項目名 | 帝国の死角 |
読み | ていこくのしかく |
分類 | ミステリ小説 |
作者 | |
公的データ | |
感想文等 | 「上下巻から成る長編で、実は、丸々上巻1冊が『フィクション』だった」 に尽きる。 で、それがどうしてそんなにサプライズだったかといえば、、、 もともと小説は「フィクション」なのが当たり前で、ところが、読んでいるときは、それを「真実の物語」として認識している。だから、それが実は「虚構内虚構」という形で提示されたとき、「うわっ」という衝撃が襲ったのだ。 特に、これが単に「作中作」として片付けられるようならそんなでもなかったはずが、「上巻丸々1冊」という形で仕組まれていたために、なおさら「真実の物語」感が強まっていた、それを引っくり返された。。。これが大きい。 中学だったか高校だったかの時に読んだはずだが、この大技にはすっかり参ってしまった。 のちのち、太田忠司「銀扇座事件」で流用されたが、こちらは縮小再生産だった気がする。ミエミエだったし(^^;)。 似たような衝撃を受けたのが、アゴタ・クリストフの「ふたりの証拠」。これは、上下巻ではないが、「悪童日記」「ふたりの証拠」と続く連続物で、それがいきなり「ふたりの証拠」のエピローグで『実は・・・』が始まったので、「えっ!?」と思った。 この「帝国の死角」の弱点は、長編2冊、上下巻という体裁が絶対的に必要なネタなので、嵩張る上に、読み返すのが面倒、というところだなあ(笑)。(おっぺ) |