語る「万華鏡」

(必殺テイスト)

必殺テイスト(ひっさつていすと)

項目名必殺テイスト
読みひっさつていすと
分類用語名

作者
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  • 公的データ
  • 必殺シリーズ」の趣を持った創作作品について言われる言葉。
  • 感想文等
  • 長崎犯科帳」というドラマが、ケーブルテレビで再放送され始めた。名前くらいは知っていたのだが、その名前からして、よくある時代劇だと思って、今までは観てみようともしていなかった。
     私は「必殺」ファンであって、特に時代劇ファンではないからだ。これは別に時代劇を蔑視して言っているわけではない。ジブリ作品を褒めたたえる人が、だからといって別にアニメファンではなく、筒井康隆信奉者が必ずしもSF愛好者でもあるとは限らない、それと同じである。「必殺」以外でも「江戸の激斗」などは好きだったが、それはまた別の項目にて。
     「必殺テイスト」の作品だと聞いて、ちょっと観てみようという気になった。
     しかし、まあ、だいたい「必殺テイスト」というのも曲者で、「闇で裁く」みたいなストーリーだとすぐに「必殺」と言われたりする。坂上二郎が庶民的な好好爺風(?)刑事を演じた「夜明けの刑事」が始まる時、この二郎さん演じる鈴木刑事のことを「刑事コロンボのような」と宣伝したらしい。
     それは古畑任三郎より鈴木刑事のほうが、よっぽど外見的にはコロンボかもしれない。けれど、鈴木刑事は人情と足で捜査する、実に日本的な、日本のお茶の間型刑事だった。――彼は決してコロンボではない。「夜明けの刑事」という番組そのものも、全然「刑事コロンボ」ではない。違う、違うのだ。これは優劣や好悪を言っているのではない。よれよれの風采の刑事が出てくると「コロンボ」だと言うのは、コロンボが決して凡人型探偵ではなく、むしろ超人型探偵に属することに気付いていない、コロンボにしてやられる犯人たち同様、外見をしか見ていない、そういうことを言っているのだ。SFと聞くと宇宙人やロボット、推理小説と聞くと密室やアリバイ、そんなふうに短絡するのと同じで、かなり勿体ないことなのである。
     「必殺テイスト」と言えば、すぐに思い出されるのは「影同心」ではないかと思う。ここでは中村主水のように影で殺しを行う同心が3人いて、確かに「必殺」別巻という趣があった。同心が1人になり、他のメンバーが市井の人間寄りになった「影同心2」ではさらに近い感じが有ったが、やはり「必殺」とどこかしら違う。どこが、と具体的に言えないのは、例えば「からくり人」が必殺を冠さずに存在していたら、やはり「これは必殺に似ているが、どこか違う」と思ったのではないか――そうも感じるからで、要はブランド効果のため、ただそれだけかもしれない、わけだ。
     ただ、強いて言えば、主人公たちが物語の根幹に在り、決して正義の味方たる「傍観者」ではないことだろうか。シリーズ全体に、仕置人からくり人は確かに「主人公」として存在し、シリーズが終幕した時に、なんらかの内的な変化やテーマ的な終局が待っている。これは単に、チームが解散するとか、或いは非業の死を迎えるといった外的な変化(そう、単に「死ぬ」だけなら、それは物語上ではあくまで外的変化でしかないのだ。「大江戸捜査網」や「新スパイ大作線」での殉職を例にとればよく解るはずだ。「誰が死のうと、誰がどこでくたばろうと」翌週からは全く何の変化もなくシリーズは続いて行く)のことではない。
     毎回のエピソードは個々に独立していても、第一話から最終話までで、主人公たち「自身の物語」が確固として存在し、だから単純に同じかたちでの第2シリーズ、第3シリーズには続いてはいかない。「仕留人」はが『日本の夜明けのため』に仕留を躊躇して斃れたときに、シリーズとしての存在を全うした。だから主水大吉が残っていても、「続き」が存在するはずがなかった。
     「仕事屋」「仕置屋」などでは、半兵衛市松といった主人公が第一話と最終話とでは大きな変貌を遂げ、その変節(?)をもって物語が完結した。『主水シリーズ』と大枠を作ったとき、「仕置人」から「仕事人」への流れは、中村主水という男が『心のどこかで正義を信じて十手を握ってきた』同心から如何に変わって行ったかの経緯でもある。
     例えば「遠山の金さん」や「暴れん坊将軍」「水戸黄門」「大江戸捜査網」……といったシリーズ時代劇でこうした主人公の内面の変転はあり得ないことだろう。いわば、彼らは「サザエさん」であり、永遠に堕落も成長もしない存在なのだ。
     ――ここまで書いてきて、ああ、それで新仕事人以降のシリーズに、自分は物足りなさを感じていたのか……と思い至った。
     「仕事人」第一作は、辛うじて畷左門の物語として完結していた。本来は、鹿蔵左門という三世代の中で、中村主水という男の物語も完結していく、最終編にふさわしいシリーズになったかもしれなかったが、結局それが潰えて、以降主水は流されていくだけの「おじさん」になっていった。
     それでも、左門という男については語り尽くせていたと思う。あまりに長く続きすぎたために焦点がぼやけてしまったが、なんとかそこだけは守り通した。そんな気がする。
     しかし、「新仕事人」は、おそらく錺の秀(と三味線屋勇次)の物語になり得たはずなのだが、次シリーズも「仕事人III」と決まり、勇次の続投にもなったときに、中途半端に終焉し、彼らの物語は「つづく」にされてしまった。ファンは喜んだかもしれないが、実際にはこれは、彼らを「主人公」――物語のコア――から、進行役・狂言回しレベルへ格下げしたのと同じだったのだ。以降、例えばには、養い子ができたり所属チームが変わったりといった「環境の変化」こそあれ、内実的な深化・展開はなく、「の物語」の完結を見ることはとうとう叶わなかった。「必殺まっしぐら!」は、の物語には違いなかったが、一体あれは「『いつの』だったのか?」とファンに言われるほど、あまりにキャラクター的にそれまでと乖離しており、また後の復活した時とも不連続であり、むしろ本当にが「使い回しの人気キャラ」にされてしまったような淋しさが強かった。「まっしぐら!」は、別に主人公がである必要がなく、例えば三田村邦彦が(あるいは他の役者でも、だ)違う名前のキャラクターで演じても成り立ってしまうシリーズだったのだ。でなければ成り立たない、そういう「のための物語」ではなかった。そして、は自らの物語を完結させることのないまま、主水を看取るだけで終わってしまった……。
     これは勇次についても同様で、彼の物語に必要不可欠なおりくはいつしか姿を消し、仕切人という舞台で新吉とのドラマが展開できるかと思いきや、やはり何ら進捗はないまま「つづく」で終わり、「必殺!三味線屋勇次」でも彼は全く変わらない姿を見せた――つまりは、自らの物語は持たない金さん型のヒーローとして落ち着いてしまっていた。「必殺!三味線屋勇次」は阿部寛演じる仕事人・髪結いの弥助の物語であり、勇次はあくまで事件の解決役でしかなくなっていたのだ。
     勇次以降の仕事人たちについては更に「解決役」としてのみの役割が顕著になった。西順之助は登場時は確かに「仕事人III」は彼の物語になるのだろうと思わせながらいつしか存在意義すら稀薄となり、「仕事人IV」からは石投げ係にされた挙句、「旋風編」で何ら『物語』を背負うことなく復活して、まさしく「ラストの仕置役」としてのみ存在し、そして、意味もなく、ただ消えていった。「旋風編」の順之助銀平はまさしく「ラストの仕置役」以外の役割を物語に対して全く持つことがない、この頃の「仕事人」の紛れもない体現者だった。まだ辛うじて、勇次に代わって登場したには、様々に過去や出自、因縁が用意されていたが、ついに銀平には、そして再登場した順之助には、そういったものさえなく、或いは喪失され、本当にただの「代替のきく仕事人役」に過ぎなかった。そして、あっさりと、何のドラマも用意されることもなく、コミで、死んでしまった。翌週からは早速「代替」の影太郎が登場して、銀平順之助は忘れ去られたのだ。
     この影太郎は人気キャラとなったが、彼自身の物語を語り切らせてもらえなかった点では、勇次、あるいは組紐屋の竜と同じだった。
     唯一、花屋から鍛冶屋に転じたについては、長い長い遍歴の果てに、物語の終わりが用意されていた。
     「黄金の血」はかなり不評の映画作品だが、「ウエスタン月夜」から血気盛んで自信たっぷりな若者として登場し、長い「仕事人V」シリーズやテレビスペシャル版を経て、とは違って確かに変遷を見せたは、抜け殻として「黄金の血」で完結してみせた。もし、このの変遷が一つのシリーズ内で描かれていたなら、それは後期と言われる仕事人シリーズの中で、随一の印象強さを残してくれたのではないかと思う。
     「必殺」の「完結なし」は、たぶんは「富嶽百景」の辺りから始まってしまったと思うのだが、「仕舞人」「渡し人」はまだしも、「橋掛人」などではもう最初からそういった「仕置人側の物語」を描き切るというスタンスは失われていたとしか思えない。いわゆる「普通の」時代劇と特に変わる部分はなかったのだ。
     たぶん、私は不変無敵の主人公の活躍を見たいのではないのだ。ついたり、苦悩したり、そうして何かを失ったり或いは手に入れたりして変貌していく(それが成長ではなく堕落であるとしても)、そんな主人公を見たいと、そして感情を共有したいと思っているのだ……つまり、そういうことだ。私が「必殺」に魅かれたのは。
     「必殺テイスト」と呼ばれた「影同心」シリーズが、やはり「でも、そうではない」と感じさせたのは、これだったのかもしれない。そして、他の「必殺亜流作品」たちも。
     「長崎犯科帳」について書こうと思っていたのだけれど、結局やっぱり「必殺」について書いてしまった。そんなものだなあ……(おっぺ)
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