[ 三妖神物語 外伝2 海辺にて・・・・ ] 文:マスタードラゴン 絵:T-Joke

第5章 賭

「巫女姫!!」
 荒御禍と闇楓が同時に悲鳴を上げる。その声で我に返る。
「大丈夫ですか? 姫巫女」
 闇楓が心配そうに問いかける。
「何とか・・・・」
 そう答える唯だが、それが強がりであることを二人は知っていた。短いつき合いではないのだ、彼女の力も気質も十分に承知している。
 灼熱の炎が唯に襲いかかる。
 必死に防御するが、その熱は唯の結界を乗り越えて彼女の肌をじりじりと焼いている。逃げようにも、もはや力も肉体も限界だ。
 移動のために力を使えば、防御結界が手薄になるか、さもなくば、力の重圧に耐えきれずに肉体が崩壊するだろう。
 荒御禍と闇楓も唯の結界のサポートで手一杯であった。とても、唯を安全な所まで運ぶだけの余力はない。
 結界の内部に少しづつ熱がたまってきている。吹き出す汗は肌を流れるまもなく蒸発し、彼女の皮膚に塩を残す。
 ぜいぜいと肩で息をするが、空気さえ焼け付くように熱い。息をする度に彼女の肺が激痛を訴える。
 意識を失うのも、もはや時間の問題だろう。
 ・・・・もう・・・・だめかな・・・・
 混沌が、唯の意識を連れ去ろうとした瞬間、それは来た!!
「唯! 根性を見せろーー!!」
 その声と同時に、炎が一瞬弱まった。
 !!
 唯はその隙を逃さなかった。
 結界につぎ込んでいる力の一部を使って瞬間的に空間を移動する。
 長距離を”跳べない”ため、安全なところまで逃げる事は出来ないが、間合いを取ったり、攻撃をさける程度の役には立つ能力だ。
 とりあえず、炎の攻撃をやり過ごし、南深螺の方に視線を動かすと、南深螺の頭の一つに九羅座火が体当たりをして強引に方向を変えていた。
 九羅座火に体当たりされた頭は、別の頭に爆炎をたたきつけるような格好になっている。既に、炎を浴びた顔は半分炭化していた。
 そのため、頭二つ分の火力が失われ、火勢が弱まったのである。
「ぐおおおお!」
 自分自身の火炎をまともに浴びては、流石にこたえるらしい。南深螺は苦悶の表情でのたうち回る。
 その隙に離れると、九羅座火は唯と合流した。
「一樹!?」
 今の今まで気づかなかったが、九羅座火には一樹が座っていた。
 そして、朦朧とした意識の中で聞いた声が一樹のものであったことを、今更ながら思い出していた。
「よお」
 片手をあげて気楽な挨拶を返す一樹を唯はあきれ顔で見つめた。
「何を考えている? 陸に帰ったとばかり思っていたのに・・・・」
「やっぱり、従姉妹を見殺しにしちゃ寝覚めがわりいからな」
「かえって邪魔だ」
 そっけなく言い捨てる唯に一樹は大きくため息を付いた。
「そう言うなよ」
「命の保証などできんというのに・・・・」
 一樹に苦虫を百匹噛み潰したような渋面を向ける唯。
「何とか時間稼ぎできん?」
「どう言うことだ?」
 一樹の言葉に訝しげに尋ねると、一樹はにっと笑って見せた。
「聖域を封じていた結界に傷を付けた。少し時間がたてばあれは壊れるはずだ」
「結界が破壊され、聖域が本来の力を取り戻せば、南深螺殿の本来の力と、異界の呪力が反発しあい、南深螺殿にかなりのダメージを与えるはずです。
 うまく行けば、それで彼を正気に戻せるかもしれません」
 一樹の説明を九羅座火が補足した。
「時間的には、あと20分も有れば結界は崩壊するでしょう」
「後20分だ、何とか出来るだろう?」
 期待の眼差しを向けられた唯は、しかし、あっさりと否定した。
「無理だな」
「な!」
「私の力は既に限界だ。もって5分と言うところだろうな。20分など、とうてい無理だ」
「お・・・・おおおい」
 情けない声を出す一樹に唯は冷たく吐き捨てた。
「だから、さっさと陸に帰れば良かったんだ」
 一瞥を一樹にくれて、再び南深螺を睨み据える。
 九羅座火の体当たりの為に自らの炎で焼けただれていた顔は、既に再生し傷跡一つ見えない。その様子に唯は舌打ちした。
「下級とはいえ、さすがは純竜族。大した回復能力だ」
 感嘆と焦燥を込めて、唯は南深螺の能力に目を見張った。
 竜族の血を引くとはいえ、彼女達の力は人の血によって、ずいぶんと弱まっている。
 特に肉体的な能力では人の血を持つ自分達と純粋な竜族である南深螺とでは勝負にさえならない。
 魔力でも肉体の能力でも向こうの方が上である。このままでは、自分達の命は風前の灯火そのものだ。
 何とか出来ないか・・・・何とか・・・・
 唯は必死に考えた。一つだけ方法がないでもない。しかし、それはリスクが大きすぎる。
 唯のそんな様子に一樹も流石に危機感を感じていた。
 それでも尚、この場を引こうとしない唯を見て、やれやれと肩をすくめる。
「なあ唯。何か方法が有るんじゃないか?」
「・・・・気が散る。話しかけるな」
 そっけなく言い捨てる唯に、一樹は何かを感じとっていた。そして、それが最後の手であろう事も気が付いていた。
「なあ、唯。俺の力を媒体にして奴にダメージを与えられねえか?」
 それを聞いて、驚愕の眼差しを一樹に向ける唯。
「お前は、自分が何を言っているのか分かっているのか?」
 その言葉に一樹は頷く。
「あいつが俺と同じ”質”だって事は、九羅座火から聞いた。
 なら、俺の力をうまく利用すれば、奴を倒せるんじゃねえのか?」
 南深螺はその異界の力を使って自身をガードしている。その力はこの世界のものとは完全に異質のものであるために、唯の力では、それを破る有効な手段が無い。
 だが、一樹を媒体にして力をたたき込めば、同じ質の持ち主であるため共鳴現象を起こし、南深螺の防御を素通しして、本体にダメージを与えることもけっして不可能ではないだろう。
 しかし・・・・
「分かっていない・・・・」
 苦い表情で一樹を睨み付ける唯。
「そんな事をして、無事にすむとでも思っているのか!?」
 吐き捨てる唯に一樹は曖昧な笑みを浮かべた。
「分かっているさ。
 お前と奴の力が俺を通してぶつかるんだ、ただではすまないだろうな」
「その程度ですむか! 死の危険性がある! いや、確実に死ぬ!!」
 南深螺の業火が周りを真紅に照らし出す。
 九羅座火が交わしながら逃げているが、長時間は持たないだろう。
 その炎に照らされながら、唯は一樹に怒鳴りつけた。
「・・・・そんなにやばいのか・・・・」
「当たり前だ!」
 殆ど吐き捨てるようにして唯は一樹の無知をののしった。
「ただでさえ、私の力は並みの人間の肉体の限界を越えている! さらに、それ以上の竜族の力を受ければ・・・・」
 肉体はおろか魂さえも完全に消滅することになる。
 それほどに強大な力にさらされるのだ。たとえ十分に訓練を受けた者でも、死はほとんど免れないに違いない。
 まして、なんの訓練も受けていない――正確には怠けてしなかったのだが―― 一樹にとって、それは確実な死を、存在の”消滅”を意味する事になる。
「・・・・死ぬのか・・・・」
 ぼそりと呟いて、ため息を付く。
「短い一生だったなあ・・・・」
 暗い空を見上げて、遠い目をする一樹。
 彼が今まで守って生きた教訓――非常識な事態には近づかない、命を懸けて戦うことはしない。――その二つをあえて破ってきた結果が、死であるというのは、自分の教訓が正しいことを証明することであったが、このような事態になっては嬉しくもなんともない。
「何を考えている?」
 一樹の呟きに厳しい視線を向ける唯。
「どのみち、このままならやられるだけだろ? なら、やるしか無いんでないの?」
「・・・・・・・・」
 無言で、一樹を見つめる唯。その瞳には躊躇いがあった。
「素直に陸に戻っていれば良かったものを・・・・」
 静かに呟く彼女の言葉には、従兄弟への労りが含まれていた。
「たとえ、陸に逃げたって、こんなとんでもない奴が来たらおしまいだからな・・・・」
 ・・・・それに従姉妹を見殺しにするなんて、寝覚めの悪い事が出来るかよ!
 後半の思いは声にしない。だが、彼の心の声は唯に聞こえてたのかも知れない。
「・・・・本当に・・・・いいの?」
「他に方法が有るならそっちにして欲しいけどな・・・・ないんだろ?」
 一樹の確認に、唯は悲しそうに頷く。
「じゃあ仕方ねーよ・・・・やってくれ」
 命を懸けて戦うなんて・・・・俺らしくねえけどな・・・・
 心の中で呟く一樹だが、他に手がない以上仕方がなかった。
「ああ・・・・」
 力無く頷く唯。唯が初めて見せた頼りない姿に一樹は胸を締め付けられたが、その思いを無理矢理打ち消した。
 一樹のその思いを感じたのか、すぐに唯は何時も通りの顔になる。
「やるぞ、一樹!」
「ああ」
 何時も通りの口調と表情に戻った唯にほっとした一樹だったが、次の一言で自分の立場を再確認する羽目になった。
「・・・・死なないでよ・・・・」
「・・・・努力してみます・・・・」
 唯の懇願に、力無く答える一樹だった。

「捨て身の戦法かぁ・・・・あまり誉められたものじゃないわねぇ・・・・」
 一樹と唯の凸凹コンビが何を考えているか、彼女達には手に取るように分かる。
「ミューズ、何時まで見ているつもりなのです? 彼女達を見殺しにするつもりなのですか!」
 流石にしびれを切らしたシリスがミューズに詰め寄る。だが、涼しい顔で彼女は聞き流すだけであった。
「ミューズ!!」
「・・・・分かってるわよ、ちゃんと手助けするから心配しないでよ」
 シリスの剣幕に、ややうんざりした様子でミューズは答えた。
 ・・・・まあ・・・・あーいうタイプの人間になら、少しくらい奇跡をプレゼントしてやっても良いわね・・・・
 シリスに言われるまでもなく、ミューズ自身、彼女達には手助けしてやるつもりだった。
 竜族の血を引くだけでも、貴重な存在である。見殺しにするわけには行かない。
 さらに、彼女達の馬鹿正直さは、有る意味で彼等のクソ真面目な主人を思わせる。
 ミューズにとっても、他人事とは思えないのだ。
 口では何だかんだ言っても、主人と似たような人間を見ると、ついつい手助けをしたくなる。
 ただ、無条件で手を貸すようなことはしない、そこがミューズらしさというべきか。

 雷神の奇跡は、己の全ての能力をかけ、最善を尽くした者にのみ与えられるのである。決して簡単に得られるものでは無いのだ。

 視界が歪む。
 巨大な九羅座火。真紅の閃光。漆黒の空・・・・
 それらが歪み、本来の、物質としての形の上に、幾何学的な模様を描く光の粒子が重なって見えた。
 力を使うというのはこんな奇妙な感覚なのかと、精神の冷静な部分がその感覚を楽しんでいる。
 だが、冷静に状況を楽しんでいるような余裕などすぐに吹き飛んでしまう。
 正面に巨大な力が迫っている。
 灼熱を発する、重く黒いなにかをまとった力が自分に向かってのしかかってくる。
 避けることも、止まることもできない。
 なぜなら、激しい輝きを放つ力が、その力めがけて自分を後ろから押しているのだから。
 そして、自分の形も崩れ、光を放つ力を柔らかく包み込む。光は、そのまま、一直線に重い闇をまとった力に向かって突き進む。
 闇の衣と、自分がぶつかり、相殺するかのように激しく火花らしきものが飛び散る。
 そして、一樹の意識は声にならない悲鳴を上げた!!

 ・・・・もう少し・・・・もう少しで・・・・届く・・・・
 一樹の体と意識を媒体にして、自分の力が南深螺の中に届く感触が、唯にははっきりと分かった。
 手袋をした手を、泥の中にのばすような感触。強い圧力を感じるが、先ほどとは違い、拒絶されることはあってもはね返されることはない。
 だが、力の圧力と抵抗を弱めている手袋はそう長く持たない。あちこちに負担がかかり、悲鳴を上げているのが唯には分かる。いや、彼の魂の悲鳴も痛みも自分自身にはね返ってきているのだ。
 一樹自身が感じている痛みよりは遥かに弱いだろうが、それでも、この痛みはかなりのものだ。
 一樹にどれほどの負担がかかっているのか、唯にも正確には分からない。だが、急がなければ、手袋―― 一樹の意識――はずたずたに引き裂かれ、修復不可能な傷を負うのは間違いなかった。
 この手の先、力の先に何かがある。それが南深螺の力の核、魂とも言うべきものであることを唯は直感によって知っていた。
 もう少し・・・・あとちょっと・・・・
 唯の手が核に近付けば近付くだけ、核からの圧力が大きくなる。
 早くしなければ一樹が”消滅”してしまう! 
 焦る唯。しかし、南深螺も自分の命の根元に唯が近付いていることを感じて、防御を固める。
 あと少しなのに・・・・!!
 じれるが、最後の、後一歩と言うところで唯の力は阻まれている、これ以上は近づけない。
「このままでは・・・・一樹が・・・・持たない!」
 自分の半身を失うという恐怖に唯はおびえる。だが、その本体に近付くには、なお、強い力で押し込むしかない。
 まだ、時間は2、3分しかたっていない。今ここでやめたら、南深螺の総反撃を食らってしまう。そうなれば、肉体的にも精神的にも疲労のピークに達し、力を消耗しきった自分達は間違いなく二人そろって犬死にだ。
 今は、やるしかなかった。たとえ、どんなに勝率の低い賭であろうとも。
 援軍が期待できない今は、自分達の力だけでこの場を切り抜けるしかないのだ。
 唯は強引に力を南深螺にねじ込む。
 今までとは比べものにならないほどの激痛が体中を駆け抜ける。
 一樹の肉体はびくびくと痙攣し、呼吸も心拍も不規則になっている。
 これ以上すれば、精神はともかく、肉体は確実に死ぬことになる。しかし、今やめてはまさしく犬死にになってしまう。
 唯は心を鬼にして、一気に南深螺の核へと力を押し込む!

 ああああああ!!

 絶叫を放ったのは、魂を引き裂くほどの激痛に襲われた一樹の意識だったのか?
 自分の半身が消える気配を察した唯だったのか?
 南深螺の最後の防御を打ち破ろうと唯が力をさらにねじ込もうとしたその時、ついに一樹の精神が、魂が、その限界を超えてはじけ飛んだ!!

 ・・・・だめ・・・・だ・・・・

 自分自身が薄れて消えていく、それを一樹だった”もの”は自覚した。
 自分という存在は南深螺の力に飲み込まれ、このまま消滅するのだろう。そう思ったとき。
(だらしないわね。男ならもっと気張りなさい)
 凛とした、厳しく、美しい女性の声が叱咤した。
 どこかで聞いたことのある声。一樹がそう意識したとき、自分自身の存在が固定されていることに気が付く。
 ついさっき、膨大な力に飲み込まれ、意識も魂も、己の存在そのものが薄れて消滅するのを感じていたのだ。だが、今、その恐怖は無くなっていた。
 自分が、ここに存在すること。自分が生きていることを一樹は実感した。

 なに? 何がどうなったの?
 一樹の意識が消える。半身が失われようとしたその時、何かの、何者かの力が一樹を支え、守るように現れたのだ。
 恐ろしい力だ。
 下級とはいえ、純竜族である南深螺の力と唯の力の両方の圧力から一樹の存在そのものを守っているのだ。
 その力の巨大さ、異質な力の圧力を制御する力量。
 どれをとっても、それが人間業であり得ない事は一目瞭然。
 喜ばしいことなのだ。自分の半身が失われず、しかも、自分の力を思う存分南深螺の中でふるうことが出来るのだから。
 しかし、唯にとっては喜びより戸惑いの方が大きかった。
 こんな芸当は人間には出来ない、では、人間以上の何者かが力を貸していることになる。何のために? 一体誰が?
 下級とはいえ竜族の力を押さえるほどの力の持ち主など、そうそういる訳がない。
 神や魔族の中でもかなりの実力者でなければ、こんな芸当は出来ないはずだ。
 それほど巨大な力を持つ存在が、何のために、自分達に力を貸すのか?
(恐れることはありません。あなたは、自分の成すべき事を成せばよいのです)
 戸惑う唯の心に、優しく気品に満ちた女性の声が囁く。
 聞く者全てに安らぎを与えるような声音に、唯の心の戸惑いも静かに消えていった。
 そう、自分は成すべき事を成せばいい。
 私は、南深螺殿の暴走を押さえ、彼を竜族本来の姿に戻す。それが使命。
 この力の正体も声の主の事も今は後回しだ。後でゆっくり悩めばいい。
 そう決心すると、唯はためらうことなく自分の脳裏に姿を見せた力の固まり、自分の力の目前に存在する南深螺の核に、その力と意識をのばした・・・・

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