項目名 | Yの悲劇 |
読み | わいのひげき |
分類 | ミステリ小説 |
作者 | |
公的データ | |
感想文等 | ・最後の最後、犯人の名前のやり取りはスリルがあった。 ・真犯人に驚いた。 で、毎回、「感想ノート」みたいなのを書くわけで、長編小説の場合、当然切れ切れの感想になり。 ましてや長編ミステリともなると、この「感想ノート」はかっこうの「引っかかった記録」になったのだった(笑)。 とはいえ、さすがにもうほとんど記憶はないのだけれど、エラリー・クイーン「Yの悲劇」については、割と細かく覚えている。やはり、伏線、手がかり、ミスディレクションが魅力いっぱいに散りばめられて、毎回予想を覆されながら読み進んでいき、そして結局はまんまと騙された……この快感が大きかったのだと思う。 この「Yの悲劇」を読む少し前くらいに、ヴァン・ダイン「グリーン殺人事件」を読んでいて、この作品で『被害者を装った、弱者と見えた女性が犯人』というパターンに初めて出会い、そして騙された(笑)という体験があったので、似たような設定――館モノである「Yの悲劇」にはチャレンジ精神を刺激されたらしい。読みながら、せっせと予想をたて、推理を巡らせて感想ノートを書いたのを覚えている。 「ルイザ・キャンピオンが怪しい」と、まず推理した。これは、やはり「グリーン殺人事件」からの直接的な類推だったろう。そして次には、「ヨーク・ハッターが怪しい」。思いきり、作者クイーンのミスディレクションに引きずり回されていたわけだ。 というのは、これもまた、この「感想ノート」のことを比較的具体的に覚えている理由であるのだが、「Yの悲劇」のクライマックス、名探偵ドルリー・レーンが真犯人を指摘する場面で、読んでいた子供の私にとって、とても印象深いことが起きたからなのだ。 「犯人は、ルイザ・キャンピオンでしょう?」 ブルーノ検事が言った。 「違います」 レーンは答えた。 「ヨーク・ハッターですね!?」 サム警部が勢い込んで言った。「私は最初からそんな気がしていたんだ!」 「違います……」 レーンは答えた。 「違います……」 ゆっくり、そう繰り返すと、続けて静かに告げた。 「犯人は……ジャッキーなのです」 この場面! なんと、自分が推理していた過程と全く同じ流れで、犯人が指名され、そしてそれが、否定された。そして、もっとさらに意外な犯人が指摘された! これが、インパクトがあった。 「ということは」 と、子供の私はひとりごちた。 「ぼくのレベルは、サム警部程度ということだな。ブルーノには、勝った」 勝ったもなにも、作者クイーンの思惑通りに推理「させられ」、完全にノックアウトだっただけである。 この体験が、作者の企みに挑む楽しさと、そして、にもかかわらずまんまと騙される快感を教えてくれた。 以来、「本格」好きでいる。いわば、この「Yの悲劇」はミステリ好きの始まった原点みたいなものなのだ。(おっぺ) |