「小室直樹文献目録」 新掲示板

[一般トップに戻る] [留意事項] [ワード検索] [過去ログ] [管理用]
[旧掲示板] [旧掲示板・過去ログ 22- 501- 1001- 1501- 2001- 2501- 3001- 3501-]
[小野寺さんの未収録文献目録] [W] [X] [Yahoo!リアルタイム] [マル激] [Y] [Amazon] [古本屋] [ヤフオク] [メルカリ]

『評伝 小室直樹(上):学問と酒と猫を愛した過激な天才』(2018年・ミネルヴァ書房)
『評伝 小室直樹(下):現実はやがて私に追いつくであろう』(2018年・ミネルヴァ書房)
おなまえ
Eメール
タイトル
コメント
参照先
暗証キー (記事メンテ用)
・100件までのメッセージが保存され、それを超えると古いメッセージから削除されます。
・メッセージには、一部のタグを使用することができます。
・メッセージに含まれるURLには自動的にリンクが張られます。
・削除キーの入力は、必須です。
半角カナは一切使用しないでください。文字化けの原因となります。
・メッセージの内容によっては、管理者が削除することもありますので御了承下さい。


To BBS Bottom

[1616] 『「タテ」社会の人間関係』中根千枝 投稿者:小野寺 投稿日:2026/03/27(Fri) 20:59  

 小室先生の師匠のひとりに社会人類学者の中根千枝先生がいます。理論の経済学、実証の心理学があって、その次に社会学に行く前に社会人類学があるというのが、小室先生の学問落差論の一部だと認識しています。そこで中根先生の門をたたいたのだと思います。
 『小室直樹の中国原論』p155では、次のようにいっています。「宗族研究の最高権威、中根千枝教授に質問したことがある。大きな宗族の中には、見ず知らずの男女だっているのだろう。ばったり会って恋愛することだってあるかもしれない。でも、部外婚によってこの二人は結婚することはできない。これ、悲劇ではありませんか、と。中根教授曰く。同一宗族内の男女には恋愛感情は芽生えないのです、と。」
 中根先生と言えば、一般人向けには『「タテ」社会の人間関係』だと思いますが、小室文献には、その英語版ともいえる『Japanese Society』を参考文献に挙げているものがあります。(1972003科学的分析の基礎『法社会学講座第3巻』p222)
 私は、小室文献に出会う前にその両方を購入し読みましたが、当時はよくわかっていませんでした。
 この度『「タテ」社会の人間関係』をもう一度読んでみましたら、小室文献によく出てくる考え方と共通するところがいくつかありました。やはり中根先生からの影響は少なくないのだなと実感しました。
 そこで、いくつかお二人に共通する考え方と思われる点を挙げ、小室文献と『「タテ」社会の人間関係』から該当箇所を抽出してみました。もっとよい例や他の項目と重複するようなところもあるかと思いますが、参考にしてください。

〇ナナメの階層  限界差別
・1982001『日本「衆合」主義の魔力』p52-53
 現在の日本には、カースト、貴族制などの人間を上下に類別する階層は存在しない。それにか
わって存在するのが所属集団に基づく人間の序列化である。メーカーでも銀行でも、1位から
1OO位まで一直線に序列化され、どの位置の会社(集団)に所属するかにしたがって人間の格付
けがおこなわれる。労働組合でも例外ではなく、総評の議長(その他の重要職も同様)などは大
企業の組合出身の者でないとなかなかなれず、労働者の間にも、所属する会社に基づく差別感は
根強いと言われる。大会などにおいても、下請け企業の組合員などが派手な発言をすると「下請
けだまれ」などとやじりたおされたりするそうである。
 このような階層は、本来、平等(ヨコ)であるべき集団の間の上下関係であるという意味において、
ナナメの階層と呼ばれるべきであろう。そしてその階層構成原理の基底となるものこそ、実に大学
---------------------------------[End of Page 0052]---------------------------------
入試である。
・『「タテ」社会の人間関係』p105
同僚・同種の集団は互いに敵となる
 このようなモビリティは必然的に同類を敵とする。これはまたいっそう「タテ」の機能を強
くさせ、一方「ヨコ」の関係は弱くなるばかりでなく、邪魔な存在にまでなろう。同僚に「足
を引っ張られる」とか「出る杭には打たれる」などというのは、この作用をよく象徴している。
 これが集団の場合になると、同じような種類と実力をもったものが敵となる。たとえば、鉄
鋼業の諸会社、貿易業の諸会社というように。同じく、学校ならば、大学と大学、高校と高校、
農村ならば、部落と部活、宗教界であったら、新興宗教集団は同じような新興宗教集団と、官
僚ならば、内務官僚と外務官僚というように。
 そして、こうした競争はきわめて現実的な表現となってあらわれ、競争をとおして、そして
その結果「格付け」ができてくる。たとえば、出版社でも「アソコはウチより格が上ですから」
などという表現をとる。家々の格が問題とされるのは、何も農村ばかりではない。だいたい競
争のスタートが早い(歴史が古い)ほど、格が高いが、その格が実績によって変更しうるとい
うところに、競争をいっそうかきたてる要因がある。この競争はまた個々の集団の結束をかた
める(第2章で述べた)重要な要因となって、いっそう集団の孤立性・封鎖性をまねいている。

〇階層構成原理   
・1976003『危機の構造』p206
 入試制度は、現在日本においては階層構成原理としての機能を有し、人びとは、その公正さに
対し物神的信仰を持っているのだから、対症療法的改革は全く無意味なのだ。
・『「タテ」社会の人間関係』p102
 東大出身ということと、オックスフォード出身ということとは決して同じ意味をもっていな
い。前者においては、魚屋の子だろうが、水飲み百姓の子だろうが、実業家の子だろうが、大
学教授の子だろうが、東大というものを通過することによって、同列にたちうる。教育機関と
いうものが、社会層の差をなくすか、ミニマムにするほどの機能を日本ではもちうるのであり、
またこのことは、日本人にみられる異常なほどの教育熱の存在をも説明することができよう。

〇去る者日々に疎し 日本は地縁社会ではない
・1982002『資本主義中国の挑戦』p53
 日本人は、去る者日々に疎し、などと言い、遠くの親戚よりも近くの隣人を大事にし、頼りに
する。ひとたびムラから出て行った人の子供がムラに帰ってきても、なかなかとけこめるもので
はない。それどころか、もとはムラの住人であった本人すら、何十年ぶりになつかしのムラに帰
ってきても、人間関係がよそよそしくなっていて居心地はよくない。
・『「タテ」社会の人間関係』p59-60
 日本人の場合、同じ集団に属していてさえも、物理的に遠隔の場にたつということはマイナ
スを招くことが多い。今まで東京に仕事の場をもっていた者にとって、東京を離れるというこ
---------------------------------[End of Page 0059]---------------------------------
とは、地理的に東京を離れるということのみでなく、仲間から社会的に遠くなるという悲哀を
もつものである。「去る者は日々に疎し」とは、まったく日本的な人間関係を象徴しており、
「水杯」のもつ悲壮感はここから生まれる。社会生活をする個人にとって頼りになる者は、
仕事の仲間であり、日々実際に接触している人々である。

〇日本は血縁社会ではない
・1984002『親子関係は親分と子分だ』p23-24
 このように、日本は父系制でも母系制でもない。また、そのいずれに近いわけでもない。まこ
とにめずらしい社会である。つまり、日本は血縁社会ではない。
 こういうと怪訝な顔をする人が多い。説明をつけくわえておきたい。
 この点に関しては戦前の日本も同じことである。敗戦の結果、マッカーサーが日本から血縁を
もち去ったわけではない。日本に血縁がなかったのは昔からのことであった。戦前の日本に血縁
がなかったことを証明しよう。この論理はいまでも通用する。
 万世一系の天皇の正統性は何によるのか。天照大御神の子孫であるからだという。他方、す ---------------------------------[End of Page 0023]---------------------------------
べての日本人もまた天照大御神の子孫だということになっている。この二つのことを信ずるのが
君に忠なる日本人である。この二つが正しいとすれば、論理必然的に、すべての日本人は天皇
になれることが導き出されるではないか。血縁社会なら、当然、こういうことになる。大日本帝
国でこんなことをいったら、それこそたいへん。大逆の言である。陛下の忠良な臣民でこんな
ことを考える者なんぞ一人もいなかったろう。
 なんでこんなことになるのか。
 日本には、論理がないか、血縁がないか、そのいずれかであるからである。イヤ、じつのとこ
ろ、その両方ともないのだ。日本社会には、論理も血縁も、その両方ともないのだ。
・『「タテ」社会の人間関係』p32-33
 ここで重要なことは、この「家」集団内における人間関係というのが、他のあらゆる人間関
係に優先して、認識されているということである。
 すなわち、他家に嫁いだ血をわけた自分の娘、姉妹たちより、よそからはいってきた妻、嫁
というものが比較にならないほどの重要性をもち、同じ兄弟ですら、いったん別の家を構えた
場合、他家の者という認識をもち、一方、まったくの他人であった養子は、「家の者」として
---------------------------------[End of Page 0032]---------------------------------
自己にとって、他家の兄弟よりも重要な者となる。兄弟姉妹関係(同じ両親から生まれたとい
う資格の共有性にもとづく関係)の強い機能が死ぬまで強くつづくインドの社会などと比べて、
驚くほど違っている。

〇規準がなく、場できまる。
・1983001『田中角栄の呪い』p128
 山本はまた、こんな例も挙げた。
 大戦直前、日本のジャーナリストで、「即時対米開戦」を繰り返し主張していた人が、12月
8日、日本が本当にアメリカに開戦すると、腰をぬかしてしまった。彼は、そんなことがありう
るとは、本当は夢にも思ってはいなかったからだ。
「断乎アメリカうつベし」が「空気」になってしまうと、何と思おうと、これに反する言動なん
かできはしない。
 実に、日本においては、『空気』こそが言論の自由の真の敵である。
・『「タテ」社会の人間関係』p170-171
 このような方式は、つねに、その反論に対して、何ら論理的、宗教的理由づけがなく、もし
それらの発言を支えるものがあるとすれば、それは「社会の人々がそう考えている」というこ
とである。すなわち、社会的強制である。社会の道徳とは、修身の本にあるのではなく、いう
までもなく、この社会的強制である。したがって、その社会がおかれた条件によって、善悪の
判断は変わりうるものであり、宗教が基本的な意味で絶対性を前提としているのに対して、道
徳は相対的なものである。日本人の考え方や信条が戦前・戦後とたいへんな変わり方をしたこ
---------------------------------[End of Page 0170]---------------------------------
とや、また戦後においてすら、現在までずいぶん変化している事実は、こうした動く実態自体
(社会)に価値の尺度をおいているためである。

〇情緒規範
・1981002『日本教の社会学』p171
小室 この身一つを打ち捨てて、若殿ばらにむくいなん、ですね。こうくると日本人はしびれてし
まってもう何もいえなくなってしまう。西郷が日本人に圧倒的に人気があるというのもここなんで
すね。ここで理屈をいったら興ざめだ。西郷が僧月照をかばいきれなくなったとき、あいいだいて
薩摩潟(錦江湾)に入水したでしょう。「人生意気に感じてはともに沈まん薩摩潟」とね。それ以外
何もないんです。
・『「タテ」社会の人間関係』p181-182
 日本人は、論理よりも感情を楽しみ、論理よりも感情をことのほか愛するのである。少なく
とも、社会生活において、日本人はインテリを含めて、西欧やインドの人々がするような、日
---------------------------------[End of Page 0181]---------------------------------
常生活において、論理のゲームを無限に楽しむという習慣をもっていない。
 論理は、本や講義のなかにあり、研究室にあり、弁護士の仕事のなかにあるのであって、サ
ロンや喫茶室や、食卓や酒席には存在しない。そうしたところでは、論理をだせば理屈っぽい
としてさけられ、理屈っぽい人は遠ざけられる。

〇日本には自由な討論がない 意見と人格の分離がない
・1978003「第六章 民主主義講座」『われわれは一体なにをしておるのか』p252
 会議の結果がまとまりかけたときに一人がワアー反対なんてつぶしてしまったら、どうしても自分に責任
がかかるから、ほんとは、腹の中では反対なんだけども、口に出さないというのが日本における
処世技術になるでしょ。だからデモクラシーにとって、必要不可欠の徹底した討論なんてできな
い。さらに悪いことには共同体ですから、人間の意見と人格が不可分なんだ。反対したりする
と、その人の人格にまで及ぶ。ですから恐るべき結果になる。日本において正しいかどうかって
いうことは、みんなが正しいと感ずることが正しいんだろう。
・『「タテ」社会の人間関係』p174
 作品自体について論じているのに、ちょっとほめると、「あいつはオレに好感をもっている」
ととられ、ちょっとけなすと、「あいつはケシカラン奴だ」とくる。作品をとびこえて、人対人
の直接の感情的出来事になってしまう。
 また、ごく少数の(これは雨夜の星ぐらいの割合だが)ものを除いて、評論家・書評者のほ
うでも、往々にして感情的文句を弄しているのがつねである、「これは気に入った」だの、「著
者の意識を疑う」だの、「著者はまだ苦労が足りない」とか、「著者の周囲の人々がどうだ」
などと、作品外の著者の態度とか人にまで及ぶと同時に、自分の感情投入をさかんに行なう。
書評というもののスタイル・内容が、著者との人間関係できまってしまうことが多い。

〇契約精神の欠如
・1992001『信長の呪い』p219-220
 日本における武士ギルド制が夭折した理由は。
 根本的理由は、日本には「契約がない」(川島武宜、山本七平)からである。
 契約(進んでは、契約的行動様式)がないと、ギルドは存立し得ない。
 このことは、ヨーロッパ、中国、インドにおけるギルドと、日本の家元とをくらべることによ
---------------------------------[End of Page 0219]---------------------------------
って理解できよう。日本の丁稚とくらべることによっても理解できよう。
・『「タテ」社会の人間関係』p159
 ところが、筆者の分析によると、「コントラクト」精神は日本人にはまったく欠如しているも
のであり、ほとんど絶望に近いと思われるのである。

〇二君にまみえた西欧
・1997005『悪の民主主義』p226
 一人の封主に多数の封臣ということは、十分にありうる。これは日本と同じ。日本とは、たい
へんちがう点は、一人の封臣は、複数の封主をもちうる。
 このことである。一人の家来が何人もの主君をもつ。これは、日本では、絶対にありえないこ
とであろう。
 複数の主人といっても、別に主人の一家というのでもない。主人の特命というのでもない。ヨ
ーロッパでは、まったく関係のない複数の人に、独立に契約を結んで、同時に臣下となりうるの
である。
 こんなことを聞けば、日本人は、あるいは仰天するかもしれない。封建時代に、そんなことっ
であってたまるか。忠臣二君につかえずと言うではないか、と。いや、十分にありうる。そこが
ヨーロッパ。二君につかえても、三君につかえても、忠臣ということが十分にありうるのである。
 忠臣とは何か。忠臣の模型とはどんなものなのか。日本の忠臣とは、人に忠実な臣を言う。こ
れに対し、ヨーロッパでは契約に忠実な臣を言う。ここがちがう。
 ゆえに、それぞれの契約が矛盾しなければ、複数の主君に忠誠契約を結ぶことは可能である。
これらの契約のすべてを忠実に守れば、すべての主人に対して忠臣である。
・『「タテ」社会の人間関係』p166
 ところが西欧の中世では、主従関係は、必ずしも全人間を無期限に拘束することを前提とし
ていないために、主君を変更することができたばかりでなく、同時に一人で、二人とか三人の
主君に仕えることも可能であった。そしてそれは、何ら道徳的非離をうけるものではなかった。
近代的コントラクトとは内容が異なるにしろ、西欧にはコントラクトの精神が封建時代にさえ
はっきりみられたということができよう。


[1615] Re:[1614] [1613] 橋爪 大三郎 (著)『社会』岩波書店– 投稿者:小林正樹 投稿日:2026/03/22(Sun) 13:09  

小野寺さん

『権力』はそれだけです。『地政学』も引用は無いので、参考文献のみかと
『社会』は、
パーソンズの「構造ー機能分析」ところ49.7%と、
終章で、その発展の話93.2%のところです。電子なので済みません。

スレッド異なりますが
ブラタモリ観ました。小和田先生の説の確認でしたね。
それにしても82歳お若い足取り
情報戦だったことや、戦功第一位・梁田正綱も出てこない。

最近、義元は、三十五貫(約130kg)の大肥満体というのは
間違いというほうが優勢のようですし。。信長公記に記載無し


この番組教えて頂いてありがとうございました。
そのまま、中島みゆき 特集番組が始まり、
40数年間の火曜日の深夜に気持ちはタイムスリップ。
毎日オールナイトニッポン・・・ねずみ人間になれるはずも無い苦笑


[1614] Re:[1613] 橋爪 大三郎 (著)『社会』岩波書店– 投稿者:小野寺 投稿日:2026/03/21(Sat) 16:23  

> 橋爪大三郎 (著)『権力』岩波書店– 2023/4/12

小林さん、とりあえずこれだけ確認できました。

「あとがき」のp301に「小室ゼミ」ということばがでてきました。
それと「参考文献」のp304に『痛快!憲法学』が出ています。

他に該当箇所はありますか。


[1613] 橋爪 大三郎 (著)『社会』岩波書店– 投稿者:小林正樹 投稿日:2026/03/21(Sat) 10:59  

小林です。

橋爪先生が、なんか集大成的に本を出版されています。
小室先生 一応、参考文献にも、本文にも出てきます。

橋爪先生の本は、短文形式で、小室節のようなものは無く、淡々と語られる方式なので、理解はし易いのですが、、、


橋爪大三郎 (著)『社会』岩波書店– 2026/2/10
橋爪大三郎 (著)『権力』岩波書店– 2023/4/12
橋爪大三郎 (著)『日本人のための地政学原論』ビジネス社– 2025/12/18

https://amzn.asia/d/0islotOs


[1612] Re:[1610] [1609] 関連文献『キリスト教入門の系譜』(中公新書) 投稿者:小野寺 投稿日:2026/03/20(Fri) 15:06  

> > 関連文献1点です。
> > 『キリスト教入門の系譜』
> p.125-135
>
> 児島さん、確認しました。
> その他の該当箇所は、次のとおりですね。
> p95,237,240,241,267,268

漏れが見つかりました。

・見開きのところ
・「はじめに」のviページ
・しいて言えば目次の3ページ目


[1611] 桶狭間 ブラタモリ 投稿者:小野寺 投稿日:2026/03/14(Sat) 22:17  

 さきほど「ブラタモリ」の「桶狭間」の回を見ました。

 解説された先生は、小和田先生。
 窮地に陥った信長が、次にどうするか、というところで、来週のお楽しみにということになりました。
 ふと、1992年の『信長の呪い』のことを思い出しました。その中で「迂回奇襲説」というのを批判しています。そして、そのことばこそ、その小和田先生の著書の記述であるということが書かれています。
 p172を引用します。
………………………………………………………………
桶狭間は「迂回奇襲」ではない

 この桶狭間の戦闘であるが、本書では、従来の通説とはちがった見方をしていることに注意されたい──お気付きの方も多いと思われるが──。
 従来の通説、これを、小和田哲男教授は、「迂回奇襲説」と呼ぶ(『偶然の勝利ではない! 情報を駆使した「正面奇襲」の成功だ』「ビッグマン・スペシャル 歴史人物シリーズ1 織田信長─その独創と奇行の謎─」)。
……………………………………………………………………………………………………
 小和田先生の本は読んでいませんが、文脈からすると、小室先生はこの小和田先生の説を参考にしているのだと思います。

 復刻版である2010年の『信長』の最初のカラー写真のあるiiページには、「迂回奇襲説は今では劣勢だが、従来は長らく信じられていた。」と書かれています。小和田先生や小室先生の影響なのかどうかはわかりませんが、今は定説ではないと。

 小室先生は『信長公記』を忠実に読めば、そうなると書いています。

 来週も小和田先生が出ますので、是非見てください。

NHK総合テレビ 3/21土曜日19:30-20:00

追伸
AIによると、学術的に“迂回奇襲説は誤りである”と初めて明確に主張したのは藤本正行さんだそうですね。
1982年『歴史読本』で「異説・桶狭間合戦」を発表
1992年『信長の戦国軍事学』で体系化


[1610] Re:[1609] 関連文献『キリスト教入門の系譜』(中公新書) 投稿者:小野寺 投稿日:2026/03/14(Sat) 19:41  

> 関連文献1点です。
> 『キリスト教入門の系譜』
p.125-135

児島さん、確認しました。
その他の該当箇所は、次のとおりですね。
p95,237,240,241,267,268


[1609] 関連文献『キリスト教入門の系譜』(中公新書) 投稿者:児島高徳 投稿日:2026/02/04(Wed) 14:19  

村上さん、小野寺さん、みなさま

関連文献1点です。
『キリスト教入門の系譜―内村鑑三、遠藤周作から、渡辺和子、オンライン教会まで』、岡本亮輔、中公新書、2026年1月25日初版

具体的には、
第3章 聖書はファンタジーなのか―学知と信仰のシーソーゲーム― 
のうち、p.125-135が、
4 売れっ子作家たちの契約論―山本七平と小室直樹
と章立てされています。

内容はこれから確認です。


[1608] 長谷川和彦 投稿者:小野寺 投稿日:2026/02/02(Mon) 22:48  

映画監督の長谷川和彦さんが、2026年1月31日に80歳でお亡くなりになりました。

小室先生は、彼と栗本慎一郎さんと鼎談をやりましたね。

1985027 マスコミはジャッジする オン・アンド・オン アス出版 創刊準備号 8-10 栗本慎一郎、長谷川和彦と鼎談

1986001 『罵論・ザ・犯罪―日本「犯罪」共同体を語る―』 アス出版 230 1986a 栗本慎一郎・長谷川和彦と共著


[1607] 落合信彦 投稿者:小野寺 投稿日:2026/02/01(Sun) 18:17  

国際ジャーナリスト・作家の落合信彦(84歳)さんが、本日、老衰のため死去されたようです。

小室先生は、いくつかの文献で落合さんの著作から引用しています。

1990004 アラブの逆襲
p68
 ヒットラーは、ユダヤ人を民族皆殺しにしようとした、といわれている。
 いや、これは作り話にすぎないと反論するドイツ人もいる。
 落合信彦氏は、ユダヤ人民族皆殺し計画は虚構にすぎないというドイツ人の説を、いくつか紹
介している(『20世紀最後の真実』)。

19920001 信長の呪い
p45
 ヒットラーは、1945年(昭和20年)、ベルリンのバンカーで死んだことになっている。
 が、ヒットラーは本当に死んだのか。
 となると、まだ、確証はどこにもない。
 これが間違いなくヒットラーの死体である。
 こう確証される物は、まだ、どこにも存在しないのである。
 だから、いろんな風説も流れる。(例、落合信彦『20世紀最後の真実』)

1996002 小室直樹の中国原論
p64
 中国は老人の(老人を尊ぶ)国である。アメリカは若者の国である。若者にも大きな仕事と
チャンスを与えることを誇る。そのアメリカですら、43歳のケネディに国の舵取りをまかせ
ることには躊躇した(落合信彦『ケネディからの伝言』)。


To BBS Top

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10]

処理 記事No 暗証キー

- Light Board -
- Deluxe Light Board -