項目名 | 超時空惑星カターン |
読み | ちょうじくうわくせいかたーん |
分類 | SFドラマ |
作者 | |
公的データ | |
感想文等 | 「新スタートレック」の「超時空惑星カターン」は、タイトルからは予想できない話だった。感動作だということは聞いていたけれども、SFならSFらしいドキドキワクワクに徹すべきだと思っていたりしたので、ますます距離を置く気分になっていた。。。 けれども、最後の方で、人々がピカードの前に姿を現すシーンで、涙がこぼれてきてしまったのだから。。。 「ディープスペースナイン」の「父と子」も。。。 感動して泣く資格がある人間かい、卑劣なハレンチ漢のクセして。。。と自分に対して思いもするけれども、泣けてきてまう。。。 芸術に感動して涙を流しながら、平然と大量虐殺をやったという歴史上の人物のことが、とてもよくわかってしまう。。。(おっぺ) この「超時空惑星カターン」は、邦題の付け方の疑問はともかく、長い年月の物語を冗長どころか簡潔極まりなく描きながら、にも関わらず、じっくり心を浸らせてくれる――再会の感傷とでもいうものに。 設定面を除けば、これはごくオーソドックスな短編映画のドラマだ。だがそこに――願い、あるいは祈りというものを「かなえる」装置としてのSFギミックが投入された瞬間……魔法が産まれる。 少年時代、ミステリ以外にSFが好きだった。それは、SFというとスターウォーズのような宇宙戦争、あるいは超能力、超人、そういったタイプのものをイメージすると判りがたいかもしれないが、私にとってはやはり「愛」や「感傷」の物語だったのだ――。 「超時空惑星カターン」は、私にとっては、全くそのままの、スタンダードなまでの「SF」だった。スタートレック、宇宙大作戦、そういうタイトルの、いわば最もドンパチSF、スペオペ、のように思える作品で、こんな感傷を味わってしまうとは…… 人間は、と定義の表現がいろいろあるが、人間は感傷の生き物なのだ、とここでは言ってしまうことにする……(おっぺ) |