[ 半熟妖精記 ] 文:マスタードラゴン 絵:T-Joke

エピローグ 姉達の憂鬱

 広大な土地を所有するこの辺り一帯で最大の地主。
 一寸した地方領主並の領地を支配する主人達が暮らすその家は、辺境の山奥には不似合いな豪邸だった。
 有力な大貴族の館や王宮ほどの大きさではないにしても、地上三階、地下四階を数え、中庭は当然として、空中庭園まであるというかなりこった建物だった。だが、この建物の最大の特徴は大きさではなかった。
 神殿と見紛う荘厳なたたずまい。
 長い歳月を得て培われた威風堂々とした雰囲気。
 王宮や貴族の館と違い、不必要な華美さや押し付けがましい派手さはないが、決して質素というわけではない。無駄な飾りがないだけで、要所要所には美しさを引き立てる装飾品――それぞれが美術品として途方もない価値がつきそうなものばかり――がさりげなく配され、この館を作った者の美的感覚(センス)が傑出したものであることをうかがわせる。
 決して派手ではない。見様によっては地味な建物。だが、なぜか引き付けられる魅力を持つ、そんな建物。
 そして、見る目を持つものならば、この建物が普通ではないことにすぐに気がつくだろう。
 普通の人間が建築す(たて)ることは決してできない。そして、不用意に近づくことさえできない。それは館の姿をした神域(かみのせかい)であった。
 その豪邸の二階にあるサロンでお茶を飲んでいた、漆黒の髪を背中の中ほどまで伸ばした金銀妖瞳の妖艶な美女――この館の製作者にして本来の主人――は、自分の部下の報告を受けてその美しい眉をしかめた。
「同行者? それも女ですって?」
「……いえ、女と言うより、まだまだ"小娘"というレベルの者ですが……」
「小娘でも女は女よ……だから旅には出したくなかったのに……」
 その報告はかなりその美女にとって不愉快な物であったようだ。金色の瞳と淡く青みがかった瞳を細め、イライラと落ちつき無くティーカップを爪ではじく。
「ま、何事も人生経験だ。そうムキになるな」
 彼女の前に座っていたショートヘアの金髪の大柄な美女が紅茶を飲みながら、黒髪の美女を宥めた。
 芳醇な香りを楽しむために閉じられた瞼が開かれると、そこには極わずかに苦笑の色をたたえた黄金の輝きが現れる。
「……女は女……私の敵になってもらっては困るわ……」
「おいおい、"私の"ってのはどういう意味だ?」
「別にぃ、深い意味はないわ」
「ほほおぉ……」
 二人の間に険悪な空気が流れる。そんな雰囲気を気にすることもなくもう一人の館の主人が現れ、二人に声をかけた。
「二人とも、何を睨み合っているのですか?」
 三人目の銀髪を腰まで伸ばした、たおやかな美女に黒髪の美女は怒りの矛先を向ける。
「そもそも、あなただったわね……人間らしい感情を持たせるために、旅に出せって言ったのは!?」
 銀の美女を見る金銀妖瞳には剣呑な光が含まれていた。
「わたくし達が過保護に育てては、ご主人様を一人前の男に育てることはできませんわ。
 違います?」
 銀の美女は黒髪の美女の殺意にも等しい眼光を受けても動じることなく、その銀色の瞳で黒髪の美女を見据えて答えた。
「……私もメイルも結構厳しく教育(スパルタ)していたつもりだけど……」
 厳しい教育という彼女の言葉に偽りは無い。彼女は常に冷静にすべての事象を判断するのだから。
 ただ、あまりに厳しい教育は、彼を人間の常識から逸脱した存在に仕立て上げてしまっていた。そのことに関してまったく頓着していないのは、少々問題であろう。
「知識だけでは正しい成長は得られません。体験することも大切なことですよ」
「確かにその通りだ。頭でっかちでは、あたいらの盟主にふさわしくない」
「……分かっているわよ……それくらい……」
 二人の意見が正しいことくらい、とっくの昔に知っている。いや、自分自身その考えはあった。だからこそ彼が旅に出ることに反対しなかった。そして、その旅で同行者が現れることも、彼女には予測済みのことではある。
 寂しくならないように、自分の部下の中でも最も腕が立ち良識もある朱雀を付けてはいたが、人と精霊とではやはり存在自体が違いすぎる。人の同行者を彼が求めるのは当然のことではあるのだが……
「女は出来るだけ近づけるなって言ったのに……」
 なんと言っても最大の問題がそれだった。旅に出れば色々な人間と出会うことがある、その時頼りになる人生の先輩となるような大人の男との旅になればいいと彼女は願っていたのだが……。
「よりにもよって女! しかも殆ど同年代の餓鬼!!
 同行者としては最悪のパターンだわ!!」
 頭を抱えて黒髪の美女は呻いた。
「何言ってる? 今回の場合は似たような年で良かったじゃねえか。
 これが百戦錬磨、男を弄ぶことを知り尽くした妙齢の女だったらなら……」
 事態はより悪化したに間違いないと金髪の美女が笑ってみせる。
「何をのんきなことを……
 そういう手練手管を知り尽くした女の方がマスターは耐性があるのよ。
 むしろ、保護欲をそそるような頼られるタイプの方がマスターにとっては鬼門だわ」
 黒髪の美女は低い声で唸った。
「そうですね……手練手管の限りを尽くす悪女なら間近で見慣れていますもの。
 十分に耐性を持っておられるはずですわね……御主人様は」
 笑いをこらえて銀髪の美女が頷くと、黒髪の美女は先ほど度は比べ物にならないほどの恐ろしい視線を銀の美女に向けた……が直ぐに口の端をあげて答える。
「ふっ……
 旅に出るなら、そういう危険な女に対する心構えは絶対に必要だからね。
 何事も経験ってことよ。私だって好きでしていたわけじゃないわ」
 銀髪の美女は笑いをかみ殺し、金髪の美女は苦虫をかみつぶしたような表情をする。
「……ほとんど本気でチョッカイ出していたくせに……」
「なんですって?」
 黄金の双眸と金銀妖眼の視線が真っ向からぶつかり合う。
 再び二人の間に危険極まりない空気が流れる。しかし、銀髪の美女はそれを横目で見ながら優雅に紅茶を味わう。主人にして守るべき"彼"がこの家から旅立ってもうすぐ4年になる。こんな事はもはや日常茶飯事であった。いちいち構っていてはきりがない。
 いや、下手に押さえるとかえって欲求不満が募り、いずれは大爆発を起こすことになるだろう。むしろ普段から爆発させてガス抜きをしていた方が安全なのである。
 それに端から見ているほど危険な物でもない。二人にとってはまさにストレス発散の姉妹喧嘩のじゃれあいにすぎないのである。
「……あの……お取り込み中誠に申し訳有りませんが……報告の続きがあります……」
 おずおずと黒髪の美女の前にある小さな炎が揺らめき、言葉を続けた。
「なあに? これ以上何があるの?」
 艶やかな黒髪をかき上げ金銀妖瞳に剣呑な光を宿して小さな炎を睨み付ける。
「……え……ええ……と……悪い報告……かも知れませんが……」
 その眼光に完全にビビリまくったらしい、その声は後に行くに従ってどんどん小さくなっていった。
「大丈夫です。その出来事についてはあなたに落ち度はないのですから……
 そうでしょう? ミューズ」
 銀髪の美女が小さな炎に優しく語りかけ、傍らの黒髪の美女に視線を向けた。
「分かったわよ……ご免なさい八つ当たりしてしまって……それで、何なの?」
 自身の感情を押さえつけ、冷静な口調で炎に尋ねる黒髪の美女。その落ちついた声に、炎の方も安心したらしく言葉に力が戻ってきた。
「はい。実はその同行者の少女ですが……ハーフ・ダークエルフなのです」
「ハーフ・ダークエルフ?」
「それはまた……珍しいな」
「本当に……それで御主人様も興味を持たれたのですね……」
 三人三様に驚きの声が上がった。何しろ、ハーフ・ダークエルフは殆ど例外なく成長するとこの世から消え去るのだ。人の血を捨て純粋なダークエルフとなる彼等が長い時間ハーフであることはあり得ないのだから。
「その娘……年齢は?」
「19才とのことです」
「……19才……人の血を捨てるのには十分な年齢ね……」
 一般的にハーフ・ダークエルフが人の血を捨てるのは15歳前後と言われる。それを考えれば彼女がハーフでいるのは確かに奇妙だ。
「マスターらしいわね……はみ出し者に情をかけるか……」
「まあ、そういう理由ならしかたないな」
 彼が世間の規格からはみ出した者に情を寄せるのはいつものことであった。それを考えれば、その少女が同行者となるのは殆ど必然であったかも知れない。
 黒髪の美女と金髪の美女は苦笑するしかなかった。
「いいことですよ。一人より二人旅の方が御主人様も人としての感情を学びやすいでしょうし……」
「それほど感情が大事とは思えないけどね……、感情のせいで判断を誤ることだって有るのに」
 感情を貴重な物と考える銀髪の美女とそれほど感情を重要視しない黒髪の美女の意見がぶつかる。
「人として生きるには必要なことです。感情を持たない者に感情を持つ者の心を理解することは出来ません」
 それが正論であることは分かっている。だからこそ彼が旅立つのを認めたのだから。
 だが、感情が邪魔になることも確かではある。
「ま……その辺りは私達がフォローすればいいのは分かっているんだけど……」
 いつもの結論に達し、ため息を付く黒髪の美女。
「ハーフ・ダークエルフと旅をするといろいろとトラブルが付いてくるわよ。
 人間やエルフなどの間では特にね。それはどうするの?」
 黒髪の美女の疑問に金髪の美女が答える。
「それくらいは覚悟の上だろう?盟主なら何とかするさ」
「そうですね。それこそ、何事も経験ですわ」
「……まあ、それはそうなんだけどね……」
 金髪の美女と銀髪の美女の言葉に、黒髪の美女は疲れたように呟く。
 ただ、三人ともダークエルフのことについては全く心配していなかった。
 ダークエルフにとって子供がどれほど貴重な存在かは誰でも知っている。
 ハーフ・ダークエルフを取り戻すために一つの町を滅ぼした例さえ有るのだ。
 子供のことになると手段を選ばない彼等に狙われることになるというのに、その点に関しては彼女達は全く心配していなかった。
 彼女達は自分達の教育に絶対の自信を持っている。ダークエルフやそこらに転がっている魔獣や妖魔ごときに後れをとるような軟弱な育て方はしていないという自信はある。その程度の自信がなければ、いくら精霊を"お目付役"に付けたからと言って、まだ幼い彼を一人で旅に出す訳がない。自信と信頼が有ればこそ彼を旅に出すことができたのだ。
 そして、実績もあった。これまで幾度も戦いを経験し、一度としてダークエルフに後れをとったことはないのだから。
 心配の種は純粋に第三者とのトラブルである。が、その程度の覚悟をしょい込むくらいの責任感と能力もあるはずだ。無責任な行動をとるような思慮成しに育てた覚えも三人には無い。
「まあ、いいわ。その娘の同行は認めます。
 ただし、彼女がマスターに対して不利益な行動をとることがあったら……」
 静かな殺気のこもった言葉に小さな炎も姿勢を正した……様に見えた。
「はい。それは十分承知しております……それでは、ミューズ様、今回の報告はこれで」
 それを最後に、小さな炎は空気に溶けるように消え去った。
「……私の恋敵(ライバル)にならないことを祈るわ……」
 黒髪の美女の囁きに金髪の美女は柳眉をつり上げた。
「だから、その"私の"ってのはなんなんだよ!」
「言葉通りの意味よ。何か文句でもあるの?」
「大ありだね!! "私達の"だろうが!!」
「……」
 二人のやりとりに呆れながら、銀髪の美女は黄昏の空に銀の視線を向ける。
 この空の下、彼女達が敬愛する主人は新しい同行者を得てのんびりと旅を続けていることだろう。
「御主人様、楽しい旅をなさって下さい。
 それはきっと掛け替えのない財産になるはずですから……」
 彼女の祈りは誰の耳にも届くことなく、大気に溶け消えていった。

 おしまい。

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