語る「万華鏡」

(「高く孤独な道を行け」に書き足す)

高く孤独な道を行け(たかくこどくなみちをゆけ)

項目名高く孤独な道を行け
読みたかくこどくなみちをゆけ
分類ミステリ小説

作者
  • ドン・ウィンズロウ(おっぺ)
  • 公的データ
  • 中国の僧坊で伏拳の修得に余念がなかったニールに、父親にさらわれた二歳の赤ん坊を無事連れ帰れ、という指令がくだった。捜索の道のりは、ニールを開拓者精神の気風をとどめるネヴァダの片隅へと連れ出す。不穏なカルト教団の影が見え隠れするなか、決死の潜入工作は成功するのか?悲嘆に暮れる母親の姿を心に刻んで、探偵ニール、みたびの奮闘の幕が上がる。好評第三弾。(おっぺ)
  • 感想文等
  • ニール・ケアリー第3作。
     いきなり三年もたっていてびっくり(笑)。すると、ニールはいま何歳になっているわけなんだっけかな?

     すっかり大人びてきて、その分逆にグレアム父さんが老いてきているような気もしないではない。

     相変わらず決まり事のように恋人というか「相手」がちゃんとできている。ニールは若い男としては当然、という感じに、美人と出会うと率直にというか露骨に(^^;)渇望するんだけど、そして当たり前のように「男女の関係」になるので、本格ミステリの探偵に馴染んでいる私には「ワー(^^;)」なんだけど(笑)、ハードボイルドタッチというのはこんなものなのだろうか?

     そしてやっぱり、あまりヒロインには魅力を感じない(^^;)。

     ただ、前作の李という女性については、読み終わってからだんだん印象が強くなってきている気がする。それはやはり、背負っているものを「一人称」で読んだせいなのかもしれない。とはいえ、あの一人称は実は姉と自分とを入れ替えたものだったわけなんだけど。そしてしかし、そのためになのか、そのことがわかってからあと、だんだんに彼女の印象が心に残っているのが今さら解ってきてしまった。そして、本物のねーさんの方については、やっぱり印象が薄い。

     さて、今回の「解説」を読むと、ドン・ウィンズロウがポルノを書いているというのは同名の別人だとのこと。もっとも、私はいやらしいポルノも読まないわけじゃないので、そしてそれに大いに刺激されたり興奮させられたりするので、ポルノを書く人間だからといって、その作家を軽蔑したり嫌悪したりする筋合いにはない。
    だからまあ、もしも実際のところ、全然小説になっていない、ただの汚らわしいポルノを書いていたんだとしても、それでドン・ウィンズロウという「ミステリ」作家の評価やその作品の評価を変える必要はないし、変えるつもりもないのだけれど、ただ、仮にもし本当にポルノを書いていたんだとしても、それならたぶん、ドン・ウィンズロウの書くポルノはちゃんとした(?)小説として出来上がっていたんじゃないのかなあとは思う。
    でも、ヒロインは魅力的でなかったかもしれない(爆)。

     これから先、ニール・ケアリーは「キッズ」では全然なくなり、かぎりなく一人前になっていくのかな?
    例によって、個人的に偏愛する必殺」が思い浮かんでしまうのだけど(笑)、『必殺必中仕事屋稼業』という緒形拳主演のがあって、これは、最初ただのそば屋さんだった半兵衛という緒形拳演じる主人公が、はじめは草笛光子演じる「仕事屋」に引き入れられて殺し屋への道に踏みこみ、しかし最終回に至ったとき、息子に死なれてただの母親となって泣き死のうとするばかりの草笛光子を叱りとばす「プロ」になっていた。。。シリーズ。演じるのがなにしろ緒形拳だから、少年から大人への成長なんてもんじゃ全然ないんだけど(笑)。 (おっぺ)
  • 古い話ですが、あの「太陽にほえろ」で、最初萩原健一演じるマカロニ刑事が出演していて、一年間泣いたりわめいたりして(犯人を初めて撃ち殺してしまって「オレ刑事なんかやめるぅ、ウワーン!」とか)、でもそんなマカロニでもだんだん成長するわけです。そして、1年後。。。もうマカロニも一人前になって、これ以上やっても普通の刑事ドラマだから、、、ということでマカロニは死んでしまって、マカロニ編は終わりました。
     それでも、とりあえずは最後までマカロニらしくということで、「よくやったな、マカロニ」と先輩たちから認められ褒められるような活躍をしたあと、夜道で立ち小便(失礼。。。(^^;))をしているところを通りすがりのチンピラ強盗に刺されて、そのまま犬死にして。。。朝になってそんなみじめな姿のままで発見される、そんな終わり方をしていたのでした。
     マカロニ刑事はそのワンパクぶりというか未成熟な悪ガキみたいなところがキャラクターの出発点であり、存在の意味みたいなところがあったので、一年経って成長して「一人前の普通の刑事」になってしまった時点で、もはやそれ以上の「マカロニ編」は存在できなかった。。。のでしょう。
     「ストリート・キッズ」として登場したニール・ケアリーも、当初はグレアム父さんという先輩のもと、未成熟なまま奮闘する、その若さというか青さというかがキャラクターの出発点だったわけですから、ニールが成長して一人前の普通の探偵となれば、シリーズはそこで終わらなければズルズルと遠山の金さんとか水戸黄門とかのようにエンドレス、サザエさん型シリーズになってしまうわけでしょう。
     どんな経験をしても1つのエピソードが終わればハイそれまで、全ての経験は折り畳まれ消去されて、まるでそれらがなかったことのように『はい、次のお話は?』になるのが、サザエさん型シリーズというものですね。ここでは登場人物が成長したり堕落したり(^^;)することがそもそも許されない、そんなことになったらシリーズは崩壊します。
     トツガワ警部とか三毛猫ホームズとかは、あえてそのサザエさん型を選んでいるシリーズなんでしょう。また、読者の方も、変化など求めてはいないし、変化などあろうものなら拒絶反応を起こしかねない。「私はこのキャラクターのこんなところが好きだったのに。。。」と嘆くことになってしまう。
     ニール・ケアリーものが、5部作だったかで完結しているというのは、やはりこのシリーズがサザエさん型ではなかったことをあらわしているんだろうと思います。まだ読んでないから違うかもしれないけど(笑)。
     サザエさん型とそうでない型と、どちらが上とか下とかは無いわけですが、私はどっちかといえば主人公が1つのエピソードを終えて変化していくタイプの方が好きです。本格ミステリシリーズではあんまりこういうのはなくって、せいぜい島田荘司吉敷刑事物くらいじゃないかと思うんですが、、、あと、西澤保彦の飲んだくれ探偵集団シリーズもそうなのかな?

     1冊目が起承転結の起、2冊目がそれを承けての承、3冊目で読者に「えっ?」と思わせる転(笑)、だとすると、4冊目、5冊目がどういう風になってるのか、とってもとても興味があります(笑)。とりあえず訳してもらわないと、原書は手に入ったとしても読めませんから(TT)。(おっぺ)
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