語る「万華鏡」

(「Yの悲劇」に書き足す)

Yの悲劇(わいのひげき)

項目名Yの悲劇
読みわいのひげき
分類ミステリ小説

作者
  • エラリー・クイーン
  • 公的データ
  • 行方不明の富ヨーク・ハッターの死体がニューヨークの港に揚がった。警察は毒物による自殺と断定したが、その後、ハッター一族の邸では奇怪な事件が起こり始める。子供のジャッキーが毒物の入った飲み物で危うく命を落としそうになり、未亡人のエミリーがマンドリンという奇妙な凶器で殺害されたのだ。狂気じみた一族を巻き込んで展開される驚愕すべき完全犯罪―名探偵ドルリー・レーンが解明にいどむ連続殺人の全貌とは?スリリングな謎、用意周到な伏線、明晰な論理性と、本格ミステリに求められるすべてを備えた不朽の名作。
  • 感想文等
  • 創元推理文庫版がお勧め。
    ・最後の最後、犯人の名前のやり取りはスリルがあった。
    真犯人に驚いた。
  • ヴァン・ダイングリーン殺人事件」でビックリしたので、今度はだまされないぞと思ってこれに挑んで、またビックリした(笑)(おっぺ)
  • 今のご時世だと驚けないかもなー
  • まだ小学生の頃、学校の「読書クラブ」に入っていて、週に一度か、あるいはもう少しは多かったのかな、午後の一時限を図書館の読書に当てられた。至福(笑)。
    で、毎回、「感想ノート」みたいなのを書くわけで、長編小説の場合、当然切れ切れの感想になり。
    ましてや長編ミステリともなると、この「感想ノート」はかっこうの「引っかかった記録」になったのだった(笑)。
    とはいえ、さすがにもうほとんど記憶はないのだけれど、エラリー・クイーンYの悲劇」については、割と細かく覚えている。やはり、伏線、手がかり、ミスディレクションが魅力いっぱいに散りばめられて、毎回予想を覆されながら読み進んでいき、そして結局はまんまと騙された……この快感が大きかったのだと思う。
    この「Yの悲劇」を読む少し前くらいに、ヴァン・ダイングリーン殺人事件」を読んでいて、この作品で『被害者を装った、弱者と見えた女性が犯人』というパターンに初めて出会い、そして騙された(笑)という体験があったので、似たような設定――館モノである「Yの悲劇」にはチャレンジ精神を刺激されたらしい。読みながら、せっせと予想をたて、推理を巡らせて感想ノートを書いたのを覚えている。
    ルイザ・キャンピオンが怪しい」と、まず推理した。これは、やはり「グリーン殺人事件」からの直接的な類推だったろう。そして次には、「ヨーク・ハッターが怪しい」。思いきり、作者クイーンミスディレクションに引きずり回されていたわけだ。
    というのは、これもまた、この「感想ノート」のことを比較的具体的に覚えている理由であるのだが、「Yの悲劇」のクライマックス、名探偵ドルリー・レーン真犯人を指摘する場面で、読んでいた子供の私にとって、とても印象深いことが起きたからなのだ。

    「犯人は、ルイザ・キャンピオンでしょう?」
    ブルーノ検事が言った。
    「違います」
    レーンは答えた。
    ヨーク・ハッターですね!?」
    サム警部が勢い込んで言った。「私は最初からそんな気がしていたんだ!」
    「違います……」
    レーンは答えた。
    「違います……」
    ゆっくり、そう繰り返すと、続けて静かに告げた。
    「犯人は……ジャッキーなのです」

    この場面!
    なんと、自分が推理していた過程と全く同じ流れで、犯人が指名され、そしてそれが、否定された。そして、もっとさらに意外な犯人が指摘された!
    これが、インパクトがあった。
    「ということは」
    と、子供の私はひとりごちた。
    「ぼくのレベルは、サム警部程度ということだな。ブルーノには、勝った」
    勝ったもなにも、作者クイーンの思惑通りに推理「させられ」、完全にノックアウトだっただけである。
    この体験が、作者の企みに挑む楽しさと、そして、にもかかわらずまんまと騙される快感を教えてくれた。
    以来、「本格」好きでいる。いわば、この「Yの悲劇」はミステリ好きの始まった原点みたいなものなのだ。(おっぺ)
  • 作者
  • 作家・監督等
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