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ヴァイオリン・メモ

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■しらたまの「十余年の軌跡」 ver.1.2(2000年12月8日更新)

この文章は、ふじわらさんの「大人から始めるバイオリン」掲示板で連載(?)していたものですが、
思いのほか好評だったので、ここにまとめて掲載することにしました。
ホームページのコンテンツが少ないので穴埋め的意味もあるのですが(笑)。
投稿した当時のものとは表現など若干変えてあります。また今後も少しずつ書き足していきたいと思っていますので、Versionでご確認ください。



最初の先生は
はじめについた先生は、初老の元オケマンでした。レッスンは週に1回45分から1時間くらいでした。
小野アンナ、ホーマン、鈴木の曲集、鈴木のポジションエチュード、を併用して週に1曲もしくは2曲くらいのペースで進めていきました。
ほめ上手で、楽しかったのですが、レッスン中は生徒が弾いている時間より、ご自分が陶酔して弾いている時間の方が長く、ほとんどの門下生たちが「もっと弾かせてー」って思っていたようです。
「基礎ができてからでなくては先に進ませない」というのではなく、「はじめはとにかく楽しんで量をこなせ」、というカンジでした。
ただ、ポジション移動だけは、繰り返しやらされて、たぶん鈴木のポジションエチュードは3回はリピートしました。
そして、ヴァイオリンを習いはじめて半年後先生のコネでアマオケに入り、さらに半年後「新世界」の2ndパートを弾きました。
まあ、弾いたといっても、ひどいものだったと思います。
なにしろオケに入った当時はまだ3rdポジションまでしか習っていなかったんですもの。弾けるわけがない(笑)。

はじめの先生のレッスンは2年半位習ったあたりでもの足りなさを感じてやめました。
そして1年位独学でやって、そのあと一流音大卒の若い先生につきました。

2番目の先生のはじめてのレッスンの時のことです。
私が持っていった曲を聞いて、先生は一言。
「ふう(ため息)、まだこの曲はやらなくていいですね。」
また、私の奏法をみて、
「前の先生は、そうやるようにおっしゃっていたんですか?」

ブランクの間に自己流になっていたのもあるんですが、やっぱり曲の進度に対して、当然できていなければならない基礎ができていなかったんだと思います。
それに、その先生は、まだ指導経験が浅く、大人を教えたことがなかったのかもしれません。
私の奏法を見てあきれているカンジでした。

その態度にカチンときながらも、その先生の元でバッハの1番に戻ってやりなおしました。
指の形の矯正はセブシック1の1でやりましたが、どうしてもできないことが多くてつらかった〜。ほんと。



一番がんばった時期
2番目の先生はご自分がエリート街道まっしぐらに歩んでこられ、まわりもエリートばかりだったようで、私の下手さ加減が信じられないようでした。

それでも、その先生に少しでも近づきたいという思いで(くやしくって?)、オケは一時休団し、レッスンに専念しました。
会社が休みの日には最低5時間、長いときは8時間、ふらふらになりながら練習しました。友達とも遊ばず、買い物にも行かず。

しだいに先生も私の気持ちをわかってくれるようになり、熱心に指導してくださるようになりました。


その先生の名言:
「日本人はとかく真面目すぎて、『正しく弾こう』とするあまり、自分の音楽を見失ってしまいがちです。欧米人の耳には、日本人の音楽は落ち着きがなく聞こえていることが多いのです。例えば普通のアメリカ人が国歌を歌うときは、伴奏と何拍かずれていても、堂々と歌うでしょう?そういうおおらかさが、欧米の音楽には必要なのです。自分が考えているより一段階速度を落としてゆったりと弾くといいですよ。」

こういう言葉は使っていませんでしたが、大意はそんなカンジ。
ご自分の留学経験から、そんなお話をしてくださいました。
それまで、耳で聞き覚えた曲を、そのままの速度で再現しようと躍起になっていた私としては目からウロコでした。



あこがれのメンコンを
その若い先生、私にとってはいい先生だったのですが、他の門下生からの評判はあまりよろしくなく、たとえば、レッスンにご自分の楽器を持っていらっしゃらないとか、いつもイライラしていてコワイとか、いろいろな不平不満の声を聞きました。

そうこうするうちに月日は経ち、その先生の元で1年半くらい。
そして、発表会の曲を選ぶ時期になりました。
私は無理を承知で、先生にメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲をやりたいと申し出ました。私の以前からの夢だったので。
その頃までには、ずいぶん師弟関係が良好になっていたので、先生はすんなりOKを出してくれました。そしてご自分の相棒ピアニストを紹介してくださいました。
普通、発表会というのは、一人のピアニストを招いて全員の伴奏をしてもらうことが多いのですが、メンコンくらいになると、それなりの腕前が必要で、事前の打ち合わせも必要なので、共通の伴奏者では無理だとのことでした。
紹介していただいたのは、思いやりがあって、節度があって、聴衆に悟られずに下手なヴァイオリンをサポートできる実力のある方でした。
「ピアノあわせ」は2回。気持ち良かった。くせになりそう。
先生の指示で発表会費用とは別に謝礼をお支払いしました。
そして、1楽章だけですが3ヶ月くらい練習して、皆の前で披露しました。
お世辞にも、うまいとは言えない演奏でしたが、止まらずに弾くことができ、自分では満足でした。

その時の先生のコメント:
危なげなところがなくて、安心して聞いていられました。

う〜ん、「良かった」と言えない苦しい気持ちがよくわかるコメントだ。


そして、翌月から突然レッスン料が上がってしまったのです。




気になるレッスン料
憧れのメンコンを弾いたということで当時の私は有頂天になっていました。
ひとつの大きな山を越えたという満足感がありました。
そして、それまでは常に「もしかしたら、もう遅いのかもしれない。私にはヴァイオリンは無理なのかもしれない。」という不安にさいなまれていましたが、この頃からちょっと肩の荷がおりて、「私にもできるかもしれない」というほのかな期待を抱くようになりました。
しかし振り返ってみると、この頃、自分のオケとレッスンしかしらない井の中のかわず状態の私は、かなり生意気になっていました。知らない、聞こえないということは恐ろしい。今思うと赤面ものです。


そして、発表会の翌月、先生から月謝の値上げを告げられました。
「メンコンを弾いたとなると一つグレードが上がるんですよ」
ちょっとショック。

ここで、気になるレッスン料のお話をしたいと思います。

私のはじめの先生(元オケマン)は、月4、30分から45分(先生の気分によって変わる)で一律1万2000円。初心者でも、上級者でも、この料金設定でした。今話題にしているの若い先生は月4、30分から45分(先生の気分によって変わる)で1万4000円。メンコン弾いてからは1万6000円。今ついている先生は不定期、1レッスン、1時間で一律7000円。今、有名楽器店の音楽教室の個人レッスンは、月4、30分で8000円くらいですか?それと比べるとちょっとお高めですが、上達が早ければ安上がりかもしれません。また、「元はとってやるぞ〜」という気持ちになるので、レッスンにも身が入ります。
レッスン料を普通よりも高く設定している先生がたは、例外はあるかもしれませんが、それなりのに自信のある方々だと思ってよいと思います。
もちろん、一般的な音楽教室にもいい先生はいらっしゃいます。そういう先生につけた方は、超ラッキー。
ちなみに、聞いた話によると、超有名日本人ヴァイオリニストは1レッスン5万だとか。
さすがにお高いですね(笑)。



先生もお年頃
発表会後、先生は私が大曲好きだと思ったらしく、次の課題はブルッフのコンチェルトでした。
私も体力と時間のあるうちに大曲をやっておきたいと思っていたので、うれしかったです。
私にはブルッフは、メンコンよりも弾きやすかったです。
メンコンの音楽は繊細でテンションを保つのがとても大変でしたが、ブルッフは比較的「えいっ!やっ!」という風に気合で先に進んでいけました。
先生にも「あなたにはこの曲の方があってるみたいね」といわれました。
聞く分にはメンコンの方が断然好きなんですが。どうやら私には繊細な曲は向いていないようです。
1・2・3楽章をやって「次はサンサーンスかな?」と先生にほのめかされて楽しみにしていた矢先、突然の別れがやってきました。
先生は結婚で渡米。「ええーっ!そんなぁ!!」って感じ。とても残念でした。少なくてもあと2〜3年は見ていただきたかったのに。
そんなわけで、その先生とは結局2年ほどのご縁で終ってしまいました。

そして、後任の先生を紹介されたのでした。



3番目の先生は
後任の先生も一流音大卒業の若い先生。とても几帳面で真面目な方。
音楽性もすばらしく、1フレーズちょこっと弾くときにも音が何かを語っている。
遠くから響いてくると、近づいて聞いてみたい、もっと聞かせて!と思わせるような魅力のある音楽をお持ちでした。
生徒のだれかが前の先生のレッスンについての不満をぶちまけたらしく、「本当にそうだったんですか?信じられない」とおしゃってました。
態度も丁寧、レッスンのすすめ方も丁寧。申し分のない先生でした。


しかしです。
私には、何かものたりなかったのです。
先生の態度が遠慮がちだったせいかもしれません。
自分のやり方を押しつけない、というのはいいのですが、どっちかというと生徒の顔色を伺う感じで「こんなこといっちゃ悪いかしら」「あんまり口を出すのもどうかしら」という感じでした。
前の先生のようにご自分が正しいと信じていることを、「これが正しい!」「こうすれば良くなる!」「できないのはあなたが悪い」というふうにどんどん要求してくだされば、それを実現するために私も努力するのですが、「私はこういうふうに、いえ、でもやれというわけではないんですが」みたいに途中で言葉をにごされてしまうので、どう努力していいものかわからなかったのです。

生意気ざかりの頂点だった私は、この先生にシベリウスのコンチェルトをやりたいと申し出ました。

「もっと軽い曲でなくていいんですか?私としてはそういう曲をやっていただいた方がやりがいがあるんですが、でも、お仕事とかで大変でしょう?」

さて、この言葉の真意はいかに?
私はやるべきなのか、やるべきではないのか???

結局、私はシベコン強行しました。
さすがにこれは難しく、通奏することはできなかったのですが、1楽章と3楽章をなんとか弾きました。
でも、先生は良かったとも悪かったとも言わず、表情にも出さず、最後まで時期尚早の私がシベコンを弾くことについてのコメントはなかったのです。



いろんな先生がいます
3番目の先生のレッスンは他の生徒には好評だったようです。
私も、その先生から沢山のことを学びましたが、2番目の先生ほどエキサイティングなレッスンには感じられませんでした。

そんな経験から、私は先生の良し悪しについて、人の噂そのままに信じるのはどうか、と思うようになりました。

例えば、1番目の先生については「ご自分の方が沢山お弾きになる」とか「もの足りなくてやめた」と書きましたが、初心者の私が最初についた先生としては最高の先生だったと思っています。
ゼロの状態の自分に先生の「いい音、いい音程」が耳から吸収されて、何を目指せばいいのかというのが良くわかったし、あまり基礎のことをうるさくいわれなかったお陰で、のびのびと楽しんで弾くことができ、私の頭の中では何の迷いもなく「ヴァイオリンは楽しいもの」と認識されました。

この経験から、ヴァイオリンが上達するにはすぐ側で沢山弾いてもらうことも重要だと思いました。
空気の振動、息遣い、先生の音楽に対する気持ちまで、肌で直に感じられ、それがとても勉強になりました。
よく、音楽家の家に生まれた子供が教えられもしないのに楽器を弾きはじめるというような話を聞きますが、常に生の音楽が流れる環境で育てば、そういうこともあるだろうなと、素直に納得できます。
CDやビデオを通してでは感じられないことがあるのです。
また、舞台と客席の距離では感じられないことも沢山あるのです。
先生の弾く音楽には、雑音が入ります。たまには音を外したりもします。
たぶん、どんな先生でもレッスンでは完全無欠のいい音ばかりを出す方はいらっしゃらないでしょう。だって、ヴァイオリンってそれくらい難しい楽器なんです。
だけど、そういう傷のある音を聞くことで、先生が何を考えながら弾いているかということが見えてきます。

そうやって、目指すべき音楽の実体が明らかになって、さて、次はそれを実現するためのヒントが適切な言葉で与えられれば‥‥



独学期間
3番目の先生の名言:
「どうしても上手くいかない箇所があるとき、煮詰まったままがむしゃらに練習しても、あまり進歩はしない。だけど、練習の一番はじめだとか、何かの合間の気が抜けているときにちょろっと弾いて案外うまくいくことがある。その脱力した感覚と心の持ちようを忘れずに。」

3番目の先生について1年くらいで、今度は私の転居により、レッスンを続けることができなくなりました。
そして、全くクラッシック音楽が根付いていない土地で3年ほど暮らし、その間はオケもレッスンもお預けでした。
私はただひたすら復習(復讐ではない)にはげみました。そんなこんなで、鈴木の全巻、ほとんどの曲を暗譜で弾けた時期があります。簡単な曲でも、人に聴かせることを想定して、丁寧にさらいました。
それが、結構役に立ったと思うんです。楽譜から目が離れると、筋肉の動きや音楽に集中できるので、自分でいろんな工夫を試みられるのです。毎日のように新しい発見がありました。間違った方向だったかもしれませんが、毎日音は変わっていきました。

そして3年後、元の土地に戻り、音楽活動を再開したのです。



アマオケにもいろいろあって
そして、元の土地で、以前の先生(3番目の先生)に電話連絡とってみると、なんだか電話がおかしいのです。なんだか、つながるのに時間がかかる。
と、思ったら、結婚して引越しなさっていたんです。
電話は他の県へ転送されていたんです。
転居先は習いに通えるような距離ではなかったので、しばらくレッスンはお預けになってしまいました。

オケの方は、練習場所が家に近いところを選びました。
そこで、コンマスに「(1st、2nd)どちらがいいですか」と聞かれ、「どちらでも」と答えると、「新入団員は原則としてセカンドにという方針なので」と言って、第2ヴァイオリンに配置されました。
前のオケでは第1だったし、その中でも弾ける方だったので、「第2ならいける!」と結構自信のあった私ですが、これが甘かった。

行ったその日は、音楽教室(子供たちにオーケストラを聞かせるボランティア)の練習、第1回目でした。普通、譜読みといわれる段階です。
きっと、数小節づつくらい区切ってやっていくもんだとタカをくくっていたら、とんでもない。
その場でバラバラと楽譜が配られて、皆、初見で弾くんですよ。弓順も入っていないような譜面を、皆当然のように弾いていく。それで荒削りながら曲が通ってしまう。
冷や汗かきました。アマオケは、団によってこうも違うものかと。
中にはあまり弾けない人もいるのですが、その弾けない人というのも、前のオケに比べたら数段弾ける人たちばかりで。
この時は、自分の思いあがりに深く反省しました。




オケがうねる
ついて行くだけでも大変な私でしたが、出席人数が少ない時はトップサイドに座らざるを得ない状況に追いこまれ、2nd首席に「前の席で弓順間違えないでね。全員が混乱するから!」
なんて言われたりして。トホホ。

音楽教室当日。
この音楽教室は毎年恒例で1500人以上収容の音楽専用ホールで行われます。
会場はほぼ満席。
子供たちは自分の意志というよりは親や先生に言われて来ているようでしたけれど、それでも満席は満席。
演奏会としてはとても良い雰囲気でした。

そして、この舞台で、私は生涯忘れられないだろう体験をしました。
曲の途中、突然、今まで聞いたこともない音楽をオケが奏で始めました。
「あれ?なんだろう、これ」と思った次の瞬間、急にオケが意志を持って自分で動きはじめたように感じたのです。
-----オケがうねる。------
とても変な言い方なのですが、そんな風にしか表現のしようがありません。
きっかけは誰かの美しいソロだったのかもしれません。でも、そこから始まった一連の音楽は、私の全く知らない新鮮なものだったのです。
個々の寄せ集めではない、「オーケストラ」という独立した存在が生まれた瞬間ではないかと思います。
オケという揺るがしようのない流れが発生して、その流れに飲みこまれたような感覚。
オケが何がしたいのかがはっきりわかって、私はそれに協力するだけ。
だけど、それはちっとも嫌なことではない。
天にも昇る気分でした。わずか5分間くらいの出来事だったのですけど。
「オケにはこんな力があったんだ」と、演奏会後もしばし茫然。
もしかして、プロオケは毎回これを経験しているのでしょうか?
とりあえず、これを体験しちゃったら、もうオケはやめられないでしょう!

生きているうちに、もう一度あの感覚を味わえる日がくるかしら?




プロオケってやっぱりすごいんです
感動の音楽教室から半年後、機会があって私はオーケストラ・ワークショップに参加しました。
これはプロオケ首席奏者が各パートの練習を見てくれて、最後にプロ・アマ混合メンバーで発表会を行うというもの。
アマ奏者にとって夢のようなお話しです。

そのワークショップでは、アマにも容赦なくプロの音楽が求められました。
(‥‥とはいっても、要求されるだけでなかなか実現はしないんですけどね。)
プロの中で弾いて、私は改めてプロとアマの大きな差を感じました。
----まず、扱っている音の精度が全く違う。
当時の私が十年の努力の結果、はじめ1cm単位だったところをなんとか1mm単位までコントロールできるようになっていたとすれば、プロはさらにミクロン単位までコントロールしている、そんな感じでした。
----そして、安定感。
例えば、時にハッとするような音楽を奏でる人でもアマは10回やって2回はミスをする。プロは10回やって10回同じことができる。一定基準以下の品質では出荷しない。そういう厳しさがある。この辺が音楽を商売にしている人と、そうじゃない人の決定的な違いじゃないかしら。
----さらに、音量。
無駄のない動きから生まれる密度の高い音。
もちろん楽器の違いもありますが、それ以前に根本的にイメージしている音が違うのだと思います。
傍で聞いているとアマの倍は音量があり、だけど全然荒っぽくはない。隅々まで神経の行き届いた音なのです。

それに比べて、アマオケのアンサンブルがいかに杜撰で乱暴であることか。
アマだから仕方ないといえば仕方ないんですけど、この差を意識するだけでもアマオケのアンサンブルは格段に良くなると思うんです。

プロオケ・コンマス談。

「楽譜には、書かれていないディナーミク(音の強弱)が存在します。
それは音楽の必然なので、作曲者はあえて書いていないのですが、皆さんはそれを楽譜から読み取らなければなりません。」

かくして、私の楽譜にはディナーミクがびっしり書きこまれたのでした。




楽器を持つことすら
その後ワークショップでお世話になった先生にレッスンを受けることになりました。
不定期で1レッスン約1時間。
レッスン初日、私はベートーヴェンのクロイツェルソナタを持って行きました。

#またまた分不相応なすんごい難曲なんですけれど、
#これは、ピアノ弾きの友人とお酒の席で盛り上がってその場の勢いで約束してあわせ始めたもの。
#始めたはいいけど、やっぱり難しすぎてお手におえなかったのです。
#それで、何かいいヒントはないものかとご相談に伺ったわけで、決して自信があって
#持っていったわけありません。念のため。

一通り弾き終って「どうでしょうか」と私が聞くと、先生は、 「ちょっと楽器そこにおいて真っ直ぐ立ってみて」

---そうなんです。 ヴァイオリンをはじめて10年が過ぎて、初のレッスンは「立ち」だったのです。
両足を肩幅に開いて真っ直ぐ立って、先生が差し出す楽器をアゴではさみ左手を上げて水平に保ち‥‥。
そして、開放弦での全弓を使ったロングトーン。すべてはじめからです。 先生は、レッスンの時は毎回、私の周囲をぐるぐるまわって姿勢や角度のチェックをしてくださいました。
最初からやり直すことに全く抵抗がなかったわけではありませんが、「先生に諦められていない」っていうことがとても嬉しかったです。
これまで、エラそうな曲を弾いてエラそうなことを言ってきた私ですが、 10年過ぎてもまだ楽器を「持つ」ことすら十分にできていなかったのです。
ヴィヴラートの幅が小さいのも、弓の吸いつきがたりないのも、すべては楽器がしっかり持てていないのが最大の原因のようでした。
今までの自分のやりかたを変えるのはつらいことです。 先生の言う「いい姿勢」もなかなかなじめません。 頭も体もすぐに慣れた姿勢に戻ろうとします。
だからといって、今までやってきたことが無駄だとか、間違っていたとは思いません。 これまでの蓄積があるからこそ、今は姿勢を矯正することに集中できるのだと思います。

ヴァイオリンは階段を一段ずつ上がるように上達していくものではなく、自分の行ける範囲を何回も何回も行ったり来たりして身につけるものじゃないかなと思います。 そして、自分が「頂上」(または限界)だと思うところはだいたいにおいてまだ「頂上」ではない。 一度ふもとまで降りてもう一度その場所に戻ってみると、さらに高いところが見えるのです。

いつか、ふもとまで降りる気持ちがなくなったら、それが私の限界なのでしょうね。 さて、最近はレッスンに通うヒマがなく、姿勢の矯正も中途半端なままです。 しかし、以前にくらべてヴィヴラート、ポジションチェンジ、弓の軌道が安定してきました。楽器が体に吸いついてくるような感覚がちょっと嬉しいです。 姿勢って重要なのだな、と改めて感じました。


これで「十余年の軌跡」は終りです。 長くて拙い文章をここまで我慢して読んでくださった皆様ありがとうございました。






----------------「十余年の軌跡」完----------------

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