項目名 | 問答無用 |
読み | もんどうむよう |
分類 | 必殺シリーズ |
作者 | |
公的データ | |
感想文等 | たぶん、私が「新必殺仕事人」の第1話に感じたようなことを言っているのだろうけれど。。。 でも、それでも、言い放ってしまうのだ。「問答無用」は、よい。しっかり観てしまう。引きつけられる。 鉄が、主水の使いっ端みたいに見える? 見えませーんっ。「待ってろよ、いいな! 待ってろよ!」と石段を駆け下りる姿は、実は変わっているはずなのに、かつての「必殺仕置人」時代の鉄が戻ってきたように感じさせる。最後に、小判を隠し持ってて、主水に小突かれて、そのあと何だかかっこつけてくっちゃべっているところもいい。 沈んでいく小判たちを見て唖然としていた巳代松が、まだ全然どんな奴なのか視聴者に判っていないんだけど、「俺みたいな運の無い奴は欲張っちゃだめだ」みたいなことを言って笑う、それが後々の巳代松にしっかり似合っているのも、よい。 岸田森に対して、主水が「しみじみ」でも「ぼんやり」でも「虚無的に」でも「暗く」でもなく、何とも曰く言い難い感じに語りかける、その語りかけ方や、セリフの内容自体が、何とも、よい。 「これから私は、徹頭徹尾、手抜きで行きます。仕事なんか、しやしません」。 そして、主水はそれを守って生きていったわけだ。。。 「可哀そうじゃありませんか。。。」 こんなしんみりとした主水を観たこと聞いたことありますか。それまでに。ないでしょう? 私もない。 だから。この「新必殺仕置人」第1話は、よい、のだ。それについては、全く、問答無用なのであります。 新しい、主水と鉄の、そして巳代松、正八、おていたちの物語が始まる。(おっぺ) この第一話を見返して感慨深いのは、やはり主水と鉄の再会、この2人の、なにがなし距離感を探りながらの、しかしやはり根っこのところで安心し信じている、そんな関係性の見える辺りか。 実のところ私はリアルタイムで放映順にシリーズを見ていられたわけではない。本放送を意識して見た最初は何しろこの「新仕置人」よりあとになる「必殺商売人」だったし、そのあとも誠実に見続けていたわけでもない。再放送の「仕留人」から面白さにだんだん勘付き始め、この「新仕置人」の最終回手前「愛情無用」で陥落するまで、「どうせ時代劇なんだし」とシニカルに捉えようとしていた、その程度の視聴者だったのだ。 だから要するに、最初の「仕置人」も念仏の鉄も知らないまま、この「新必殺仕置人」を見たわけなのだ……初めてのときは。 これはどうしようもないわけだが、悔しい感じは否めない。主水と鉄の再会という、いわば最上級の感慨を、完全な形で味わうことができず、そしてそれは2度と適わないことなのだから。 それでも、感情移入はできる。「仕置人」当時の関係そのままではもはやお互い居ることはできず、しかしやはり他の誰たちとも分かてない安心感を共有できている、そんな微妙なスタンスなど―― この第一話では、この「主水と鉄」が中心に描かれるので、他の仕置人たちはやや薄いはずなのだが、寅の会、虎、死神、正八、おてい、と意外にこの1話だけ見ても印象が強い。おていは、前作「仕業人」のお歌から引き続いて中尾ミエが演じているのだが、全く違うキャラクターとして存在できている。 唯一、己代松だけはまだこの第一話では彼の持つ魅力は幾らも出ていない。むしろ、それを出すとこの回での主眼「主水と鉄」が弱くなるからだろう。それだけの魅力が己代松というキャラクターにはある。水島新司の「大甲子園」で、ドカベンの明訓高校と真田一球率いる巨人学園とが立ちあったとき、話の途中からいきなり一球さんの描写が薄くなり、その能力もキャラクターも十分に描かれないまま試合が終わったのにも似ている。これなど、あまり真田一球に筆を費やすと、どう考えても真田巨人が負けてくれそうになかったからではないかとさえ思えるのだが、それはさておき―― この第一話「問答無用」を見直して感じるのは、「新仕置人」は『感傷の物語』だったのかもしれない、ということだ。ファンムックやサイトを眺めていると、必ずしもこの「問答無用」や「新仕置人」の評価が高くない場合もある。たとえばそれは念仏の鉄のキャラクターが、かつての「必殺仕置人」と比べてパワーダウンしているとか、「仕置屋」や「仕業人」などと比して『仲良しクラブ』になっていてハードさに欠けるとか、いろいろな感想があがっている。 だが、「問答無用」の最後の主水の仕置の場面、感傷のテーマとも呼べそうなBGMの流れる中、与力筑波に訥々と語る主水――これまでこのような主水、このような仕置シーンが存在していただろうか。 「可哀想じゃありませんか……」 憤りというより、心底悲しそうに聞こえる主水の言葉――。 そしてこの先、かつてなかった長丁場を「新仕置人」は己代松や正八という感情過多なキャラクターを据えて、突き進んで行くことになるのだ。 だから―― 「新必殺仕置人」は決して「必殺仕置人」のリメイクではないし、続編でもない。本当に「新」なのだ。「仕留人」「仕置屋」「仕業人」が前シリーズをそのままキャラだけ取り替えて継承したのではなく、その都度何かしら「次」のテーマ性を背負っていたように、やはり「新仕置人」も「仕業人」の続きでも「仕置人」のリメイクでもない、新しい作品に違いなかったのだ。 感情と感傷の物語、といったんここでは言ってしまっておこう。「新必殺仕置人」は、「仕置屋」「仕業人」と修羅の道程を墜ちるばかりだった中村主水が、あらためて感傷と向き合うこととなった、そんな時間だったのだ……(おっぺ) |