語る「万華鏡」

(「鬼の末路」の一部削除)

鬼の末路(おにのまつろ)

項目名鬼の末路
読みおにのまつろ
分類必殺シリーズ

作者
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  • 公的データ
  • 必殺仕事人2009第10話
    脚本:寺田敏雄  監督:石原興


    江戸の街に黒頭巾をかぶった無差別殺人鬼が出没する。人が集まる場所を狙って無差別に斬りつける手口は、辻斬りとも違う新しい犯行だ。

    黒頭巾の正体は、小山内儀助(荒川良々)であった。今日も人を斬った儀助が何食わぬで帰宅した先は、母・セツ(池上季実子)と、乙部右衛門(平泉成)、喜平(内山信二)、留吉(大富士)ら3人の使用人たちが待つ武家屋敷だった。儀助は、三十半ばになった今も、この家で不自由なく暮らしている。しかし、儀助に満ち足りた様子はない……

    一方、源太(大倉忠義)は、仕事人として人を殺めてきたことへの罪悪感に苦しんでいた。そんな心情をこぼした源太に向かって、小五郎(東山紀之)は、今さら善人面するなと冷たく突き放す。そして、もしヘマをしたらオレがお前を斬るとまで言い放った!


    そんな中、黒頭巾・儀助は、暗い衝動に突き動かされるように、さらなる犯行を重ねていく! 今度は、偶然その場に居合わせた涼次(岡昌宏)と如月(谷村美月)も事件に巻き込まれてしまう。如月が腕を斬られたが、涼次に守られたおかげで、命は助かった。しかし、涼次は、大衆の面前で仕事道具を使ったことを、中村主水(藤田まこと)から激しく叱責されることに。

    儀助がなおも犯行を続ける中、小山内家の使用人の乙部と留吉は、儀助が黒頭巾をかぶる現場を目撃してしまう。2人からその事実を知らされた儀助の母・セツは、お人好しの使用人・喜平を身代わりにして息子をかばおうと思いつく。乙部と留吉によって喜平は殺され、その死体は黒頭巾に仕立て上げられた。

    だが、乙部と留吉はセツに対し、殺しの口止め料として小山内家の財産すべてを要求してきた。他方、自分の気持ちの治まらない儀助も「黒頭巾はまだ生きている」と言い残すと、小山内家を出て行った。絶望したセツは、三番筋を訪れ、息子を殺してくれと仕事を依頼する。


    仕事の的は、乙部と留吉と儀助の3人。涼次と源太と主水が引き受けたが、小五郎は降りた。「どうせもう、人には戻れねえんだ」と源太。まず、主水が乙部を仕留めた。次に、源太が留吉をからくり蛇で絞め上げる。さらに、涼次が儀助の首筋に錐を突き立てた。そのとき、儀助をかばおうとしたセツの前に、仕事を降りたはずの小五郎が現れる。そして、頼み人であるにもかかわらず、セツを一刀両断に斬り捨てると、地獄の道案内をしてやれと言ったのだった。

    一方、留吉を仕留めたと思っていた源太だが、まだ息のあった留吉によって首を絞められてしまう! 必死に抵抗し、なんとか留吉の息の根を止めたものの、運悪く、その場を見廻り中の伝七(福士誠治)に目撃されてしまう!
  • 感想文等
  • 来たか……こう来たか!

    正直、舐めていた。もはや型に嵌った「仕事人の掟」、型に嵌った「苦悩」、型に嵌った「口先だけの」……。そんなものしか表出できないだろうと思っていた。キャストの演技力のことではなく、状況が。

    必殺仕事人」という名前に被せ込められた「正義の味方」のレッテルが、許さないだろうと。

    うらごろし」で、善も悪もなく、ただ当然のこととして白昼に殺戮を繰り広げた先生おばさんや若のあと、仕置人である(あった)ことを忘れた中村主水が最後の人生を遂げようとした「必殺仕事人」、それがテーマを喪失し、あるいは生み出すことをやり切れず、そのまま方向も思考も捉えられない形で彷徨った……

    「新」の名の付いた「新必殺仕事人」以降、口で悩みを泣き言を申し述べる仕事人たちは輩出したが、実際に絶望のどん底で懊悩する姿を見せたものはいなかった。ファースト「仕事人」で何度も泥にまみれた錺の秀も、「新」以降、スタイリッシュなヒーロー像を見せていく。が、中村主水が、その後どぶ泥に溺れたのは、「裏か表か」が唯一であり最終最後だった。

    渡し人も、橋掛人も、仕切人も、始末人も、口上で罪を掟を“言い訳”として語る「説明役」であり、彼ら自身はあくまで「正義」を体現しうるに十分だった。だから、剣劇人たちは、そんな彼らを、そして代表者たる「仕事人中村主水を「あんたは古い」と笑って葬ったのだ。

    激闘編」「激突!」と、仕事人は幾度も「ハードだぜ!」をやりたがったが、口でいくら言い繕おうと、「掟だ罪だ」とは一言も言わなかった「裏か表か」の前に意味を持たなかった。どんな重々しい言葉も、「ションベンしちゃった……」と絶望と虚無の中に惚けて笑うの姿に敵うわけがない。窶れ果てた主水の背中の方が、「金をもらわなきゃただの人殺しだぜ」と重々しく言う決まり文句より幾層倍も背負うべきものを見せているに違いない。

    追いつめられ、格好の良い仕事の道具ではなく、転がっていた石をぶつけて撲殺して逃れる、この無様さは、確かに「新仕事人」以前のものだ。良いとか悪いとかではなく、ただ、有ったものが無くなっていた、そしてそれには有り続けてほしかった「無様さ」、なぜなら、それが「ヒーロー」と「人」を分けるものだから。「無様さ」。そうだ、人間は無様なものなのだから。
    新仕事人」以降、「裏か表か」一本をのぞいて、誰ひとり見せることが無くなっていた「無様さ」、それがまさか、この2009で顕されるとは。

    今回は、この流れがなくとも相当映像的にも物語的にも本格的なものだなとは思っていた。ちょうど「仕事人IV」が再放送されていて、今の中途半端さの強い「2009」と比べると、「IV」はバラエティ化してルーティンワークではあるけれどちゃんと仕事人たちに絡みがあり、物語の結構は整っていたんだなと思ったりしていたのだが、今回をもって、評価的には「2009」は一気に上を行った。少なくとも、挑む姿勢があったことをちゃんと証明して見せたと思う。やるつもり……があったのだなと。

    次回、この幕引きをどうするか、それが肝心なところではあるだろうが、そこで不出来が生じたとしても、それを嗤うことはしないでおこうと思う。不出来、失敗と言えば仕事屋だってうらごろしだって失敗だったのだ、風雲竜虎編だって尻窄みだったのだ、仕掛人だって仕置人だって……

    やるつもりがあったのだなと。そこに感謝したいと思う、それだけだ。(おっぺ)
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