語る「万華鏡」

(解散無用)

解散無用(かいさんむよう)

項目名解散無用
読みかいさんむよう
分類必殺シリーズ

作者
  • 監督・原田雄一 脚本・村尾昭
  • 公的データ
  • 必殺シリーズ新必殺仕置人」最終回。(おっぺ)
  • 出演・佐藤慶 清水紘治 唐沢民賢
  • 感想文等
  • ストーリーは暗記するほど何回も見たけれど、山崎努の表情だけで堪能してしまう。。。(笑)(おっぺ)
  • 何度観ても見入ってしまう……
     冒頭、己代松の仕置シーンからスタートする。見事に成功――も束の間、突然「御用だ!」の連呼と共に捕り方が現れ、己代松は捕縛されてしまう。
     「己代松、神妙にしろ」
     と薄気味悪い表情で十手を突き付けるのは諸岡という名の男だ。
     己代松が引き立てられていくのを見て、正八は呆然とする。観音長屋に駆けて行くと、はなんの心配もなさげに井戸から汲み上げた水を飲んでいるところだ。
     「つぁん! つぁん、町方に捕まっちゃった!」
     おていも呑気に魚など焼いていた。正八が近付くと、「仕事終わったの〜?」などとのほほんとしている。
     「つぁん、捕まったんだよ、町方に!」
     おていが一瞬に変わる。
     単に、何かの容疑で引っ張られたというレベルではない。仕置しているところを捕まったのだ。何の言い抜けもできようはずがない。
     「つぁん、どうなるの……ねえ、どうなるのよ!」
     「いま、八丁堀があたってるよ」
     「八丁堀だったら大丈夫よね!? 八丁堀だったら、つぁんなんとかしてくれるわよね? ね!?」
     そのふだんとは全く違ったおていの狼狽ぶりに、は突然はたとひらめく。
     「そうか……おめえ、にほれてたのか」
     これまで、それらしい描写はなかったようだが、正解だったらしい。
     「つぁん、そんなこと一言も言ってなかったじゃ」
     「あの人はそういう人なんだよ。別にあの人とあたしができてたっていいじゃないか」
     「おめえ、俺たちの稼業がどういう稼業かわかってるよな」
     「ひとつ間違えれば、命を落とすか、獄門さらし首だって言うんだろ、わかってるよ、そんなことは」
     「わかってりゃいいんだ、わかってりゃ」
     主水が現れ、己代松の罪状が盗人ということにされていることを告げる。
     「盗人? は仕置の現場を押さえられたんだろう、おかしいじゃねえか」
     何か裏がありそうだと主水は言う。己代松は酷い拷問にあっていた。本来なら、仕置人としてすぐにでも首を刎ねられるだろうはずが、諸岡には一体どんな企みがあるのか……
     そんな中、元締・虎寅の会の解散を宣言する。どよめく仕置人たち。
     「死神が死んだんで、元締、気が弱くなったんじゃねえか!」
     怒号の中、も言う。
     「俺の仲間が町方に上げられてるんだ、その落とし前はどうしてくれるんだ?」
     尻馬に乗るように、辰蔵という仕置人も続ける。
     「つぁんの言うとおりだ。解散は結構だが、あとくされのないよう、寅の会もきちんとけじめをつけてくれねえとな」
     もちろんだとは言い、そのけじめはどうつける気なのかという問いに、押しかぶせるように答える。
     「私がつける、とはっきり言ってるんだ」
     その威風に、さすがにが眼を伏せるしかない。
     話は、が引退するなら誰が後を継ぐのかというところから、辰蔵が辰の会を立ち上げようかと提案するところへと進む。こういう組織がないと、商売あがったりだ……
     の側近の吉蔵が、そんな中、辰蔵に釘をさす。
     「辰蔵さん、あんたが何をたくらんでいるか、元締はちゃんとお見通しなんだ」
     歌を詠むしか芸がなく台詞もなかった吉蔵だが、前回の「愛情無用」で、寅の会から出奔した死神を追い、「つぁんになら話してもいいだろう」と内情に詳しいところも見せ、元締・虎の信頼の厚さも窺わせている。
    そんな吉蔵に続けてもまた辰蔵に言う。
     「私は、仕置人の外道は、許さない。そのことは、よくわかってるね、辰蔵さん」
     まるで台詞が棒読みの大根役者のような口調だが、かつて裏切りを働いた或いは外道な殺しに手を染めた腕の立つ仕置人が何人も、このの打撃で瞬殺されているのだ。恐ろしさは随一であり、用心棒の死神がいなくなっただけでは、表立って反抗することは誰にもできたものではない。
     散会しての途上、は辰蔵に声を掛けられる。
     「つぁん、辰の会に入らねえか」
     のようなやり方では、この稼業はとてもじゃないが成り立たない。は、自分だけ金を溜め込んで、都合が悪くなると解散では虫がよすぎるだろう。
     辰の会に入るなら、俺が己代松を解き放ってやってもいいんだぜ。
     「解き放つ?」
     その辰蔵の言葉には不審をおぼえた。
     「どうやって解き放つんだい」
     「それはおめえさんの出方次第よ」
     「……が、けじめをつけると言ってるんだ。それを見届けるまではな」
     は即答は避けた。
     「そうかい……それじゃあ、俺もがどんなけじめをつけるか、見届けさせてもらうぜ」
     その帰り道、の姿を見かける。追ってみると、その行った先にはいくつもの位牌が安置してあった。が手ずから彫っていたのだ。
     「とうとう、見られましたね」
     はさすがにに気付いていたのだ。長い間に信用するようになっただから、つけてくるままに任せたのだろう。
     「これは、今まで仕置したやつらの、か?」
     「どんな悪党でも、死ねば、仏です」
     そしては言う。
     「もし、私に万一のことがあったそのときは、あとのことをつぁん、おまえさんに、お願いしたい」
     一方、数か月にわたって謎の人物として過ごしていた「屋根の男」にも、最後の時が訪れようとしていた。正八おていが呆然と見守る中、彼は赤褌だけの裸体のまま、きらびやかな籠に乗せられ、家臣達にかしずかれていた。
     「くるしゅうない、ゆけ」
     屋根の男の命に、家臣達は畏まり、そして、屋根の男の籠はどこかへと去っていった。二度と再び江戸の町に戻ってくることはなかった。さらば屋根の男
     己代松の伯父と名乗り、諸岡との交渉に臨んでいた。自分ひとりが犠牲になって、寅の会仕置人全員を救おうというのだ。
     だが、諸岡には通じなかった。は捕らえられることすらなく、己代松には引き続き過酷極まりない拷問が続けられた。一体諸岡が何を企んでいるのか、主水にも見当を付けることができなかった。
     このままでは己代松の命はない。正八は、「辰の会」に入ろうと言う。そうすれば己代松は助けられる……
     だがは辰蔵の卑劣な性根、金のために見境ない殺しをする気性を知っていた。辰の会に入るということは、自分もまた畜生働きをしなければならなくなるということだ……
     「外道にだけはなりたくねえよ」
     珍しいほどに弱々しい態度では言う。
     「いいじゃねえか、外道だってなんだって! かっこつけたって俺達どうせ人殺しじゃない!」
     「正八、それはなあ……」
     「なあ、つぁん助けたいんだよ、つぁん……なんだよ、みんな、忘れたのかよ、つぁんを、仲間だろ」
     「そんなことは、だって百も承知だよ」
     言い募る正八に辟易した感じで、は切って捨てるように言った。
     「……かっこいいよ、つぁん。かっこいいよ、立派だよ、つぁんはよお!」
     「うるせえ! おまえにはこんな稼業つとまらねえ、やめちまえ!」
     「やめちまいたいよ、俺だって!」
     しかし、こう言い合いながらも、もやはり己代松を見捨てられなかった。辰蔵のところに、己代松を解き放してくれるよう、交渉に赴く。
     「だが、辰の会に入るのは俺一人だ」
     他の仲間たちまで外道に落としたくはない……には似つかわしくない感と言えただろうか。
     だが、辰蔵も一筋でいく男ではなかった。
     「ちょっと待った。俺は、おめえさんたちの仕事ぶりには前から目をつけていたんだ。己代松つぁんの砲、あんたの背骨折り。だが、どうしてもわからねえのが、あの鋭い刃物の殺しだ。あれは並の腕じゃあ到底できる仕業じゃねえ。ぜひ、この三人にを揃えてほしいんだよ」
     「そりゃあ話が違いやしねえか。おめえが辰の会に入れって言うから、俺はこうして来たんだ」
     「三人がひとり欠けても、この話は御破算だ」
     辰蔵もひかなかった。むしろ余裕をもって交渉できる立場だった。は出直すよりなかったのだ。
     辰蔵のアジトから出たの前に現れたのは正八だった。
     「なんだ、おめえか」
     「八丁堀が、つぁん絶対に辰蔵のとこ行くからあとつけてみろって……ごめん、さっきは」
     「それがな……辰蔵のやろう、俺たちが全員揃わなければを渡さないって言うんだ」
     「それって、八丁堀のを晒すってことじゃない……そんなことしたら俺たちの稼業どうなるの。寅の会やめたって続けるんでしょ?」
     「……おまえ、しばらくここで見張ってろ。必ずドブネズミがもう一匹現れる」
     その頃……は位牌作りを続けていた。そこへ入ってくる影……
     は全く警戒していなかった。「何の用だ?」と振り向きもせずに言うへ……
     は少し間に合わなかった。が立ち寄ってみた時、すでに刺客の姿はなく、は瀕死の状態だったのだ。
     「元締め!」
     抱え起こしたに、うっすらと目を開いたは懐を探り、金の包みをの手に押し入れた。
     「つぁん……外道を、頼む」
     それが、最後の言葉だった。
     そして、辰蔵を見張っていた正八は、諸岡と、そしてもう一人、現れた刺客を見た。
     「あんなにに信用されていたのに、あんた、悪党だね」
     笑う諸岡に、辰蔵が言う。
     「いや、この人はちゃんとけじめをつけてくれました。これからは俺の右腕ですよ」
     「よろしくお願い致します」
     そう恭しく頭を下げていた男のを見て、正八は驚愕した。刺客となった男の、それは歌詠みを務めてきた吉蔵に紛れもなかった……
     絵草子屋の地下蔵に主水おていの三人が集まっていた。
     「そうか、が【寅の会】の最後の頼み人になったってわけか」
     多少感慨深げに主水が言っているところへ正八が駆け戻って来る。
     「やっぱり、同心の諸岡と辰蔵つるんでたよ……それから、吉蔵が辰の会に寝返ったよ」
     「なに、吉蔵が!?」
     さすがにも驚く。同時に胸落ちした。あのがどうしてむざむざと殺されることになったのか。一番信頼していた男に、裏切られたのか。。。
     「そうか……じゃあ、を殺したのも吉蔵の野郎か」
     「それも辰蔵の差し金だよ」
     ――己代松は囚われ、すでに死神はおらず、は死に、吉蔵は裏切った。
     相手は凄腕の仕置人グループで、同心まで味方につけている。
     進退きわまるとはこの事だった……
     このとき、主水の中に去来したのはなんだったのか。
     仕置屋稼業のときは、おこうを囚われ、そして助けに行った印玄と共におこうも失った。仕業人時代には、剣之介を囚われ、やはり助けに行ったお歌剣之介諸共に失った。
     最初の仕置人のときは……半次を囚われたが、主水自身も含めてみんなで助けに動き、そして成功したのだ。
     「……辰蔵に、己代松を解き放つ段取りをつけるように伝えてくれ」
     「なに? おめえ……」
     「……こうなったら、しょうがねえやな……俺が、この面さらすより仕方ねえだろう」
     仕置屋時代、仕業人時代と、決してそんなことを言い出そうとはしなかった中村主水が、言った。口にした。
     「おい」
     「いや、俺はな、これまでてめえを後生大事に生きて来た。誰が死のうと誰がどこでくたばろうと、そんなこと俺は知っちゃいなかった」
     「俺だってそうだよ!」
     「だがな……今度はそうはいかねえやな……」
     新仕置人チーム。仲良し5人組。
     何度もせめぎあい、時には命のやりとりを覚悟したときもあった。
     そして今では……
     「……俺は、おめえがどうして辰蔵のところへ行ったのか、ちゃんとわかってるぜ」
     主水を見、主水を見た。言葉は交わさず、表情も特に動かさないまま、しばらく目と目だけで対していた。
     長い長い仲間だったのだ。まだ主水が佐渡で勤めており、は島送りの金堀人足だった。ふたりともまだ若かった。そして主水は江戸に出、もまた。
     「闇の御前」事件が起き、棺桶の錠おきん半次と、仕置人を始めた……それが畜生道の始まりだったのだ。
     一度別れて何年も経ち、その間に新しい仲間を得ながら失い続け、そして再び邂逅し、もう一度スタートした……
     俺は剣之介のことを忘れてた。剣之介だけじゃねえ。死んでいった昔の仲間たちも……
     糸井貢印玄おこう剣之介お歌
     ――また失うのか?
     ……最初の仕置人のときは、助けられた……
     「よし、おめえの気持ちはわかった」
     は無言の対峙を打ち切り、そして続けた。
     「だがな、おめえは俺たちの切り札だ、な。俺にまだ打つ手がある。それをしくじったときは、おめえに頼む」
     「やめて、もういいよ!」
     主水の会話にあまりにも不吉な緊張を感じ取ったのか、ずっと黙っていたおていがいきなり叫んだ。
     「あたし、あきらめる! みんなも、つぁんのことなんか、忘れちまえばいいじゃないか!」
     「……おてい、あきらめるんじゃねえぞ、いいな」
     ふさわしくなく、には全くふさわしくなく、励ますようにそう言って、彼は仲間たちを置いて出て行った。
    己代松がつかまったと聞いておていが狼狽していたとき、この稼業の宿命であり、覚悟が必要のように、あきらめておけというように、言っていたくせに……
     言っていたのに……
     己代松は休まる刻もない責め苦にあっていた。
     諸岡がいったん責めの手を離した時、己代松は目を見開いたまま、すべての表情を失っていた。まるですでに死んでいるような、それは何も見ず何も聞かない、精神の火が消えただった……
     己代松のそんな無惨な状態も知らず、は辰蔵を襲撃した。侵入し、背後から襲い、詰め寄る。
     「辰蔵、己代松を解き放せ。さもないと、てめえをぶっ殺すぞ……どうなんだ!」
     「つぁん、おまえさんがこうくるだろうことは、わかっていたよ」
     すでに迎撃の用意はなされていた。何人もの仕置人が配置され、罠を張っていたのだ。さすがのが辰蔵から引き剥がされ、左右の腕ともをに絡めとられ、無理やりに、真っ赤に火を起こした鞴の方へとその右手を引っ張っていかれる……
     あとを追ってきた正八が見ることができたのはここからだった。見たいような場面でもなかった。息を呑み、足は竦み、そんな正八のみじめに隠れ潜んで見ている前で、の右手は鞴の中に突き入れられ、焼け炭に荒々しく押し当てられ、呵責なく焼き焦がされていく……
     「――――!」
     さすがのが苦痛の呻きの尾を長く引かせ、そして、気を失った。
     時宜を見計らっていたように現れた諸岡を、辰蔵は満足そうなで迎えた。
     「これでもう、仕置はできません
     辰蔵は、最大の強敵の一番の武器を奪ったのだ。が左手でも骨外しができようとも、背骨折りやアバラ折り、喉笛潰しのような荒技は利き腕ならではだろう。これまでのような無敵の念仏の鉄ではなくなったのだ。
     の無惨なさまに目をやりながら、諸岡は言う。
     「己代松も、拷問で完全に機能を失った……もう、生きる屍だ」
     「すると、己代松も、仕置人としては、もうおしまいですな」
     は死体のように転がされている。
     そして今また巳代松のことも、あまりにも衝撃的な事実がわかってしまった。
     正八は、あとずさりし……狂ったように駆け出した。店の地下蔵に駆け戻り、他の何もかもを払い飛ばしながら、前に殺しに使った匕首を手にし、また飛び出そうとした。
     「おめえ、血相変えてどうしたんだ」
     主水だった。正八は言葉をほとばしらせた。
     「……つぁん、右手真っ黒焦げにされちまったよ!」
     「なに……!?」
     「つぁん、生きる屍だってさ……俺、これから辰蔵をぶっ殺してくる」
     主水正八を張り倒した。
     「なにするの!」
     「てめえみたいなガキに何ができる! 返り討ちに遭うのが関の山だぜ……なにもそう死に急ぐことはねえじゃねえか……俺が、しくじってからでも、遅くはねえだろう?」
     主水の口調は優しいものだった。まるで子供をあやすようで、実際、正八の頭をさすりさえしたのだ。正八もまた、子供のように涙を流し、嗚咽した。
     そんな正八を残して、主水は外に出た。浮かぶのは、実際には見ていたわけでもないのに、ひどく具体的に、精緻に感じられる、己代松の苦しみ倒れていく姿だった。
     いったん家に戻り、妻と義母に縁を切る旨を告げてから、再び主水は出陣した。
     まずは己代松が拷問を受け、囚われている牢のところへ行く。
     「諸岡様から、己代松を解き放つよう、言われてきたんだ……」
     牢番は、いやな役目からやっと解放されるという安堵の表情だった。安堵のあまりか、いわでもがなのことまで口にした。
     「大きな声じゃあ言えませんが、あんなひどい拷問を……もう生きる屍ですよ」
     己代松は、死人と同じだった。瞬きすることなく開かれた目は何も見ている様子はなかった。
     だが、その口はしっかりと引き結ばれ、どれほどの責め苦に遭おうとも、仲間たちのことを決して洩らすまいという決然とした意志をそのまま見せていた。辰蔵や諸岡が知りたがっていたはずの、己代松以外の「鋭い刃物の殺し」をやるもう一人の仕置人のことを、己代松は一言も言うことなく、精神を破壊されていったのだ……
     主水は無言で己代松を抱え、外へ連れ出した。そこには正八おてい己代松を乗せる大八車を用意して待っている。
     「つぁん!」
     三人――いや、四人は夜のひどく暗い道を静かに進んで行く。主水が言う。
     「正八己代松頼むぜ」
     正八は答える。
     「つぁんも連れて行ってやってくれよ……仕置人、なんだからさ……」
     そして辰蔵のところへと――。
     主水は板戸を叩いて、出てきた辰蔵の配下に、遜った笑を見せた。
     「夜分、どうも。諸岡様に、火急の用があってお迎えに上がったと、そう伝えてください」
     奥から、辰蔵と諸岡が現れる。
     「どうした……なんだ、中村か。火急の用事とは、いったいなんだ?」
     「それが、その……」
     主水は口ごもって見せる。
     「実は……わたくしが厠へ行っている隙に、己代松に逃げられまして……」
     「己代松が逃げた?」
     諸岡は信じない口調で、いつもの陰険な笑いをにのぼらせた。
     「そんなばかな……奴は生きる屍だ。逃げ出せるわけがない……」
     そんな諸岡に、辰蔵が耳打ちする。
     「ひょっとしたら、例の、3人目の……」
     「……とにかく、行ってみるか」
     主水と2人で外に出たところで、諸岡は不意に疑問をおぼえたようだった。
     「待て待て中村。おまえ、どうして俺がここにいることがわかったんだ?」
     「さあ……どうしてですかな……」
     主水はすでに昼行灯のではなくなっていた。
     「きさま……まさか……?」
     主水仕置人を諸岡に向けた。
     「そう……あんたの思ったとおりだよ、諸岡さん」
     「……きさまぁ!」
     刹那、刀を抜いて切り掛かる諸岡、だが主水のほうが速かった。胴を払われて、諸岡の死命は制された。
     主水はやめなかった。さらに一度、さらにもう一度……。まるで、よくもを、よくも己代松を、という怒りの総てをぶつけるように、主水は斬り続けた。
     最後に諸岡の腹に刀を突き立てると、そのままさっき出てきた板戸に押しぶつけた。諸岡はけたたましい音を立てて板戸もろともに内へと転げ込んだ。そのときにはもう死んでいただろう。
     「あっ、だんな!」
     「だんなっ!」
     飛び現れてきた辰蔵の手下たちが周章狼狽する中、主水はゆっくりと足を踏み入れていく。
     さらに辰蔵が姿を見せ、事態を見て取り、声を放つ。
     「おめえが3人目の仕置人か!」
     主水はものも言わず、手近のやつから叩き斬り始めた。
     もはや鬼神と化した中村主水の姿に、裏切者吉蔵は逸早く肝を潰したていで逃げ出しにかかった。もはや辰蔵もこれまでなら、とにかくここは命長らえることだ……と裏手から逃げ出し――異音と共に背後から追って来る何かに気づいて振り返り、恐怖を歪めて硬直した。
     それは、吉蔵を押し潰さんばかりの勢いで疾駆してくる、人間三人が固まった奇怪な大八車だった。
     正八が息も忘れたような勢いで押し走り、乗っているのはおてい己代松だ。おてい己代松に竹砲を持たせ、狙いを懸命に吉蔵に合わせていた。
     吉蔵は悲鳴も出せずに逃げ、正八たちはどこまでも追った。人の目も耳も気にしていなかったが、この深夜の追跡劇を見ている誰も存在しなかった。実際にはほんの十数秒のことだったのだ。
     竹砲が火を噴き、吉蔵は滑稽なバンザイポーズになって痙攣し、そのまま倒れた。
     正八は大八車を離して、裏切者に駆け寄り、その死を確認した。
     「おてい、やったぞ! つぁん、見て、ほら! あれ!」
     己代松に少しでも届いていただろうか……
     鬼神と化した中村主水を相手に、辰蔵グループは壊滅しようとしていた。辰蔵はかろうじて凶刃を逃れ、隠れ潜める場所を求めた。とにかく一時的にでも隠れられるところを……。
     あの「三人めの仕置人」は、やはり恐ろしい男だった。詰めをしくじった……。己代松を無力化して、安心したのは大間違いだった。やはり、もっと慎重にでも、三人めの正体を暴いておくべきだった……
     とにかく今はあの男をやり過ごすのだ。正面から相手にしては、まるで歯が立たない。とにかく、今は……
     辰蔵は逃げこみ、戸を閉めたてて匕首を握り、息をひそめて外の様子を窺った。
     逃げこんだ場所、そこは数時間前、が辰蔵を襲撃し、そして失敗して右手を焼かれたあの場所だった。
    意識を失って転がされていたはどうなっていたのか――。
     ……はまだそこにいた!
     あのままここに囚われていたのだ。
     死体と同じように転がり、ぴくりとも――いや。
     ぴくりと――黒焦げにされていた右手が動き……ゆっくりと、しかし確かに、蠢き出していた。
     さすがに辰蔵は気配を気づいた。はたと振り向き、暗闇の中に立ち上がる影を見た。
     ――念仏の鉄
     は黒焦げの右手を掲げ、辰蔵を見据えていた。中村主水が鬼神なら、こちらはまるで幽鬼だった。辰蔵は瞬間的に動いた。体力を消耗したより速度がまさり、の手が届く前に、辰蔵の匕首がの腹を刺し貫いていた。
     勝った、という歓喜と共に辰蔵は匕首をそのまま抉り回し、のはらわたを掻き回していく。
     は痙攣した。ただでさえ右の手を黒焦げにされる責め苦で消耗し、体力を根こそぎにされていたのだ。は闇の中でさらにどす黒く、すでに死相のように見えていた。
     だが、は最後の力を、辰蔵をもぎ放すよりも、逆に抑え込むのに使った。左手で辰蔵をがっちりと掴み離さなくした。
     辰蔵は抱え込まれ、動けなくなった――隙を逃さず、の炭化したような右手が辰蔵の胸を貫いた。
     辰蔵は絶叫した……。
     ……は辰蔵の胸から右手を引き抜くと、この外道仕置人の体を放した。辰蔵は倒れ込み、二度と立ち上がることはなかった……だが、辰蔵の匕首はの腹に深く突き立てられたままだった――。
     はゆっくりと歩き出した……閉められていた戸を、半分よりかかるようにしながら押し開け、戸口に持たれかかって、腹に突き立っていた匕首を抜いた。
     外を見、空を見上げた。ゆっくり、ゆっくりと足を運び、なんとか外へと出た。
     そのまま、力無い足取りで歩き去った。
     辰蔵のほうを振り返ることはもちろん――もう一人の男へ視線を向けることも、しなかった。
     すぐ外にまでやって来ていた男、中村主水は、戸口でだけ少し向けて辰蔵の死骸を見、そして念仏の鉄の歩み去る背中を見ていた。
     声を掛けることも駆け寄って行くこともできず、ただ友の背中だけを……。
     はふだんの行動そのままに遊郭をふらつき、適当な女郎と時を過ごした。
     突然女郎が盛大な悲鳴をあげ、跳ね起きた……は冷たくなっていた。
     こうして、最初の仕置人念仏の鉄は死んでいったのだ――。
     翌日、正八は、大八車を押して江戸を出るおていを見送った。大八車の上の己代松は変わらずの状態だ。
     「正ちゃん、この辺でいいよ。……心配しないで。つぁんは、絶対あたしが治してみせるから」
     おていは明るく、笑で手を振ってみせた。
     正八は、遠ざかって行く2人を見ていた。もう全く見えなくなるときまで……。
     主水は市中見回りをしている。時には店の男に難癖をつけては袖の下を取る。初めて仕置人というものを始めたときも、こうやって小金稼ぎをやっていた。にちょっかいをかけられながら……。
     今日はかなりの稼ぎになった。大漁だ。
     主水は両袖に溜まった収穫の多さに破した。
     もはや亡くしたくないものなど、何一つ無くなった。失いたくないものは、何一つ……。
     もう、仲間をなくして苦痛を感じることもないだろう。こうしてヘラヘラ笑って生きて行けるだろう。
     主水はそう感じていた。
     しかし、主水は間違っていたのだ。
     さらに苛酷な運命が、続いて主水には迫ってきつつあったのだった。それは。。。(おっぺ)
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