[ 半熟妖精記 ] 文:マスタードラゴン 絵:T-Joke

第三章 逃走の果てに

 太陽が中空に達した頃、陽光を浴びて輝く白亜の都市が見えた。
 交易都市"ファフェニール"
 この辺りの街道の中継点となっているかなり規模の大きい都市である。旅人がその翼を休める都市。新たな出会いが待つ場所。
 彼女はとりあえず、あの町に身を隠すつもりだった。この辺りではかなり大きめの都市であり、ダークエルフもおいそれとは侵入できないはずだからだ。
「問題は、あたしが入れるかどうか、なのよね……」
 小さく呟く。
 彼女もまた半分とはいえダークエルフの血を引く者である。そして、彼女の外見は完全にダークエルフのそれだった。よほど上手く交渉人を見つけないと、自分が入れなくなってしまう。それでは何の意味も無い。
「ここからが正念場か……」
 少女は自分を励ますように呟いた。
(それほど心配しなくてもいいわよ。例えダークエルフでも女に対しては甘いわ)
 不安がる少女をフィレンは励ました。
 実際、ダークエルフの女性は滅多なことでは故郷を離れることはない。ダークエルフの女性は極めて貴重な存在であるため、故郷から出ることをダークエルフの一族が認めないのだ。
 それ故、ダークエルフの女性が人間界に現れると言うことは殆どない。また、人間にとってダークエルフの最大の害は女性を襲うと言うことである。当然、それは男がすることなのでダークエルフの男に対してはかなり警戒が厳重な所でもダークエルフの女性に対してはやや甘くなる事が多い。
 何より少女には風の精霊が付いている。人間の魔力をごまかすなど、難しいことではない。
 フィレンの励ましに少女は頷いた。まだ不安は消えないが、今心配したところで始まらないのも確かである。
 少女は歩みを早めた。とにかく都市に入らないことには安心できないのだから。
 ただ、目的地間近についたというその安心感からか、今までダークエルフから逃れきったという過信からか、彼女は高速移動の術を使っていなかった。
 町の近くで術を使うと怪しまれるという配慮もあっただろうが、それは完全に油断だった。そして、最後の瞬間で、その油断が彼女の足下をすくったのである。

(いけない!!)
 ヒュ!
 フィレンの警告と同時に、風がうなり声を上げた。
 その音に気が付いて、とっさに左に飛んだが間に合わなかった。
「あう!!」
 激痛に思わず声を上げる。痛みの元は彼女の右足の太股だった。そこには細長い銀色の輝きが刺さっていたのである。
「ぬかった! あたしとしたことが……」
 急いで太股に刺さった長い針を抜いてその先を見ると、血の色とは別に粘性の強い黄色い物質が付着していた。それに気が付いたとき、流石に彼女も青くなった。
「毒針!!」
 慌てて辺りを見回す。だが、その針を放った相手は彼女の視界には存在しなかった。
 気配を探ったが、それらしい物は感じない。だが、彼女は自分を狙う者が直ぐ近くにいることを確信していた。ただ、自分には分からないだけだと。
「フィレン!」
 フィレンに答えを求めようとして彼女は絶句した。フィレンの姿が霞み、殆ど消えかかっていた。
「な!!!」
(…………)
 フィレンが必死に自分に何かを訴えているようだが、その言葉が分からない。
 精霊との交信能力に真っ先に薬の影響が現れたらしい。
「くぅ……一体何処に……」
 フィレンの姿が完全に見えなくなり、声も聞こえなくなってしまった。
 こうなってはフィレンの加護も期待できない。精霊の力を正しく行使するためには精霊と契約者の精神的な繋がりが無くてはならない。薬でそれが失われた以上、どの程度フィレンが力を貸してくれるか甚だ心許ない。
 精神を集中して"敵"の位置を探ろうとした。例え、気配を完全に絶てたとしてもダークエルフは呼吸をする生き物である。空気の僅かな流れで相手の位置を読むことは不可能ではない。ただ、相手もそれを警戒しているため、かなりの熟練した技術と高度な魔法能力、そしてなによりも集中力を必要とする技ではある。
 そして、今の彼女には残念なことに、集中力が伴わなかった。なぜなら、既に身体に入った薬が肉体面にも影響し始めていたのだ。

 ……しまった……

 ぐらりと、視界が歪んだように思えた。彼女にとって最悪の状況が誕生しつつあった。
 まだ、相手は動く気配がない。さすがに一度痛い目を見ているためか、こちらが完全に行動不能になるのを待っているのだろう、全く気配を感じさせないのだ。
「……このままじゃ、まじでやばい……」
 右手の人差し指をきつく噛み、その痛みで意識を留めてはいるがそれも僅かな時間稼ぎにしかならない。
「……どうする?」
 自分自身に問いかける。が、良い知恵は浮かんでこない。意識が朦朧としてまともに思考することが出来ないのだ。
「ええい!! ままよ!!」
 一声叫んで彼女は走り出した。
 激しい運動をすれば、身体に薬が早く回ることは十分に承知している。だが、大人しくしていても活路は開けない。残っている魔力と体力の限界まで逃げれば、もしかしたら幸運に恵まれるかも知れない。
 動かなければ連中に捕まるだけだが、逃げれば道が開けるかも知れない。極めて低い勝率だが、他に手がなかったのだ。
 風を纏って彼女は飛んだ。この期におよんで魔力の出し惜しみなど意味がない。
 意識と魔力の続く限り、その力の全てで逃げるしかない。
「……もう少し……治癒術を勉強しておけば……」
 ついつい、愚痴をこぼしてしまう彼女だが、今更言ったところで何の意味もない。
 元々、正式な訓練を受けたわけではない。彼女の術は全てが独学の我流である。
 独学の常として、効果がはっきり分かる術は学びやすいが、効果の確かめにくい術というのはそうそう身につくものではない。特に治癒術の中でも解毒術などは会得しにくい術なのだ。
 考えれば分かることだが、傷を癒す術は直ぐに試すことが出来る。切り傷の一つも作って試せばいいのである。だが、解毒術はまず、身体に薬物を入れなければならない。しかも薬に応じた術を身につけなくてはならないわけであるから、
 下手をすれば命に関わる。まさに、命がけにならざるを得ない。それ故、解毒術の類は流石に独学では学びきれないのだ。さらに、スリで生計を立てていた彼女は、下手に薬で体調を崩せばそれだけ自分の生活に支障が有るのだから、なおさらである。
 フィレンからも有る程度の手ほどきを受けたが、治癒術は専ら地系と水系の術が主流で風系の治癒術はほとんど無い。そのため、学ぶことが出来なかったのだ。
 これ以上考えても思考の迷路に入り込むだけで意味がない。彼女はさっさと心を切り替えて魔法のコントロールに全ての精神を集中した。いつもなら難なく出来る事だが、薬が効いてきたため、全ての意識を集中しなければ術を維持することさえむずかしくなっていた。
 どうやら、この薬は魔法能力に真っ先に影響するタイプらしい。精神力の全てを賭けてやっとの事で術を維持しているが、何時まで持つか彼女には自信がなかった。

「信じられん……あの薬を打ち込まれてまだ動けるとは……」
 少女を追いながら高速飛行術を制御するレザイアは感嘆の声を上げた。
 十分に訓練を受けた者でも10分で身動きできなくなるほどの強力な睡眠薬である。それを食らって、なお、動けるどころか魔法まで行使する彼女は、まさに脅威と言うほか無い。
「まったく、恐ろしい娘だ……これは、絶対に逃すわけには行かないな」
 改めて彼女の力に感嘆しながら、慎重に、そして、確実に彼等は少女を追い続けた。

 ズザシャアァ!

 ど派手な音を立てて、地面に墜落したのはファフェニールを目前にした褐色の肌の少女だった。
 高速飛行術を使用して必死に逃亡を図ろうとしたが、ついに薬に耐えきれず意識を失ったのである。だが、意識を失い魔力が消えたからと言って、高速移動していた肉体が直ぐに制止するわけがない。慣性の法則に則り十分すぎる加速度を保ったまま、勢いよく地面に突っ込み、激しい愛撫をすることとなったのである。
 何時意識を失っても良いように高度も下げてあったし、減速・浮遊術を外套(マント)にかけてあったので、命に別状はないだろうが、それでもかなりの衝撃だった、だが、そのおかげで、一度失った意識をその痛みで取り戻すことが出来たのは幸いだった。
「あ……あ……痛たた……」
 地面に思いっきりこすったため、顔も膝も擦り傷・切り傷だらけになり、かなりの痛みを感じる。良く見れば外套もすり切れてかなり痛んだようだ。しかし、自分の姿を気にする余裕など彼女にはない。目に涙を浮かべ、血を流しながらも、少女は必死に立ち上がって駆け出した。否、駆け出そうとした。だが、躰に回った薬がそれを許さない。
 本人は必死に走っているつもりなのだが、酔っぱらいの歩みよりも頼りなく、ふらふらとさまよっているようにしか見えない。
 歩き出していくらもたたぬ内に彼女の周りに風を切って何かの影が降り立った。
 薬によって半分朦朧としていた彼女だが、それでも、その相手が何者であるかを悟ることは出来た。だが、顔を上げるのもおっくうだ。のろのろと顔を上げて自分の正面にたつ影を見た。焦点の合わない瞳に、影のような褐色の肌の男が映る。
「とうとう追いつめたぞ」
 男の静かな言葉が終わる前に少女は力を失って、その場に崩れ落ちた。
 既に逃げる気力どころか、抵抗する力さえ残っていない。朦朧とした意識の中でそれでも彼女は最後の抵抗を試みた。
 薬のために朦朧となった意識では魔法を行使することなど夢のまた夢である。
 戦う力も当然残っていない。だが、それでも諦めるわけには行かなかった。
 彼女は最後の手段を実行することにした。
 勿論、この期に及んで、こんな手が通じるかは分からない。この手段は本当に運のいい者だけが使うことを許されているのだから。それでも、大人しく捕まるわけには行かなかった。最後の最後まで抵抗してやる。たとえそれがどんなに虚しいことであろうとも。
 残された微かな力と意識を総動員し、深くゆっくりと息を吸う。そして、ダークエルフ達がにじり寄ってきたとたん、彼女はありったけの力を解放していた。
「きゃあぁぁぁ! 痴漢ーーー!! 変態ーーーー!!
 殺されるうぅ!! 助けてえぇぇぇ!!」
 すさまじい大音響の悲鳴を聞いて、近くの木々から驚いた小鳥が飛び出し、至近距離で聞かされたダークエルフ達は余りの事に、耳を押さえてうずくまった。
 元々、人間より遥かに聴覚に優れたエルフやダークエルフは至近距離で大声を出される事に弱い。心の準備が出来ていれば有る程度耐えることもできるだろうが、まさか、薬が回りまともに歩けないような娘がこの期に及んでこれほどの大声を出せるとは思ってもいなかったのであろう。完全に不意をつかれた彼等はその大声でかなりのダメージを受けてしまい、その場でへたり込んでしまったのである。
「ざ……ざまあ……見ろ……」
 耳鳴りと頭痛にさいなまれ、うずくまっている彼等に侮蔑の言葉を投げつけて逃げようとした少女だが、さすがの彼女ももはや薬に抵抗するだけの力は残されていなかった。
 くたくたとその場に倒れ込み、もはや立ち上がることさえ出来ない。
「は……はれれ……ね……眠ひよう……」
 少女が地面に崩れ落ちるとそれを待っていたかのように、うずくまっていたダークエルフ達が何とか立ち上がる。
「まったく……往生際が悪いというか……根性があると言うべきか……」
 苦笑しながら、レザイアが慎重に少女に近づく。
「……も……う……ダ……メ……かな……」
 さしもの彼女にももはや反撃することは出来なかった。意識は混濁し、身体からも完全に力が抜ける。
「念には念を入れておこう」
 自分に言い聞かせるように呟やくと、短く呪文を唱える。眠りの魔法であった。
 睡眠薬を打ち込んだ上にさらに呪文でより深い眠りに導いて、レザイアは満足顔で頷いた。
「よし、これで当分は目を覚まさないだろう」
 そして、セリジェに向かって指示を出した。
「縛り上げろ」
「は!」
 レザイアの命令にセリジェ達は素直に頷いた。
 薬が効き、だめ押しで呪文までかけて眠らせた少女に猿ぐつわを噛ませ、袋に押し込めてロープで雁字搦めに縛り上げる。
 何もそこまでしなくともと思わないでもないが、さんざん手こずらされた彼等にしてみれば、これくらいの用心をしないと安心できなかったのだ。
 そして、飛行呪文を唱え彼等が置き去りにした馬達の元へと戻った。
 彼等の故郷はとても遠い。来るときに開けた転移門を利用しなければ馬の足でも何年もかかってしまう。その転移門は彼女がねぐらとしていた森のはずれに開いていた。少女を追いかけて彼等はかなりの距離を移動していたため、戻るのは一苦労である。
 勿論、人間達の高速魔法道路は使えない。そのような特別な交通機関は大きな街に行かなければ使うことは出来ないが、高速魔法道路が走るような大きな都市にはダークエルフの魔力を中和する結界がしかれている。ダークエルフの彼等がそれを利用することは事実上不可能だった。
 彼等自身が自力で転移魔法を使う事は出来ない。彼等は戦士として有る程度の攻撃魔法と防御魔法、そして、治療魔法を使いこなせるが、転移魔法は使えなかった。いかに彼等でも空間に直接、それも大規模に干渉するような高度な術を使いこなせるような能力はなかった。人間を遥かに凌駕する魔力を持つダークエルフといえど、得手不得手がある。転移門のある場所まで戻るにはどうしても馬の力が必要だったのだ。
 彼等が乗り捨てた馬達を止めてあった木の側で見つけたのは直ぐのことだった。街道から少し離れた所に慎重に隠していたために、他人に乗り逃げ去れずにすんだようである。
 早速、袋詰めにした少女を馬に縛り付け、彼等は走り出した。ファフェニールから南へ、彼等が元来た方角へと……

「ほう、ダークエルフとは珍しい。どうも俺は彼等と縁があるらしいな」
 街道をぶらついていた彼は正面から向かってくる騎馬の一団に視線を向けた。
 普通の人間ならダークエルフと出会うことは不幸の兆しとして恐れるものであるが、彼はむしろ楽しげである。ただ、それは声の調子でかろうじて分かるという程度の物で、彼とつきあいの薄い者には全く理解できないほどの微かな物でしかなかったが。
 ちりりり……
 彼の懐にしまわれた短剣が微かな音を立てる。
「うん?」
 剣の微かな囁きに彼は眉をしかめ、目の前を走り抜ける騎馬を見つめる。
 一見すると、何処かの王国の騎士団かと思わせるきらびやかさと華麗さを持った集団だが、その姿と重なるように漆黒の肌を持った耳の長い、華奢なと言っても良いほどの細身の男たちの姿が彼の瞳には映っている。
 一頭の馬の背に食料を山済みにしている。ただし、それは人間にそう見えるようにかけられた幻である。その食料の山に見えるそれが、全くの別物であることは彼には直ぐに分かった。そして、彼の鼻は何かの臭いをかぎつけた。
 それは、微かな臭い。
「この臭い……まさか?」
 つい最近出会った風の精霊と、ハーフダークエルフの少女の物に間違いない。
 彼の呟きに直ぐに答えが返ってきた。
(そのまさか……ですね。あの少女の物です)
 以前のように、声にならぬ声が彼の心の中にだけ聞こえてくる。人の目には映らぬその同行者の答えに、彼は思案顔になった。
「助けるべきかな……」
 彼がそう考える間にダークエルフ達は彼の目の前を走り抜けようとしていた。
 風の精霊が自分に視線を向けて必死に助けを求めている。それを見た瞬間、彼は決断した。
「よし、助けよう」
(あらあら)
 キュイイィィ!!
 彼の決意に女性の声は苦笑気味に答え、懐の短剣は不満げに唸る。
「そう怒るなよ。一寸した出来心なんだから」
 声だけの女性と、腰の剣に言い訳するように呟くと馬の一団の前に飛び出した。
「うわ!」
 飛び出した男を見て馬が驚き、騎士達は必死に馬を制御する。
「どうどう! 落ちつけ!!」
 手綱と足を巧みに使い、何とか馬を落ちつかせると、男に鋭い眼光を向けた。
「貴様! 死にたいのか!!」
「何を考えている!!」
 騎士の姿を纏ったダークエルフは高圧的な態度で彼に罵声を浴びせた。
「我らは王命に従って急いでいるのだ! 邪魔盾するな!!」
 王命と言われれば大抵の人間は及び腰になる。どの国の王であれ、その強大な権力を突きつけられればそれに従うしかない。この辺りの国はそれなりに友好を保っているため、他国の王の近衛隊や側近が別の国に使者として来ることも珍しくない。そのため騎士の姿をしていれば、大抵の相手をやり過ごすことが出来る。ダークエルフ達もその事を十分に承知していたのだ。
 しかし、彼等の恫喝を男は全く気にすることなく言い切った。
「どちらの国王の使者かな?
 暗殺者や傭兵ならともかく、使者にダークエルフを使う国など聞いたことが無い」
「なに?」
 低い声で隊長とおぼしき騎士が唸った。
「貴様、一体何の根拠があって我らを愚弄するのか?事と次第によっては容赦せぬぞ」
 隊長の言葉に、男は腰の長剣を無造作に引き抜き一振りする。
「なに!」
 騎士達に、いや、ダークエルフ達には分かった。彼が剣を無造作に振ったその瞬間、不可視の力が自分達を覆っている幻の衣を引き裂いたことに。
「馬鹿な!」
「貴様!!一体何をした!!」
 自分達の姿が本来の物に戻っている事に彼等は既に気が付いていた。
「……何者だ貴様?何故我らの邪魔をする?」
 凶暴なまでの殺気を秘めた瞳で突然の乱入者を睨み付けるレザイア。
「お前達の敵に決まっているだろう? 目的はお前達が誘拐したお嬢ちゃんだ」
 レザイアの殺気を受け流し、平然と答える男。
「いい度胸だな。たかが人間風情が我々に勝てるとでも思っているのか?」
 本来、ダークエルフと人間とでは決定的な能力差がある。人間は魔道能力においても肉体の能力においても遥かにダークエルフに及ばない。人間がダークエルフにかなうのは欲望と繁殖力くらいの物だ。まして、一対一ならともかく、ダークエルフは四人もいる。
 しかも、全員が手慣れの戦士達なのだ。本来なら勝ち目は絶対にない。
「何を考えているかは知らんが……無謀なことをする者は何処にでもいるな」
「第一、あの娘を奪って貴様に何の利がある」
 バリアとタムがそう言うと男は剣を持ったまま答えた。
「ま、唯の気まぐれさ。彼女とは縁があるのでね」
「……そんなくだらない理由で命を捨てると言うのですか?」
 セリジェが言うと男はそっけなく言い放った。
「どうかな。死ぬのはお前達の方かもしれんぞ」
 それを聞いていきり立ったバリアとタムが動いた。
「人間風情が!!」
「後悔しろ!!」
 声を残して二人の姿がかき消えた。ダークエルフの運動能力は人間の動体視力の限界を超えている。彼等の動きを見切ることは、一流の戦士といえども殆ど不可能と言ってもいい。そして、ダークエルフ達も自分達の早さに自信を持っていた。一瞬でしとめる自信があった。

 銀の光が一閃した。
 どさ
 鈍い音がして二人の男が同時に大地に転がる。
「なに!!」
「馬鹿な……」
 レザイアとセリジェは倒れた仲間を見て唖然とした。
 人間には絶対に捕らえられないはずのダークエルフの動きを見切って倒した男の手腕は普通の人間に出来る芸当ではない。現に人間を遥かに凌駕するダークエルフの中でも、超一流の戦士であるレザイアやセリジェにさえ、彼の動きを見切れなかったのだ。明らかにその速さは人間の限界を超えている。
「く!」
 レザイアとセリジェは慌てて腰の剣を引き抜いた。目の前の男が唯の人間では無く、とてつもない力を秘めた強敵であることを、たった今思い知らされたのだ。心の中にある余裕は吹き飛んでいた。
 呪文を唱える時間の余裕はない。今は剣で身を守るしかなかった。
 だが、彼等が構えるのをのんびりと待ってやるつもりは男にはなかった。二人のダークエルフを倒すと同時に彼は飛び出し、馬に縛り付けられた袋を手早く切り捨て、その中に眠っている少女を抱えて街道沿いにある森の中に逃げ込んだのである。
「な! は……早すぎる!!」
 慌てて後を追おうとしたが、既に男の姿は無い。華奢な娘とはいえ女性一人を抱えてダークエルフの追跡を振り切るなどと言うのは信じがたい速さである。
「……化け物め!!」
 小さく舌打ちしたレザイアだったが、馬から飛び降り倒れた二人の横にかがみ込んだ。
「……ふん……大した余裕だな……」
 出血が見られなかったのでもしやと思ったが、バリアとタムは全くの無傷だった。どうやら、剣の腹で殴られただけのようである。命に別状は無いだろう。
 後々のことを考えれば追跡者の数は減らしておいた方がいいに決まっている。彼の実力ならば有無を言わせず切り殺すことも出来たはずだった。それをしないのは、余程自分の腕に自信があるのか、それとも単なる馬鹿か……。
「我々を相手に随分な余裕ですな」
 セリジェも同様の感想を持ったようだった。
「私は奴の足どりを追う。お前は二人を回復させたら直ぐに私を追え」
「は!」
 術により、再び少女と男の足どりを追う。まだ目印とも言うべき"神官証"の存在は気付かれていないようだ。その事を確認すると、レザイアはセリジェに頷き、高速移動の術を使いセリジェの視界から消え去った。

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