項目名 | 裏か表か |
読み | うらかおもてか |
分類 | 必殺シリーズ |
作者 | |
公的データ | そうしたら、あの内容でしょ。もう本当にびっくりしたよ。思えばそのときに初めて、監督や脚本家の名前を意識したんじゃないかな。作る人が違えばこんなに違うのかと、いたく感心した憶えがある。最後の大殺陣で、刃物を手にしなかった者はみんな死んだという辺りのリアリズムに、ぼくは工藤監督のこだわりを見て、痺れたものでした。ご冥福をお祈りします。(貫井徳郎氏の日記より) 昔は、主水の個人的な問題なのに、仲間たちが率先して助けに来て、挙げ句死んでいく展開がちょっと不満だった。今回もそれは感じたんだけど、でも少し違う見方もできた。主水が夜道で刺客に襲われ、裏路地に逃げ込んだときに壱に助けられるシーンで、主水は壱が出てきたら、まだ敵がいるのにすっかり安心してるんだよね。この描写で、主水が壱に寄せる信頼感が覗けた。つまり彼らの間には互いを認め合う気持ちがあったわけで、それがわかると無償で死地に突っ込んでいくのも納得できる。 まあそんな理屈づけは抜きにしても、あの大殺陣はやっぱりすごい。あれは工藤監督じゃないとできないよなぁ。つくづく惜しい人を亡くしました。(貫井徳郎氏の日記より) |
感想文等 | ・必殺シリーズ随一のぼろぼろというわけではない。 ・仕事人シリーズ唯一のズタボロ主水が見られる! それは、ワンシーン――傷を負っているとおぼしき主水が、よろめくようにゆっくりと歩き進みながら、つと、つぶやく。。。「俺は、こんなことくらいじゃ、死なねえよ。。。」。。。 そのシーンだけが、「ぽつん。。。」という感じで「予告編」として放送されていた。いや、実際には他のシーンも入っていたのかもしれないが、そこだけがまるでズームアップされたように、飛び込んできた。 「主水だ!」 と、思った。感じた。「必殺だ。。。。!」と。 その頃のTVシリーズは、「必殺仕事人V激闘編」を放送中で、「初心に返ってハード指向で」との謳い文句はあっても、どうしても今一歩物足りない、もどかしい、そんな感じを受けている頃だった。自分の裡にある「必殺」が現実に放映されているシリーズとブレていて、満たされていなかった。そういうときだった。 それが、この映画の予告編で一気に盛り上がった。 そうだよ、これが中村主水だよ、この「裏の顔」。単に暗くて渋くて疲れてて、という感じになっちゃった今のTV版は、それはやっぱりもうひとつの「表の顔」でしかないんだよ、本当の主水はもっとしたたかで、もっとシビアで。。。そんな無い物ねだりのモノ欲しさに応えるような主水の姿がその予告編の映像にはあったのだ。。。これが。。。これが、そうだ、見たかった「必殺」だよ。。。 そして、実際に観た「必殺!III裏か表か」は、100%ではないものの、充分ひたることのできる重い、熱い、充実した出来の作品だった。「必殺のコンセプトを満たしていない」等々の言い方も聞くけれど、個人的には、これは「懐かしい」昔ながらの「必殺」だから、それで十分うれしかった。。。 特に、TVシリーズでだんだん形骸化してしまった錺の秀が、この映画では「あっ、本物の秀だ!」みたいな復活をしてくれているのは、「あっ、主水だ!」と同じことで、ほんとにほんとに感涙ものだったのだ。 まったく。。。これが必殺仕事人V激闘編の最終回としてテレビで放映されていたなら、激闘編の評価もまた全然違っていただろうに。。。いや、もちろん、映画のクオリティは望めなくてもね。 一点言うなら、この映画での壱は、特に主水への接し方はまるで念仏の鉄だった。脚本の野上龍雄がそういうつもりで書いてしまったのかもしれないけど。そういえば、「必殺仕業人」でも、野上龍雄が書いた回では、仕業人達のお互いへの接し方がまるで仕置人達同士みたいだったものな(笑)(^^;(おっぺ) |