語る「万華鏡」

(アクロイドを殺したのはだれか)

アクロイドを殺したのはだれか(あくろいどをころしたのはだれか)

項目名アクロイドを殺したのはだれか
読みあくろいどをころしたのはだれか
分類エッセイ・評論

作者
  • ピエール・バイヤール(おっぺ)
  • 公的データ
  • アガサ・クリスティーの代表作として、またミステリー史上最大の問題作として知られる『アクロイド殺害事件』の犯人はその人物ではない―文学理論と精神分析の専門家バイヤール教授が事件の真相に挑戦、名探偵ポワロの「妄想」を暴き出し、驚くべき(しかし十分に合理的な)真犯人を明らかにする。「読む」ことの核心に迫る文学エッセーとしても貴重なメタ・ミステリー。(おっぺ)
  • 感想文等
  • 昔から、『金田一さんあなたの推理は間違いだらけ』とか、本格推理小説の誤謬を指摘する本というのはあったと思うのだけれども、この『アクロイドを殺したのは誰か』については、そういった「ミスの指摘」「変なところの指摘」レベルの本とはかなり違っている気がする。
     なにしろ、これまでのものが、一冊の本の中にかなりの数の作品を取り上げ、ミスの突っつき、そこから考えられる別の可能性、を単に述べているにほとんど過ぎなかったのに比べ、この本では、丸々一冊を『アクロイド殺し』の追究に当てている。
     なるほど著者はパリの大学教授で、著書には『嘘つきのパラドックス――ラクロ論』とか『フロイト直前のモーパッサン』とか『主題外――プルーストと冗長性』とかあるのだから、それらに対するのと同じ手つきで、クリスティ、特に『アクロイド殺し』を扱っているわけだ。これまでの同人レベルの本とは違っていても当然か。
     これまで、「記述者が犯人」という見事な意外性に眼をくらまされていて、盲点に入っていた「もしや他の人物が」という点に注目しただけでもなかなか面白い。これが他の作品、たとえば『ABC殺人事件』とか『三幕の悲劇』とかの犯人が別の人物だ、というのだったら、これほど興味も引かず、面白くもなかっただろう。『オリエント急行の殺人』とか『そして誰もいなくなった』『カーテン』あたりなら、まだ近いかもしれないが、それでもやはりまだ足りない。「×××が犯人」というプロットの作品だからこそ、そのプロット自体をさらにひっくり返す試みであるがゆえの、面白さだったろう。

     もちろん、それだけでは読んでみて肩透かし、わざわざ一冊の本を使うまでのこともない、で終わってしまうこともあり得たのだけれど、正直、何ヶ所かの部分では興奮すらもおぼえた。つまり、重箱の隅をつついて「ここが変」「ここは作者の、あるいは探偵のミス」ということを言い立てるのは創造ではなく傍目八目に過ぎないのだが、この著作の中では確かに新たな「推理」の創造がされていたと感じる。なぜなら。。。「驚き」があったから。

     推理小説、探偵小説、ミステリ、言い方はいろいろとあるのだが、少なくとも私に関する限り、そこでの「解決」「推理」には驚きが欲しい。。。「どんでん返し」「意外性」「サプライズ・エンディング」、この言い方も何でもいいが、目から鱗を落とす何かに存在していて欲しいのだ。「そうだったのか。。。!」と愕然とする、びっくりする、そういうものを少なくともミステリ小説には求めている。それがないなら、ミステリの名には値しないのではないかと思っている部分が私の中にはある。

     だから、単に「論理に整合性がある」だけでは足りないのだ。「謎」があり、「解決」がある。それだけではミステリとは呼びたくない。たとえば、「財布がなくなっていた」「調べていくと、同居している弟が犯人だった」、おしまい。これはミステリではない。あたりまえだ。けれど、世に蔓延している「ミステリ小説」「推理小説」には実にどれほど結局はこれだけのことでしかないものの多いことか。
     財布消失事件発生。名探偵登場。調べていくと、賭け事で借金がかさんだという動機で、盗む機会のあった弟が、かねてから冷たく接してきていた兄への腹いせもあって、兄の置き忘れていった財布を盗んだ。めでたしめでたし。
     それは確かに、このストーリーでも、肉付け次第、ドラマ次第、登場人物の内面描写等次第で、面白い小説は出来上がるかもしれない。それならそれでもよい。そういうタイプのミステリも最近は増えてきており、また、すばらしい作品をたくさん生まれてきている。「日常の謎」タイプということで、北村薫加納朋子を筆頭に、私も愛読する作家たち、作品たちもある。
     けれど、そういうドラマ性な部分が希薄で、単に事件と「論理的」な解決だけ、という作品であるなら、そこにはどうしても「驚き」が欲しい。「不可解な謎」が「合理的に解決」されただけでは、必ずしも驚きは、即ち感動と言い換えても私にとってはいいのだが、それは産まれない。

     いわゆる「社会派」の大半が私にとってあまり面白くないものだったのは、事件と解決はあっても、驚きが存在していなかったからだし、「本格物」であっても幾つかの作品が読み捨てになってしまい再読の意欲が湧かないのは、ドラマ的な感動も「論理のアクロバット」等による驚きという感動も薄かったためだ。

     驚きたい。。。それが、たぶん、私がミステリを読む根本の動機というものだろう。

     話を元に戻さなければならない。この著作『アクロイドを殺したのはだれか』には、元の作者であるクリスティのミスの指摘、あり得た別の可能性の指摘、レベルにとどまらず、新たな驚きの創造があった。「あっ、そうか!」という、気づかないでいた視点の提出があった。だから、私はやはりこの著作を新たな1つのミステリとして歓迎する。
     『アクロイド殺し』の「真犯人」の指摘の他に、『終わりなき夜に生まれつく』の解釈、また、『カーテン』の「犯人」のついての言及など、あッと思うところも数々あった。特に、『カーテン』で、これまで言われていた「ポ○ロが犯人に。。。」ということだけでなく、実は「ヘ○スティングも犯人だったのだから」「この『最後の事件』は実は、これまでの探偵役とワトソン役の二人ともが犯人になる物語」であったのだという点など、当たり前のことであるにもかかわらず、実は思ってもいなかった部分の指摘ということで、まさしく「名探偵の指摘」そのものとして、私にとっては存在した。

     ミステリ好きにとっては、決してつまらない本ではないと思う。

     問題は。。。この著作、『アクロイド殺し』のネタを割っているのは当然のこととして、実は、クリスティの作品のかなり多くのネタも一緒に割っている。これまでに書いた『終わりなき夜に生まれつく』『カーテン』以外にも、『動く指』『象は忘れない』『葬儀を終えて』『ナイルに死す』『白昼の悪魔』『ねじれた家』『ハロウィーン・パーティ』『ひらいたトランプ』『パディントン発四時五○分』『蒼ざめた馬』『ポワロのクリスマス』『チムニーズ館の秘密』『そして誰もいなくなった』『邪悪の家』『死が最後にやってくる』『予告殺人』『ABC殺人事件』『秘密機関』『三幕の悲劇』『ポケットにライ麦を』『シタフォードの謎』『雲をつかむ死』。。きりがない(^^;)。
     したがって、この興味深い著作を読もうとするならば、とりあえずクリスティの全作品を一通り読み終えてからにしないと、各作品を読んだときのせっかくの「驚き」が損なわれてしまう恐れはたぶんにある。
     心してどうぞ。(おっぺ)
  • ミステリ評論の一種だけど、面白かった。
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