笑いを向けてミューズが声をかけた。
「マスター、そんなに帰りたいなら、メイルの八部衆を連れていったらどお?」
ぎくう!
「・・・・は・・・八部衆・・・・」
その名を聞いたとたん竜一は真っ青な顔になる。
「盟主・・・・まだ八部衆を恐れているのか? もともと彼女達は盟主の・・・・」
メイルのその台詞を竜一は手を挙げて止めた。
「分かっている・・・・彼女達から逃げていても仕方がないことくらい・・・・
でも、まだダメだ・・・・まだ、心の準備が出来ていない・・・・彼女達と向かい合う勇気が持てないんだ・・・・」
「そうか・・・・」
残念そうにメイルは話を打ち切った。
「・・・・ミューズ、向こうの世界にヤフェイの馬鹿が手を出したらどうする?」
重い空気を払拭しようと竜一が話を変える。
「ご心配無く、ちゃんと手は打ってあるわ。
あいつが手出しできないように向こうの次元宇宙全体を結界でくくってあるから」
あっさりと言いのけるミューズ。
地球だけではなく、宇宙も、そして神界魔界を含む向こうの世界全てを守る結界を張ったことを無造作に告げる。
それが、どれほどとてつもない力を要するか、想像に難くない。しかし、三妖神や竜一にしてみれば、特別なことではなかったのであっさりと聞き流す。
この辺り、常識人を気取ってはいるがやはり彼女達の主らしく、竜一も目一杯非常識であった。
「そう言えば・・・・」
お前ならその程度の芸当は朝飯前だったな・・・・
口に出さずにメイルは心の奥で呟く。
ミューズの強大すぎる力はその気になればあちらの世界を完全にガードしきれるほどに強い。ヤフェイごときを防ぐ術はそれこそいくらでも仕掛けることが出来る。
「最初からそうすれば、あんな苦労しなくてもよかったのに」と言いたいところだが、メイルにもミューズの腹の内は読めていた。
彼女はヤフェイに復讐するために、あの馬鹿を滅ぼす大義名分を手に入れるために、あえて、奴に向こうの世界への侵略を許しているのだと言うことに。
向こうの世界の神や魔族にとっては、とことん迷惑な話ではあったが・・・・
「そうか、お前の結界なら大丈夫だな」
「ええ、勿論よ。大船に乗った気でいてちょうだい」
竜一の言葉に胸を張って頷くミューズ。
そんな三人に気づかれぬようにシリスは口の中で呟いた。
「それに、強力な助っ人もいらっしゃいますし・・・・」
3
「ふぇ・・・・ふぇ・・・・ファアックショイ!!」
盛大なくしゃみをして、一人の男が鼻をかく。
均等の取れた鍛え上げられた、それでいて、無駄な筋肉を一切省いた芸術的なまでに完成された肉体。
一見すると唯の優男にしか見えないが、その細い身体から、神さえひれ伏すほどの戦闘力を発揮しうる非常識な男。
「・・・・誰か噂してんな・・・・この感じからすると・・・・シリスさんかな?」
そう呟きながら、彼、
もうすぐ、仕事帰りの彼女が列車に乗って帰ってくる。それを迎えに来たのである。
学校があるのでいつもと言うわけではないが、学校の都合が付く限り彼女を迎えるのが彼のいつもの役目なのだ。
車を使えば良いのだろうが、彼女はよほど急いでいる時と荷物が多い時以外、のんびりと歩くのが趣味だった。そのために、売れっ子にしては珍しく列車をよく使った。
困ったことに、彼女は自分の顔がどれほど売れているか全く自覚がない。
もともとは顔を出さない商売なので、今まではそれでよかったのかも知れないが、彼女自身の人気の高まりと、業界自体のメジャー化により、彼女の顔も随分と一般人に知られている。そのために、列車の中でプレゼントや花束をもらうことも多くなっており、必然的に荷物持ちが必要になってきていた。
「・・・・まあ、人に好かれるのは悪い事じゃないけどなあ・・・・
自分の人気ってものをもー少し自覚して欲しいよ・・・・」
もっとも、あの人にそれを期待するのはムリがあるか、と苦笑する。
業界随一ののんびり屋で、天然ボケの女神様などと言われているような女性だから・・・・
改札口からホームへと歩く。
そして、四両目の三番目のドアの停車予定位置で足を止める。
彼女がどの車両に乗っているのか、どの出口から出てくるのか、彼には全て分かっていた。
別に約束しているわけではない。
人が多ければ、車両を乗り換えるのは当たり前だし、事前に連絡をしているわけではない。だが、彼には分かっているのだ。
やがて、ホームに列車が入ってくる。
ドアが開き、乗客が降りてきた。
数人の乗客を吐き出したドアから、予想に違わず両手にいっぱいのプレゼントを抱えて従姉が降りてきたのを確認して、康夫は笑顔で手を振る。
「従姉さん、こっちこっち!」
それに気づいて、彼女も笑顔を向けた。
「いつも悪いわね、迎えに来てもらって」
彼女はいつものごとく両手一杯の荷物を持っていた。
「従姉さん、それは言わない約束だよ」
わざと、きまじめな表情と口調でそう言う。
「おいおい」
彼女が笑いをこらえながらそう言うと、彼女の従弟も笑いながら返す。
「はいはい」
「だめよ、”はい”は一回で良いの」
康夫に笑いながらそう注意する、しかし、康夫も負けてはいない。
「・・・・現国の教員免許を持ちながら、日本語を壊しているような人には言われたく無いなあ」
きまじめな口調で康夫がそう言うと、彼女は苦笑した。
確かに”はいはい”はつっこまれたときの彼女の口癖である。彼女にとっては痛い所なのだ。
「あ・・・・あははは・・・・ そ、それは・・・・そのぉ・・・・ねえ?」
笑ってごまかす従姉。
しかし、康夫はジト目で従姉を見つめる。
「ええ・・・・と・・・・、ウンデニャン〜助けて〜」
いきなり鞄に向かって助けを求める彼女。
ここでウンデニャンなる存在について説明しよう。
・・・・ウンデニャン。種族、ぬいぐるみ。性別、不明。
体長15cm、白い体色。主に某女性の鞄の中に生息・・・・
山椒魚ともウーパールーパーともつかない奇妙な、それでいて愛嬌のあるぬいぐるみで、彼女は困ったことがあると、ウンデニャンに助けを求める癖がある。
「・・・・いきなり、ぬいぐるみに助けを求めないように」
「だって〜、ヤスちゃんがいじめるんだもん」
「い・・・・虐め・・・・って、あのね・・・・」
どうやら、うやむやのうちに彼女の方が主導権を握ったらしい。康夫はどう反撃しようかと頭を悩ませた。
いつの間にかホームで漫才を始めた二人。それを見た学生達が、彼女の顔を見て、あーーと声を上げる。
「あああ! ひょっとして、あの人・・・・」
その声を聞いて、康夫は従姉から荷物をひったくるようにして持つと、彼女の耳にささやいた。
「従姉さん、逃げるぞ!」
「え? どうしたの?」
事態を瞬時に推察した明敏な従弟と全く把握していないおっとりした従姉、しかし従弟は既に慣れっこである。彼女に説明するのはとりあえず後回しにし、荷物を右手に持ちかえ、左手で従姉の手を引くと、一目散に逃げ出した。
「ちょ、ちょっと! 康夫!!」
その早さは地上最速の動物のはずのチーターを遥かに凌駕する。
彼の神速と比較すれば、チーターの速度などなめくじが這っているようなものだ。
その神速は、あっと言う間に彼女の悲鳴だけを残して、二人の姿をホームから消し去った。
普段、家に帰るとき町中を歩いて帰る彼女が、ファン達に取り囲まれる事もなく、彼女の帰宅路がファンの間に噂にならずにすんでいるのも、康夫の非常識な瞬発力の賜物なのであった。
かくて、漫才姉弟はその場を脱兎のごとく逃げ出した。微かな悲鳴だけを残して。
「・・・・い・・・・今の・・・・幻だったのかな・・・・」
一瞬のうちに視界から消え去った二人を見て、彼女を見て声を上げた学生達はただただ、呆然と呟くだけだった・・・・
「ところで、康夫、あなたのお友達はどうしたの?」
町を歩きながら、彼女は従弟に問いかける。
「ああ・・・・里帰りでもしてんじゃない? ”ものすごーーく遠い”里帰りを・・・・さ」
「そう・・・・」
彼女はそれを聞いて微笑む。
「里帰り・・・・きっと思い出話に花が咲いているでしょうね」
感慨深げに空を仰ぎ見た彼女。それを見て康夫は一人呟いた。
「無理矢理つれて行かれたらしいけどね・・・・」
康夫の呟きが聞こえたのだろう、康夫の瞳を彼女は見つめた。
「そうなの・・・・」
そう呟くが、それ以上は何も言わなかった。
しばらく歩いていると、突然彼女は康夫に声をかける。
「ねえねえ、あそこに行きましょう」
何かをめざとく見つけた彼女は、そう言うと康夫の返事も待たずにさっさと歩き出した。
普段は異常なまでにおっとりのんびりしている彼女だが、こう言う時だけは、やけに素早いのであった。
「・・・・その癖だけはやめて・・・・お願いだから・・・・」
康夫の苦悩に満ちた呟きは、彼女には届かなかった。
彼女は、喜色満面で、レストランの入り口に飾られている蝋細工の芸術品、食品サンプルを人差し指でつついていた。
本当にうれしそうに、無邪気な笑顔で・・・・
「はあぁぁぁ・・・・」
重い、重すぎるほどに重いため息をついて、子供のようにはしゃぐ従姉を、彼はただ黙って見つめるだけだった・・・・
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