■2001年1月1日

初日の出
21世紀初の日の出を拝もうと朝6時半に起床したものの、太陽が海の向こうから顔を出したのは7時半をまわっていた。時差、地理的条件も関係するのだろうが、感覚的に日の出は遅く、日の入りも遅い。
この日は「ホテル内でくつろぐ派」と「クアタウン散策派」の2手に分かれての行動。ホテル派はプールでカクテルを傾けながらゆっくりと規則的に時を刻む秒針を子守唄に、サマーベットで横になり読書に耽る。街派は、クアタウンにある「ランカウランカウイ伝説公園イ伝説公園」、イーグルスクエアにある島のシンボルでもあるワシの像を前に記念撮影。またメインストリートで幾つもの店を覗き込み、買い物を楽しむ。ここで、「地球の歩き方・ランカウイ」のショッピングの項目の表紙に写っている女性を偶然にも見かけ、記念撮影をお願いするが、快く応じてくれた。

海鮮レストラン夕方からは「ロブスター・ディナー」(RM140)で、サン・フラワーで食事。ツアー客が多いらしく、店内はほとんど日本人ばかり。日本語があまりにも聞こえてくるので、これまでとは違い違和感があった。食事は無国籍っぽいが、刺身が出て来たので怖くて箸はつけなかった。オリエンタル風の建物の外には緑の植物が植わっており、トイレは島随一の綺麗さを誇る。
ここで飲んだAK47というカクテルは、ジン、ラム、ウォッカ、ブランデー、ウイスキー、テキーラをライム酒でわっているという強烈な酒(確か日本でも飲んだ記憶があるのだが・・・)で、一杯飲んだだけでいい気分、というよりハイになれた。何せ口から火が出そうで、喉が焼けるような飲み物なのだから、ちょろいものな訳がない。美味しい!!という代物ではなかったが、翌日も別の場所で注文してしまった。
ボートの最終時間は9時なので、それに合わせて店をでた。この日はほろ酔いと睡眠不足も手伝って、ホテルに戻ってすぐ就寝。翌日に備えた。


■2001年1月2日

鷲の餌付け
カーテンの間から差し込む陽射しで目を覚ます。朝食後、ボートで本島に向かい、そこからガイド同伴で黒砂海岸へ。時間が早いせいか、お土産屋も準備中で、観光客も誰もいない。黒砂海岸は確かにその地域だけ黒い砂と白い砂が混じっていて、太陽光があたると、そのコントラストが絶妙に映える。ただ、海岸線の向こうにセメント工場の建物が間に入るのが、その景観を損ねているようでとても残念だった。
そこからタンジュンルーにある「マングローブ・炭焼き小屋を背景にフォレスト・リバークルーズ」に参加するため、タンジュンルーにある桟橋へ向かった。ガイドはマレーシアに在住35年で、マレーシア・ネイチャーソサイエティー会員、マングローブ専科研究員でもある加藤とみすけさんが務めてくれた。船に同乗したのは日本人9人。
クルーズでは、マングローブについてブリーフィングを受けながら、無人島へ野鳥や動物の観察(双眼鏡で)や、クラッカーによる熱帯魚の餌付け、鶏肉によるワシの餌付けをした。
お昼は入り江の中にある魚の養殖場で、卵焼き、漬物付の和風弁当。ここで飼育されている魚は水族館に卸しているという。
午後からは、地元の産業でもある炭焼き小屋を遠めに眺めながサルら、マングローブ樹海を船でまわった。途中、マングローブの種子を木からもぎ取り、参加者にプレゼント。備長炭にも勝るとも劣らぬマングローブの炭もいただいた。2時30分に帰着。
ツアー後はクアタウンに出て再び街を散策。その後、パンタイテンガーに移動し、地元の土産店を歩き回った。
夕食はホテル内でとるが、レストランは外から吹き抜けなため、そして結構長時間飲んでいたため、蚊に刺されまくってしまった。虫除けしておけばよかったと後悔・・・


■2001年1月3日

レバックマリーナリゾートのプール
この日はランカウイ最終日ということもあって、出発までレバック島から出ず、ホテル内で過ごした。午前中はプールサイドでゆっくり過ごし、足のオイルマッサージを受ける(15分MR30)。午後は5年ぶりの水上スキー(15分MR80)、なかなか立ち上がれず、しかも何度も失敗したため大量の海水を飲み込む始末。4度目のトライで何とか滑り始めたものの、安堵と同時になぜか猛烈な疲労が襲って来た。しかし、スピードに乗ってしまえばその疲れを吹っ飛ばすくらいの爽快感。調子に乗って、片手でロープを持ったりモーターボートの波を越えて板を左右に大きく移動させたり、つかの間のマリーンスポーツを楽しんだ。
ただ、久しぶりに目一海から見たレバックマリーナホテル杯体を動かしたせいか、ボートに上がってイスに腰掛けたときには、腕、脚、腰,体中のすべてのパーツが「参った!!」しているのが分かった。結局、この無理がその後5日くらいあとを引くことになるのだが・・・。
島の周りには誰もマリンスポーツをしている人がいなかったので、まさに海を貸し切り状態。機会があれば、またトライしてみるのもいいかな。とっしーは病み付きになったらしい。
ホテルをチェックアウトをした後、何度もお世話になったボートを懐かしみながら空港へ。

ランカウイ空港では、リンギットの残りでライターのピューターケース、絵葉書、タバコ、酒を買う。空港内は禁煙のため、空港内にあるレストランの一角で一服。1月3日というにもかかわらず、閑散としているロビー。最後の最後まで長閑さを感じさせてくれた。
Boat Transfer Schedule
Rebak Marine Resort
To Pual Langkawi
Pual Langkawi To
Rebak Marine Resort
07:00
07:45
08:45
10:45
12:00
14:30
16:00
17:15
18:15
19:15
20:30
07:15
08:00
09:30
11:30
12:30
15:00
16:30
17:45
18:45
19:30
21:00
☆ 通常、レバック島からの船にはRM2がかかる。
☆ RM50を支払えば、モーターボートを出してもらえる。
クアラルンプール国際空港では乗り継ぎに2時間半あったので、食事をすると共に再び買い物。空いた時間で空港内の本屋をのぞクアラルンプール国際空港でいてみると、入り口の脇に世界各国の旅行ガイドが置いてあった。その中の「JAPAN]を見てみると、やはり、というか、海外から見た日本のイメージがよく分かった。まず、目に付いたのは、コギャルや渋谷にたむろしている若者たちの写真、何か悲しい。あとは相変わらずの、富士山、温泉、寿司、てんぷら、京都・日光・鎌倉などの寺社仏閣系。そしてサムライ。時代が変わっても、このイメージは普遍なのだろうか。ただ、カラー写真で大きくコギャルが載っているのは、どうしたものか。
クアラルンプールまで来ると、さすがに日本人も多い。海外旅行をして感じることは、日本人はカップルや友人同士というのが多いが、欧米人は圧倒的多数を占めるのは家族連れだ。この辺に文化の差を改めて感じてしまった。
飛行機は23時に予定通り離陸した。

■2001年1月4日

早朝3時半過ぎ(日本時間)に機内のライトがつく。朝食らしい。まだ眠りについてから3時間足らず。それでも機内のほとんどの人が起きて食事をしていたようだ。そうしているうちに、飛行機は成田へ無事着陸。定刻より10分ほど早い6時10分に到着した。こうして6日間の記念すべき旅行の幕は下りた。(つづく)


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