*復元天守その3*


白石城大櫓は正保3年(1646)頃に二層から三層に変更になったようです。
その大櫓は文政二年(1819)に全焼し、同六年頃に再建されましたが、明治5年(1872)に解体されました。

現在見られる大櫓は、幕末頃の状態を木造で再建したもので、平成六年に完成しました。
白石城大櫓(宮城県白石市)

白河小峰城の本丸御三階は寛永9年(1632)に建築されました。
慶応4年(1868)に戊辰戦争の攻防で城内の建物は全焼し、その後長らく石垣だけの状態でしたが、平成三年に絵図などを元にして木造で復元されました。
小峰城御三階(福島県白河市)

小田原城の天守はその立地も有って、多くの災難に見舞われています。
後北条氏時代に天守が有ったかどうかは定かでは有りませんが、徳川の支配下に入った後最初の天守が建てられます。
その天守は元禄16年(1703)の地震の際に焼失し、宝永三年(1706)に再建された天守が明治三年まで存続しました。
その間、度重なる災害に見舞われたようで、地震で傾いてしまったので、引っ張って直したという逸話が残っていたりします。

現在の天守は、宝永三年の再建天守の外観をほぼ再現して昭和35年に鉄筋コンクリートで復元されました。
但し、最上層の高欄は市当局からの強い要請により追加されたものです。
小田原城天守(神奈川県小田原市)

福知山城は明智光秀が築いた城ですが、当初から天守が存在したと思われます。
その後、数次の拡張があったようですが、明治初年に取り壊されるまで存続しました。

現在の天守は、絵図などを参考にして昭和61年に鉄筋コンクリートで外観を復元したものです。
福知山城天守(京都府福知山市)

島原城は元和二年(1616)に築かれ、その時に五層の天守が建てられました。
島原城は四万石には過分な城で有った為、領民の負担が大きく、島原の乱の遠因にもなったと言われています。
また、雲仙の噴火など多くの災害に見舞われながら明治八年の破却まで天守は存続しました。

現在の天守は昭和39年に絵図等を参考にして鉄筋コンクリートで復元したものですが、下見板張りか海鼠壁だったと思われる部分が白壁になっていて、それほど正確な復元では有りません。

余談ですが、島原城には三層の櫓も三棟が再建されています。
また、周辺には駅や交番など多数の城郭風の物件が有るようです。
島原城天守(長崎県島原市)

−参考図書:名城の天守総覧(学研)−


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