項目名 | タイム・トラベラー |
読み | たいむとらべらー |
分類 | SFドラマ |
作者 | |
公的データ | 原作: 筒井康隆(原題「時をかける少女」) 脚色: 石山透 出演: 芳山和子(島田淳子、のちに浅野真弓に改名) 深町一夫=ケン・ソゴル(木下清) 語り: 城達也(おっぺ) |
感想文等 | 30年ぶり。。。に見た。あるいは、聞いた。 よもや二度と見られるとは思っていなかったので、いろいろとひとしお。。。 要するに、筒井康隆の「時をかける少女」を原作とした映像化作品のプロトタイプ。原田知世の「時をかける少女」以来、様々なバージョンが出現することになったけれど、その原点と言うべきものか。もはや映像ソースは残っておらず、しかし、ファンがたまたま所蔵していた「最終回」の映像や、他の音声からギリギリのところで復刻された。ほとんど奇跡のような復刻だと思う。 私の記憶にあったのはただ1つのシーン。 主人公の芳山和子が雪の中をさまよいながら、「ケン。。。! ケン。。。! どこにいるの!?」と叫びつつ、未来からの訪問者、ケン・ソゴルを探しているというシーン。それ以外の記憶はなかった。ラベンダーの匂いとか、フラスコとか、そういうアイテムは、のちに原作や原田知世版で再構成された記憶等であって、最初の「タイム・トラベラー」の記憶はそれだけ。。。 けれど、とても鮮烈な記憶であって、あまりにも強く記憶に残っていたので、一度そのシーンをそのまま使って、そのシーンでスタートする小説を書き始めたことさえあったくらい。。。 今回、残念ながらそのシーンの映像は残っていなかったけれど、音声でその部分を聞くことが出来た。。。 それにしても、筒井康隆の原作は非常にシンプルで、ほとんどプロットのみにかすかに小説としての肉付けがしてあるという感じがするくらい。ジュブナイルで、しかも短編だということで、ドラマ部分を思いきり展開させることができなかったからかもしれない。 そのおかげでというべきか、映像化作品はずいぶん自在に展開させることができるようになっている。。。逆に言えば、それほど原作のプロットが「原型」としてうまく出来上がっているとも言えるのかもしれない。ありとあらゆるストーリー、ドラマとして再構成させられる。 この「タイプ」を使えば、いろいろとすばらしい話が展開できる。。。 「続 タイム・トラベラー」も収録されていて、こちらはまだ見ていない。これは全然記憶に残っていなくて、きっと面白くなかったんだろう(^^;)。要するにこれは、芳山和子がケン・ソゴルと再会して別の冒険をするわけだから、言ってみればあのラストシーンからの期待をかなえていると言えばかなえているのだけど、ぶち壊しているといえばぶち壊しているから(笑)。 でも、それでも、。。。。「再会」というのは、私にとってはなぜだかとても強い、せつない感情を呼び起こす。。。 だから、きっと、三原順の「サーニンのメモノート」に涙してしまうんだろう。。。 「続 タイム・トラベラー」は、芳山和子とケン・ソゴルの話に絞れないで、いろいろ関係ないキャラクターがゴロゴロしちゃっていたらしいのが、面白くなかった理由じゃないかと推測するのだけれど、これからまた聞いてみよう←音声しか残っていないのである。 あっ、さっきからケン・ソゴル、ケン・ソゴルと言っているけれど、この名前、原田知世版では出てこないんだよね(笑)。それだけが原田知世版での欠点だという話もどこかで言われているんじゃないかと思うぞ、私は(笑)。(おっぺ) 私が見たのは、土曜の午後のNHKの番組で視聴者がたまたま録画しておいた最終回のテープをデジタル処理したものだったんですよ。 私にとっては、それが初タイム・トラベラーだったのですが、感動しました。 映像的に。 特撮というものだと思うのだけれど、きっと今だったらCGになるのだろうな、というものがいろいろと工夫されていて、かえって神秘的な感じで。 私は「続・タイム・トラベラー」の小説も持っていますよ。 でもたぶんノベライズっていうんでしたっけ?テレビの小説版って感じだったはず。 そして筒井康隆のよりも長いんですよね。確か。 でも印象はやっぱり薄い。 いやいや、私としてはそれなりに好き。 だけれど、確かに本岡家さんが書かれているように、筒井康隆の「時をかける少女」のラストの続きを見たかった、ってことだけにあるような気はします。 その後の二人。 再会した二人。 うーん、たまらないですよね。 のめり込んだ小説やドラマなんかではいつも考えてしまう。 佐々木丸美作品の続きがあれば、作風が変わっていようとどうなっていようと絶対に読みたい。そんな感じ。 私は何度か書いているように原田知世の「時をかける少女」は好きじゃないんですね。 でももしかしたら、それは単純に私が原田知世嫌いだからという理由ではなくって私のイメージの芳山和子と ケン・ソゴルではなかったからかもしれない。 その後の嫌じゃなかった南野陽子も内田有紀のも嫌じゃなかったのはケン・ソゴルがいたから。 ではなくって(もちろんそれもあるかも)、ケン・ソゴルが未来人ぽかったからかも。 「タイム・トラベラー」みたいにね。 原田知世版は未来よりも過去というのかな、ノスタルジックな雰囲気で。 むしろ原田知世自身の方がラベンダーの香りのような甘い幻想の雰囲気を持っていたかも。 本当に存在していたかどうかはわからなくなってしまうような、甘い時間のない思い出。 そんな感じが似合っていたかも。 芳山和子は「タイム・トラベラー」の女優さんのように、南野陽子や内田有紀のように今を元気に明るく生きていて、そしてケン・ソゴルは今はどこにも生きていない。 それが私のイメージかも。 なんだかよくわからない書き込みになったけど。(きんぎょ) そうそう、それをやっと手に入れて、でもってやっとこの連休で視聴できたんですよ(笑)。なんとなく大事にとっておいてしまった(笑)。 > 特撮というものだと思うのだけれど、きっと今だったらCGになるのだろうな、 > というものがいろいろと工夫されていて、かえって神秘的な感じで。 今はなんでもCGで、それはそれで面白いんですが、昔のものにも昔の味というものがあるのですよねー。CGの場合は「なんでもあり」だから、面白くはあっても驚きはないかもしれません(^^;)。 > 私は「続・タイム・トラベラー」の小説も持っていますよ。 > でもたぶんノベライズっていうんでしたっけ?テレビの小説版って感じだったはず。 すごいなあ、私は持ってない(笑)。確か、脚本を書いた人が、ノベライズなさったものだったと思います。 > だけれど、確かに本岡家さんが書かれているように、筒井康隆の「時をかける少女」 > のラストの続きを見たかった、ってことだけにあるような気はします。 > > その後の二人。 > 再会した二人。 > > うーん、たまらないですよね。 あのあと、続編の音声を聞いたのですが。。。なんとしたことか、結局、和子のケン・ソゴルについての記憶は戻らないんですよ! つまり、『再会』の感動も切なさも何もなく、ただストーリーだけが進んでいく。。。こ、これは。。。ちょっと見たかった「続編」ではなかったかも。。。(^^;) もしかしたら、だから印象が薄かったのかもしれません(^^;)。 今まで読んだ、視た中で「再会」が一番せつなく、自分の中で盛りあがったのは、やはり前に書いた三原順「サーニンのメモノート」でした。。。 > のめり込んだ小説やドラマなんかではいつも考えてしまう。 > 佐々木丸美作品の続きがあれば、作風が変わっていようとどうなっていようと > 絶対に読みたい。そんな感じ。 まさしくそうですね(゜0・(。_。)(゜-゜)(。_。)ウンウン。 > 私は何度か書いているように原田知世の「時をかける少女」は好きじゃないんですね。 > でももしかしたら、それは単純に私が原田知世嫌いだからという理由ではなくって > 私のイメージの芳山和子と ケン・ソゴルではなかったからかもしれない。 > その後の嫌じゃなかった南野陽子も内田有紀のも嫌じゃなかったのはケン・ソゴルがいたから。 > ではなくって(もちろんそれもあるかも)、ケン・ソゴルが未来人ぽかったからかも。 > 「タイム・トラベラー」みたいにね。 「少年ドラマシリーズ」の未来人や宇宙人は、みんないかにもそれっぽかったような気がします(笑)。 > 原田知世版は未来よりも過去というのかな、ノスタルジックな雰囲気で。 > 芳山和子は「タイム・トラベラー」の女優さんのように、南野陽子や内田有紀のように > 今を元気に明るく生きていて、そしてケン・ソゴルは今はどこにも生きていない。 > それが私のイメージかも。 それが一番もともとの原作には近いのかもしれません(^^)。(おっぺ) (お、これは「ファイナル・ファンタジー」の映画の話しに繋がりそうな話題、って私はたぶん見ないだろうけれど) で、CG。 その「なんでもあり」が問題だと思うんですよね。 やっぱり驚きたいし…。 > あのあと、続編の音声を聞いたのですが。。。なんとしたことか、結局、和子のケン・ソゴルについての記憶は戻らないんですよ! つまり、『再会』の感動も切なさも何もなく、ただストーリーだけが進んでいく。。。こ、これは。。。ちょっと見たかった「続編」ではなかったかも。。。(^^;) もしかしたら、だから印象が薄かったのかもしれません(^^;)。 本は今手許にないので、当時の私の読んだ記憶でいえば、和子が思い出さないってところがまたちょっと切なかったように思うんですよ。 なんていうか、再会の感動というよりも、本人だけが知らない切なさっていうのかなぁ。 小説のこちら側、つまり読者の私は知っているんですよね、二人が再会した感動を。 「夢館」で再会する千波と恭介ぽいかもしれないですよ(?) ケンの気持ちは吹原さんのようだったかも。 でも私は映像は見ていないし、記憶もないからなぁ。 あくまでも小説を読んだイメージだから、映像となると違うかもしれないですよね。 > 今まで読んだ、視た中で「再会」が一番せつなく、自分の中で盛りあがったのは、やはり前に書いた三原順「サーニンのメモノート」でした。。。 うーん、やっぱりいつかはきっちり三原順を読まなくちゃならないかも。(きんぎょ) > って私はたぶん見ないだろうけれど) 私もたぶん見ない(笑) 日本のアニメーションがどんどん進歩して、或る場合には、生身の役者とはまた別の意味での「生命」を持ち得たと思うのですが、CGによるキャラはそれがまた第一段階に戻ったという感じです。「マジンガーZ」以前のあたり(^^;) > で、CG。 > その「なんでもあり」が問題だと思うんですよね。 > やっぱり驚きたいし…。 昔のことばかり言ってもアレですが(笑)、前は、みごとな特撮があると「みごとだ。。。」と唸ったんですが、今は、「これもCGなんだなー」で終わりですから。これから変わっていくのかなあ? > 本は今手許にないので、当時の私の読んだ記憶でいえば、和子が思い出さないってところが > またちょっと切なかったように思うんですよ。 > なんていうか、再会の感動というよりも、本人だけが知らない切なさっていうのかなぁ。 > 小説のこちら側、つまり読者の私は知っているんですよね、二人が再会した感動を。 > 「夢館」で再会する千波と恭介ぽいかもしれないですよ(?) > ケンの気持ちは吹原さんのようだったかも。 そうか、音声だけだから、和子が思い出さないときのケンの表情とかが判らないんだ\(◎o◎)/! 小説だと、地の文でしっかり内面描写できるし、もともとのラジオドラマとかなら音声での描写もあるだろうけど、テレビだったから、きっと役者さんの表情その他でいろいろ内面描写があったはずなんですよねー。 うーん、「本人だけが知らない切なさ」、実際の映像が見てみたいなあ。。。 > > 今まで読んだ、視た中で「再会」が一番せつなく、自分の中で盛りあがったのは、やはり前に書いた三原順「サーニンのメモノート」でした。。。 > > うーん、やっぱりいつかはきっちり三原順を読まなくちゃならないかも。 どうしてこんなに「再会」にせつなくなってしまうのか、自分でも解らないのですけどね(^^;)(おっぺ) > 日本のアニメーションがどんどん進歩して、或る場合には、生身の役者とはまた別の意味での「生命」を持ち得たと思うのですが、CGによるキャラはそれがまた第一段階に戻ったという感じです。「マジンガーZ」以前のあたり(^^;) お、やっぱりCGはアニメ、なんですね。 第一段階っていうのは、なんだかよくわかる、ような…。 これからなんでしょうか。そうなんでしょうね。 あまり簡単に切り捨てるのももったいないか。 > うーん、「本人だけが知らない切なさ」、実際の映像が見てみたいなあ。。。 私も見てみたい。 きっとね、ケンの方の描写だと思うんですよ。 自分が消した記憶だけれど、でもきっと覚えていて欲しかったんじゃないかな。 そうなると困るのもまたケンなのだろうけれど。 でも「あの時」の二人の通い合った気持ちは本物だから、きっとケンにとっても大切な思い出だろうから。 そんな複雑な気持ちがあったんじゃないかと…。 > どうしてこんなに「再会」にせつなくなってしまうのか、自分でも解らないのですけどね(^^;) 時をかけているからかも。 会わなかった時間が凝縮されていて。 時計の早回しのように流れる圧縮された時間に 押しつぶされてしまいそうになるのかも。 Gがかかっちゃうのね。きっと。なぁんて。(きんぎょ) > 第一段階っていうのは、なんだかよくわかる、ような…。 > これからなんでしょうか。そうなんでしょうね。 > あまり簡単に切り捨てるのももったいないか。 アニメにしても、最初の「アトム」とか見ると、カクカク動いて(笑)。 当時の絵的な技術では、例えばアクション場面なんかもあまりに迫力がないので、シナリオもストーリーやドラマに重点を置いていた、という話を聞いたことがありますが。。。 無機物やらはともかく、キャラクターの表情、感情の表出はどうしたって生身の役者にはかなうまい。。。と思っていたのですが、後年、『超時空要塞マクロス』というテレビシリーズを見ていたとき、作画のばらつきは否めなかったのですが、時折「えっ」と思うほどのものもあり、「パインサラダ」というサブタイトルの回など、先輩パイロットの死を知らされた主人公の表情など、とうとうアニメのキャラでもこういう感情表現をさせることができるようになったんだな。。。と感慨を持ったおぼえがあります。 でも、CGアニメになって、また1からに戻っちゃった(笑)。ガンバレー、です(笑)。 > きっとね、ケンの方の描写だと思うんですよ。 > 自分が消した記憶だけれど、でもきっと覚えていて欲しかったんじゃないかな。 そういえば、原田知世版の「時をかける少女」のラストもそうなるのかな? > 時をかけているからかも。 > 会わなかった時間が凝縮されていて。 > 時計の早回しのように流れる圧縮された時間に > 押しつぶされてしまいそうになるのかも。 > Gがかかっちゃうのね。きっと。なぁんて。 そして、デジャビュ。 不思議な記憶と感覚が、戸惑いとせつなさを呼んでくる。 ああ、私が言うと莫迦みたいだ(爆)。(おっぺ) |