項目名 | 仮面ライダー龍騎 |
読み | かめんらいだーりゅうき |
分類 | 特撮 |
作者 | |
公的データ | キャスト : 須賀貴匡 松田悟志 津田寛治 涼平 弓削智久 萩野崇 高野八誠 高槻純 日向崇 木村剛 一條俊 ジャーナリストを志す青年・城戸真司は、ニュース配信社「OREジャーナル」のバイトに採用され、青雲の志に燃えていた。おりしも頻発する、謎の行方不明事件。 とある行方不明者のアパートを探索した真司は、不思議なカードデッキを拾う。それが、自分の人生を、180度変えるものとは知らずに。 鏡の世界“ミラーワールド”から、モンスターが現実世界へ侵入し、人間を捕食している───それが、連続する行方不明事件の真相。 モンスターどもと戦うには、(1) カードデッキの力で“仮面ライダー”に変身し、ミラーワールドに渡る能力を身につけ、(2) 特定のモンスターと契約して、その力を身につけなければならない。 真司は、青年・秋山蓮と、少女・神崎優衣と出会う。 優衣の生き別れの兄・神崎士郎が開発したカードデッキは、13組。すなわち、世界には13人の“仮面ライダー”が存在しうる。 13人の仮面ライダーたちは、自分のモンスターとの契約にしたがって、定期的に他のモンスターを倒し、その生命エネルギーを、契約モンスターに与えなければならない。 また、最後の1人になるまで、互いに戦いあわなければならない。 ───それが、神崎士郎が与えた、仮面ライダーたちの宿命。仮面ライダーが最後の1人になったとき、その望みがかなえられるという。 自らも失踪中の神崎士郎が、何を考え、何をもくろんで、このようなバトルゲームを仕組んだのかは、いまだ謎に包まれている。 しかし、真司は決意した。 神崎士郎の思惑がどうあれ、人々をモンスターから守るために戦うことを……。(おっぺ) 第2話(巨大クモ逆襲) 第3話(学校の怪談) 第4話(学校の怪談2) 第5話(骨董屋の怪人) 第6話(謎のライダー) 第7話(新種誕生?) 第8話(4人目ゾルダ) 第9話(真司が逮捕!?) 第10話(ナイトの危機) 第11話(謎の無人電車) 第12話(秋山蓮の恋人) 第13話(その男ゾルダ) 第14話(復活の日) 第15話(鉄仮面伝説) 第16話(運命のカード) 第17話(嘆きのナイト) 第18話(脱獄ライダー) 第19話(ライダー集結) 第20話(裏切りの蓮) 第21話(優衣の過去) 第22話(ライアの復讐) 第23話(変わる運命) 第24話(王蛇の秘密) 第25話(合体する王蛇) 第26話(ゾルダの攻撃) 第27話(13号ライダー) 第28話(タイムベント) 第29話(見合い合戦) 第30話(ゾルダの恋人) 第31話(少女と王蛇) 第32話(秘密の取材) 第33話(鏡のマジック) 仮面ライダー龍騎スペシャル 13 RIDERS 第34話(友情のバトル) 第35話(タイガ登場) 第36話(戦いは終わる) 第37話(眠りが覚めて) 第38話(狙われた優衣) 第39話(危険のサイン) 第40話(兄と妹の記憶) 第41話(インペラー) 第42話(401号室) 第43話(英雄は戦う) 第44話(ガラスの幸福) 第45話(20歳の誕生日) 第46話(タイガは英雄) 第47話(戦いの決断) 第48話(最後の3日間) 第49話(叶えたい願い) 最終話(新しい命) |
感想文等 | たとえば、藤岡弘演じる初代仮面ライダー本郷猛の場合、彼は城南大学の天才科学者であり、スポーツ万能の男だったが、それが故にショッカーという犯罪組織の標的となり、バッタ怪人に改造をされてしまった。水道の蛇口を捻れば力余って捩じ切ってしまう。 「そうか……改造された力が……それをコントロールできないんだ……」 そして、1つの事件が解決しても、心から喜びを見せることができない。 「俺の身体は……俺の身体は、もとのままなんだ……」 続く第2号ライダー、一文字隼人も、一見本郷猛とはカラーの違う陽気なカメラマンとして登場しながらも、夜の夢の中では改造手術の場面を見て魘される。「やめろ! やめてくれえっ!」そう叫びながら汗にまみれて飛び起きるしかない。 『正義のヒーロー』として認知され、悩みなどかけらを見せないスーパーマンのような日々を過ごすようになってからも、いざとなると、心を打ち明ける。 両親と妹を悪の怪人に殺された後輩、風見志郎が「復讐のため、俺を改造人間にしてくれ」と迫ると、一文字は諭す。 「人間でありながら人間ではない。その苦しみは、私たち2人だけで十分なんだ」 そして結局、ダブルライダーを救うために瀕死の重傷を負ったゆえに、第3号ライダー・V3として甦った宮内洋演じる風見志郎は、自分の力の制御ができなくなったとき、独りで部屋に閉じこもり、何もすることができずに怯え震える姿を晒す。 悪の組織デストロンを、悪と認識しえず、理想の社会を作るための夢の団体だと信じていた青年科学者結城丈二は、その夢を裏切られ、復讐のために自らを改造してライダーマンと名乗る。彼はそれでも、組織を悪し様に罵られると、感情を昂ぶらせざるを得ない。 「言うな! デストロンの悪口を言うなッ!」 そう叫び、風見に殴りかからずにはいられない。いざライダーV3がデストロンの首領を倒そうというとき、首領をかばって自らライダーキックの前に身を投げ出してしまう。 「今は自分の間違いにも気づいた。デストロンの悪もわかった。しかし、俺にとっては恩人だ。誰にも理解されず、孤立していた俺を拾ってくれたのが、あの首領だ。恩人が危ないのを、、、見過ごすことができなかったんだ……」 悪を気づきながら、その囚われから逃れ去ることができない。その告白に、風見も結城を責め続け得ない。 「結城……おまえはいい奴だな。いまどき珍しいよ。だがな、もうあんなことはするな」 そんなふうにしか言葉をつむげない。 Xライダー神敬介は、父親によって改造され、スーパーヒーロー仮面ライダーとして生きようとしながら、変身前の人間の姿のときに異常な怪力を振るうところを少年に目撃され、ロボット呼ばわりされて狼狽せずにはいられない。 「違う! 違う! 俺はロボットじゃない!」 その言葉はまるで悲鳴のようだ。 「親父……俺はまだ人間なんだろう? 神敬介の姿でいるときは、人間なんだろう? 答えてくれよ、親父」 これらのように、弱みを見せ、泣き叫ぶヒーローは、決してスーパーマンではない。仮面ライダーは改造人間である。。。とナレーションに言われる。彼らはあくまで人間でしかなく、だから不完全であり、悩みも苦しみも山ほど持ち合わせている。ただ、正義のヒーローとして見られる立場にあるために、それを隠して生きていくしかないのだ。 ところで、このあと、アマゾン、ストロンガー、スカイライダー、スーパー1、と進んでいったライダーたちは、ここまでは少なくとも「正義の味方」として世間に認知される存在だった。そのあとも、ゼクロスについては詳らかではないが、BLACK&RXは同様の悩みや苦しみを受け継ぎながらも、「仮面ライダー」のステイタスの元に、生きていることができていたようだ。その後の、真・ZO・Jといった単発作品は考慮に入れないとして、どうやら「仮面ライダー」という共通ステイタスを持たなくなったのが、クウガ以降のライダーたちだ。 クウガやアギトはそもそも仮面ライダーと呼ばれることもなく、アギトにいたっては、最後の最後まで警察にも人間にも異質なものでしかなかった。クウガがそれでも警察のバックアップを得られ、「未確認生命体第4号」としてしか一般には認知されていなかったとしても、「いい奴らしい」のように受けとめられていたのに比べ、アギトたちは更にその存在すら一般の認知はなく、いざ自分がアギトになってしまった人々は、次々と自殺に走ってしまう。この辺りは、アギトの話になってしまうので、実はこの文章は龍騎について書こうとしているのだから、ちょっとこのくらいに留めておく。それにしても、アギトという物語がどれほど異常な「ヒーロー」の話であったか、そして決して「スーパーマン」の話ではなかったのだということは、記憶しておいていいことだ。 さて、アギトは実のところ、そういう異常な物語だったとはいえ、初代の仮面ライダーたちと本質的な部分は同一になった。つまり、「人間でありながら人間ではない」ヒーローの物語だ。主人公・津上翔一(仮名)は、記憶を失いながら、自分という存在について悩む(時々)。彼と同じく変身能力を身につけてしまった葦原涼、ギルスも、もっと顕著に悩む。この辺りは、紛れもなく、「仮面ライダー」だ。 ところで、「アギト」には、もう1人の仮面ライダーがいる。「すでに仮面ライダーである男、アギトの津上」と、「仮面ライダーになってしまった男、ギルスの葦原」と、そして、「仮面ライダーになろうとする男、G3の氷川誠」だ。 要潤演じる氷川は、前作「クウガ」でオダギリジョー演じる主人公の五代雄介をサポートした刑事、葛山信吾演じる一条薫の後を継ぐキャラのように登場する。違うのは、この氷川誠が、警察の開発したパワードスーツを身にまとって、G3という仮面の戦士として直接謎の生命体と戦うということだ。つまりは、氷川はサポーターではなく、仮面ライダーそのものなのだ。しかし、彼は改造人間でも未確認生命体でもない。ただの人間だ。ただの人間が、戦闘用の強化スーツを身にまとっているだけなのだ。 だから彼には「人間でありながら人間ではない」という形の苦悩は存在しない。ただ、刑事として、あるいは人間として、自らの職務や使命をまっとうできないという悔しさや悩みがあるだけだ。 そして、結局、この「アギト」ストーリーは、氷川から始まり、最後の最後にも氷川が締めくくる形だった。人間でない存在の悩みや戦いを描き続けた『仮面ライダー』が、「アギト」においては人間そのものの悩みと戦いを描いたのだ。 「龍騎」は、それを更に推し進める形となった。次の「555」では再び「人間でないもの」を推し進めるように大きく揺れ戻るのだが、そのジャンピングボードででもあるかのように、「龍騎」は思いきり、「ただの人間」のみを描ききった。出てくる仮面ライダーは総勢13人、その全てが「ただの人間」でしかなく、「ただの人間」しての行動原理でのみ行動する。そこにはスーパーマンもヒーローすらもいない。唯一、「人間外のもの」のように生きていたのが、少なくとも画面上では変身することもなかった「ただの人間」のはずの兄妹だったという逆転現象すらある。 「龍騎」の13人の仮面ライダーは、自分たちの「人間としての『夢』」のためだけに生き、戦った。出て来るモンスターは捨て石でしかなく、次作「555」での戦いたちがそのほとんど全てに大きな意味合いがあるのと正反対に、戦いの場面は「仮面ライダーという番組だから」という以外の理由はほとんど感じられない。(その点が、「クウガ」「アギト」以上に、この「龍騎」ストーリーの弱みではあり、「555」ストーリーの非常に秀でた点ではある) だから、この「龍騎」は、つまりは「ただの人間」の「ただの人間ドラマ」であり、次々と出て来る13人のライダーたちは、ただの人間である視聴者にとって憧れの対象にも何にもならないけれど、それこそ最初の「ガンダム」のアムロ・レイのように、一人一人が等身大に感じられる登場人物たちとして見入ることができたのだと思う。。。(おっぺ) ・だんだん面白くなってきたような。 ・今日のは後味はさすがによくなかった。 ・変身後があまりにもまんま。 ・多くの多元宇宙。 ・見れば見るほどいい(T.T) その中でも特に、神経的に『移入』してしまったのが、終盤登場してきた仮面ライダー・タイガ、東條悟だった。 この東條は、内向的な感じの大学生青年で、ぼそぼそと喋る。可愛いと言えば可愛い風貌で、少しおどおどした感じもある。 初盤登場していた同じく大学生の仮面ライダー・ガイ、芝浦淳とどこかしら共通するものを感じないでもない。だが、芝浦は、やはり社会に不適合な感じのゲームオタク青年だったが、自らの才を楽しみ、自らの力を持って面白く可笑しく世の中をすり抜けていく器用さを持っていた。芝浦なら、いくらでも社会に「適合」して見せることも、楽しんで、やってのけたろう。 東條には、「友達になってくれる人がいない」、そのため、「英雄になれば友達になってくれるかもしれない」、鬱々とした妄想しか持てない。それは妄想でしかなく、願望でも野望でもない。だから、「仮面ライダー」としての力を持ったとき、しかし自らに「英雄」の基準もないため、他人の言葉に左右されながら、そして、けれども自らの都合のよいように妄想を捻じ曲がらせていくしかない。 東條は、「英雄は自己犠牲のできる存在」、「自分の大切なものを犠牲にできる存在」という陶酔の言葉に溶け、欲しがっていた「友達」になってくれたはずの人たちを殺戮していく。「これで僕はまた英雄になれた」。この情念は不気味だが、けして彼は「悪人」ではない。だから、哀しい。 東條の最後は、トラックに轢かれそうになった親子を身を挺して救い、「僕は次に何をすればいいのだろう?」と呟きながら死んでいくシーンだ。翌朝の新聞には、『親子を救った英雄』と報じられている。 純粋さ。それが捻じ曲がるのが、妄想の出発点だ。 この東條の妄想は、実は異常なものではない。ごく一般的に、どんな「普通の人」にもあるものだ。自分では、それが普通のように感じている。変なことだとは思っていない。 でも。。。(おっぺ) ちなみに友人4人に勧めて見てくれた人はわずか1人。 一度やった事を「なかった事にする」など不可能だ。時間を超える能力を持った士郎ですら、それは叶わなかった。だからこそ、自分が何をすべきかを真剣に考え、選択し、その結果に責任を持たなくてはならない。ライダーたちの戦いは、そのことを見る者に教えてくれる 。 ライダーになってまで手にしたかった地位と財産と幸せをやっと手に入れたのに、ライダーの宿命は変わらず タイガの裏切り、瀕死の状態での王蛇との遭遇、そしてデッキ破壊 閉じ込められたミラーワールドから割れた鏡を手に現実世界のフィアンセに呼びかけながら消滅していく 「俺は…ただ幸せになりたかっただけなのに… 」 雨に打たれながら佐野の帰りを待つフィアンセ… この回だけラストカットは無音で、シーンは誰もいない佐野の部屋だった 佐野役の迫真の演技のせいもあったけど、なんとも言えない気持ちがじわっと涙になってこぼれたのを覚えている。 |