*復元天守*
復元天守というのは、天守の建っている場所とその外観が旧情と同じものを指します。要するに、外から見たら昔のまま、という物です。
内部構造については鉄筋コンクリートであっても、あまり五月蝿く言われないのは戦後の天守復元が盛んだった時期には木造での再建は法的に無理だったからと思われます。
復元天守は当初、太平洋戦争および戦後の混乱期に焼失したものの再建が主でした。これらは戦後の復興とも重なりますが、形状の記録も良く残っていますし完全な復元が可能でした。
人々の記憶に残っている内に再建されたパターンと言えます。
都道府県 |
名称 |
破壊年 |
再建年 |
北海道 |
松前城 |
1949年 |
1960年 |
岐阜県 |
大垣城 |
1945年 |
1959年 |
愛知県 |
名古屋城 |
1945年 |
1959年 |
和歌山県 |
和歌山城 |
1945年 |
1958年 |
岡山県 |
岡山城 |
1945年 |
1966年 |
広島県 |
広島城 |
1945年 |
1958年 |
広島県 |
福山城 |
1945年 |
1966年 |
完全な再現が可能であっても、窓などは利便性などの理由から全く同じでは無い場合が多く、その程度によっては「これは復元ではない」と言われる場合も有ります(特に福山城とか)。
このパターンの復元天守
なお、太平洋戦争で失われた内でまだ再建されていないのは、水戸城の御三階が有ります。
明治維新後、程無くして取り壊された天守でも、古写真が残っている場合、外観がかなり正確に推定出来ます。
*天守の資料は、絵図・指図・雛型や発掘調査等有りますが、やはり写真の説得力は大きいだろうという判断で別枠にしました。
写真の出来や、アングルが限定される場合も有るようです。
都道府県 |
名称 |
破壊年 |
再建年 |
福島県 |
会津若松城 |
明治7年(1874) |
1965年 |
新潟県 |
新発田城 |
明治5年(1872) |
2004年 |
長野県 |
高島城 |
明治8年(1875) |
1970年 |
愛知県 |
岡崎城 |
明治7年(1874) |
1959年 |
愛媛県 |
大洲城 |
明治21年(1888) |
2004年 |
熊本県 |
熊本城 |
明治10年(1877) |
1960年 |
古写真と同じ方向から見れば、再現度が一目瞭然なのですが、それでも、微妙に都合の良い(格好の良い?)方向に改変される場合も有るというのは何なんでしょう。
このパターンの復元天守
なお、古写真の残っているものでは、高松城天守(再建計画中?)・米子城天守/小天守・萩城天守・柳川城天守・岡城天守などが有ります。
写真以外にも、というかそもそも天守が現役だった時代には写真など無かった(や、何処かには有ったかも知れませんが)ので、天守の絵図・指図(設計図みたいなもの)などにより往時の姿を正確に推定する事が可能です。
これは、資料の残り具合に掛かっているので、遅い時代に再建されたり修理された天守の方が有利なようです。
宮城県 |
白石城 |
明治7年(1874) |
1996年(木造) |
福島県 |
白河小峰城 |
慶応4年(1868) |
1992年(木造) |
神奈川県 |
小田原城 |
明治3年(1870) |
1960年 |
京都府 |
福知山城 |
明治初年(1868) |
1986年 |
長崎県 |
島原城 |
明治7年(1874) |
1964年 |
このパターンの復元天守
近年、正確でない天守の再建は許可しない方針になっていて、また、規制緩和により木造による再建が可能になった事から、内部まで再現された天守が建てられるようになってきています。
無論、これは天守を「再建」する場合の事で、城と無関係な天守風建築物を建てるのには無関係な話のハズですが・・・
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