[ 三妖神物語 第二話 女神集う ] 文:マスタードラゴン 絵:T-Joke
第二章 怪しげな者供、迷惑な人々
翌朝、日曜だというのに、竜一は、珍しく午前7時という時間に起きた。
晴れ渡った空に浮かんだ太陽の光が、カーテンのすきまを通して竜一の顔に、目覚めの口付けをしたために、彼は、いつもより、早く目が覚めたのだ。
「さて、どうしようか」
竜一は、ベットから出て顔を洗う、すると、彼のかわいい同居人が、彼の足に擦り寄ってきた。
「やあ、おはようミューズ。今日もご機嫌そうだね。」
「みゃー」
竜一の挨拶に、律儀に挨拶を返すミューズ。
ふと、竜一は、奇妙な感覚を覚えた。
この子猫には、何か重大な秘密が有ったような気がする・・・・
しかし、それが何だったのか、竜一には判らなかった。
ただ、漠然と、何かが有ったような気がするのだ。
この子には、普通の猫とは違うなにかが有ったと・・・・
「みゃみゃーーん」
悩んでいる竜一の顔を見上げて、ミューズが鳴いた。
これは、「おなかが減ったよ」という意味だということを竜一は何故か知っていた。
「ああ、ちょっと待ってな、直ぐに御飯にするからな。」
竜一がそう言うと、ミューズが何かいいたげに、彼の目を見つめた。
「ん? 何か言いたいのか?」
竜一がそう問いかけると、ミューズは、後ろを振り向いた。
「?」
竜一が、目を凝らしていると、いつもミューズが寝ぐらに使っているベットの下から何かが這い出てきた。
それは、黄金の鷲の姿をした小鳥と銀色の鱗を持ったヘビ。
夜中に、屋根裏で、ミューズと密談をしていたあの1羽と1匹だった。
勿論、そんなことは竜一の知らないことである。
だが、竜一は、全く気にすることなく彼女達を迎えた。
竜一には、それが当たり前のように思えてならなかった。
自分の傍に、黒猫がいて、銀のヘビがいて、金色の小鳥がいる。
考えてみれば、今まで、何かが足りなかったような気がしていた。
それが何なのか、何が足りないのか。
自分でも判らず、もやもやとした思いだけを抱えて今まで生きていた。
それが、今、始めて満たされたような気がする。
何故なのか、その理由も分からないままに。
「とりあえず、名前でもつけないとな。」
ミューズにキャットフード、ヘビには生卵を、そして小鳥には散々悩んだが、姿からして肉食だろうと竜一は判断してハムの切れ端を与え、自分もトーストを噛りながら呟いた。
「ベガ、いや違う。
アルタイ、雰囲気じゃない。
ピーコ、オウムじゃあるまいし・・・・」
なかなか、良い名前が思い付かない。
うんうん唸ったが、結局、満足出来る名前は思い付かなかった。
「仕方無い、買い物を済ませてからゆっくり考えよう。」
諦めた竜一はさっさと着替えると、ミューズに留守番を頼んだ。
「一寸買い物に行ってくるから、留守番頼む。」
「みゃん」
任せて、と言わんばかりに、胸を張ってミューズは答えた。
そのようすに、満足げに頷いて、竜一は町へ出かけた。
「彼方は神を信じますか?」
「はあ?」
町に出かけた竜一は、駅で出会った金髪の外国人に呼び止められ、いきなりそう問われた。
余りのことに、しばらく呆然としていた竜一だが、思わず苦笑してしまった。
どうやら相手は、敬虔なキリスト教徒らしい。
宗教に詳しくない竜一には、彼がプロテスタントかカトリックかは見分けがつかなかったが、それは仕方の無いことだろう。
それにしても、スーツで決めた、いかにもやり手のビジネスマン風の男にいきなり、時代遅れのギャグのような台詞を言われては、面食らうなという方が無理かも知れない。
もっとも、キリスト教徒の彼にとってははなはだ不本意な事だろう。
自分達の当たり前の質問が、日本ではギャグ扱されているのだから。
とにかく、宗教に興味の無い竜一は何時もの通りの返答でその場を立ち去る事にした。
「あ、すいません。
俺、仏教徒だから仏様は信じているけど、神様は信じてないんだ。」
そう言って背中を向けて足早に歩き出した。
はっきり言って大嘘である。
これが、仏教徒だったら、神様を持ち出して無視するのが彼のやり方だった。
しかし、どうやら不信心の
竜一の言葉を聞いた外国人は、いきなり竜一の左腕を自分の左手でとると、ものすごい力でねじ上げた。
「い、いててて、何するんだ!」
竜一は悲鳴を上げながら、首を後ろに向けて男を見た。
と、今までいかにも善良そうだった男の瞳には、先ほどとは全く異なった輝きが有った。
「やはり貴様、悪魔の使徒か!」
流暢な日本語で男は怒鳴ると、空いている方の腕を竜一の首に回し、ギリギリと締め上げる。
「な・・・・何のこと・・・・だよ。
人を・・・・悪魔呼ばわり・・・・しやがって・・・・
悪魔・・・・付きだとでも・・・・言う・・・のか。」
首を締められているため、喘ぎながらそれでも竜一は外国人に反論した。
「とぼけおって。
一月ほど前に、邪神崇拝組織の一つに致命傷を与えたのがお前だというのは、調べが付いているのだ。
お前が、神を信仰する心正しき者であったなら、我等の同志として迎えるつもりであったが邪教の徒であるならばやむおえん。
我等の敵となる前に、この世界に仇なす前に、私のこの手で神の御元に送ってやろう。」
「な・・・・なにを・・・・言って・・・・」
竜一には男が何を言っているのか、全く判らなかった。
邪神崇拝者と戦った?
そんなこと、身に覚えなどない。
そんな訳の判らないことで命を狙われるなんて、そんな不条理が有っていいのか?
神様・仏様、あんた達、罪の無い前途有望な若者を見殺しにするのか?助けてくれよ!!
心の中で祈るが、今まで神仏をないがしろにしてきた罰であろうか、一向に男の腕から力が抜ける気配はない。
「まだあがくか! 見苦しい。
神に選ばれた”聖戦士”たるこの私の手で神の御元へ行けるのだ、幸運に思え!
そして、神の御前で、自分の罪を悔い改めるがよい!」
勝手なことを言うな! 誰が殺されるのを喜ぶか!
心の中で毒づいて、締め上げている腕に、空いた手を延ばし、何とか外そうとする。
だが、男の腕はまるで機械のように凄まじい力を誇り、とても、竜一の力でどうにかなるものではなかった。
もうだめだ。
俺こんなことで死ぬのか?
まだ恋人もいないって言うのに。
こんな訳のわからねえ外人のでたらめな言い掛かりで、こんな所で殺されるのか?
竜一が絶望しかけたその時。
「うお!」
突然声を上げると、今まで彼の首を締め上げていた男が首から腕を外した。
何が起こったかは判らない、だが、このチャンスを見逃すほど竜一は愚かではなかった。
一気に力を貯めて、肘打ちを相手の顔に見舞う。
その痛みに竜一の左手をつかんでいた外国人の手から力が抜けた。
左手を強引に引き抜くと、相手の股間におもいっ切り蹴りを入れる。
「があ!」
短い悲鳴を上げて、男は、自分の股間に両手を当ててうずくまった。
「ざまあみろ!」
竜一は吐き捨てた。
何しろ、加減抜きでおもいっ切り蹴飛ばしたのだ、下手をすれば”あれ”は潰れているかも知れない。
しかし、命を狙われたのに手加減してやる義理など竜一にはなかった。
だが、一体どうして男が、竜一の首から腕を離したのか。
その疑問は直ぐに解決した。
男の近くに、銀色の細長い生きものを見つけたのだ。
「お前が助けてくれたのか?」
そう問いかけたが、竜一は確信していた、このヘビが助けてくれたのだと言うことを。
急いで命の恩人、いや、恩獣を右手で拾い上げた、それと同時に、うずくまっていた男が立ち上がる。
「もう復活したのか? タフな奴だ。」
半分感心し、半分呆れて竜一がなじると、男は狂気と殺意のこもった瞳で竜一を睨み付けた。
「ヘビを使い魔にしているとは、やはり貴様、邪教の徒か!」
そう叫ぶと、何やら、怪しげな言葉を唱え出す。
意味は判らなかったが、それがろくでも無いことであるのは考えるまでもない。
さっさと逃げれば良いものを、竜一は、さっきの男の言葉が気になって、しばし、呆然としていた。
(使い魔・・・・使い魔・・・・どこかで聞いたような・・・・)
勿論、小説や漫画でその単語を聞いたことは何度もある。
だが、それとは違う、自分にとってその言葉はもっと近い、とても親しいもの様に思えた。
特に、自称”聖戦士”様が言った言葉であるために、”使い魔”と言う響きが、彼の心を捕らえたのだ。
「しゃーーー!」
彼の肩に乗ったヘビが、鋭い声を上げる。
その音でようやく我に帰った竜一は、慌ててそこから逃げ出した。
男は、未だに、呪文らしき物を唱えている。
あるいは、力ずくで殴った方が良かったかも知れないと、ちらりと思ったりもした。
しかし、力ではとうていかないそうにない。
下手に突っ込んで又捕まったりしたら、それこそ馬鹿である。
それに、あれだけおもいっ切り股間を蹴ったというのに、簡単に立ち直ったタフさからみても、下手に戦うより逃げた方が良いように竜一には思えたのだ。
とにかく、交番にでも逃げ込んで、あのいかれた男を殺人未遂で捕まえてもらおう。
それが、竜一の考えだった。
しかし、どういうことか、いくら走っても交番にはたどり着けない。
駅から交番まではたかだか300m程度しか離れていないというのに・・・・
さらに奇妙なことは、日曜日の午前中だというのに、人影が全くないのだ。
ついさっきまで、何百人もいたはずなのに。
「まさか・・・・結界って奴か?」
竜一の疑問は直ぐに解消された、彼の目の前に男が一人立っていたのだ。
「そのまさかだよ。」
男は、残忍な、獲物を嘲笑する微笑みを浮かべて、竜一の前に立ち塞がった。
黒髪に黄色い肌。外見からすると東洋人だが、持っている雰囲気などはさっきの男とほとんど同じである。
おそらく、同じ組織に属する者に違いない。
「なかなか良く出来た使い魔のようだな、我々に気配を悟られないとは」
「それとも、小物すぎて、我々の感覚に引っかからなかったのかな?」
別の方向からも、同じようにスーツを着込んだビジネスマン風の男達が現れた。
「一体何人いやがるんだ。」
思わず唸った竜一を一瞥して、男達は竜一を取り囲んだ。
総勢7名の男達、外見や、体格はまちまちだが、その体から発散される雰囲気は全く同一の物だった。
自分達こそが神に選ばれた絶対善の存在であり、自分達の思想や主義に反する物は全て悪である。
悪に対しては、いかなる手段をとってもそれは全て正義である。
たとえ相手が女子であっても、情け容赦など無用、いや、邪悪な者には自分達の手によって与えられる死こそが慈悲だと。
そう信じて疑わない、狂信者がもつ、嫌な匂い。
「我等、”御使いの騎士”の手によってのみ、貴様の汚れた魂は浄化されるのだ。
貴様に僅かでも人としての良心が残っているというのなら、観念するが良い。」
「勝手なことを!」
そう唸って、竜一は、彼等の人数が7人である理由に気が付いた。
(そうか!7大天使!!
”御使い”ってのは、確か、天使のことを示す言葉だったな。)
するとこの男達は、キリスト教の総本山、バチカンあたりから派遣されたエリート中のエリート戦士ということだろうか?
”御使いの騎士”などとごたいそうに名乗り、しかも、7大天使の数をまねているのをみると、少なくとも、トップクラスの連中であることは間違い無いだろう。
冗談だろう?
竜一はそう思った。
何で、宗教無知(まあ、神話の類は大好きだが)、信仰心皆無の俺が、宗教的な争いに捲き込まれなければならない?
これは何かの間違いだ。
出来の悪い悪夢だ。
ドッキリカメラかなにかに違いない。
竜一の脳細胞は、この現実を否定するために、あらゆる可能性を検討した。
とにかく、自分はかかわり無いことを、連中に納得させるしかない。
「いい加減にしてくれ!
俺は、何にも関係無い。
何かの間違いだ!人違いだ!!」
竜一の必死の弁明も、しかし、自分達の正義を信じて疑わない狂信者達にはまったくの無駄で有った。
「たとえ、お前が我々の目的の者と違うとしても、ヘビを使い魔にする者が神の御心にかなったものであろうはずはない。」
「小物でも、魔性の者は排除せねばならぬ。」
「それが偉大なる神の御心にしたがうことなのだ。」
男達が口々に、竜一を攻め立てる。
何が何でも彼を悪魔の使徒として”浄化”しなければ気が済まないらしい。
「いい加減にしろ!
そりゃ、確かに銀色のヘビってのは珍しいだろうさ。
だからと言って、それが魔物だと何故決めつける!
俺を助けたのだって、偶然かも知れないじゃないか!」
そう怒鳴って、竜一は心の中で罵った。
(全く、同じ7人の天使でもあのコ達とは偉い違いだ!
あの娘達は、こんな石頭でも、非寛容でも無かったてのに!)
そこまで罵って、竜一は、はっと気付いた。
あの娘達?一体何のことだ?
自分自身の憤りに、首を傾げる。
どういう訳か最近こんなことが時々ある。
自分で言った言葉や、思い付いた言葉に後から不思議な感じを覚えるのだ。
まるで、何かを知っていながら、それが思い出せず、いらつくような、そんな不快感。
考えてみれば、こんな妙なことがおき出したのは、一月前からだ。
それまでは、こんな事は無かったはず。
あの男達がこだわっているのも一月前の”邪神崇拝者の事件”からだと言う。
この符合は、何を意味するのか。
もしかしたら、彼等の言うことは本当で、自分が単にそれを忘れているだけなのだろうか?
まさか、竜一は頭を振る。
あり得ないことだ、あってはいけないことだ。
「ふん、あくまでも偽りで逃れようと言う訳か、浅ましいものよ。」
「第一、そのヘビはどこから来たのだ?
つい先ほどまで、姿を見なかったというのに。
空から降ってきたとしか思えん!」
そう言われると、確かに、突然現れたようにしか思えない。
竜一も、その点に関してだけは納得するしかない。
いきなり現れて、自分のピンチを救った。
しかも、彼の首を締めていた、相手の右腕に噛付いたのだ。
頭の上から降ってきたのでもない限りは不可能なことだろう。
自分が、著しく不利な状況になったことを、竜一は自覚した。
こうなっては、狂信者を説得するなど、神を天からひきづり降ろすより難しい。
竜一は腹をくくった。
舌戦に持ち込んで、何とか隙を作って逃げ出すしかない。
1対7の戦いでは、不利なことは判っているが、体力でも勝り、結界を張るなどという怪しげな術を使う相手から逃げるには、口先に頼るしかなかった。
すううっと深呼吸をしたかと思うと、肺活量に物を言わせて、大声で一気に捲し立てる!
「うるせえ! さっきから聞いてりゃ勝手なことばかり抜かしやがって!
なにが”聖戦士”だ。
なにが”御使いの騎士”だ!
偉そうな御託を並べても、てめえらのやっていることは、数を頼んでの弱い者いじめじゃねえか!
それが自称”神の使い”のやることかよ!
てめえらが神の名を辱める悪魔じゃねえか!
だいたい、てめえらが正義だなんて誰が決めた!
怪しげな術なんか使いやがって、本当はてめえらの方が悪魔の使いじゃねえのか?
神の使徒ならそれらしく振る舞ってみろ。
なめんじゃねえぞこのタコ!」
「悪魔の使徒だけあって、口は達者だな。」
竜一の言葉に、しかし、男達は眉を僅かにしかめただけだた。
伊達に神の戦士をしている訳ではない。
彼等は正義と神の御名において、多くの”邪教の徒”を殺してきたのだ。
彼等の信念にしたがって彼等が悪と見なした者は、例え無実であっても”邪教徒”として殺してきたのだ。
邪教徒の血を引くのは全て抹殺してきた。
それが例え女子供であろうと、赤子であろうと。
どう罵られようと、それは悪魔の戯言。彼等がそんな言葉などに動揺するはずはない。
その程度で心を動かすような軟弱な精神の持ち主に、神の戦士など勤まらないのだ。
すべては、彼等の”神”の御心のままに、それだけが、彼等の常識なのである。
やおら男達は、何やら懐から取り出した、それが十字架である事に気付いたが、それが何を意味するのか、竜一には判らない。
男達は、左手で十字架を天にかざすと、いきなり叫んだ。
「父と子と聖霊の御名において、我等に魔性を亡ぼす力を与えたまえ!」
そのまま、アーメンと唱えながら胸の当たりで、右手で十字をきる。
七人の男達が同時にそんな動作をしたのだ。
やっている当人は至極真面目なのだろうが、いや、やっている本人が真面目である
からこそ、余計に、傍から見ていると冗談にしか見えない。
「・・・・・・・・・・・」
竜一は、唖然としてその状況を見つめていた。
開いた口が塞がらないとはこういう状況を言うのだろう。
さっきまでの緊張した状況は一体どうなったのだろう?
竜一は、頭を抱えて唸ってしまった。
(俺は・・・・こんなあほな集団に命を狙われているのか?
あんまりじゃないかあ・・・・)
ふと気付いて右肩を見れば、彼の腕に絡まっておとなしくしている白銀のヘビも心なしかひきつっているように見えのは、彼の気のせいだろうか?
だが、冗談じみていると思っていたのは竜一だけであった。
この一見間抜けな様に見える行動が、大きな力を呼び寄せているのを、ヘビ−シリス−は気付いていた。
「しゃーしゃーー」
あまりの馬鹿馬鹿しさに、緊張感と同時に力まで抜けた竜一は、その場にへたり込みかけたが、ヘビの威嚇音に正気に戻った。
はっとして前を見れば、男が突っ込んでくるではないか!!
竜一がぼーーとしている間に、奇妙な祈りの儀式は終わっていたのである。
竜一に突っ込んできたのは、1番最初に、竜一に話し掛けて来たあの金髪男だった。
慌てて体をひねる。
ギリギリでなんとかかわすと、男はよほど勢い良く突っ込んできたのだろう、そのまま竜一の直ぐ後ろにあったビルの壁に突っ込んでいった。
ドガシャアア!
だが、凄まじい音で砕け散ったのは、男の拳ではなく、ビルの壁の方だった。
鉄筋コンクリート製の、それも、老朽化していない、まだ新しいビルの壁をぶち抜いて、男は平然と、竜一に向きを変えた。
「な・・・・!どっちが化け物だよ!!この妖術使い!!」
竜一の罵りに、男は平然と答えた。
「貴様のような邪教徒には理解出来んだろうが、これこそが、私が、我が神から与えられた、”奇跡”だ。
私の奇跡を貴様の汚れた魂にたたき込んでやろう。」
そう誇らしげに言う男の両手は、微かに金色に輝いていた。
「この奇跡、”神の御手−ゴッドハンド−”をもって貴様の魂を浄化してやろう。
有り難く思え。」
弱者をいたぶる行為に、何の罪悪感も感じないタイプらしい。
弱い相手を自分の手で叩きのめすのが、彼の最大の喜びなのだろう。
それに、神という大義名分と神の奇跡があるのだから、恐い者無しである。
しかし、とんでもない男にとんでもない奇跡を”神”とやらは与えたものである。
もし、ヘビの注意が後一瞬遅かったら、確実に、あの男の拳で殴られていただろう。
そうなっていたら、最悪の場合頭蓋骨は粉々、間違い無く自分は即死していた。
それに気付いて竜一は冷や汗をかいた。
どうやら、さっきの冗談じみた祈りは、正真正銘、本物の力を与えるものだったらしい。
すると、当然他の6人にも、それなりの”奇跡”とやらがあるに違いない。
竜一は、自分がかなり危うい状況におかれていることに、遅蒔きながら気付いたのである。
竜一にとって、事態は最悪へと向かっていった。
そんな有様を彼等の頭の上で見つめる影が二つあった。
一つは黄金と淡く青味がかった銀の瞳を持つ黒猫、だが、ただの黒猫ではない、
背中から漆黒の見事な翼を生やしてるのだ。
その数は4枚、二対の翼を優雅に広げ下界を見下ろしている。
もう一つの影は黄金の輝きを放つ小鳥であった。
その瞳も、羽毛と同じ、いや、それ以上にまぶしくあざやかな太陽のごとく輝く金色である。
その影の正体は明かである。
この地上に、そんな奇妙な姿を持つものは、竜一の同居人、ミューズとメイル以外にいるはずがない。
二つの影は、普通なら直ぐに人目に付くほどの低空、彼等の頭の上に浮かんでいるのだ。
だが、誰も気付いていない。
逃げるのに必死になっている竜一は勿論、弱い者いじめにうつつをぬかしている自称”神の戦士”達も、全く気付いていなかった。
彼等の結界の中にいるというのに。
それは、彼等が間抜けだったからだろうか?
いや、そうではない、彼女達もまた、結界によって自らの存在を隠していたのだ。
彼女達は先ほどからこの有様をここから見ていたのだ。
シリスが竜一を助けに入ったのも、ここからである。
「おい! ミューズ、いい加減助けに入った方が・・・・」
彼女達の眼下では彼女達の主人とその仲間が、怪しげな術を使う者供に追いかけ回されていた。
今のところは、反射神経と勘、そして運によって何とか逃げ延びているようだが、捕まるのが時間の問題なのは、一目で判る。
「まだよ。
今出ていっても、マスターは記憶を取り戻せない。
ここはシリスに任せるのよ。」
「そんな事言われたって!」
メイルはミューズの言葉にいきりたった。
「大体、何でシリスを行かせたんだ。
彼女は、まだ盟主に名を呼んでもらえないんだぞ。
何の力も使えない彼女に何を期待しているんだ!」
こんなことなら、自分がいけば良かった。
同じ力を使えない状態でも、ヘビの姿の彼女よりは、空を自由に飛べる鳥の姿の自分の方がよほど役に立つのではないか。
現実に、シリスは、盟主の腕に絡まったままで、何も出来ない有様ではないか。
メイルはそう思った。
一体ミューズはシリスに何を期待しているのか。
彼女の心配を他所に、ミューズは、眼下で続けられる追いかけっこを眺めやるだけであった。
ひたすら逃げる竜一。
黄金の光で包まれた”神の御手”を振り回し、鉄拳男は、竜一を追いかけ回す。
「いい加減にしろお! 器物損壊で警察に訴えるぞ!」
思わず叫んだ竜一だったが、考えてみればこれ以上間抜けな台詞もない。
殺人罪の方が器物損壊よりも重罪なのだから、今更金髪男がそんな事で手を休めるはずがない。
しかし、やりたい放題に、ビルの壁をぶち抜き、道路を砕いている男を見ると、つい突っ込んでみたくなる貧乏性の竜一であった。
「ふん、余裕があるじゃねえか。」
「おい、パウロそろそろ交代しろよ。」
「そうだ、お前だけ楽しむのは卑怯だぜ。」
見物にまわっている男達が口々にはやしたてる。
彼等は自分達が張った結界に絶対の自信があるのだろう。
竜一が逃げ出せないと確信しているからこそ、楽しむことが出来るのだ。
そう、猫がネズミをいたぶるように。
「ふう、なかなかすばしっこい奴だな。
まあ、元気のある方が殺しがいがあるというものだ。」
その台詞はまさにサディスト、それが、彼の本性なのだろう。
とうてい、神の使徒にふさわしいとは思えない。
だが、折角のパウロの楽しみも、一人の男が中断した。
「いい加減にしろパウロ。
我々の結界とて、無限に持続する訳ではないのだ。もう十分に楽しんだだろう?
止めを刺すぞ。」
「ヨハネ!」
パウロと呼ばれた男は、何かを言おうとしたが、ヨハネと呼ばれた男の一睨みで押し黙った。
どうやら彼がこの集団のリーダーらしい。
竜一はそう判断した、しかし、それが事実だからと言って、この事態をなんら改善する訳ではなかったが。
「なかなかにしぶとかったな、まあ、それなりに楽しめたが、そろそろ終わりにしよう」
そう言うと、ヨハネは、指をパチンと鳴らした。
ただそれだけ。
他には何もしていないようだった、だが、竜一は、自分の体に何か違和感を感じた。
それが何かを考えるまもなく、体中の力が、抜けていくのを感じた。
いや、筋力だけではない、心なしか、心臓の鼓動も遅くなっているような・・・・
「私の力は、ちょうどパウロと対極の位置にある。
パウロの力が、自分の筋力を異常に高めるものであるのに対して、私の力は他人の筋力を極限まで弱めるのだ。
心臓も含む全ての筋力をな。」
ヨハネがそう自分の力を解説している間にも竜一の体から力がどんどん抜ける。
既に立っていられなくなり、両手を付いて何とか体を支える有様だった。
心臓の鼓動も減り、呼吸する力までもが弱まっている。
少しずつ息苦しくなってくる。
竜一は必死になって空気を貪ったが、一向に楽にならない。
「もう我慢出来ん! あたいが助ける!」
ゼイゼイと苦しそうに喘ぐ竜一を見て、ついにメイルが爆発した。
元々それほど気が長い方ではない。
ただでさえ、弱い者苛めを見るのもするのも嫌うメイルである。
ましてや、その被害者が自分の命より大切な主人とあっては、今まで我慢していたのは奇跡に等しい。
「駄目よ、まだ。」
しかし、ミューズの言葉は冷たかった。
だが、そんな事で、メイルが引き下がるはずがない。
「冗談じゃねえ!
これ以上黙ってみていられるか!
止めても無駄だぞ、あたいは行く!!」
「貴方が今出ていったところで、何の役に立つと言うの?」
冷ややかなミューズの言葉だが、メイルは一歩も引かない。
「奴のあの力は、奴の精神と得たいの知れない”神”とやらとの同調で引き出されている。
それなら、奴の気を逸らせば済むことだ!
それ位なら今のあたいでも。」
メイルとミューズ、そして、竜一の腕に絡まっているシリスも、彼等の力の本質を見抜いていた。
そして、彼等に力を与えている存在と力のことも。
「今動いても、マスターの覚醒は得られない。」
メイルの憤りを無視するかのようにミューズは呟くと、メイルに鋭い視線を向ける。
「マスター・ドラゴンの名においてメイルに、命じる。
まだ動くことは許しません!」
「ぐ・・・・」
厳しい口調で命じるミューズに、メイルは気後れしたようだった。
「判っているわね、メイル。
マスターに最初に受け入れられた者が、その時のマスターの代理として指揮権を持つことを。」
無論、メイルもそれは判っている。
そして、それが、かつて、盟主マスタードラゴンの遺体に誓った永遠の盟約なのも。
それを違えることは、頑固者のメイルに出来ることではなかった。
だが、彼女達の眼下では彼女達の主人が少しずつ死に向かっている。
メイルはいても立ってもいられなかった。
メイルに厳しい視線を向けられても、ミューズの顔色は変わらない。
よほど自分の策に自信があるのか、それとも開き直っているのか?
前者であって欲しいとメイルは願った。
後者であっては、冗談にもならないのだから。
だが、二匹の眼下で竜一の息は荒く弱くなっていく。おそらく心臓もかなり弱くなっているだろう。
(もう駄目ですわ、御主人様はこれ以上持ちません。)
シリスは竜一の腕に絡み付いているのを利用して、さりげなく心拍数を数えていたのだ。
だが、もう限界だろう。
彼女は、生きものの命の力を正確に計ることが出来る。
既に竜一の命の輝きは消えかかっていた。
ミューズが何を考えているかは判らない、しかし・・・・
(もう、御主人様は限界・・・・
こうなった以上は、盟約違反となっても、力を使うしかありませんわね。)
じつは、彼女達が誓った盟約は二つあった。
一つは、彼女達自身が誓った、マスタードラゴンへの盟約。
そしてもう一つは女神メセルリュース様との約束である。
彼女達自身が誓った盟約のことは竜一自身の知らないことである。
何しろ、彼の死後、彼女達が自分達で決めたのだから。
それを破っても、実際のところ実害はないのだ、だがもう一つの盟約は別であった。
女神の主人とも言うべき、メセルリュース様とかわした盟約。
それを違えれば、二度と、御主人様とはともにいられないかも知れない。
それでも、このまま彼を見殺しにするなど、シリスには出来なかった。
(申し訳ありません御主人様、わたくしは盟約を違えます。
二度とお会い出来ないかも知れませんが、お許し下さい。)
シリスは、その美しい銀の瞳を竜一に向けそう心の中で呟くと、竜一を見下ろして残忍な笑みを浮かべている男達を睨んだ。
「おい、あのヘビこっちを見てるぜ。」
「ほう? 何か言いたいことでもあるのかなあ?」
仲間達の声を聞いて、パウロもはやしたてた。
「主人の出来が悪いと、使い魔は苦労するよなあ。」
彼等は、シリスが使い魔かどうか本当のところは知らなかったのだ。だが、幸か不幸かその憶測は正しかった。
さらには、彼等は、シリスの真価も全く知らなかった。
そして、それ故にパウロはシリスに対して、決して言ってはいけないことを、”禁忌”を言ってしまったのである。
シリスの相貌に不気味な光が宿る。
今まで彼女の銀の瞳に鋭く強い眼光が宿っていた、だが、それは、慈悲にあふれた優しさのある輝きだった。
しかし、今、シリスの瞳には、鈍く、異様な、銀と言うより灰色に近い輝きがあった。
その異様さに気付いたのは、上空で見物を決め込んでいたミューズとメイル、そして、呼吸も満足に出来無い竜一だった。
この時竜一は、半分意識を無くしており、いわば、
だがと言うべきか、だからこそというべきか、竜一は、シリスの異様な変化を敏感に感じとった。
そして、それが、シリスにとって、良くないことであることも理解していた。
このまま彼女に”それ”をさせてはならない。
今まで苦しんできた彼女を、これ以上苦しめてはならない。
彼女の忌まわしい力を使わせてはならない。
心の奥底で、もう一人の自分が竜一に急かす。
彼女を止めるのだ。と。
彼女と言うのが、彼の右腕に絡まっているヘビの事だと、竜一はなんとなく気付いていた。
だがどうやって?
どうすれば、彼女を止められる。
彼女の怒りを、力を、どうやって治めるのだ。
竜一の心の声に、彼の奥底にいるもう一人の自分が答える。
名を呼べ、そして、命じるのだ。
そうすれば、彼女は過ちをおかさずに済むのだ。
彼女達の名を持って、命じるのだ。と。
そして、無意識のうちに竜一は叫んでいた。
その声と、シリスの相貌がまがまがしい光を放ったのは、ほとんど同時だった。
「シリスやめろ! ミューズ、メイル、止めるんだ!!」
それは命−メイ−、それは祈り。
竜一が叫ぶと同時に幾つもの事態が同時に起こった。
鈍い灰色の光が辺りを埋め尽くすと同時に、激しい黄金の輝きがそのあとを追うように広がる。
さらにその後に、赤い光が続き、全てを呑み込んだ。
それらを見届けた後、竜一の意識は、深い闇の底へと落ちていった・・・・