「小室直樹文献目録」 新掲示板

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『評伝 小室直樹(上):学問と酒と猫を愛した過激な天才』(2018年・ミネルヴァ書房)
『評伝 小室直樹(下):現実はやがて私に追いつくであろう』(2018年・ミネルヴァ書房)
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[1593] Re:[1592] 中川八洋との対談「日本は超先進国か」に関して 投稿者:小野寺 投稿日:2025/11/03(Mon) 10:22  

>  中川八洋さんと小室直樹博士の対談「日本は超先進国か」に関して、ぜひ参照したいのですが、どこで閲覧(複写)が可能か、ご存知の方がいれば、どなたか、ご教示をお願い致します。

だいぶ前に人からいただいたものなので、今となっては入手方法はわかりませんが、一部(小室先生の発言は全部)引用します。

1980017 日本は超先進国か 知研ニュース 「知的生産の技術」研究会 30 4-5 中川八洋と対談,久恒啓一によるレポート

P4-5

▶欧米は日本化しつつある
(中川の続き)様々の面で欧米は日本化しつつあるようです。日本
人に模倣はできても、創造はできないという意見
がありますが、模倣と創造は表裏一体です。アメ
リカはヨーロッパの模倣であり、ヨーロッパはアラビア
の模倣なのです。
小室:非常に有益であった。今までの迷信をやぶ
った。おっしゃる事には大体賛成です。しかし若干
の疑義があります。1.中川氏の意見は一種の進
歩史観です。すすんだものはよりよく機能すると
いう考え方に立てばOKであるがうまく機能す
るから進歩していると言えるだろうか? 2.日本が強
いからこそ、その強さが恐しいと思う。日米関係
においてあまりに日本が強くなることは危険が
大きい。
▶日本は社会主義の国である
 アメリカは国際政治では低能だが日本は、白痴
に等しい。
 国内に眼を転じると日本は社会主義の国で
ある。共産主義の理想(具体的に言えば労働者
のナベには肉を家には自動車を。)を完全に実
現してしまっている。日本共産党等は自民党とスロー
ガンが同じであるから、独自に言ってることは「日本
の良い伝統を守りましょう」ということだけです。(笑)
▶近代デモクラシーという観点からは日本は最低
 日本に近代デモクラシーの条件がそろっているか。
日本は最低です。権利の概念が定着していない。いつ
でも主張できるということ。権利は主張できるから
こそ権利である。そして所有概念も定着していない。
日本の会社は誰のものか株主のようでもあり経
営者のようでもある。どうも所有者がはっきりしな
い。上役に民事訴訟をおこせないような日本は近代
デモクラシーの基礎的条件がないのだ。

(中略)

あとがき 中川氏はいろいろまずい面もあると思うが、
欧米やソ連等とくらべれば経済も政治も世界一である
と言っています。日本は85点であり、他の国々は40点か
20点か0点かということです。又、小室氏は経済面
で日本の実力を認めながらも、100点満点でないの
が気にいらないようです。100点と85点との間の
15点に重きを置く考え方のようです。
さてあなたは日本
を超先進国だと
思いますか?


[1592] 中川八洋との対談「日本は超先進国か」に関して 投稿者:特命 投稿日:2025/11/03(Mon) 05:53  

 中川八洋さんと小室直樹博士の対談「日本は超先進国か」に関して、ぜひ参照したいのですが、どこで閲覧(複写)が可能か、ご存知の方がいれば、どなたか、ご教示をお願い致します。


[1591] Re:[1590] [1589] 倉山満先生が小室直樹先生に言及している著作について 投稿者:特命 投稿日:2025/11/03(Mon) 01:17  

小野寺さま

 『日本国憲法の問題点』、復刻版で読んだのに、すっかり失念しておりました。
 ありがとうございました。


[1590] Re:[1589] 倉山満先生が小室直樹先生に言及している著作について 投稿者:小野寺 投稿日:2025/11/01(Sat) 23:16  

特命さん、情報ありがとうございます。

●1983063「そのとき握った角栄のコブシが震えた 衝撃判決で何が起こったか」ですが、「握りしめた」の誤植でないでしょうか?

おっしゃる通り、原文の見出しは、「そのとき握りしめた角栄のコブシが震えた 衝撃判決で何が起こったか」です。
目録の記載を直していただきましょう。
私も気づかなかったです。ありがとうございました。

●小室先生が著作で原発に言及したものはあるのでしょうか?

「原発」または「原子力発電」という言葉が使われたのは次の箇所です。
引用します。

1991022 [緊急提言]日本はウィーンに座標軸を置け! Bart 集英社 1(3) 19-22
P20
 このチェルノブイリの影響も大きい。20世
紀最大の原発事故は、豊かな穀倉地帯を、向
こう数世紀にもわたって放射能に汚染された
死の大地に変えてしまった。

1993029 世界野蛮化に於ける日本の進路と方針 次代 国乃礎本部,日本協会本部 6月号5-40
P7
 二番めに、緊急さの度合ということで言うと、
ロシアが潰れては困るという度合が、ヨーロッパ
と日本では大きく違います。例えばロシアが滅ん
でしまったら、ヨーロッパにはウンカの如く難民
が押し寄せるでしょう。そうなったらヨーロッパ
の経済はたちまち成り立たなくなる。しかし日本
にロシア難民が同じように来るかといったら、現
時点においては状況が大きく違います。またヨー
ロッパの経済というのは、いろんな意味で、ロシ
アと密接に関連しています。あのチェルノブイリ
の原発事故をみても、昔は美しかったスウェーデ
ン・ノルウェーなどの北欧諸国で、ほとんど人が
住めなくなってしまった所がたくさんあります。
黒海などでも、ほとんど魚が食べられなくなって
しまった。

1990029 9月18日経済講演会の要旨 アーガス21 東京都中小企業振興公社143 10-11
P10
 第1次石油危機で400%
の価格の上昇、第2次石油
危機で300%の価格の上昇、
それでも何とか世界はその状況を切りぬけてきました。
今回は、価格上昇率50─150%ほどであり、日進月歩
の技術革新により、代替エネルギー開発・省エネ化が
進み第1次・第2次石油危機ほど深刻な状況ではあり
ません。さらに、このような状況が長く続くとは思え
ません。なぜなら、原油の値上がりによって他のエネ
ルキー(例えば天然カース・石炭・地熱などの代替エネ
ルギー)による生産手段が発達し、原油を使用しない
産業が発展し、原子力発電などが進歩してきたと言え
るからです。さらに換言して言うなら、第1次、第2
次石油危機の経験であきらかなように、石油危機がお
さまれば、石油の価格は下がるのです。

2002009 日本国憲法の問題点
P245
 ところが、今日、日本にとって最も大きな可能性を持つ「戦争」とは、海外からのテロ攻撃、
ゲリラ攻撃である。
 すなわち、日本海沿岸の原子力発電所が某国の手によって破壊される。あるいは霞ヶ関や永田
町において毒ガスや生物兵器が使われる。あるいは満員の大観衆のいるスタジアムが爆破される
……半世紀前には誰も予想もしていなかった事態が、いまや絵空事ではなくなりつつある。こう
した可能性を完全に否定できる人はいないであろう。



[1589] 倉山満先生が小室直樹先生に言及している著作について 投稿者:特命 投稿日:2025/11/01(Sat) 09:12  

ご無沙汰しております。以前に言っていた倉山満先生が小室直樹先生に言及している文献について投稿させて頂きます。

「日本の敵」を叩きのめす! 35頁
ネオ東京裁判 69頁
かくも根深い「政治の劣化」を叱る 44頁
自民党の正体 121頁
嘘だらけの日英近現代史 100頁
嘘だらけの日露近現代史 232-233頁
国際法で読み解く戦後史の真実 157頁
帝国憲法の真実 39、218頁
間違いだらけの憲法改正論議 104頁
日本国憲法を改正できない8つの理由 117頁
誰も教えてくれない真実の世界史講義(古代編) 282頁

以上になります。上の三冊は、上念司さんとの共著です。
ところで、私の誤解かもしれないのですが、1983063「そのとき握った角栄のコブシが震えた 衝撃判決で何が起こったか」ですが、「握りしめた」の誤植でないでしょうか?
また、一つお伺いしたいのですが、小室先生が著作で原発に言及したものはあるのでしょうか? 『政治無知が日本を滅ぼす』の「刊行に寄せて」には、糸川英夫さんとの興味深いお話が載っていましたが、先生ご自身が、どこかで論じておられれば、知りたく思っております。
宜しくお願いいたします。


[1588] 高市早苗総裁 投稿者:小野寺 投稿日:2025/10/08(Wed) 18:13  

 この度自民党総裁に高市早苗氏が選ばれました。一般文献に彼女の名は見当たりませんが、『評伝 小室直樹』下巻には、小室先生との接点が記録されています。
 引用します。

p445-448

若宮清

 昭和59(1984)年6月25日のことである。
 この日、都内で「竹村健一を叩く会」という集まりが開催された。
「竹村健一を叩く会」は、竹村を中心に、編集者、出版関係者、ジャーナリストらが月
一回集まり、時局・国際情勢などを語り合う会⁽¹⁸⁾。名前の由来は、竹村がテレビで思い上
がって好き勝手なことをいうから、みんなで"叩こうよ"ということで、そう命名された
という⁽¹⁹⁾。
 参加者は毎回、様々である。よく参加していたのが、祥伝杜の編集者・打田良助、都築
智ら。女性では、日本テレビの『竹村健一の世相講談』でアシスタントを務める小池百合
子、松下政経塾に入る前の高市早苗ら。
 6月25日の参加者には、ジャーナリストの若宮清もいた。
 若宮清は、昭和58(1983)年8月21日、マニラ国際空港で、フィリピンの野党
指導者ベニグノ・アキノが、護衛兵士によって逆に暗殺される様を直接目撃した人物であ
る。若宮は、雑誌の取材を通じてアキノとの知遇を得ていた。フィリピンの上院議員だっ
たアキノは、マルコス大統領と対立し、昭和55(1980)年にアメリカに亡命。その
---------------------------------[End of Page 0445]---------------------------------
後、マルコス政権を打倒するためフィリピン帰国を決意。アキノが帰国する飛行機に同乗
した若宮は、暗殺の瞬間を目撃することになったのである。
 若宮は、昭和59(1984)年8月21日、フィリピンで行なわれるアキノ氏追悼一
周忌に、アキノの墓参りに行こうと決意していた。その決意を「竹村健一を叩く会」で披
露したいと考えて参加したのである。
 会場の上座中央には竹村健一が座り、その左側に若宮が座る。そして竹村の右側に座っ
たのが小室であった。
 会が始まると、若宮はこう述べた。
「もし小生がフィリピンで、"不慮の事態"で死んだら、それはフィリピン当局の仕業だ
と思ってほしい。必ず日本で問題にしてくれ。最悪の事態となったら、来年の日本政府の
対比援助、とくに円借款には絶対に反対してほしい」
「また、小生は、アキノ氏の墓前で歌を捧げようと決意している。小生は日本人ゆえ、
壮図半ばで散ったアキノ氏を讃えるために、帝国海軍の『海ゆかば』を歌おうと思ってい
る」
 若宮の目はつり上がり、決死の覚悟が見て取れた。小室は心の底から感激した。荊軻が
秦王・政、後の始皇帝の暗殺に出立する前に歌った詩を思い出していた⁽²⁰⁾。
---------------------------------[End of Page 0446]---------------------------------
 風蕭蕭として易水寒し
 壮士一たび去りて復た還らず

「キミーッ! キミは聞きしにまさる国士である!」
 そう叫んで、小室は立ち上がった。若宮も立ち上がった。そうして二人は、竹村の両側
で『海ゆかば』を大音量で歌ったのであった。
 小室は「この好漢を殺してはならじ」と思い、宣言した。
「わたくしも、きたる8月21日、若宮氏に同行し、フィリピン国民のために演説をい
たします!!⁽²¹⁾」
 会は終ったが、まだまだ話し足りない小室は、若宮を新宿ゴールデン街のスナック
「純」に誘った。
 小室は酔ってエンジンがかかると、拳を振り上げて叫ぶのである。
「田中角栄を有罪にする検事を殺せ!!」
「右翼は金でどうにでもなるダメばかりだが、いい歌を流すので許す!!」
「米ソをやっつけて殺せッ!!」
 そして、二人で『加藤隼戦闘隊』、『若鷲の歌』、そして『海ゆかぱ』を歌うのであっ
---------------------------------[End of Page 0447]---------------------------------
た。
 ただ、若宮はちょっと心配していた。
「もし、この調子で小室さんに『キル! マルコス!』なんて叫ばれたら、たまったも
んじゃないな。大統領侮辱罪で逮捕、投獄ならまだマシで、ヘタすれば銃弾が飛んでくる
ぞ」


[1587] Re:[1584] [1583] 実質賃金プラスとゾンビ企業の淘汰 投稿者:渡邊 投稿日:2025/10/05(Sun) 16:32  

>  小室文献には、「ゾンビ企業」と言う言葉はでてきませんが、「ゾンビ経済」、「ゾンビ労働」、「ゾンビ教育」、「ゾンビ議会」などということばを使いました。
>  ここでは、「ソンビ銀行」と言う言葉を使った例を引用します。


小野寺さん

ご回答下さり、ありがとうございますm(__)m
「ゾンビ経済・ゾンビ労働・ゾンビ教育・ゾンビ議会・ソンビ銀行」と表現していて、小室博士は『ゾンビ』を多用していますね。特に、『“ゾンビ議会”は秀逸な表現だなぁ…』と思いました。

小室博士の文献を読むと、どうやら日本(ほぼ単民族に近い)人は自然災害の多い日本列島において、絶対的な法的規範が無くても協力し合う事ができる反面、地中海文明の様に多人種・多民族・多言語・多文化・多様な歴史に接する機会が少なかった事で、『定義に拘る』というよりは、どちらかと言えば『基準(程度)に拘る』風潮がある様に思えてきました。(※基準先行仮説)

確かに、考えてみれば、地中海沿岸地域では多種多様な人間が交易や通商を行い、頻繁に戦争をして和平文章に調印(契約)しなければならず、言語にて定義を明確にしておかないとトラブルの原因になったでしょうね。だから逆に、敢えて定義を不明確にして、交渉を有利にする場面もあったでしょうけれどねぇ…。しかも、抽象的な語彙ほど、定義に拘って議論をしたのでしょうかねぇ…。特に、定義に拘ることで、仮説による抽象概念の思考実験が『0から1を生み出す土壌』を育んだのかも…。

しかし、日本列島(極東の離れ小島の田舎)では、大陸から程よい距離を保ちつつ大多数がよく似た人間だった事で、オノマトペが発達し、世間からどれだけ離れているかに注力する為、程度や基準が大事で、定義による論理的な仮説の検証が発達しづらかったのかも…。


[1586] 斎藤隆夫の反軍演説 投稿者:小野寺 投稿日:2025/10/01(Wed) 23:04  

 本日付け時事通信社のネット記事にこのような記述がありました。

(引用開始)
 1940年の帝国議会で日中戦争を批判した斎藤隆夫衆院議員(当時)の「反軍演説」を巡り、削除された議事録を「復活」させる案を与野党が検討している。
 石破茂首相(自民党総裁)が森山裕幹事長に与野党協議を行うよう指示。近く衆院議長の諮問機関「議会制度協議会」で具体的な議論が始まる見通し。複数の関係者が1日、明らかにした。
(引用終了)

 石破首相は小室先生の影響を受けていると自伝で書いておられるので、いよいよ最後になって、その成果を示そうとしているのでしょうか。

 小室文献における斎藤隆夫の反軍演説の記述の部分を引用します。

1983001『田中角栄の呪い』
p111
「支那事変は聖戦ではない」それゆえ、これを通常の戦争として処置せよと衆議院において主張
した斎藤隆夫は、そんなことを言うことがけしからんと言って議員を除名され、議会政治は実質
的に終わりをつげ、日本は、まっしぐらに破局にむけてつき進むことになる。
 実に、戦前日本における議会政治は、「それが疑獄を続出せしめ、政治倫理上正しくない」と
右翼と軍部とに攻撃され、ついにたたき殺されたのであった。

1990002『ソビエト帝国の分割』
P51
 昭和15年の帝国議会において、斎藤隆夫代議士は、陸軍の責任を追及して大演説をおこなっ
た。史上有名な反軍演説である。
 そうしたらなんと、衆議院は自発的に斎藤代議士を除名してしまったのであった。
 その内容はすごくもっともだと、大臣も代議士も感心しない者はいなかった。軍部までも感心
していたというのに……。

1994001『田中角栄の遺言』
(1997005『悪の民主主義』にほぼ同様の記述ありP171-172、p198-200)

P36-37
 戦前末期、軍部の勢力は全国を圧し、議会は、ただわずかに余喘(虫の息)を保つかに見えて
いた。世は、物言えば唇寒き時代であり、巷間における言論の自由は窒息しそうであった。今
の学校教科書では言論の「暗黒時代」とさえ教えられている。
 この「暗黒時代」においてすら、議会における言論の自由を守ろうとして必死になった代議士
がいた。これらの代議士たちは、生命がけで、全盛時代の軍部のやりかたを攻撃した。けっし
て、誰かの傀儡ではなかった。自由な意志を持っていた。
 その範例が、浜田国松代議士の「ハラキリ問答」であり、斎藤隆夫代議士の反軍演説であっ
た。これらの範例は、歴史的にあまりにも有名ではある。が、今となっては、すっかり忘れ去ら
--------------------------------[End of Page 0036]---------------------------------
れてしまっているのではあるまいか。しかしこれは、軍部の言論弾圧による「暗黒時代」におけ
る、言論の自由の存在を実証するものとして重要である。ここに、そのあらましを思い出してお
きたい。
 まず、浜田国松代議士のハラキリ問答。
 二・二六事件によって天下の公論は逼塞してしまった。軍が東京を軍事占領し、大臣・重臣を
射殺したのである。操觚(文筆業)の人びとは震え上がって軍部批判を自己規制した。そうでな
くとも軍人こそ身を挺して国家改造をなさんとする者なりとして、国民の信頼は議会(政治)を
去って、滔々として軍部に向かいつつあった。軍部支持は当時の国民の空気(pneuma)になり
つつあった。
 こうなると、恐ろしい。軍部批判なんか口にしたら最後、軍部の反撥を買う前に、自動的に言
論界から締め出されることになる。それはあたかも、1979年、すなわちソ連軍のアフガン侵
攻以前の戦後日本の言論界において「反・反共」でないと、つまり社会主義・共産主義に親近感
を持たなければ、言論界から締め出されたかのように。いや、それ以上に反軍言論の締め出しは
厳しかったかもしれない。
 そんな時代においても、帝国議会の代議士は、軍部の傀儡となることを潔しとしなかった。
まして、現在の代議士と違って、自発的に(軍部以外の)官僚の操り人形になるなんて考えても
みなかった。自由意志を持って行動していた。議会政治の危機に際して狂瀾を既倒に廻らそう
と、つまり奇蹟的な逆転劇によって形勢を有利に転換させる努力を重ねていた。

p64-69
「聖戦」に反対した斎藤隆夫代議士

 戦争が長期化するにつれて、国民生活も窮屈になっていった。嫌戦、反戦も深く国民間に鬱積
していった。警察は、反戦反軍思想を取り締るのに躍起となった。しかも他方、戦争礼賛は空気
とな た。支那事変は 「聖戦」と呼ばれるようになった。
 この澎湃たる空気に誰か抗し得る者ぞ。聖戦を批判するなんて、勿論タブーとなった。そんな
ことをするなんて、非国民を通り越してストレートに国賊ではないか。国賊にきまっている。
 聖戦に反対する者なんかいるわけがない。いるわけがないのに、帝国議会において、正々堂々
と「聖戦」に反対して政府、軍部を批判する代議士がいた。これ、ネッシー以上の珍獣、迦陵
頻伽(仏教で極楽に棲むとされる鳥)以上の珍鳥ではないか。
 代議士斎藤隆夫(民政党)である。

 斎藤代議士は、すでに「二・二六事件」のあと、当時の陸相寺内寿一大将を激しく詰問
し、その自由主義者としての気骨を認められていた。
---------------------------------[End of Page 0064]---------------------------------
 そこで、昭和15年2月2日、第75帝国議会の開幕早々に斎藤代議士の質問演説が行
なわれることになると、傍聴席は超満員となって斎藤代議士の登壇を待った。
 どんなことを言うのか、斎藤代議士ならば言いたいことを言ってくれるのではないか、と
いう期待感が議場を満たし、代議士たちも静まりかえって斎藤演説の開始を待ったが、斎藤
代議士の論旨は期待をこえて鋭かった。
「私は、支那事変処理の範囲と内容の二点について質したい」
 どちらかといえば、ボソボソした低声で口をひらいた斎藤代議士は、そのままずばりと戦
争の本質について、論述をすすめた。
 すでに支那事変では、日清、日露戦争の被害を上回る十万人以上の戦死者、その数倍の傷
病者を記録しているが、この犠牲のうえに立って政府は事変をどのように解決しようという
のか。
 そもそも戦争とはしょせんは「正邪曲直」、「是非善悪」の争いではなく「力の争い、優
勝劣敗、強者の弱者に対する征服」であろう。
 ところが、近衛声明によると支那事変の処理方針には、支那主権の尊重、領土、賠償の不
要求、経済提携、在支第三国権益の尊重、内蒙(蒙古)以外の撤兵などが含まれている。
「では、支那の主権、領土を尊重し、賠償金をとらぬとすれば、今日まで消費した軍費とさ
らに将来どのくらいかかるかわからぬ膨大な軍費を、日本国民が全部負担せねばならぬので
あるのか」
---------------------------------[End of Page 0065]---------------------------------
 また、興亜委員会で「東亜新秩序」の原理、原則あるいは精神的基礎なるものを審議して
いるが、一方で「八紘一宇」だの「東洋永遠の平和」だの「聖戦」だのと唱えながら、いま
さら戦争目的を審議せねばならぬとは、どういうわけか。
 つまりは、この事変は「目的すら判然とせず、徒らに国民生活 に犠牲を強いている」もの
ではないか。
 そのあとでやや声をカン高めると、
「畢竟するに政府の首脳部に責任観念が欠けている……。
 立憲の大義を忘れ、国論の趨勢を無視し、国民的基礎を有せず、国政にたいして無経験
で、しかもその器にあらざる者を拾い集めて弱体内閣を組織するが、国民的支持を欠いてい
るから、 何事についても自己の所信を断行する決心も勇気もない……」
 ゆえに政治は「姑息偸安」となり、失政は当然だ──と、斎藤代議士はきめつけた。
    (中略)
 斎藤代議士が言うように、戦争となれば、事前の主義主張はどうあれ、勝敗という結末を
めざして遂行されるのが戦争の実体であり、また戦争によって一方的に被害だけをうけるの
では、国民が納得し難いのは当然である。
 十万人の戦死者と莫大な国費にみあう支那事変処理の方策があるのか、と聞い、それがな
ければそんな無意味な戦争は止めろ、と叫ぶ斎藤代議士の主張は、だから、しごくスジが通
った議論であり、国民が支那事変にたいして抱く素朴な疑念の表明と見做された。
---------------------------------[End of Page 0066]---------------------------------
 斎藤代議士の演説にたいしては、翌日、2月3日、米内首相、畑陸相、吉田海相がそれぞ
れ、支那事変は、たんに「弱肉強食を本質とする侵略戦争ではない」と反駁して、斎藤代議
士追及の気運がかきたてられたが、演説直後の政府、軍首脳部の感想は違っていた。
「戦争と平和に関する御意見は同感である」と、米内首相がとっさに答弁すれば、控え室に
ひきあげた畑陸相に武藤軍務局長は、「斎藤ならあれくらいは言いますな」と苦笑し、畑陸
相も、うなずいた。
「政治家というものは、なかなか、うまいこと急所を突いてくるものだ」
 聖戦だ、と主張している立場上、陸軍も斎藤代議士を排斥せざるを得ないが、客観的に観
察すれば事変に不審を感ずるのは自然だ、と畑陸相も思う。
 斎藤代議士が指摘するように、たしかに支那事変には焦点がない。
 実質的には戦争行為を行ないながら、戦争には必須の相手国にたいする憎しみも表明せ
ず、平時の外交交渉に似た要求を掲げている。蔣介石を相手にせずと言い、汪兆銘に対立政
権を組織させながら、結局は、蔣介石との和平を願望している……。
 およそ戦争らしくない戦争であり、だからこそ終熄に手間がかかっているともいえるが、
斎藤代議士はまさにそういう性格不明な事変の本質を摘発した。
 急所を突かれた、と畑陸相が憮然とする所以であるが、畑陸相と陸軍幹部の血圧は、右翼
団体や 一部代議士たちほどには上昇しなかった。
                   (『天皇W 太平洋戦争』 児島襄著 文春文庫)
---------------------------------[End of Page 0067]---------------------------------
 日清、日露の大戦を上回る10万人以上の戦死者を出しながら、日本は何のために支那事変を
戦っているのか。支那事変の戦争目的は何か。誰しも不審を感じつつも、口に出して質問するこ
とはできない。戦争賛美と聖戦支持の空気に圧倒されて、口を閉じるしかなかったからである。
 この「声にならない声、声にできない声」を代表して斎藤代議士は質問したのであった。軍部
の迫害も、空気の強圧も何のその。これぞ、まことの代議士。
 斎藤代議士の質問は、畑陸相自身も「政治家というものは、なかなか、うまいこと急所を突い
てくるものだ」と言っているように、聖戦だ、と主張している立場上、陸軍も言いたくても言え
ない言葉までも代弁しているのであった。
 これぞ、まことの国民の代表。どんなに迫害されたとて、代議士冥利につきるというものだ。
その迫害は、何と意外にも(いや、意外ではなく、当然にもというべきか)、軍部から来らずに衆議
院の中から来たのであった。
 社会大衆党(のちの日本社会党)までが、斎藤代議士の質問演説は「聖戦目的を侮辱した」と
いきまいた。支那事変は、社会(大衆)党にとっても、やはり聖戦になっていたことを思い出し
ておきたい。げに恐ろしきは、日本の空気かな。斎藤代議士は、質問演説の廉をもって、昭和15
年3月8日、衆議院を除名された。 これで、議会政治の灯は消えた。
 いくたびも強調するように──いくら繰り返しても繰り返しすぎることはない。断じてない
──言論の自由こそ議会政治の生命である。代議士が、自分の独立した意志で国民の欲すること
を自由に発言する。これこそが、議会政治の要諦である。
---------------------------------[End of Page 0068]---------------------------------
 顧みて、今日の日本の現状はどうか。最高裁が判断を下す以前に、ロッキード事件被告人・
田中角栄有罪の空気が議会内にまでも蔓延し、これに異を唱えるものは共犯者あつかいを受けか
ねず、政治家は、誰もが"触らぬ神に崇なし"とばかりに、今も沈黙を守りつづける。
 また、南京大虐殺の事実に疑問を投げかけただけで、その一点で永野茂門法相は政治家にあら
ずとされ、村八分の憂き目にあい、問答無用とばかりに辞任へと追いやられたが、この正体も、
わが国に特有な空気であった。論ずることが罪ということなら、どこに自由が、どこにデモクラ
シーが存在するというのか。言論の自由を失った議会は、死せる議会である。ゾンビ議会であ
る。たとえ法制はもとのままであり、議事堂は堂々の威容を誇っていようとも。
 われわれは、これをヒトラー治下のドイツ議会に見、スターリン治下のクレムリンに見、ま
た、第二次大戦後に独立したアジア・アフリカの旧植民地諸国の議会に見るであろう。
 しかし、恰好のサンプルを、昭和15年3月8日斎藤代議士除名後の帝国議会に見る。斎藤代
議士の除名によって、言論の自由は死んだ。国民の声は代表される場を失った。それとともに議
会も死んだ。ほどなく、政党は自発的に解散し、大政翼賛会に吸収されることになったのであ
る。

1995002『大東亜戦争ここに甦る』
93-94
 このことは、昭和15年2月2日、第75帝国議会の開会劈頭における斎藤隆夫代議士の質
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問演説を思い出すだけでも明白であろう。斎藤代議士は、支那事変は「目的すら判然とせず、徒
らに国民生活に犠牲を強いている」ものではないかと批判し、「そんな無意味な戦争は止めろ」
と要求したのであった(児島襄『天皇W 太平洋戦争』文春文庫)。

2000001『日本の敗因』
P247
 1940年(昭和15年)2月2日、第75回帝国議会の開幕早々、斎藤隆夫代議士は、支那事変の
戦争目的について、米内(光政)内閣に質問した。
 この質問に対して、米内首相は「戦争と平和に関するご意見は同感である」と賛意を表し、急所を
突かれたと畑(俊六)陸相は撫然としたが、戦争目的について確然と答えられる大臣はいなかった。

2001005『痛快! 憲法学』
P235
 昭和15(1940)年2月に開
かれた第75帝国議会におい
て、民政党から代表質問に立
った斎藤隆夫代議士は、かの
「反軍演説」をします。
 腹切り問答のあった昭和12
年(1937)7月7日、盧溝橋事
件に始まった支那事変はすで
に足かけ4年を迎えていまし
たが、戦線は拡大する一方で
いっこうに終わる見込みはな
い。そこで斎藤は、この「事
変」の目的を政府に問い質し
た。
 すなわち、事変による戦死
者は10万人を超え、その数倍
の負傷者を出している。軍は
この事変を「聖戦」と呼んで
いるようだが、そもそも戦争
に正しいも悪いもない。問題
なのは、この戦争によって、
日本は何を得るのかというこ
とである。ところが政府は公
式声明において「支那の主権
を尊重し、領土や賠償を要求
しない」と言っている。それ
では、いったいここまで浪費
した軍費や損害をどのように
して埋めるつもりなのかとい

うわけです。
 この斎藤代議士の質問は、
理路整然とした立派な内容で
す。
 事実、これを聞いた畑俊六
陸相でさえ「政治家というも
のは、なかなか、うまいこと
急所を突いてくる」と漏らし
たほどだった。
 ところが、そこで重大なこ
とが起こりました。
 この斎藤質問に対する迫害
が、軍部ではなく、議会の同
僚たちから来たのです。
 すなわち斎藤代議士の発言
は「聖戦目的を侮辱するもの
である」として、衆議院本会
議で彼の除名が決定し、彼の
発言そのものも議事録から削
除された。そればかりか議会
では、軍におべっかを使って
「聖戦貫徹に関する決議案」ま
で可決してしまったのですか
ら、恐れ入るではありません

か。
 言論の自由こそが議会の砦
であるはずなのに、その砦を
議会みずからが明け渡した。
これはまさしく「議会の自殺」
です。
 ピューリタン革命を見れば
ただちに分かることですが、
権力者からどんなに弾圧を受
け、議会が解散させられよう
とも、その議会はやがて不死
鳥のように復活する。議会に
は、それだけの力がある。
 しかし、議会みずから死を
選んでしまったら、これはど
うしようもない。2度と復活
はしない。
 斎藤隆夫が除名されたのは
昭和15年(1940)3月7日で
す。この日、戦前日本のデモ
クラシーは死に、明治憲法も
死んだ。日本の命数は、まさ
しくこの日に尽きたと言って
もいいでしょう。

2004005『早坂茂三の死を悼む』 Voice PHP研究所 9月号 118-125
P121-122
 ところが、この「議会内の言論の自由」すら保てない時が
終に来た。
 斎藤隆夫代議士の昭和15年2月2日、第七五議会におけ
る質問である。
 彼の所説は、要するに、既に支那事変では、10万人以上
の戦死者をあげているが未だ勝利はしていない。そのメドに
立っていない。政府は事変をどのように解決しようとしてい
るのかというにつきる。畢竟政府の首脳部には責任観念が
欠けている……。
 事変に不審を感ずるのは自然だと政府のトップも思った
が、支那事変は聖戦だと主張しているので、そうも認めるわ
けにはゆかない。翌2月3目、米内首相、畑陸相、吉田海相
の答弁はしどろもどろであった。
 国民の「声にならない声、声にできない声」を代表して、斎藤
代議士は質問したのであった。これぞ真の国民の代表! ど
んなに迫害されたとて代議士冥利につきるというものだ。そ
の迫害は、何と意外にも、軍部からも右翼からも政府からも国
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民の空気からも来たらずに、衆議院の中から来たのであった!
 社会大衆党(後の日本社会党)までが、斎藤代議士の質問
は、「聖戦目的を侮辱した」と息まいた。斎藤代議士は、質
問演説の廉をもって、昭和15年3月7日、衆議院を除名さ
れたのであった。
 これで、議会政治の灯は消えた。


[1585] べらぼう 投稿者:小野寺 投稿日:2025/09/28(Sun) 22:26  

 先程、はじめてNHK大河ドラマ『べらぼう』を見ました。
 石田梅岩の石門心学がはやりはじめた状況をやっていました。
 心学について述べた文献の一部を引用します。

1984004 「解説」『勤勉の哲学―日本人を動かす原理―』(山本七平著)PHP文庫 PHP研究所 や2-1 272-356

p274

 わが国における勤勉の哲学はどこからきたのか。それはいかなるものであるのか。
 山本七平氏は、これを鈴木正三(せいさんとも読む)と石田梅岩に辿り、思想的に分析する。
 正三、梅岩のエートスが、世俗内的禁欲を生み、それが日本資本主義の精神に伝えられる。
現代日本経済の推進力となっているのは、かかる日本資本主義の精神である。
 このように論じてくると、誰しもマクス・ヴェーバーの「資本主義の精神」を思いだすだろ
う。社会科学最高の金字塔『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(Die protestantische
Ethik und der 》Geist《 des Kapitalismus)を想起することだろう。
 もとより、禁欲的プロテスタンティズムのエートスと正三、梅岩のエートスとは異なる。で
は、いかに異なるのか。そして、この相違が、それぞれが生んだ「世俗内的禁欲」と「資本主
義の精神」にいかなる異同となってあらわれたのか。日本資本主義は、プロテスタンティズムの
倫理を触媒として生成された資本主義といかなる位相に立つか。
 これを解明することがこの解説の主目的である。

p356

 要するに神のみが絶対であって人間なんか無にひとしい。
 これこそ、宗教社会学的にいって、致命的に重要であると、マクス・ヴェーバーは強調した。
 神のみが絶対であればこそ、人間の社会の外に、座標軸を設定できる!
 この座標軸から評価して、この社会はわるい、そして、あの社会ならいいと評価できるように
なるのではないのか。
 わるい社会をすてて、よい社会をとる。これが革命の論理であるが、この論理は、人間社会の
外に絶対者をもとめ、彼に座標軸を設定させなければならない。
 カルヴィニズムの決定的意味も、まさに、ここにある。
 正三・梅岩の思想が革命的思想となりえなかった理由も、まさに、ここにある。
 では、なにが日本の真の近代化をもたらしたのか。
 日本近代化のために必要不可欠な絶対者を作りあげたのは誰か。
 本書はこの問に答える直前でおわっている。


[1584] Re:[1583] 実質賃金プラスとゾンビ企業の淘汰 投稿者:小野寺 投稿日:2025/09/25(Thu) 22:51  

> 実質賃金がプラスとなり、ゾンビ企業が自然に自由市場から淘汰される日本経済が実現されるために、今、小室直樹_博士が生きておられたな何と提言されたのだろうか…。

 小室文献には、「ゾンビ企業」と言う言葉はでてきませんが、「ゾンビ経済」、「ゾンビ労働」、「ゾンビ教育」、「ゾンビ議会」などということばを使いました。
 ここでは、「ソンビ銀行」と言う言葉を使った例を引用します。

1998003 『日本人のための経済原論』東洋経済新報社
p235〜236

 問 破産させるべき企業を破産させないので資本主義が死にそうだという例をあげて下さい。いや、
すでに死んでしまって、日本経済はゾンビ経済になっているのかもしれません。
 答 「銀行は絶対につぶさない」というやりかたです。経営が破綻して当然破産していなければな
らない銀行も無理に生かすことになります。まさしく、ゾンビ銀行です。
 いや、護送船団方式の「横ならび経営」ですから、当然、破綻するしかない銀行でも、なんとかと
りつくろってしまうのです。
 市場を自由にして市場原理を機能させる経済は栄える。規制などを加えて市場原理の作動をさまた
げる経済は衰退する。減びる。これが資本主義の大原則である。
--------------------------------[End of Page 0235]--------------------------------- 
 この大原則は、情報・流通革命によって世界が一つの市場になることによって、徹底的に貫徹され
てゆくことになろう。一つの契機がビッグバンである。
 日本経済滅亡の危機であるとともに、大躍進のまたとないチャンスでもある。成功か失敗かの鍵は、
どれほど市場の自由化を徹底的におこなうかにかかっている。中途半端ならば失速し、完全におこな
えば必ず成功する。
 日本経済全体がそうであるだけでなく、一人ひとりの個人もまた同じことである。資本主義は優勝
劣敗。弱肉強食。これほど残酷な経済もないが、これほどすばらしい経済もない。
 市場原理とは、優勝劣敗の法則によって適者だけが生存する法則である。劣敗して適者でないこと
が証明された労働者や企業は、淘汰されて消えてゆく。
 では、資本主義における適者とは、どのような者か。消費者は効用を最大にする。企業は利潤を最
大にする。この原則どおりに行動する者である。しかし、言うは易く、行うは難し、とはこのことで
ある。
 経済主体(経済人 economic man)の行動模型としてこれを提示することは容易である。しか
し、この最大化行動を実際におこなうことは、必ずしも可能ではない。容易でもない。
 直感的に考えてみても、この効用や利潤を最大化することは、そんなに簡単でないことは、すぐに
気付くであろう。


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