感想文等 | これは驚いた! いやー、先んじて、どこぞのサイトで「信用ならない語り手」みたいな意味のことを読んでしまい、おかげで眉に唾をつけながら読んでいったのだが、そんな唾に効き目はなかった(笑)。 そしてまた、どこぞの(最前のとは別だったかもしれない)サイトで「一人称の小説で、語り手が読者を騙すのは、その理由が無いのだからアンフェアだ」みたいな意味の感想文を読んでしまい、「そうかな? とりあえず、たとえばアガサ・クリスティ「アクロイド殺し」では、基本的には犯人はポアロを騙すつもりの手記としてあれを書いたのだそうだし、辻真先「仮題・中学殺人事件」では、とにもかくにもあれでなければ読者が犯人」にならなかったのだから、書きようによっては一人称の「語り手」が読者を騙す形になっていても、アンフェアではないのではないか。ここはひとつ、己が目で確かめてみるか」などと挑戦心を燃やし、読んでしまった。 むーん、しっかりつばが乾ききってしまった。こう来るとは思わなかった。むしろ、先走って「信用できない語り手」みたいな情報を得てしまったので、さてはこの語り手こそ悪い奴か、みたいに微妙に思ってしまったので、「葉桜の季節に君を想うということ」という抒情的なタイトルに胡散臭さを感じてしまった。ところが、どんでん。このタイトルはこのタイトルの意味があるわけなのだった。そして、もちろんこの小説の叙述トリックのネタは、思いきり西澤保彦の「神のロ○ック人間のマジック」や殊能将之の「鏡の○は日曜日」とかぶってしまうのだが、自分自身で思い込んでいるとか、知性の衰退とか、そういうことではなく、むしろ、最も自然な叙述トリックになっているのではないかと、逆説的かもしれないが思ってしまう。そして、つい「補遺」の部分を先に読んでしまったにもかかわらず、全然気づけなかった自分に脱帽←脱帽の意味が違うって。勘の鋭い人は、というか、たいていの人は私より勘が鋭いので、「補遺」を先に読んじゃわないようにしたほうがよろしいよー。 ダブルミーニングに乾杯。ぜひ、もう一度読み返したい。(おっぺ)
確かにすごかったです。歌野晶午さんの作品は初めてでしたが、ほかの作品も読んでみたくなりました。 すばらしいトリックでした。(ふなちゃん)
なかなか読み応えがありました。 ラスト後にこれからどうなるんだろうというむずがゆさが残りますが。 あまりにも話題になって過度な期待を持ち過ぎていたせいか、ガツーンと来なかったのが残念。予備知識なしで読みたかったなあ。 叙述トリックのネタは森博嗣氏のアレの逆パターンですな。(うしぱぁ)
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