*復元天守その1*
*復元天守の内、明治維新後も存続したものの太平洋戦争および戦後の混乱期に失われ、約20年後までに復元された天守。
松前城天守(北海道松前町) |
松前城天守は幕末の安政元年(1854年)に建てられた、日本の城郭建築では最も新しい部類の物です。 戦後の混乱期でもあった昭和24年に火災で失われ、昭和35年に外観復元されました。 |
大垣城天守(岐阜県大垣市) | |
大垣城天守は文禄4年(1595)頃建てられ、関ヶ原の戦いの後に現在見られる四層の形に改装されたと見られています。 戦災で失われた後、昭和33年に鉄筋コンクリートで再建されました。 外観上で以前と異なっているのは、最上層の窓や破風板などです。 |
名古屋城天守(愛知県名古屋市) |
名古屋城天守は、総床面積では最大級の天守と言われています。 慶長17年(1612)に築かれて以来天下の名城と呼ばれ、明治維新後も本丸の大半の建物と供に存続しました。 戦災により焼失した後、昭和32年に鉄筋コンクリートで再建されました。 |
和歌山城天守(和歌山県和歌山市) |
和歌山城天守が最初いつ建てられたかは正確には判っていませんが、江戸時代以前から存在したと考えられています。 その後、徳川家の改修を経た天守は弘化3年(1846)に落雷で焼失し、嘉永3年(1850)に再建された天守が明治維新後も存続しました。 戦災により焼失した後、昭和33年に鉄筋コンクリートで再建されました。 |
岡山城天守(岡山県岡山市) |
岡山城天守は慶長2年(1597)頃建てられました。 安土城を参考にしたとも言われる、不定形の一・二層が特徴的です。 戦災により焼失した後、昭和41年に鉄筋コンクリートで再建されました。 |
広島城天守(広島県広島市) | |
広島城天守は慶長4年(1599)頃に築かれました。 聚楽第に倣って築かれたと言われます。 広島に投下された原爆の爆風により、天守台から吹き飛ばさればらばらになって天守北西の濠に沈んだそうです。 昭和33年に鉄筋コンクリートで再建されました。 |
福山城天守(広島県福山市) |
福山城天守は元和8年(1622)に築かれました。 明治維新後も多くの建物と供に存続しましたが、戦災で焼失しました。 現在の天守は、昭和41年に鉄筋コンクリートで再建されました。 現在と焼失前の外観上の主な違いは、最上層の回縁高欄が板で覆われていたものが外されている事と、防御の弱い北側の壁に鉄板が張られていたのが省略されている事です。 どちらも、見た目にカッコ良くないから外されたというのは穿った見方でしょうか? |
−参考図書:名城の天守総覧(学研)−