[ 半熟妖精記 ] 文:マスタードラゴン 絵:T-Joke

第二章 絡まる”いと”

 街道を北に向かう一人の女性が居た。
 旅人であろうか?
 外套を着込み、日除け用の鍔の広い帽子を目深にかぶって顔の半分を隠しているので容姿は良く分からない。
 帽子の影から見える整った鼻と小さめの口、形のいい顎の線から見るとかなりの美形のように見える。
 身長は平均的な成人女性よりやや高め。
 外套の前をきっちりと閉めているため体格も持ち物も全く分からないが、僅かに見えるやや褐色の足の細さは間違いなく女性の物だ。
 そして、何気なく歩いている彼女が、魔道を使う者であることもその様子から知ることが出来る。
 すでに正午をすぎ、周囲の気温は40℃を越えている。この暑さの中、外套の前を開けずに平気でいられるのがその証である。
 魔道を使う者は暑さを避けるために自分の周りの空気の温度を下げる術を使う。
 この術は極めて簡単なので、暑い場所にいる魔道士は例外無く使う。当然、外套などを着ているときは冷気を逃がさないようにしっかりと着込む。
 暑い場所で厚着をしている者が居たら、我慢大会の会場でもない限り、まず、魔道士だと思って間違いない。
 ただ、時として盗賊などから身を守るために一人で旅する者が、魔法使いの擬態として暑いのを我慢してそのような格好をすることもあるが、そうそう長くは持たないし、なにより汗のかきかたを見れば見破られてしまうことの方が多い。そんな思いをしてまで擬態をする物好きはそうは居ないのである。

 彼女は帽子を持ち上げてあたりに視線を走らせる。
 周りには人影も気配もない。ただ、道に沿って茂る森が、なだらかな街道があるだけだ。
 このあたりは平和であり一人旅でもそれほど危険はない。
 街道は整備され、宿屋や食事所の数も十分にある。遠く西の地では強大な軍事力を持ったリティグアと、大陸五古王国の一つ、"うつろいの王国"が戦端を開いたと言う噂も流れているが、このあたりまでは戦火も届いては居ない。
 だから、一人旅というのはそれほど珍しい物でもないが、それでも、盗賊などの非合法的経済活動を行う輩は皆無とは言えないので、魔力や武力に自信のない者は一人で歩かない方が無難であろう。
 近くに人の気配のないことを確認すると、彼女は再び帽子を目深にかぶり直し足を早めて歩き出した。
 背中にかすかな視線を感じながら・・

 その視線の主達は森の中にいた。
 彼らは一見人に極めて近い姿をしていた。
 少し華奢ようではあるが弱さと言うより鋭ささえ感じさせる雰囲気を持つ男達。
 褐色の肌は灼熱の太陽に焼かれる熱帯にすむ者としてはむしろ当然であろう。
 顔の造形は鋭い目と引き締まった口元をもつ一目で戦士と分かるような男達。
 しかし、彼等の特徴はその雰囲気ではなく外見にあった。人には決してあり得ない細長く伸びた耳が。
 その中の一人は顔全体の造形が他の者達より整っており、もう少し眼光の鋭さが弱ければ"危険な匂いのする美青年"として町でも評判のプレイボーイになれたに違いない。しかし、彼の眼光は"危険な匂い"等というレベルを逸脱し、さわると切れるような刃物のごとき鋭利さを秘めている。
 また、細身の彼等に混じって、唯一人太めの髭を生やした男が居た。普通の人間ならば多少太めと言われる程度のものなのだが、なにしろ、他の男達が悪く言えば華奢な感じさえする程に痩せているので、やたらと目立ってしまうのである。
 その太めの男が不機嫌に呟いた。
「あれがあの娘だと? まるで別人ではないか」
 彼――ゼラフェル――はレザイアを見る。
「間違い有りません。ゼラフェル殿の神官証の反応は確かにあの娘からします。
 おそらくはお得意の幻術を使っているのでしょう」
 幻術によって姿を偽っているために神官証の反応も鈍いのだ。レザイアはそう説明した。
「古来より言うところの、体隠して尻尾隠さずと言うところですな」
 レザイアはかすかに笑みを浮かべる。彼は自分の敗北を償う機会を得たのである。
 昔、まだ人間が強欲で他種族と険悪な仲であった頃、人間に興味を覚えた魔狼一族の若者が人間に化けて人間の都市に遊びに行ったとき、うっかり尻尾を見せてしまい正体を看破され、さんざんな目にあったという話がある。その逸話から生まれた言葉で、自分はうまく化けているつもりでも他人にはばればれであることを皮肉るときに使われる格言である。
 今でも人間の強欲さは変わらないが、他種族と人間の間には有る程度の協調関係が生まれつつあるため、尻尾を出していても笑われたり、指をさされる程度ですむような時代になった。それでも言葉は生き残っているのだった。
 レザイアは彼女の正体を看破したがゼラフェルはそうではなかった。
 情けないことに戦闘力で三流以下のゼラフェルは魔道に関しても二流以下である。自分自身の持ち物がどこにあるのかさえろくに探知できない彼にとっては幻術によって反応の弱まった神官証を見つけることは不可能だった。
 とはいえ、自分の財布を盗んだ"けしからぬ"小娘が居るという現実を認識すると、あの小娘にしてやられたときの怒りが瞬時の内に彼の心に燃え上がる。その怒りは直ぐに言葉の姿をして彼の周りに居る者達にたたきつけられた。
「ならばさっさと奴を捕まえろ! 何を呑気に見送っている!!」
 ゼラフェルが声を荒げた直後、彼の後ろにいた男が彼の口を手で押さえた。
「し! あの娘に気づかれたらどうするつもりですか!」
 低く鋭い声でセリジェがうなる。手で押さえられながらももぐもぐと文句を言うゼラフェルを睨むセリジェ。彼はもはやゼラフェルに対して侮蔑の思いを隠すことさえしない。この男は帰国後地位を失うで有ろう。それが皆の目には明らかだった。神官の地位を失う男にいつまでも礼を尽くす必要をセリジェは認めなかった。そしてそれを誰も咎めない。元々人望などほとんどなかった男なのだ。
「ゼラフェル殿、今しばらくご辛抱を。今ここで無用に動いても奴は逃げ去るだけです。十分に包囲を完成させねば前回の轍を踏むだけです」
 レザイアは慎重だった。慎重にならざるを得ない。今度失敗したら間違いなく彼女を捕らえることは不可能になるであろう。そうなれば自分自身の責任問題ではすまされない。
 レザイアにとってあの少女は既に"生意気な小娘"などではない。
 大妖術士ベフェルの力をその身に秘めながらダークエルフを憎んでいる"潜在驚異"なのだ。ここで逃がせば数十年後、あるいは数百年後にダークエルフにとって強大な敵となって自分達の前に立ちはだかるかも知れないと言う恐怖さえ感じていた。事は己の進退のみならずダークエルフ全ての命運にさえ関わる重大時なのだ。失敗は絶対に許されなかった。
 なおもブツブツと呟くゼラフェルをレザイア達は無視した。これ以上ゼラフェルにばかりかまっていられないのだ。
 その姿を偽った少女はすでに彼等の視界から消えかけている。そうとう早足で歩いているのだろう。あるいは、幻影を見せながら本体は走っているのかも知れない。
「よし、後を付けるぞ。悟られるな」
 レザイアの言葉に彼の部下は勿論、ゼラフェルの部下も頷く。唯ゼラフェルだけが未だにぶちぶちと文句を言っているようだった。

 日が暮れてきたので、彼女は宿に泊まることにした。いつも山の中で暮らしていた彼女にとっては野宿も苦にならないが、もしも誰かに狙われていた場合流石に野宿は危険すぎる。特に今回は、ダークエルフが相手なのだ。山道で一人で居ることは襲って下さいと頭を下げているも同然だった。そう、彼女はダークエルフを完全にまけたなどと思い上がってはいなかった。自分の策はせいぜい時間稼ぎ程度のものだと思っていた。そして、その懸念が現実であることを彼女は知っていた。複数の得体の知れない視線を微かに感じていたし、何よりも彼女の相棒がダークエルフの存在に気づいていたのである。
(……しっかり、後を付けられていたわね)
「……簡単にまけるとは思わなかったけど……少し早すぎる」
 探査系の術はその大部分が風の系列呪文である。水や地の属性の術もないではないが、使い勝手等を考えると風の術が圧倒的に主流なのだ。そして、自分には下級とはいえ風の精霊の加護がある。それなのに、これほど早く居場所を知られるのは奇妙なことだった。
「手がかりなんて残さなかったと思うけど……」
(そうね……そうなると……)
 考えれられるのは何かの目印が有ると言うことだ。だが、たとえ目印があるとしても風の術に感応する物ならばフィレンが気づかないはずはない。
 一つだけ彼女には心当たりがあった。神官から失敬したあの財布である。
 その心当たりを確認しようとした彼女だったが、突然、体が不満を訴えた。
 グウゥゥ〜
「………………」
 突然の訴えに、少女は顔を赤らめた。
(…………)
 しばしの沈黙。
「……ご、ご飯にしようか……」
(良いの? ダークエルフのことは?)
「後で、ゆっくり考えればいいわ、空腹じゃ良い案も浮かばないわよ。
 第一、宿代を払うときに確認すればいいことだわ」
 今直ぐにダークエルフが襲ってくることは考えられない。ダークエルフは人間が大勢居るところで騒ぎを起こすことはほとんど無い。彼等は人間に警戒されることを極端に嫌うのである。宿屋等の人目の多い所で行動を起こすことは無いはずだ。それなら、何よりも食欲を優先するべきである。少女はそう結論づけた。
 だからといって、油断しているわけではない。部屋を留守にしている間に部屋の中に潜まれることもあり得るのだ。用心するに越したことはない。
 宿屋に自分の寝床を確保すると、ダークエルフから身を守るために、そして、美女と見れば見境無くよってくるスケベ虫や害意を持ってやってくる毒虫共への牽制の意味も込めて自分の部屋の扉に結界の文様を描いた紙を貼り付け、部屋の床に自分のマントの裏地に仕込んであった結界魔法陣を描いた布を広げると厳かに呪文を唱える。彼女の短い呪文が終わると布地の魔法陣が薄青い光を放つ。しばらくすると、光は消え何の変哲もない布地となるが、これで魔法陣の発動は完了した。この部屋には彼女以外には誰も入ることの出来ない閉ざされた世界となったのだ。
 完璧とは言えないまでも、これで少なくとも眠っている間に不意をつかれたり、自分の不在の間に部屋の中に潜まれたりすることはないはずだ。
 部屋の安全を確保すると、彼女の腹はさらに空腹を訴える。考えてみれば朝から何も食べずに逃げ続けていたのだから、彼女の健康すぎる体が空腹を感じるのはむしろ当然のことだ。時計を見ると既に夕食時も過ぎつつあった。今日の唯一にして最後の食事をするために彼女は食堂へと向かった。
 彼女の部屋は二階の南はしにある219号室。食堂は一階の東側にあるため、歩いていくとちょっとした距離になる。
 彼女にあてがわれた部屋と食堂の間には八つの個室があったが、その全てがふさがっているはずだ。今は人の気配は感じないが、部屋を取るときに211号室から218号室まで全てに客が泊まっていることを彼女は宿帳で確認していた。
 階段のすぐ脇にある211号室まで確認して彼女は頷いた。八つの部屋全てに人の気配がない。八つの部屋全てが同時に無人なのである。彼女はその事にさして驚いた様子もなく、さりげなく周りに視線を走らせる。
 そして誰も居ないことを確認する。
「頼むわねフィレン」
(ええ……)
 少女の呟きにフィレンは八つの個室の中を探る。その中にある空気の質を読み、その部屋を誰が何時使ったかをおおざっぱに調べた。
「どう?」
 少女の問いかけに精霊は頷いた。
(あなたの想像通りよ……誰も使っていないわね)
「やっぱりね……」
 少女は自分の予想が正しかったことを確認し、納得顔で頷いた。
 空室を使用しているように見せかけ、わざわざ離れた部屋へ自分を入れた宿屋の主人に良からぬ下心があることは彼女には容易に想像が付いた。
 そして、少女はそのまま食堂へと向かった。

 食堂に現れた彼女の姿を見て、先客達は感嘆のため息をついた。それも無理のないことだろう、魔法で肌の色をごまかしさえすれば、まだ幼さがあるとはいえ彼女の姿は滅多にお目にかかれない程の美しさなのだ。
 すらりとのびた肢体。華奢な感じさせさせるほど細い体であるにも関わらず出るべき所はしっかりと出ている。胸は一般的な女性よりも多少小振りなのだが体の細さ、特に腰が引き締まっているため実際よりも大きめに見える。細い切れ長の目に宝石のように輝くダークブラウンの瞳。少し太めの眉が意志の強さを感じさせる。
 すっきりとした鼻梁に続く小さめの口には淡いピンク色の薄い唇。その唇が色気よりも清浄さを感じさせる。

 男達が感嘆の視線を送り、女達は嫉妬の炎を瞳に燃やす。
 さて、美しい女性の一人旅ともなれば好奇の目が向けられるのは当然である。その中には下心が山盛りの者も居るだろうし、もっと積極的な女性に対する害意や悪意を持つ者も居る。
 そう言った男達は瞳に凶暴な光を一瞬宿すが、直ぐにそれを消し去って何食わぬ顔で彼女を眺めやった。

 有る者はその視線に猥雑な感情を秘めて。
 別の有る者はその瞳に品物を値踏みする商人としての観察力を込めて。
 異様に注目を受けた客は一人黙々と食事をし、それを終えるとさっさと自分の部屋に引きこもってしまった。
 彼女自身は注文する以外に一声も発しなかったのだが、彼女が食べ終わるまでの数十分に十人近い男達が彼女の席に入れ替わり立ち替わり訪れては何かと彼女に話しかけた。しかしそれらを彼女は完璧に無視しきった。
 男達の下心が丸見えだったのも勿論だが、何より二食抜きが流石にこたえたらしく、食事以外のことに気が回らなかったのである。

 ギギギ……ギギ……

 床板を微かにきしませて、抜き足差し足で廊下を歩く怪しい人影があった。
 一人は立派な口ひげを蓄えたやや太めの男。
 もう一人は髪を三つ編みにした愛らしい少女。
 男は右手に短剣を持ち、左手にランプをあしらったライトを持って音を立てないように慎重に足を進める。
 少女の方は右手に縄を左手に鍵束を持っていた。
 ギリギリまで光量を落としたライトの明かりはとても頼りないものだったが、扉の隙間から部屋の中に光が漏れることを考えると仕方がなかった。
 頼りない明かりに浮き上がった男の顔は、この宿に来た者達が一度は見ている顔である。なぜならいつも客が訪れるときには決まって顔を合わせる相手――宿の主人――なのだから。そして、少女は彼の娘であった。
 古いアンティークランプのデザインで作られた上品なライトはその姿に似合わない役目を与えられていた。
 一般的なランプが油を使い火を燃やすことによって明かりを得るに対し、このライトは工房で加工された雷霊石を元にして明かりを作り出す。ランプと違って光量の調整も自由であり、火を起こす手間なく点灯させられるので極めて便利な代物である。
 雷霊石そのものはそれほど珍しく無い物だが、それを利用した器具を作るのには極めて高度な技術が必要であるため決して安い物ではない。まして、芸術作品といっても通用しそうな程に美しい装飾を施されたこのランプ型ライトの値段が安いはずもない。
 この安宿の主人にすぎない彼には、どう考えても不似合いな代物である。一体どのようにして彼の手に入ったのだろう?
 それは彼のこれからの行動で追々分かるであろう。

 宿の主人がこんな夜中にわざわざ客室を訪れるのはどういう了見であろうか?
 緊急の伝言でもあるというならもっと他にやりようがあるはずだ。そう、彼等がよからぬ事を考えていることは明白であった。
 やがて彼等は扉の前で止まった。
 しばらく身動きさえせず息を潜めて扉に聞き耳を立てる。
「……どう? 寝てる」
「……物音もしていないし。大丈夫だろう」
 少女の囁きに、男は声を押さえて答えた。
 それに頷いて少女は鍵束から"219"の数字が書かれた鍵を取り出すと鍵穴に差し込む。
 音を立てないように慎重に鍵を回す。元々音が漏れないように設計している上に十分に油もなじませてあるから音はたちにくいのだが、それでも完璧とは言えない。
 鍵が最後まで回りきると"コトン"と鍵が外れる小さな音がした。この音だけは消すことができないのだった。
 再び二人は扉に耳を押し当てる。だが、部屋の中から物音はしない。どうやら気づかれなかったようだ。
 二人は目配せして頷く。少女が扉の丸い取っ手をつかみゆっくりと回す。これも特別の仕掛けがあり音が出にくいようになっている。その事に気づく物は殆ど居ない。普通に捻れば少し低めであるが音は鳴るし回すときの手応えにも殆ど違和感はないのである。だが、このように静かに回すと音の漏れにくい構造に作られていることが良く分かる。がちゃりと言う音が殆ど聞こえないのだから。
 息を殺して扉を開けようと腕に力を込める。ところがどういう訳か扉はぴくりとも動かない

「? どうなってんの?」
 呟いた娘に父親が声を潜めて問いただした。
「何をやっているんだおまえは? さっさと開けろ」
 父がせかすが扉はびくともしない。
「早く開けろ!」
「開かないのよ!」
 父の非難に娘は声を抑えながら反論した。父は娘を押しのけドアノブに手を伸ばす。
「何を馬鹿な……開かない?」
 扉を開けようとして、父は娘の言葉が真実であることに気がついた。
 取っ手は何の抵抗もなく回る。それなのに扉がぴくりとも動かない。力を込め、全体重で引っ張っても、まるで巨岩を引きずっているかのように微動だにしないのだ。
「どうなっているんだ?」
 男は訝しげに首を捻った。
 これが、押し扉ならばわかる。扉の裏側に何かを立てかければすむ事だ。だが、引き戸となると、いったいどんな手段を使っているのか?
 ロープでも持っていたというのだろうか。それにしても、まったく動かないというのは奇妙な事だ。
 例え、ロープをベッド等の足に結び付けいたとしても、まったく動かないという事は無いはずである。よほど正確に長さを調節しない限り。
 ところが、今回、扉はピクリとも動かなかった。それこそ、1ルカール(ミリ)も動かないのだ。扉の鍵をかけて、なお、これほどまで正確にロープで扉を固定するとは常識では考えにくい。
 そう、普通なら。普通の宿屋に泊まった客がここまで警戒するなど考えられなかった。つまり、この部屋の客は自分達の事を、この宿の正体を知っているという事になる。
 ならば、なおさら何としてもこの扉を開けて中の客を捕まえなければならない。町でこの宿の事を話されては商売ができなくなるどころか、牢獄送りになるのは確定、いや、死刑になる事だって十分にありえる。
 そもそも、部屋の扉を廊下側に開くように設計したのも、元はといえば部屋の中に進入しやすくするためだった。これなら、扉を押さえる事ができず簡単に中に入る事ができるはずだったからだ。しかし、こうなると扉を力尽くで破らなければならない。が、そうすると、かなりの音を立てる事になる。
 こんな夜中に、宿の主人が自分の宿の扉をぶち破る等という非常識な事をすれば、幾ら呑気な旅人でも不審を覚えるはずだ。
 魔術を使えるのなら音もなく扉を開けるくらい簡単だろうが、そもそも、そんな器用な真似ができるなら、わざわざ鍵に細工をしたりはしない。

 深夜に客の部屋の前でおろおろしている父娘(おやこ)。彼等が現状を打開できずに膠着状態に陥っていたとき、新しい展開が訪れる。

 ヴドォォォン!!
 轟音と共に宿の庭に火柱が上がる。
 赤い光はあたりを一瞬真昼のように照らし出した。しかし、再び闇が空間を支配する。
「な! なんだ?」
 突然、轟音と共に火柱が上がれば大抵の人間は目を覚ます。宿泊客が大慌てで部屋から飛び出した。服を着た物。寝巻姿の物、取る物もとりあえず体一つで飛び出す中年の男。小脇にバックを抱えて走り出す女性。子供の手を引いて右往左往する母親。家族と離ればなれになって泣いている子供。
 たちまちのうちに宿は混乱状態になっていた。
 この宿にいた者達の中でこの異常事態を理解していたのはただ一人だけだった。が、異常事態の原因を知っている人物も、まさかこんな派手な行動を相手がするとは思ってもみなかった。一瞬あきれた表情をしたが直ぐにベッドから飛び出すと枕元に置いていた唯一の所持品である鞄を右手に持ち、左手で床に広げていた
 マントを持つと片手で器用に身体に付ける。その間にも口は正確に呪文を詠唱していた。
 結界で部屋を強化し侵入出来ないように扉に魔法錠をかけていたのだが、宿屋が燃えてしまっては意味がない。このままでは宿ごと丸焼きになってしまう。
 呪文の詠唱が終わるとマントが赤紫色の淡い輝きを放つ。それが収まると同時に扉に向かって走り出そうとした。まさにその時、扉が開く。
「あ! あわわわ!!」
 短い悲鳴を上げて、男女が廊下に転がる。扉を開けようと力いっぱい扉の取っ手を引っ張っていたちょうどその時、突然の火柱にその姿勢のままで硬直していた親子である。扉を固定していた力がなくなれば、当然、体制を崩し倒れるのは自然の法則という物であろう。
 それを見て一瞬あきれたが、彼女にもそれほど余裕があるわけではない。直ぐに気を取り直すと、起きあがろうともがいている二人を無視してさっさと部屋から飛び出していった。ご丁寧に、倒れた男の体を踏みつけて……

 走りながら、彼女は自分の目算違いに苦り切っていた。人目のあるところでこれほど派手な攻撃があるとは予想もしていなかったのである。彼女にとってはとんだ誤算だったが、そもそも、こんな所でこういう襲撃をする方がおかしいのである。
 元々ダークエルフは暗殺等を得意とする。攻撃呪文も勿論使えるが、人間達に騒がれるのを彼等は好まない。それはダークエルフの繁殖能力の低さに起因する。
 彼等は自らの力で子供を作ることが出来ない。人間の女性に自分達の子種を植え込んで初めて子供を作ることが出来る。しかし、それは当然、高いリスクを背負うことになる。最近は人間達もダークエルフに対して十分に警戒している。だからこそ、ダークエルフ達は極力自分達の存在を人間達に知られないようにしている。不必要に騒ぎを大きくしては人間達の警戒心をあおる事になる。
 ダークエルフにとっては長い時間をかけて自分達への警戒心を薄れさせる事があらゆる利益につながるのだ。戦場でもない限り表だって騒ぎを起こさないのが彼等のやり方だった。
 ところが、そんなことはお構いなしに彼女をいぶり出そうという非常識な輩が居るらしい。彼女にとっても宿屋にとってもとんでもない迷惑であったが、実はその男の行動はダークエルフ達にとっても迷惑きわまりない代物だったのだ。

 誰も望んでいない行動を起こした耳のとがったやや小太りの男。彼にとって他の者達の思惑やダークエルフの流儀など知ったことではない。今彼の頭にあるのは、なんとしてもレザイアより先にあのこしゃくな小娘を捕らえて自分の手柄にすることだけだった。
 人目の付かない所で隙をついて包囲するというレザイアの作戦は常識的であるし、成功率も確かに高いだろう。だが、その作戦が成功し彼女を捕らえることが出来たとしても、それはしょせんレザイアの手柄であって自分の手柄にはならない。ここでなんとしても今までの失点を取り戻さないと出世は愚か自分の神官としての地位さえも危うくなる。彼――ゼラフェル――は焦っていたのだ、さらには彼はかなりせこく、しかもケチな男でもあった。あの小娘を捕らえるのが遅れれば、それだけ自分の財布の中身が減るのではないかという心配もあったのである。

「な! 何だアレは!?」
 宿屋から突然火柱が上がったのを見て、レザイア達も驚いた。いったい何が起こったのか一瞬判断が付かない。だが、レザイアは直ぐに冷静さを取り戻した。
「ゼラフェル殿は何処に居られるのか?」
 ゼラフェルの部下に尋ねると弱々しい声で答えが返ってきた。
「先ほど、トイレに行かれましたが……まだ戻られていません」
 つい先ほどからあの男の顔が見えない事に多少の不安を覚えていたのだが、どうやらその危惧が現実となったらしい。レザイアが舌打ちすると同時に怒号が響く。
「馬鹿者!! 何故それを早く教えなかった!!」
 セリジェがゼラフェルの部下に怒鳴りつけ、答えた男は小さく縮こまってしまった。
 この騒ぎの元凶がゼラフェルであることは、もはや誰の目にも明らかであった。
「このままでは群衆にまぎれて逃げられてしまうな。
 やむおえん。バリア、お前はゼラフェル神官を押さえろ、残りの者は私と共に 来い。あの宿を監視せねばならん」
 男達は頷き、道に沿って茂っている森の中から飛び出した。

「まいったわね、こんなに過激な手を使うなんて……」
 そう呟きながらも、彼女はこの状況を利用することを既に考えていた。だてに幼い頃から一人で生き延びてきたわけではない。どのような時でも生き延びるだけの力を身につけている。一人でも生き抜けるだけの能力は持っている。その自信はある。
 どんなに追いつめられようと諦めることはない、どのように状況が激変してもその荒波を逆に利用するだけの知恵は身につけていた。
 周りで右往左往する客達を横目に、さっさとこの場から離れる事を決める。
 彼女はこの状況を作り出した相手が誰か気が付いていた。
 初めはあまりに非常識な攻撃にさすがの彼女も面食らっていたが、直ぐに彼女の頭脳が働き出す。今まで何度と無く窮地を脱して来た彼女の奇妙な能力が働きだす。
 感情を扱う部分がパニックになればなるほど、感情的になればなるほど知性を司る別の部分は極めて冷静かつ正確に状況を把握し、最善の手を導き出す。
 彼女の頭脳は感情を扱う部分と知性を司る部分が、ほぼ完璧に分離しているのだ。
 ダークエルフの魔力と共にその奇妙な能力が彼女を今まで守ってきた。絶望的な状況で泣き続けていても、知性は常にその状況を打開するために働き続け、最善の手段を導き出し、彼女を救ってきた。その知性を司る頭脳の部分が答えをはじき出す。今までと同じように。
 今回の騒ぎは恐らくあの無能な神官が手柄を焦るあまりの暴走だ。それは当然、もう一方の有能な戦士も預かり知らぬ事に違いない。ならば、彼等がこの状況を把握する前に利用する方が有利である。
 このままここにいると、いずれ他の客も巻き込まれる危険性もある、だが、それ以上に彼等の動きが気になる。
 騒ぎを大きくしないのがダークエルフの行動原理ではある。だが、既に騒ぎが大きくなったらどうするか?
 考えられる状況は幾つか有る。その中で最も可能性が高く、最も警戒すべき事態はこの状況を逆用されることである。
 この混乱状況を利用し、群集心理を利用するのが、彼等にとって最も効果的な手段であり、自分にとって最も憂慮すべき事態なのだ。
 自分の正体を彼等が明かし、客を煽って自分を窮地に追い込む。これが、最も危険なことだ。自分のせいでこの宿が狙われた。お前達はそのとばっちりを受けたのだと言えば、炎に追い立てられパニックに落ちっていた人々の怒りは全て自分に向けられてしまうだろう。そうなったら客に袋叩きにされたあげくダークエルフ達に突き出されるに違いない。
 その危険性を既に彼女の冷静な部分ははじき出していた。それなら客にまぎれて息を潜めるより、敵が行動するより前に自分がこの状況を利用する方がよい。
 彼女はそのまま足を止めず、宿の外へ飛び出す。既に自分の姿は変えて有る。
 周りを見ると、混乱しきった何人かがバラバラの方向に走っていた。とりあえず宿の外に非難しようと言う者達だ。その流れにまぎれて彼女はさっさと逃げ出す。
 宿代は当然、踏み倒しである。
 実は、この宿は俗に言う盗賊宿だったのだ。
 金持ち客や一人旅の女性を狙い、金持ちからは金を、女性からは自由と人間の権利を奪って人買いに売りつけるという代物で、何の遠慮もいらないのである。
 元々ダークエルフに狙われていることは分かっていた。極まっとうな、堅気の宿屋を騒ぎに巻き込むのはしのびなかった。だから、騒ぎが起きても良心の痛まない盗賊宿をわざわざ選んだと言うわけである。

 そういう宿には特に犯罪者(すねにきずのあるもの)が泊まることが多い。だから、それほど気兼ねなく騒ぎに巻き込むことが出来る。
 ただ、そんな裏面の事情を知らない一般客がいるのも事実であるし、承知の上でもある。そもそも、こんな所にわざわざ宿泊する方が悪いのだ。
 例えダークエルフが現れなくても、彼等、あるいは彼女達のうち、誰かがこの宿の犠牲になっていたのだ。その相手が人買いか、盗賊か、あるいはダークエルフかの違いがあるだけで、有る意味では自業自得である。そんな無能な連中に同情してやる必要などはない。
 感情では、気付かずにこんな所に泊まり、騒ぎに巻き込まれるのは気の毒とは思う。だが、彼女の冷静な部分は冷然と切り捨てていた。自分を守る術も能力もない者は、結局どこかで野垂れ死にになるだけのことだと。
 そして、彼女は再び行方を眩ませた。ただ、彼女にも計算ミスがあった。
 この騒ぎの中でゆっくりと思考を巡らす余裕がなかったという事だ。何故、完璧に隠したはずの自分の痕跡を彼等が探し得たのか、その原因を吟味する時間が与えられなかった。
 さらに、宿代を踏み倒したために、神官の財布の中を確認する機会を逸してしまっていた。
 一般的な宿屋の料金は前払いであり食事代も当然前払いである。だが、盗賊宿の中には信用を得、一般市民を罠にはめるためにあえて料金を後払いにする所も少なくない。食事代も宿泊費も全て出るときに清算するという方法を採る所もある。この宿屋もその方式だった。それ故に、騙される客も多い。そして、それを知っていたからこそわざわざ選んだ。どさくさにまぎれて料金を踏み倒せるならそれに越したことはないと考えていたのである。
 それが、今回は仇となったのである。だが、彼女はそれに未だ気が付いてはいなかった。
(ねえ……何か大切なことを忘れてない?)
「そんなことより、逃げるのが先よ!!」
 小さな精霊は冷静さを保っていたようだが、少女にはそれを気にする余裕はなかった。さしもの少女も、激変する状況に対応するのが精一杯だったのだ。自分の致命的なミスに気付くことなく、ひたすら夜の闇の中を駆け続けた。

 宿から失敬してきた布団で簀巻き状態にされ地面に転がされた男はむくれていた。
「何故、何故だ!!
 神官たるこのわしにこんな扱いをして! 許されると思っているのか!!」
 いくら喚こうが睨もうが、誰一人彼には同情しなかった。既に彼の無能さ、浅はかさに彼以外の全ての者があきれ果てていた。彼の部下も、まさか、自分の上司がこれ程までに無能とは考えもしなかったに違いない、あからさまに侮蔑の視線を向けるが、喚くのに夢中になっている男、ゼラフェルには全く分かっていないようだった。
 彼は今まで、口うるさくケチな男ではあったが、無能と言う評価はなかった。
 少なくとも机上での職務にはそれなりの手腕を持っていた。だが、今回のような任務は生まれて初めてだった。そして、そこで彼は己の能力の限界、あるいは、不向きな任務に対する対処能力の無さを露呈してしまったのだ。
 本来、責められるべきは彼をこの任務に任じた上司達である。だが、ここに彼の上司はいない。また、仮に今回の任務が彼には合わなかったとしても、これほどの醜態を示すとは流石に想像もしなかったに違いない。
 まさか、手柄を焦る余り、ダークエルフにとっての不文律さえ破るほどの思慮無しだなどとは……

 あの後、ゼラフェルが攻撃魔法を繰り出し、宿屋に火柱を上げた後、彼の行動に気が付いたレザイア達は直ぐに宿を見張った。
 だが、時既に遅く宿屋の中からは神官証の反応は消え失せていた。
 術を使って後を追うことも考えたが、この騒ぎを隠す為、宿にいた数十人の人間の記憶を書き換えた。暗示で偽の記憶を刷り込んだのではない。それでは腕のいい術師にはすぐに見破られてしまうからだ。より確実に事実を隠蔽するために、彼らは人間の脳の記憶そのもの、脳神経の配列そのものを作り変えたのである。
 それはいわば、人間の脳を作り変えるのに等しいことだ。たとえ一部とはいえ、いかにダークエルフといえども容易なことではない。
 そのために莫大な魔力を消費した後では、さすがに広範囲を探索する呪文を使うだけの余力はなかった。一時は本国に連絡を取ろうとも思ったのだが、他の者、ゼラフェルの部下だった神官達がそれを納得しなかった。
 なぜなら、これは自分達の失点を報告するも同じ事であるからだ。
 神官部隊の隊長と言うべき人物がダークエルフの不文律を破ってまで暴走した。
 そのあげく、まんまと逃げられたと有っては弁解の余地がない。なんとしても自分達だけの力であの小娘を捕らえねば立つ瀬がない。そう強硬に主張した。レザイアはその態度こそ危険だと指摘したが、元々特権階級の人間として生きてきた神官にそんな正論は通じない。また、もしも報告するなら、自分達は協力しないとまで脅されては、流石にレザイアも折れるしかなかった。レザイアの部下だけでは明らかに人手が足りなかったのだ。
 神官達も必死だった。強引にレザイアから作戦の主導権を奪ってまで行動したのに、小娘にしてやられたのだ。この失点を償うには、あの小娘を自力で捕らえるしかない。それなのに、自分達の上司が暴走して逃げられたと言う新たな失敗を重ねては、どうやっても言い訳は立たない。自分達の地位は消えて無くなってしまうだろう。
 それなら、どうせ破滅するなら、レザイア達も道連れにしてやろうと殆ど自暴自棄になっていたのである。
 しかたなく、彼等は森に潜み体力と魔力の回復を待った。消耗しきった力と憔悴しきった精神を癒すためには眠るしか方法がなかった。

 中空に輝く銀の月と、赤と青の双子の月。三つの月が作り出す淡い光の中に浮かび上がる一つの影。
 風の術をまとって、人の目に止まらぬ程の早さで街道を飛ぶ者。
 その肌は闇にとけ込むような濃い褐色。濃い藍色の髪が風をはらみ小刻みに揺らめいていた。
 正面を見据える、赤銅色の瞳は月明かりを反射して爛々と輝いている。
 帽子はかぶっていなかった。あの大きな帽子は顔を隠すには有効だがこういう場合には視界をふさいでしまう危険がある。今は視界を広く取る必要があったのだ。
 華奢なで小柄な体のどこにこれほどの力があるのか、彼女は既に四時間以上も高速飛行術を使い続けていた。並の魔道士で有れば、一時間ほどで力つきてしまうほどに消耗の激しい術を、彼女はろくに休息もとらない状態で使い続けていたのである。幾ら風の精霊の助力があるとはいえ、信じがたい魔力であった。
 今の彼女の姿は元の姿であった。彼女は幻影の術を止めていたのだ。
 いくら彼女でも魔力を消耗する高速飛行術と幻影の術を併用するわけには行かなかった。無理をすればやれないことはないが、いざというときのために魔力を温存しておく方がよいと判断していた。今はとにかく出来るだけ遠くへ逃れることが先決だった。
 ダークエルフ達がどういう行動をとるのかは彼女にも予測出来ない。だが、まともなダークエルフの"常識"を持っているのなら、あの宿の客をそのままにはしておかないはずだ。口を封じるために何らかの処置を行うはず。それによって相手が少しでも魔力を消耗し、探索が困難になればしめたものだ。たとえそこまでは行かなくても、時間を稼ぐことくらいなら期待できる。
 彼女はそう考え、とにかく離れることを選んだのである。少しでも彼等から遠くへ行くこと。少しでも安全な場所へ近付くこと。それが彼女の生き延びる道なのだから。

 東の空に白い光が満ち始めた。既に夜の闇は光に押され西の空に消え去っている。天空の銀の月が夜の名残を惜しむかのように中空に薄く姿を残しているが、それも直ぐに太陽の光の中に飲み込まれて消え去るだろう。
 力が流れる。
 隅々まで緩やかに力が広がる。
 ぴくん!
 力の流れが、何かを感じた。
 それは高速で移動している、それも覚えのある気配と共に。
「捕まえた……」
 にやりと男は会心の笑みを浮かべる。
「見つかりましたか? レザイア様」
 セリジュが尋ねると、レザイアは頷いた。
「幸い、あの娘はまだ気付いてないようだ。よし、直ぐに追いかけるぞ!!」
 宿で馬を手に入れ、休息により体力と魔力の大半を回復したレザイア達は直ぐに出発することにした。だが、そのレザイアの言葉に数人が不満の声を上げた。
 宿の人間達の記憶を消し、ゼラフェルの暴走を止めるために大半の魔力を消耗した神官達である。
 常に実戦の直中にあり、生き延びてきた戦士達は己の体力と魔力を効率よく使う術を知っている、そして、消耗した力を回復するコツも持っていた。だが、殆どを安全な神殿の中でヌクヌクと過ごしていた神官には彼等のような芸当は出来なかった。わずかな休息で消耗した力を回復する術を彼等は持っては居なかった。
 そのために、直ぐに行動できるほどに魔力を回復している神官は居なかったのである。

 ダークエルフは全ての生き物に嫌われている。
 彼等が信奉する邪神はこの世界を滅ぼそうとしている存在であるため、彼等に協力する生物など殆どいない。そのため、馬に乗るにも魔力を必要とする。
 魔法によって無理矢理馬を支配して使うわけだが、当然、魔力を消耗していれば上手くコントロールできなくなり、満足に乗ることもできない。
 レザイアと直属の部下のセリジェ・バリア・タムはともかく、神官達にはこの強行軍はかなりきついものだった。
「……しかし、このままでは都市に逃げ込まれてしまう。
 何かの弾みに目印を見つけてしまうかも知れない……」
 財布の中にある神官の証だけが彼女の足どりを知る唯一の物なのだ。それを失う前にけりを付けなければならない。彼女が街に着いてしまっては全てが終わってしまう。
それでも、神官達は強行に反対したが、流石にこれ以上譲る気はレザイアにはなかった。
「ならば、勝手になさい!! 我々だけで出発します!!
 いくぞ、セリジェ、バリア、タム!!」
「は!!」
 もはや神官達に見向きもせず、レザイアを先頭に四人は馬を走らせた。人手が足りないが、そこは頭脳とチームワークで何とかカバーするしかない。
「待て! 神官を置いていくのか!! 待たぬか!!」
 神官達の悲鳴は四人には届かなかった。神官達は呆然と空を見上げて、肩を落とした。

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