項目名 | パイルD-3の壁 |
読み | ぱいるでぃーすりーのかべ |
分類 | ミステリドラマ |
作者 | |
公的データ | 脚本:スティーブン・ボチコ(「NYPDブルー」製作総指揮) 監督:ピーター・フォーク ゲスト:パトリック・オニール |
感想文等 | つまりこれは、どうしても証拠も見つからず、決め手も掴めず、コロンボは手の施しようがないので、犯人に罠をかけるわけだ。それはよい。「殺人処方箋」の時からやっていたことだ。けれど、その罠が、私にとっては見え見えもいいところで、どうもコロンボの小狡い悪あがきにしか見えなかったのだ。犯人がもう少し賢かったら、、、そうとしか感じられなかった。 筒井康隆がどこだったかに、「今日のコロンボは珍しく駄作」という日記を書いていて、それを読んだとき、あーこれはきっと「パイルD-3の壁」の壁を言っているんだろうな、と瞬時に思ったくらい、それくらいこの作品はがっかりものだったのだ。 何度も書いてしまうことなのだが、本来倒叙ものは、賢い犯人が完全犯罪のつもりでやった犯行を、その賢い犯人ですらうっかり見逃したミスやら何やらを探偵役が発見したり見抜いたりして露見させる、そこに醍醐味がある、、、そう思っている。探偵役が何も打つ手が(TT)、やむを得ず罠をかけて犯人の出方を見る、というのは、これはミステリではなくて、ただの刑事ドラマのストーリーでしかないのだ。 「権力の墓穴」なども同じパターンではあるのだが、こちらはその罠のかけ方が個人的にはサプライズにはまったので、がっかりはしなかった。「ロンドンの傘」みたいなのは、またちょっと悲しい。嘘の証拠は、これはちっぽけな罠になってしまうのだ。 罠なら罠でいいのだが、そこに何かしら一工夫、あっと思わせるサプライズを投入しておいてほしい、それがたぶん、私の感じていることなんだろう。(おっぺ) |