伏見桃山城キャッスルランド訪問記

2002.11


 伏見城はその僅か30年余りの存在期間中に三度の破壊を受けています。

 まず最初に豊臣秀吉により指月山に築かれた伏見城は地震の被害を受けて壊滅的な打撃を受けます。
 指月の城を放棄し、木幡山に築かれた城は、関が原の戦いの折りに徳川の家臣・鳥居元忠が西軍を前に篭城しますが、城内に裏切りが出た影響もあり奮戦空しく落城、伏見城は灰になります。
 関が原後、徳川幕府により西の抑えとして伏見城は再建されますが、豊臣の滅亡により戦略的価値が無くなり、一国一城令により廃城となります。なお、この廃城の際に城内の建物は各地に移築され、現在も残るものとして福山城の伏見櫓などが挙げられます。

 そして、この平成の時代に伏見(桃山)城は四度目の破壊を受ける事になるのでしょうか?
 伏見桃山城キャッスルランドが業績の好転の要因なしとの理由で閉鎖、そのシンボルタワーである天守も含めて建物は破却するとの発表がなされたのは平成14年10月25日の事でした。

 今度こそ伏見の地に未来永劫聳えるであろうと思われた天守の突然の危機に、あやしい城を主催する者として押取り刀で参上したのでした。

 ああ、硬い文章は疲れる・・・
 というわけで、京都駅に降り立ったのは午前11時、そこからJR奈良線の各駅停車で桃山駅まで。
 天気予報では晴だったのに、空はどんよりと曇り駅から出た瞬間にポツポツと雨が降ってきました。まるで、伏見桃山城の行く末を暗示するかのようです。

 駅から歩いて約10分、閑静な住宅街を抜け桃山御陵の横を抜けると駐車場の入り口が見えてきました。
 因みに、伏見桃山城には第四までの駐車場が有りますが、この日は一番手前の第一駐車場のみで、それもまあ多めに見積もっても三割程度の利用状況でした。
 今回は電車・徒歩で来たので関係有りませんが、この駐車料金普通車1000円というのは如何なものかと。


<伏見桃山城大手門?>

 駐車場から小さい橋を渡って大手門に当たる総門へ。この門は櫓門の両脇に石落しが付いているというあまり見たことの無い形ですが、なにか根拠は有るのでしょうか?
 その総門の左手の窓口で入場券800円を買って門を潜ると・・・

 目の前に五層七階の立派な大天守が聳えてます。天気はやや回復基調なので、悪化しない内に写真を撮っておきます(でも、その後さらに回復したので、フィルムの無駄に)。

 天守前の庭園ではサルビアの赤い花とやや紅葉した木々がなかなかいい雰囲気を醸し出しています。
 しかし、人が居ません。
 まあ、全然居ない訳では有りませんが、休日でこれではどう考えても採算が取れそうに有りません。


<千成瓢箪>


<天守台石垣>

 石垣は結構本格的ですが、やはり割り方が今風というか風情はイマイチです。僅か30年ほどでは風格は出ない模様です。

 庭園を暫し散策した後、天守に入って見ました。
 伏見桃山城大天守は「桃山文化史館」となっていて、一階から五階まで様々な展示がされています。
 先ずは五階までエレベータで登り、七階まで階段で登って展望台に出てみました。
 そもそも丘の上に建ってますので、展望台からの眺めはかなり良好です。惜しむらくは転落防止の金網が邪魔な事ですが。
 その金網の隙間にレンズを突っ込んで(多分みんなそこにレンズを突っ込んでるんでしょう、丸く広がってました)キャッスルランドを撮影してみると・・・

・・・この眺めは何処かで見たことがある。

 まあ、こちらが元祖なんでしょうが。お客さんは宇都宮動物園の方が明らかに賑わってましたね、施設の規模はこちらの方が倍以上有ると思われますが、密度ではなく絶対数で。

 今度は逆側に回り小天守を見下ろして見ました。
 この小天守も三層四階と立派な建物です、中はどうなっているのか興味の有る所です。
 だいたい四方を眺めたので、階段を下って展示を見てみます。
 五階は概説でした(らしい、今伏見桃山城のHP(無くなってますね)を見ながらこの原稿を書いてます)。屏風も有ったようです。

 四階には桃山屏風、のコピーが展示されてます。このコピーがいかにも写真って感じでテカテカしてて余り風情は有りません。
 ま、大きくて迫力は有りますが。

 三階には、屏風の残り?とこの「桃山文化史館」のメインイベントである黄金の茶室が有ります。


<黄金の茶室>

 ま、茶室というのは狭い物ですが、ここで太閤記の撮影が行われたらしいんですが、引きが無くてカメラマンは苦労したんではないでしょうか?
 ていうか、スタジオに持っていって撮影したのか・・・


<金の鯱>

 二階には、伏見城天守の資料とか鯱の模型?とか伏見の酒のコーナー等が有りました。
 なお、二階と三階では鉄骨が剥き出しで無骨な感じで有ります。
 一階には、お土産コーナーと休憩所兼用の桃山時代の町屋が有りました。
 なんか面白そうな物が無いかとお土産を探したんですが、ピンと来る物が無かったのでパスしました。

 外に出てみるとすっかり良い天気になってます、この条件でまた天守の写真を撮って、そろそろ昼飯時になったのでレストランに行ってみました。

 なんか、何軒か有るんですが半分くらい閉店してます。数少ない選択枝から蕎麦屋を選んで中に入り親子丼を注文します。店内を見渡すと開業当時から変わってないんじゃないかと思われる雰囲気です。これを梃入れするのは並大抵の事では無理だなあと実感しました。

 地元では、なんとか天守は残そうという気運が高まっているらしいです。これだけ立派な天守を壊してしまったら勿体無いし、もう二度と建設されないでしょうから、なんとか保存される事を願ってます。

<追記>
 保存運動のかいあってか、一帯は伏見桃山城運動公園(仮称)として整備される事になったようです。基本構想によれば平成19年度に供用開始とのことで、天守周辺は庭園も含めて維持される模様です。

<さらに追記>
 2007年4月に伏見桃山城運動公園がオープンしましたが、耐震基準等の問題で天守に入城する事は当面の間できないようです。

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