感想文等 | 映画としてとてもよくできている。
ウルトラマン映画として白眉じゃないかと思うのは、「ウルトラマン抜き」でも成立するものでありながら、しかしなお、「ウルトラマンがいることでさらに」面白いという映画に仕上がっていること。これ、前者だけだと、何もウルトラマンにしなくてもよかったのに……になってしまうところなのだけど、ウルトラマンという子供のヒーローの存在を、そのまま子供の勇気と成長にリンクさせることができている、その点がうまい。 そしてさらに、主人公の男の子が弱さを乗り越えるのが、ウルトラマンのお説教や励ましに拠ってはいないという点。これは実はユニークなところで、これまでのいかなるウルトラマン、ウルトラセブン、帰ってきたウルトラマン、ウルトラマンエース、ウルトラマンタロウ、ウルトラマンレオ、ウルトラマン80、まだまだあるけど、それらは基本的に「指導者ウルトラマン」「導く者ウルトラマン」が存在していた。ウルトラセブン=モロボシダンのような「悩めるヒーロー」や、帰ってきたウルトラマン=郷秀樹のような「未熟なヒーロー」も存在したが、ダンや郷にしても、子供たちに対しては、人生の先輩として、年長者として、「指導」を行っていた。(ウルトラマン80にいたっては、中学校の先生である) ところが、この映画においては、ウルトラマンはあくまで「自分の戦い」をガンバっておこなっているのであって、それ以上主人公の男の子に構っている余裕もゆとりもない。そして、主人公は、ついに自らの手で自分の勇気を掴みとるのだ。 これまで、この「ウルトラシリーズ」では、主にそれぞれの最終回等において、『ウルトラマンに頼らず、自分たちの手で戦おう』という主題を持ち出してきた。だが、それがお題目に過ぎなかったことは、以降のシリーズが続くたびにやっぱりウルトラマン頼みになっていたことや、果ては、いざ自分自身の力で立とうとすると「平成版ウルトラセブン」時の地球防衛軍のように「異星文化への先制攻撃」に走っていたことから悲しくも判ってしまう。 「ウルトラマンティガ」からの平成ウルトラマンシリーズにおいて、人間たちはようやく、「ウルトラマンに頼るのではなく」「ウルトラマンとともに歩める」ことを始めたように見えた。。。そして、この映画では、主人公はウルトラマンを呼びながらしかしウルトラマンに頼らず自分の勇気を引き出して行ったのだ。 。。。とかなり大仰に言ったが、これらはまあ、理屈付けのようなものであって、単純に子供の楽しめる(そして大人は他の部分で感動できる、場合もある)映画として、単純に「いい」と言ってしまうだけでいいのかもしれない。 宮崎アニメばかり「日本文化は素晴らしい」みたいに言い立てられるが、そんなこと30年近く前から判っていたことであり、そして、宮崎駿以外のアニメでも素晴らしいものは山ほどあるし、それに、くだらない俗悪怪獣もの変身ものと切り捨てられる特撮ものにだって、素晴らしいものは山ほどあるのだ。 (スタージョンの法則は適用されるだろうけど)(おっぺ)
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