感想文等 | 天才犯人との対決。
今回の趣向は、「天才犯人との対決」。いや、だから今まででも十分名犯人だったんだけど、趣向として(笑)。 ここで作り手が愚か者でなかった証拠は、この「天才犯人」を、寧ろこれまでの名犯人たちと比べて、そんなに切れ者という感じには描いていない、寧ろ鈍重な感じすら与えるように演出している、、、というところ。 単に、天才を天才らしく描いたところで、これまでのコロンボと対峙してきた名犯人たちは、十分天才的だし、事実天才犯人も数多くいたのだ。それを今回、「天才犯人」というタイトルだけの趣向で今までと同じ演出で描いても、一体何が面白かっただろうか。 だが、この「殺しの序曲」では、天才たちの集まるクラブ「シグマ協会」の中で、天才と言われるメンバーたちの喜怒哀楽を描きながら(もちろん特に印象に残るのは、コロンボに可愛いと言われて、「頭以外のことで褒められたの初めて」と初々しく喜ぶ少女だ)、天才らしいがあまりエリートっぽくもなく切れ者という感じもしない犯人が、勿論その頭脳でコロンボと対決しながら人間的な弱みや悩みを顕してコロンボと共感を深めている。。。そういうドラマ部分を描いて視聴者の気持ちを盛り上げていけている。こういうのがイデオットでないプロットというものだ。 そして、対決の中で、次々と露見していくコロンボの天才が笑える(笑)。驚くのでなくて、笑えるのだ。コロンボが名探偵であるのは解っている、そしてそれを韜晦している、、、その韜晦が今回に限ってコロンボ自身もあまり気にせず解けていくのが楽しいのだ。本当の天才と自他共に認める敵と対して、コロンボも肩肘張る必要を感じないとでもいうように。 そしてコロンボの述懐。子どもの頃からどこへ行っても頭のいい連中にばかり出会ってきた。こんな連中がいっぱいいて、自分は一体どうすればいいのかと思った。「あたし考えました……連中よりせっせと働いて、、、もっと時間をかけて、、、本を読んで、、、注意深くやりゃ、、、ものになるんじゃないかって。。。なりましたよ、、、、、、」 そして最後のパズルも、「仮面の男」のラストの笑い話とは違い、見事な訳し方で、コロンボの天才振りを後味よく今一度見せてくれる。そして、犯人同様、コロンボをうっとりと見てしまうのだ(笑)。(おっぺ)
|