感想文等 | 運命だーーーー。 ・やっぱり特別な人なのよ ・孤児シリーズの詩のような言葉たち、恋愛今昔物語のテンポのよい文章。 ・救われ続けました。 ・一生好きだと言えます。 ・一生好きだと言えます。 ・何度読んでもあらたな疑問や発見が生まれます。文章が実に美しい。 ・今までで一番共感でき、惹かれる方です ・優しくて切なくて震える作品多し ・日本語の美しさを知りました。 ・一生大切に読み続けたい作品です。 ・人生の書、何度でも読みたい・・・
「恋愛今昔物語」シリーズの存在があるように、佐々木丸美のミステリもSFロマンも、テーマは結局常に女性たちの業火のような恋愛である。唯一、最も本格ミステリの体裁に則った「崖の館」がそこから外れた感もあるが、あれは、棹子の千波への物狂おしい恋愛感性だったような気もする。「忘れな草」が葵と楊子の戦わずにはいられない激しい愛憎だったのと同じに。 愛がすべて――語られる青春も友情も、全て“愛”に向かって組み立て作られていく。登場人物たちが傾倒する哲学も心理学も、やはりヒロインの愛のパーツ、ピースに連なっていく。 どんなに離れても失われても、距離ばかりか時間も“世界”さえも超えて、彼女たちは愛を抱き、取り戻し、身を焼き続ける。それは妄執として殺人にも裏切りにも走ることもある、そんな危うさを孕みもしているが、比類ない強さと純粋さに結晶もできる。これは裏腹、二律背反、それであるが故に尽きることなくスリリングだ。 「雪の断章」「忘れな草」「花嫁人形」「崖の館」「水に描かれた館」、いずれにおいても、まだ“愛”は成就するところまで描かれていなかった。あるいは成就に程近くとも、代償として失われたものがあった。「夢館」においては、転生輪廻の業まで駆使して、ついに恋愛を成就させた。ここまでにどれだけの雪が降ったことだろう。しかし、それでもまだやり残したことがある。 全ての恋愛を成就させるために。 だから、“伝説”はさらに深く、強く、語られ始めたのだ。「風花の里」という触媒を経て、「影の姉妹」「沙霧秘話」のバックボーンを得て、「恋愛今昔物語」「舞姫」の実践編を加え、「罪灯」「罪・万華鏡」を規範として。 伝説は――さらに深く、強く。 待ち続け、仮に与えられることなく、この世での語りは終わっても、またいつか巡り会えるだろう。それがまた1つの伝説になるだろうから。(おっぺ)
昔、三原順が死んでしまった時、それを知ったのも随分後になってからだったと思う。出勤中、バスの時間待ちで覗いた書店のレジ近くだったはずだけれど、『ビリーの森ジョディの樹』2分冊が平置きされていて、そして帯が、帯に書かれた文字があって、それでいきなり知らされたのだ。帯の文句は、『ああ、もう読めない!』。そのときの心が真っ白に、空っぽになったような感覚は、けして忘れられない。 好きだった作家さんが、読者のこちらがまだ生きているのに、先に次々と逝ってしまう。鮎川哲也も高木彬光も都筑道夫も星新一も半村良も、もういない。作品だけが、ひっそりと残っている。 そして、単に「好き」というだけでは済ませない作品の作家さんが失われてしまったとき、もうそのときには、「ああ……もう読めない!」と泣くしかできない。 遺された作品だけでは、まだまだ足りない。もっともっと読んでいたかった! もっともっと、あの登場人物たちの行く末を知りたかった! ――まだ、終わってなどいないのに! ……佐々木丸美は実質筆を折った状態で、新作も続編も、恐らく望めるものでもなかったのだろう。 けれど…… 聞き知る丸美さんの様子はまるで世捨て人のようで、かたくなで、孤独で、なんだか楊子さんみたいに感じられるときもあった。求めるものがついに得ることあたわず、独りぼっちで、泣き言は言えないで……そして寂しく年老いてしまったのなら――。 けれど、送り続けていた手紙達を、箱に入れて大事にしてくれていた、それを聞いた時、決して丸美さんの心は凍てついてなどいなかったのだと、あの豊かな感性・感情・情動を干からびさせてしまってなどいなかったのだと、そう思えて…… それだけで、もう、胸がいっぱいになってしまったのだった。なんだか、……よかった……と思えてしまったのだった…… (おっぺ@本岡家)
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