「小室直樹文献目録」 新掲示板

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[1573] Re:[1572] [1571] 小室博士とフォン・ハイエクについて 投稿者:小野寺 投稿日:2025/07/05(Sat) 12:14  

特命さん

 「バーク」及び「保守主義」という言葉についての小室文献での言及及び副島氏による小室先生と保守主義の関係についての言及を引用しますので、参考にしてください。

●バークについての言及は次のとおりです。


1959001 日本の行くべき道 日本 日本学協会 9(7) 10-28
p28
 最後に小室は、宣言する。これを成し遂げるのは自分である。「われこそが、日本再興
の英雄となる」と。

        五

 おそるべきはマルクス主義にあらず、国の貧なるにあらず、すゝ
みては現在挙国の発狂ですらない。実に一の指導者、一の指導理念
の欠如である。
 指導者はよく一人もつて足れりとする。古人の言のごとく、一人
よく国を興し、一人よく国を
亡す。見よ一人のバーク英国
革命を拒ぎ、一人のレーニン
ロシア革命を起したるにあら
ずや。

1973002 裁判の政治的機能 『社会と法2』(法社会学講座8) 岩波書店 113-139 川島武宜編
p137
37) ところで,以上の論述においては,選挙区のゆがみの弊害ばかり強調したが,それを
弁議する議論がないわけではない.といえば,誰しも,バーク (E.Burke)の virtual representation
の考え方を想起するであろう.


1975001 理論的方法論的基礎研究と総合指標の作成の試み 『東京都社会指標の研究開発』 東京都総務局統計部 251-426 1975a
p296
 英国の政治学者バーク(Burke,E)は、社会現象をみるにさいしての人間のイマジネーション不
足を分析の基礎においたが、われわれ東京都民も例外ではあるまい。

p301-302
〔例4〕東京都民の実質的代表(the virtual represeotative)。東京都民を代表する者といえ
ば、政治的には、正式な選挙をつうじて選ばれた者でなければならない。あるいは、統計的には、無作
為に(randomly)抽出された者でなければならない。しかし、つぎに述べる「実質的代表」もまた、
社会科学方法論上、重要な意味をもつ。
 この考え方は、はじめ英国の政治学者バークにより主唱されたものであり、学説史上有名な項目であ
るが、現在においても、方法論上重要な意味をもつ。
 当時の英国の選挙制度は、不公平きわまりないものであった。それは、1430年に制定されたまま、
1832年の選挙法改正にいたるまで存続した。もともと、この制度下における選挙資絡は不合理なもので
あったが、この長い期間に生起した人口移動のため、全くナンセンス化した選挙区も少なくなかった。
たとえば、ウィルトシャーのオールド・セアラムのように、住む者もなく荒れはてて草深い丘となって
しまっても、いまだに2人の下院議員選出の特権をもっている選挙区もあった。このような選挙区にお
いては、ごく少数の得票によって議員が選出され得るため、それは、かかる少数者を左右しうる有力貴
族の私有財産と化した。この時代において、下院の動向が少数の有力貴族の方寸によって決せられたの
も偶然ではない。他方、有権者もまた選挙権を財産権の一種とみなし、買収されることも権利の一種で
あるとみなすようなありさまであった。それでありながら、新興都市住民の大多数は、選挙権を与えら
れず、議会に代表を有しなかった。そこで、このような少数貴族の支配下にあって民衆の意志を代表し
ていない下院を改革するための選挙法改正の問題が、19世紀英国政界における最大課題の一つとなった。
---------------------------------[End of Page 0301]---------------------------------
 まず起る問題は、このように「民衆の意志を代表していない」選挙区から選ばれた議会が国民の代表
として有意味であるか、ということである。誰しも、無意味だと思うであろう。しかし、バークは必ず
しもそのようには考えないのである。バークの所説は学説史上名高いものであり、これをここに紹介す
る余裕はないが、その社会学的含意はつぎのようなものである。すなわち、かたちの上では当時の英国
議会は公平に選ばれたものではない、しかし、実質的には特定の政治過程の作動の結果、代議土は国民
全体の意志を反映するように選ばれてしまうのである。
 この考え方は、現代の大衆社会(mass society)においては、かたちのうえでは公平な選挙が行わ
るが、実質的には、その結果は、ひとにぎりの特権階級の利益のためにゆがめられてしまう、という
考え方と対比させると興味がある。
 いずれにせよ、何らかの意味において、実質的に東京都民を代表すると信ずべき理由のある人はヘル
ムズマンたりうる。そして、この考え方は、つぎのように発展せしめうるであろう。たとえば、住民運
動の代表者などはかたちのうえでは、都民の代表であるとは考えられない。しかし、その「運動」が何
らかの理由により、大多数の都民の支持を受けているか、あるいは受けていると信ずべき十分な理由が
ある場合には、この運動の代表は、その主張(cause)と指向(orientation)が規定するかぎりにお
いて、都民の代表であると考えてよかろう。この意味において彼は、ヘルムズマンたりうるのである。

1976001 総合化の理論的方法論的基礎研究と総合指標の作成―試案 『東京都社会指標の研究開発』 東京都総務局統計部 239-463 1976a
p294
 まず、代表性の問題であるが、この問題については、昨年度にひきつづき、われわれは、バーク
(Burke.E)流の実質代表(virtual representation)という考え方に拠ることにした
(49. pp.301〜302参照)。つまり、ジュアリー(Jury;陪審員)として選ばれる人は、このよ
うに選ばれて悪いという理由がなければ、誰でもよいのである。


1977002 福祉水準をどう測定するか(下)
『エコノミスト』、毎日新聞社、1977年1月18日、55(3)、通巻2179号、pp. 38-49
p49-50
 三番目に、ミクロとマクロの問題で
す。いちばん引っかかったのは、ジュア
リー・デルファイ法をやる場合に、マク
ロな諸概念に関して判断するのはミクロ
な人々です。そのミクロな人々の判断
を、いかなる合理性によって集計するの
か、という問題です。だから、アローの
問題などに、まともにひっかかってくる

-------------------------------[End of Page 0049]-------------------------------
(個々のものを合計することによって社
会全体を表しうるか、といった問題)。
それに対する私の方法論的返答は、エド
モンド・バークのバーチャル・レプリゼ
ンテーション(実質代表)の考え方を援
用している。その考え方を簡単にいえば
こういうことです。
 一八三二年の選挙法改在以前の英国に
おいては、腐敗選挙区という問題があっ
た。ある選挙区は草ぼうぼうのほとんど
人間が住まない、午だけしか住まないよ
うなところなのに代議士が出せる。また
別な選挙区では、人口が何十万いても代
議士を出せないという、ものすごい不平
等になっていた。そのような選挙区から
選ぼれた代議士は代表性をもたないとい
う議論が強かった。それに対してエドモ
ンド・パークは、ソシアル・メカニズム
の作動がうまくいけば、一見合理的な代
表性をもたないような人々であっても、

全体の代表としての意味を有するという
議論を展開した。
 だから私はそこに根拠を置いた。この
根拠は、ある意味ではアメリカの陪審員
制度でも同じです。陪審員はまったくの
ミクロな個人だが、社会全体の代表とし
て死刑とか無罪とか判断を下す。やはり
バーチャル・レプリゼンテーション的な
思想がはいってくる。そういう思想のも
とにおいて私は、ミクロをマクロに代用
させるという方法論的立場をとった。

1978001 社会指標論の方法論的基礎
現代社会学、講談社、10号、1978年10月、pp. 81-110
p95-96
 陪審員デルフィーはいかなる意味において住民を代表しているのであろうか。彼らは、選挙による代表でもなけれ
ば、統計的代表(representative by sampling through statistical method)でもない。では、いかなる代表か。
 ところで、以上二者のほか、方法論上、いかなる代表が考え得られるであろうか。重要なものとしては、任意代表
と実質代表(virtual represetative)とが考えられる。もし、住民が全く均一であるという仮定を置くことが許される

-------------------------------[End of Page 0095]-------------------------------
ならば、代表は任意であってよい。この原理を採用した例としては、アテネ型デモクラシーが考えられる。実質代表
という考え方は、英国の政治学者バーク(Burke, E)によって提唱された考え方であり、これをここに紹介する余裕
はないが、その方法論上の含意はつぎのようなものである⁽³¹⁾。すなわち、かたちの上では当時の英国議会は公平に選ば
れたものではない(史上悪名高い rotten boroughを想起せよ!)が、実質的には特定の政治過程の作動の結果として、
代議士は国民全体の意志を代表するように選ばれてしまうのである。この考え方を現代に適用すれば、それは、つぎ
のようなものとなろう。すなわち、「代表的な東京都民ならば誰しもこのように決定する」であろう決定をなす者は、
その選ばれ方にかかわらず、東京都民の実質代表と考えられる。勿論、実質代表が意味をもち得るためには特定の政
治(社会)過程の作動が前提とされなければならない。とくに情報媒体(例、選挙民のトラヴェリアン的行動様式、マスコ
ミ)をつうじての意見における収束傾向(converging tendency)が重要であろう。
 陪審員デルフィーは、住民の任意代表(アメリカにおける陪審員はこれに近い)か、すくなくとも、実質代表であるこ
とがのぞまれる。われわれの場合には、都政モニターの中から選んだ故に後者に近いものと思われる⁽³²⁾。

1986006 天皇―2.26事件をめぐって― 諸君 文藝春秋 18(6) 160-173
p162
 議会は、貴族院と衆議院とからなる。衆議
院は、何らかの方法によって公選された議員
によって構成される。ゆえに、衆議院は、れ
っきとした国民の代表。これに対し貴族院
は、貴族(皇族、華族)、学士院の代表、多額
納税者および勅選議員からなる。貴族院議員
は、公選されるのではない。しかも、貴族院
もまた、国民の代表と看做される。その論理

は、バーク(Burke,E)の実質的代表(Virtual
representation)の理論による。つまり、
貴族は、国民に貴ばれているという意味で国
民を代表している。勅選議員は、天皇が国民
代表として選びたもうたゆえに国民を代表し
ている。多額納税者は……etc。

1987001_『大国・日本の崩壊』
p142-143
 このように、不平等の著しい選挙区を、腐朽選挙区という。19世紀初頭の英国においては、
たいがいの選挙区が腐朽選挙区であった。
---------------------------------[End of Page 0141]---------------------------------
税金を納めても、議会に代表を送ることのできない──選挙権を有しない──人びとが、圧倒
的多数であった。
 しかし、英国の大政治学者として歴史的に有名なエドモンド・バークは、議会に代表を送るこ
とのできない人びとも、実質的には、代表を送りこんでいたと主張した。
 これを実質的代表という。
 英国の大歴史家トリベリアンは、このバークの実質的代表という考え方に説明を加えた。
 被選挙権を有する特権階級の一人が立候補したとする。候補者は、選挙民に対して、政見発表
の演説をしなければならない。有権者以外の住民もまた、この演説を聞きにくる。選挙権のない
一介の平民であっても、まともな英国人──直接、間接に税金を払っている英国人──であるか
ぎり、選挙演説を聞きにゆくことができた。「まとも」でない英国人も、実際には、選挙演説を
聞きに行った。原則上、彼らもまた納税者とみなされていたからであった。
 これらの人びとは、選挙演説をきいて、賛成であれば大喝采を送った。反対であれば、怒号し、
自由に野次をとばし、ときに、卵をぶっつけ、投石までした。選挙権のないこれらの人びとの右
のごとき反対の意思表示を、特権階級の御曹司も、黙って耐えなければならない。なんとなれば、
彼らもまた納税者であり(あるいは納税者とみなされ)、この意味で、議員や大臣の雇主である
からである。議員も大臣も、雇主の意思を無視することは許されない。必然的に選挙演説におけ
---------------------------------[End of Page 0142]---------------------------------
る喝采や、怒号、野次などを斟酌して政治行動をおこなうことになる。
 これが、バークのいう、実質的代表ということの意味である。トリベリアンは、こう説明する。
 納税者(あるいは納税者とみなされた者)の権利たるや、かくのごとく重く、かつ大きいので
ある。
 さて、アメリカ独立戦争のテーマ「代表なきところに課税なし」の対偶たる「課税あるところ
に代表あり」というときの「代表」とは、つぎの意味である。
 せまい意味だと、「代表」とは選挙権のことをいう。
 意味をひろくとると、「代表」とは、選挙権よりも、ずっと広く、ずっと重い権利である。す
なわち、「代表」とは、自分の利害および主張を、いつでも、為政者に対してのベたてる権利の
ことをいう。これらを守り、あるいはその実現を要求しうる権利のことをいう。
 バークが力説し、トリベリアンが敷衍したように、選挙権のない者にも、実質的代表権は与え
られなければならないのである。

1994001_『田中角栄の遺言』
p73-74
 こんなありきまであったから、あの人は人間を代表する代議士ではなくて、馬や牛を代表する
代議士である、そんな代議士がワンサといた。これでは、いくら立派な憲法が確立されても、英
国議会は、英国を代表するなんて言えないであろう。
 ところが、当時の英国の政治学者エドモンド・バーク(Edmond Burke)はこれでもよい、と
言う。英国を正確には代表していなくても、ないよりはまし。こういう意味ではない。けっして
---------------------------------[End of Page 0074]---------------------------------
ない。こんなベラボーな腐朽選挙区(rotten borough)でも、立派に英国を代表している、バー
クは、このように主張しているのである。
 この主張を、バークの実質的代表(virtyal representation)の理論と呼ぶ。バークの実質的代
表の理論は、政治思想上も重要であり、その後も今も、さかんに引照されている。バークの実質
的代表の理論を要約すると、左のようになる。
 たしかに、人口数10万人のロトゥン・バラーにおける有権者の数は数10人にすぎない。かくも
僅少なる有権者が、かくも多数の人民を代表し得る理由は何か。たとえば、貴族なり何なりの
有力者の子弟が立候補する。この私めに投票してくださいとお願いして演説してまわらなければ
ならない。この頃の英国における言論の自由は、議会にはじまって、民衆一般にも充分に普及し
ていた。ここがポイント。
 言論の自由を享受する民衆は、選挙権を有しないどんな下層民といえども、候補者の演説を
聞いてみて、自由に質問を浴びせたり、議論したり、批判したり、はては、嘲笑したり、怒鳴
ったり、野次ったり。これらのことはまったく自由。
 これらの言動に対して候補者は、貴族でも有力者でも、あるいはその子弟でも、まったく平身
低頭。ひたすらご支持をお願いするしかない。相手がどんな下層民であっても、選挙権があって
もなくても、この言論の自由の展開を通じて、選挙権のない人びとの意見も候補者に伝えられ議
会に反映される。それゆえ、ムチャクチャな腐朽選挙区でさえも、英国の国民を代表し得る。こ
れが、バークによる実質的代表の理論である。この理論は、今も、その意味を失ってはいない。


●保守主義についての言及は次のとおりです。

1974006 政治経済学の復権
経済セミナー、日本評論社、通巻230号(5月号)、1974年4月、pp.35-47
p42-43
 この失敗によって,アメリカにおける階級
問題は,大きな社会問題として残されたので
あったが,保守主義者からの反動もいくつか
あらわれた.なかでも,とりわけ重要な論調
のひとつが,経済的不平等を,社会的原因で
はなく先天的素質にもとめる,という説明法
である.

1993006 ロシアが「円」経済圏になるとき サンサーラ 徳間書店 4(6) 24-33 田原総一朗と対談
p32-33
 アメリカの3年後に原爆をつくり、宇
宙ロケットではアメリカに先駆けた国な
んだから、ロシアの労働者全員が怠け者
であるとは到底思えない。
---------------------------------[End of Page 0032]---------------------------------
高い教育水準で、賃金も安い。そこで
ロシア国内日露株式会社をどんどんつく
る。それで、自動車でも何でもどんどん
つくって、メイド・イン・ロシアとして
アメリカに輸出する。メイド・イン・ジ
ャパンだからビッグスリーだってめくじ
らを立てるわけですが、ロシアなら大丈
夫。これがロシアを助けるただ一つの方
法だと思いますね。
田原 大変面白いお話なんですが、戦後
の日本は世界の中で責任を持って何かや
ることに自信を失っているんですよね。
植民地という言葉にこだわるようですが
……。
小室 というより、これはレーニンの公
式だから、保守主義者たちもまた喜ぶ。

1996001_『日本国民に告ぐ』
p218
 GHQが共産主義者と手を結んだ背景には、もう一つ理由があった。ニューディーラーの存在
である。マッカーサー自身は、コチコチの保守主義者だったが、彼のスタッフは、いわゆるニュ
ーディーラーたちだった。ニューディーラーとは何か。
p220
 だから、アメリカでラディカルなことを言う人、極端なことを言う人はみな「ニューディーラ
---------------------------------[End of Page 0219]---------------------------------
ー」と呼ばれた。ニューディーラーは、共産主義者ではないけれども、保守主義者より、むしろ
共産主義者に同情的だった。戦前なら「アカ」、今の言葉で言えば、「リベラル派」に近い。
 そのニューディーラーが、マッカーサーの手下だった。だから、GHQが共産主義者に同情的
だったのは、当たり前だったのである。かくて、戦後の日本には「進歩的文化人」が、実質的に
跳梁跋扈しはじめた。これが第二の眼目。

1998004 「日本は滅びる」『マジメな話』(岡田斗司夫著)アスキー/アスペクト 183-215 岡田斗司夫と対談
p193
小室 というか、「伝統主義」が強すぎるんです。保守主義って言うのは、単に伝統を守るっていうのじゃなしに、これはよい伝統だから守る、これは悪い伝統だから廃止するということです。今までやってきたことがなんとなく正しいと思ってるのは保守派じゃないんです。

2008007 日本人のためのアメリカ原論 第19回 アメリカの戦争哲学はどこから生まれたか(2) 経 ダイヤモンド社 7月号 2-5
p5
 ナポレオン3世は、本当はこちこちの保守主義者であったのだ
が、自分のことを進歩主義者の代表だと勘違いしていた。
 当時のドイツにせよ、イタリアにせよ、中世以来の状態として、
多くの小さな国々に分裂していた。そこで、ドイツではプロイセ
ンが、イタリアではサルジニアが、勃興してきたのである。
 この両国の勃興は中世の秩序を破るものであり、フランスだけ
の利得を考えるならば、保守主義者のナポレオン3世は、本来、
政略的にその興隆を抑えるべきであった。
 ところが、自らを進歩主義者だと思い、プロイセンやサルジニ
アの勃興を抑えるような態度はとらなかった。
 革命は数十年を経て、今やもう陳腐化してしまった。
 さらに、「ウィーン体制」(保守主義)がそれに代わっていた。
 ナポレオン3世には、「フランス革命の情熱に戻るべき」なの
か、「ウィーン体制の保守主義に戻るべき」なのか、沈思黙考の
必要があったはずである。

●副島氏による小室直樹と保守主義についての言及は次の通りです。

1992101_『小室直樹の学問と思想』
p18-19
副島 小室直樹を理解する場合のもうひとつの大きな柱に、保守の思想という考え方があると思い
ます。この保守の思想というのは、現実的な保守党の政治勢力が体現している現実の保守主義とは
まったく別ものである。小室さんの方は学問的な正統と呼ぶべき、本物の保守思想です。
---------------------------------[End of Page 0018]---------------------------------
 だから、小室直樹は自民党寄りの現世的保守党支持の学者であるかといえば、決してそうでない。
そのような態度は一度もとっていません。彼は、学問にだけ忠実で、現実のいかなる政治勢力に対
しても一貫して不偏不党です。誰にも、どんな勢力にもおもねることがない。
 一時期、最も自民党に近い保守主義者の評論家や知識人たちの仲間に迎えられ、自らの見識を披
露した時期があったかと思いますが、結局、彼らには小室直樹の最も厳正なる学問的態度というも
のが理解できなかったのでしょう。小室直樹の、ものごとの本質を鋭くつく発言や深い洞察力を理
解する力もないので、彼を特異な保守思想家というかたちで敬遠していったのだと思います。


[1572] Re:[1571] 小室博士とフォン・ハイエクについて 投稿者:小野寺 投稿日:2025/07/05(Sat) 08:45  

渡邊さん、特命さん

 とりあえず、小室文献における「ハイエク」「オーストリア学派」「英米法」について、言及している箇所を引用しますので、参考にしてください。

●ハイエクに関して小室先生が言及している個所は次のとおりです。

1984003_『ソビエト帝国の最期』
p168
 これが、古典派経済理論の哲学である。
 この哲学が、最近、よそおいを新たにして再登場してきたのも興味深い。
 ハイエクやフリードマンをトップとする、いわゆるマネタリストがこれである。マネタリスト
の考え方は、細目を別にすると、古典派そのものといってよい。
 この古典派の哲学に挑戦したのが、マルクスであり、また、ケインズでもあった。

1992021 満身創痍の“旧ソ連”の行方 先見経済 清話会 37(3) 6-10
p9
 なお、こうした「英国古典派」の不抜の哲学
は、1980年ごろからハイエクやフリードマ
ンによって復活している。

1993004_『国民のための経済原論Uアメリカ併合編』
p171
 ヒットラーに追われて、シュンペーター、ミーゼス、ハイエク、ハバラー、マハループなどの
学者が、続々とオーストリアからアメリカへ渡っていった。これらの人びとの指導で、アメリカ
経済学は花開いた。そのかわり、オーストリア経済学は凋んで枯れた。春秋の筆法はいうであろ
う。ヒットラー、アメリカに経済学をもたらす、と。
p173
 イギリスとオーストリアから、古典派の道統を継ぐ理論経済学がどっと入ってきた。オースト
リアからは、シュンペーター、ハイエク、ハバラーなどが。イギリスからは、ケインズ、ヒック
スなどが。
 
1997005_『悪の民主主義』
p174
 ケインズ全盛の日において、ハイエク、フリードマンなどの古典派の驍将たちは、シカゴ大
学などに盤踞して余喘を保っていた。いや、「余喘を保つ」という表現は、適切ではあるまい。
逼塞していたのではなく、古典派理論の正しさを確信しつつ、天下を睥睨していたと言うべきか。

2004001_『経済学をめぐる巨匠たち』
p218

だが、経済学の草創期から20世紀に入
---------------------------------[End of Page 0217]--------------------------------
るまで、優れた経済学者を次々と輩出し、学問的潮流を形成してきたのはアダム・スミスを
生んだ英国と、ベーム・バヴェルクを育てたオーストリアの二国である。前者にはリカード、
ミル、マーシャルらがおり、後者にはメンガー、ミーゼス、ハイエク、そしてシュンペーター
がいる。
 
2003006_『論理の方法』
p85
 しかし、ケインズ以前においては、アダム・スミス、リカード、マルクスはもとより、ジェ
ヴォンズは言うに及ばず、同世代のシュンペーター(Joseph Schumpeter 旧オーストリア=ハンガリー帝国生まれの経済学者。1883〜1950年)やハイエ
ク(Friedrich Hayek オーストリア生まれの経済学者。1899〜1992年)など世の中の大経済学者と呼ばれる人々もすべてが、セイの法則
が成り立つから失業はあり得ないと考えていました。


●オーストリア学派についての言及は次のとおりです。

1972008 高田社会学の現代的意義 日本社会学会大会報告要旨 日本社会学会 第45回 20-27 1972c
p21
荒木光太郎教授には、『墺
太利学派』という小さな著書があるが、この著書こもオーストリア学派の経済
学が十分の理解をもって、論理的体系的に説かれているとはいえまい。荒木光
太郎教授が、若いときオーストリアのウィーンに滞在して、オーストりア学派
の二代目ともいうべきハンス・マイヤーやレオ・シューンヘルトなどと交際が
あったと想像されるにかかわらず、荒木教授の『墺太利学派』のできばえが、
必ずしもよいとはいえないのに、私は不可思議の念を禁ずることができない。
……」すなわち、当時日本での斯学の権威と目される人びとにおいてすら、
その経済学理解はこのようなありさまであった。

1974004 日本経済の危機と日本経済学の危機
『月刊エコノミスト』、毎日新聞社、5(1)、1974年1月、pp. 21-33
p22
1976003_『危機の構造』
p114

荒木光太郎教
授には、『墺太利学派』という小さな著書があるが、
この著書にもオーストリア学派の経済学が十分の理解
をもって、論理的体系的に説かれているとはいえま
い。荒木光太郎教授が、若いときオーストリアのヴィ

ーンに滞在して、オーストリア学派の二代目ともいう
べきハンス・マイヤーやレオ・シューンヘルトなどと
交際があったと想像されるにかかわらず、荒木教授の
『墺太利学派』のできぽえが、必ずしもよいとはいえ
ないのに、私は不可思議の念を禁ずることができな
い。……」(木村健康「昭和期の経済学者たち――二
代目から五代目まで――」『春秋』一九七〇年五月号
一〜五ページ)

1982034 レーガノミックスは成功する NISSAN INFORMATION 日産自動車株式会社広報室 17(4) 26-39
p27
 小室 そうです。それからもう一つ重要
なことは、現在のアメリカの経済学という
のは、ヨーロッパの経済学なんです。特に
イギリスを中心にして発達した経済学と、
いわゆる、一般均衡論、つまり、ローザン
ヌ学派の二つが結合したのが中核になって
いる。それに若干のオーストリア学派が
加わった。
 つまり、現在のアメリカの経済学は、ヨ
ーロッパの経済学である。それがアメリカ
ヘ入ってきて進歩したのが、現在の"なれ
の果て"である。

1993004_『国民のための経済原論Uアメリカ併合編』
p170
 しかし、当時のアメリカにとっての幸いは、アメリカの経済学者が、それほどは理論的ではな
かった。このことである。
 このことを示唆する例を、サムエルソンは、『経済学』のある版であげている。
「アメリカの学問の未発達のころ、アメリカの学者はドイツの大学で高度な訓練を受けた。それ
なのに、オーストリア学派の影響をほとんど受けていない」と。

2004001_『経済学をめぐる巨匠たち』
p34
 一方、モノの価値はその「効用」に依って決まるというスミスの当初のアイデアを理論とし
---------------------------------[End of Page 0033]---------------------------------
て発展させたのがオーストリア学派〔限界効用説を軸にオーストリアで成立した学派〕のカール・メンガ
ー〔Carl Menger オーストリア領ガルシア生まれ。1840〜1921〕、ローザンヌ学派〔一般均衡理論を中心
とした学派〕 のレオン・ワルラス、英国の学者ではあるがアンチ古典派のウィリアム・スタンレ
ー・ジェヴォンズ〔William Stanley Jevons 英国生まれ。1835〜1882〕である。勿論、古典派の
学者達は「水とダイヤモンド」の例を引いて効用説に反論したが、ジェヴォンズらは「限界
効用」という考え方を導入する事に依って、これを解決した。

p218
 ところが、オーストリア生まれのヒトラーの登場でこの勢力図に異変が起きた。ナチスがオ
ーストリアに侵攻し、政権を掌握すると一流の学者達は次々とウィーンを離れ、その多くが
英国や米国へと亡命したのである。サムエルソン博士が在学していた当時のハーバード大学に
も、所調オーストリア学派と言われる、そうしたオーストリア出身の学者が何人もいた。
 彼らの存在が米国の学者達を刺激したのは言うまでもない。そんな中でサムエルソン博士が
頭角を現し、更にその門下から続々と優れた経済学者が誕生した。計量経済学の第一人者で、
198O年にノーベル経済学賞を受賞したローレンス・ロバート・クライン博士もその一人で
ある。

2003006_『論理の方法』
p72
 ケインズ以前の経済学、つまり微視経済学の中心テーマは、価格がどのようにして決まるのか、
です。スミスやリカードは、労働価値説を唱えた。ワルラス(Léon Walras フランスの数理経済学者。1834〜1910年)、ジェヴォ
ンズ(William Jevons イギリスの経済学者。1835〜82年)、メンガー(Car Menger オーストリア学派の創立者。1841〜1921年)などでは限界効用の概念が出て
きました。しかし、いずれにせよ価格がどのように決まるのかが中心的議論でした。


●英米法についての言及は次の通りです。

1981003_『小室直樹の日本大封鎖』
p95
 小室 イスラム法というのは禁止法だから、これこそすべからずとある以外のことは、何やっ
てもいい。したがって、人質も違法じゃないということになる。
 ところが、面白いことにソ連人というのは、英米法が世界法だと思いこんでいる。ソ連の国際
法の論文読んだら、全部、英米法の論理なんですよ。ソ連という国は田舎者だから、国際法を守
---------------------------------[End of Page 0095]---------------------------------
るということに関しては、神経質すぎるほど神経質になっているんですね。少なくとも表面上は
つじつまを合わせようと思っている。これも最初に言った、ソ連は恐くないという理由のひとつ
です。と言うと日本人はすぐ昭和20年、ソ連は日ソ中立条約を侵して攻めてきたじゃないかと
言う。でも立場が逆だったらどうか。ソ連がヒトラーに攻め殺されそうなとき、うしろから突い
てシベリアを取って、40年たったら、そのときの行動が合法か非合法か日本人は誰も気になん
かしませんよ。ところがソ連の学者は、あのときのソ連の行動は合法だったと論文を発表してい
る。いまだに気にしている。ソ連は無法者ではありません。すくなくとも日本ほどにはね。

1982020 大石内蔵助は公金横領罪だ! Voice PHP研究所 7月号 128-139 山本七平と対談
p130
山本 裁判にしないで和解してくれれば、こ
れが、泰時には一番いいことなんです。裁判
になっても、"俺の方が間違っていた"と片
方が言ったら、"お前はりっぱなやつだ"と
涙を流して泰時は喜び、また双方とも喜ぶ、
これが日本人ですね。
 ところが、「式目」を読んでみておもしろ
かったのは、刑法においてすら、当事者主義
なんです。今でも強姦その他で、親告罪があ
るけれど、極端な言い方をすれば、幕府は、
どろぼうが入っているのを見ても、当事者が
訴えてこない限り、知らんぷりです。訴人が
訴状を出してはじめて、幕府は動くわけで
す。
小室 その点では、驚くほど近代的なんです
ね。それは、近代英米法の発想の特徴で、後
進国のプロシアやロシアでは、なかなか出て
---------------------------------[End of Page 0130]---------------------------------
こない。
 幕府が、あまり裁判にタッチしたがらない
のは、裁判にべらぼうな時間がかかるという
ことがあるのでしょう。日本は、今だって、
そうでしょう。離婚訴訟に5年も10年もかか
ったら、そもそも意味ないわね。これがアメ
リカだと、二人で裁判官のところへ行って、
午前中事情を話すと、午後には"You shall
be divorced!"(笑)。日本のように時間が
かかると、そのうちに、よりが戻っちゃう。


[1571] 小室博士とフォン・ハイエクについて 投稿者:特命 投稿日:2025/07/05(Sat) 00:07  

錦織さん、小野寺さん

 横入り失礼いたします。
 私も小室博士を研究する中で、この点は気になっておりました。
 よく小室博士を保守の思想家とする方がいますが(副島隆彦、倉山満、茂木誠)その割に保守主義の先哲への言及は少ないのですよね。
 たとえば、エドマンド・バークの場合、ブリストル演説の「実質的代表」について言及してる位でないでしょうか?
 フリードリッヒ・ハイエクについて調べて見ても、『自ら国を潰すのか』では何度も言及されてますが、全て渡部昇一先生の発言なんですよね。渡部先生は、ハイエクが来日した際通訳をなさっていたこともあり、流石にハイエクへの理解は深いものがあります(ハイエクについて本も出している)。
 また、アメリカ建国についても、保守主義者であるアレクサンダー・ハミルトンやジョン・アダムスなどは殆ど取り上げてない印象です。
 以上からの私の結論です。小室博士は法学における英米法系といわれる方面へは関心を示さなかったとなるのでないでしょうか? 英米法では、法を「発見」するものとし、主権理論を否定するでしょう。博士は、主権者である国民が自ら進んで社会を変革し、日本を再興しようとしておられたと思いますが、自生的秩序を重視したハイエクとは相性が合わなかったのでないでしょうか。
 以上、間違っている点などあればご指摘いただけますと幸いです。


[1570] ハイエクに対する言及について 投稿者:渡邊 投稿日:2025/07/04(Fri) 21:46  

小野寺さん


お言葉に甘えまして、是非ともご協力願いたいと存じますm(__)m
小室直樹_博士は、オーストリア学派への言及が比較的に少なく、特にハイエクに関してあまり言及していない様に感じます。(※実は、ある知り合いに言われて、探していまして…。)

何か理由があるのでしょうか?
特に、ハイエクに言及された箇所(例:論理の方法→p85)を明らかにしたいです。


[1569] Re:[1568] [1567] [1564] [1563] [1562] [1561] 記憶違いか妄想癖が来た 投稿者:錦織俊二 投稿日:2025/07/02(Wed) 21:12  

小野寺さん

ありがとうございます。
カッパノベルスシリーズの再読が必要と今回感じられました。
その後の書物には書かれていないことが沢山ありました。
読書とは本を読むことと言うよりも、本の内容を覚えること、と個人的に思っています。


> 錦織さん
>
>  小室文献で、ある言葉が使われたかどうかとか、その言葉が使われたのはどの文献のどの部分かを御調べになりたい場合は、いつでも言っていただければ、探します。


[1568] Re:[1567] [1564] [1563] [1562] [1561] 記憶違いか妄想癖が来た 投稿者:小野寺 投稿日:2025/06/28(Sat) 21:13  

錦織さん

 小室文献で、ある言葉が使われたかどうかとか、その言葉が使われたのはどの文献のどの部分かを御調べになりたい場合は、いつでも言っていただければ、探します。


[1567] Re:[1564] [1563] [1562] [1561] 記憶違いか妄想癖が来た 投稿者:錦織俊二 投稿日:2025/06/27(Fri) 00:18  

小野寺様

返事が遅れました。申し訳ありません。
ご確認頂きありがとうございました。
やっぱり妄想癖がきましたかね、、、。

改めて”大国日本の逆襲”を読んでみました。面白いですね。
自由貿易を維持するにはパックスアメリカーナでなければならない、と説かれています。トランプタリフ(関税)もこの延長線上の考え方か? アメリカの現状は書かれた1980年代後半と変わらないので、今のこととしてスラスラ読めます。


> 錦織さん、こんにちは。
>
>  手持ちのテキストデータを、「二期作」及び「二毛作」で検索しましたが、残念ながら引っ掛かりませんでした。
>
>  今後もし似たような表現が見つかったら報告します。


[1566] Re:[1565] モーツァルト 投稿者:小野寺 投稿日:2025/06/26(Thu) 12:44  

> もう1つは2003006『論理の方法』です。p247に次のように書いてありますが、モーツァルトは35歳で亡くなっていますので、いくら昔でも「おじいさん」というのはいかがかと。
>
>  行き倒れの人を救済住宅に収容した。その家賃は驚くほど安い。そこに入れてもらうための条
> 件は何かというと、神様に「どうかフッガー家の人々の魂の救済を」と祈ることだった。あの天
> 才作曲家モーツァルトのおじいさんも行き倒れになってここに救済され、朝晩フッガー家の人々
> の魂が救われますようにと礼拝堂へ行った。住んでいた家は今も当時のままに保存されています。
> 入居者の費用は、今のお金に換算して年間で大体2DM(ドイツマルク)。殆どタダです。

失礼しました。
これはモーツァルトの曾祖父のことですね。

AIによる説明
モーツァルトの曽祖父であるフランツ・モーツァルトは、フッガー家が建てた福祉施設「フッゲライ」に住んでいました。



[1565] モーツァルト 投稿者:小野寺 投稿日:2025/06/25(Wed) 23:00  

 小室文献には、モーツァルトということばが4つの文献に出てきます。(新装版は除く)
 そのうち2つは記述が間違っています。

1つは1991022 [緊急提言]日本はウィーンに座標軸を置け! Bart 集英社 1(3) 19-22 です。
 p22に次のように書いてありますが、生誕200年ではなく、没後200年です。モーツァルトの人生は、1756年から1791年です。

今年はモーツァルト生誕200年でもある。日
本の政治家は選挙民とカラオケばかりやって
ないで、たまには『ジュピター交響曲』をB
GMに、超民族国家ハプスブルク帝国の"フ
ァジー"な統治ノウハウを学ぶべきだ。そう
すれば民族問題の深さと深さ、そしてヨーロ
ッパの深層が見えてくる。

もう1つは2003006『論理の方法』です。p247に次のように書いてありますが、モーツァルトは35歳で亡くなっていますので、いくら昔でも「おじいさん」というのはいかがかと。

 行き倒れの人を救済住宅に収容した。その家賃は驚くほど安い。そこに入れてもらうための条
件は何かというと、神様に「どうかフッガー家の人々の魂の救済を」と祈ることだった。あの天
才作曲家モーツァルトのおじいさんも行き倒れになってここに救済され、朝晩フッガー家の人々
の魂が救われますようにと礼拝堂へ行った。住んでいた家は今も当時のままに保存されています。
入居者の費用は、今のお金に換算して年間で大体2DM(ドイツマルク)。殆どタダです。


[1564] Re:[1563] [1562] [1561] 記憶違いか妄想癖が来た 投稿者:小野寺 投稿日:2025/06/21(Sat) 08:49  

錦織さん、こんにちは。

 手持ちのテキストデータを、「二期作」及び「二毛作」で検索しましたが、残念ながら引っ掛かりませんでした。

 今後もし似たような表現が見つかったら報告します。


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