豊田城訪問記
−前編−
2002年4月
陽気も良いので日帰りの電車の旅に出ました。
関東鉄道に乗り取手から約1時間で石下に到着です、その2駅ほど前から進行方向右手前方に立派な天守が見えて来ました。
周りにそれ程高層な建物が無いので、見失う事は殆ど有りません、と、その手前にも似たような感じの建物が見え隠れしてます。これは凄そうだと期待に胸を膨らませて石下駅を出ました。
石下駅から東に向い、突き当たりを右に曲がると、用水路沿いの道の脇に二層三階の多聞櫓が見えて来ました。なんかの倉庫のようです、特に看板も表札も出てませんので建物の名前は不明です。便宜上「豊田城二の丸多聞櫓」と呼ぶことにします。
<豊田城二の丸多聞櫓?>
その道を進むと本丸?が見えてきます、本丸虎口跡の土塁上に二層二階の隅櫓が建っています。これも名称が判らないので「豊田城本丸隅櫓」と呼ぶ事にします。
<豊田城天守と本丸隅櫓?>
<豊田城本丸隅櫓?>
−えーと、一応注釈入れときますが、豊田城は平成四年に建てられたもので、歴史上の城跡とは全く関係ありません(名前だけは関係有るかな?)。ですので、この文章に書いてある名称とかを真に受けないで下さい。−
石下駅からのんびり歩くこと約10分で、豊田城天守の真下まで来ました。
・・・・大っ!高っ!!
展望台の高さが40mってことだからビルにすると10階相当です。しかも周りには高い建物は殆ど有りません。
昔の天守が城下からどのように見えたのか・・現在は極端な例だとビルに完全に埋もれてしまっている大垣城みたいな場合も有りますが、昔はこんな風に何処から見ても天守がよく見えたんでしょうね。
後は電線が無ければ、と思ったら天守の正面は電柱も無いんですわ、これが。さすが石下町、よおく判ってます。
<ステレオ写真(平行法)>
交差法はこちら
豊田城天守は五層九階です、六層八階の熱海城と良い勝負のような気もしますが、熱海城は半地下二階を含んでいるので、建物としては豊田城の勝ちでしょう、正に空前絶後の大きさと言えます。
それにしても・・・バブルが弾けてしまった後では、今後これ以上の天守が造営される可能性は極めて低いと言えるでしょう。
<見上げると首が痛くなる豊田城天守>
壮大な天守をしばし眺めてから、中に入り受付へ。400円払ってエレベータに乗り三階へ。展示は写真撮影不可なので、画像は有りませんが、まあ有り勝ちな展示では有りました。
六階まではエレベータで上がれますが、展望台の七階へは階段を上らないと行けません。六階から七階への階段は建物の両側の2箇所に有るのですが、それに注意書きが付いてます。
「上り専用」「下り専用」
・・・そんな必要有るのか?と疑問に思いつつ階段を上ります。因みにこの日は気候のそこそこ良い土曜日の午後2時過ぎでしたが、お客さんは全部で10人前後でした、まあ、この手の施設にしては多い方だと思いますが。
展望台からの眺めは本当に素晴らしいです、なにしろ遮る物が何も無いですから。惜しむらくは筑波山の方向に送電線が有って邪魔なことでしょうか。
<送電線が邪魔な筑波山の眺め>
<展望台からの眺め、城の北側に本丸隅櫓?と二の丸多聞櫓?が見える>
<城の南側にも櫓と天守風の建物が見える>
*画面左手奥、小学校の校庭の隅に櫓、画面右手奥、白い建物の右隣に天守風建物