波賀城史蹟公園訪問記
2006年1月
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 兵庫県の西にある旧波賀町(合併して現在は宍栗市(”しそう”と読むらしい)の一部になっています)は鳥取県との県境に接し、中国山地のど真ん中にある山間の町です。
 その波賀町の中心街にある波賀城には、これまで何度か行けそうな機会が有ったのですが、山陰を通る時も山陽を通る時も、かなり寄り道をしなければならなくなってしまうので、ついつい後回しになってしまいました。
 今回は、行程の最後にここを訪れる事がやっと出来ました。

 ところで、今年の冬は異常気象とも言えるほどの厳冬で、記録的な大雪が各地で被害を及ぼしていまして、この週末も関西方面で雪が降るという予報だったので、もし道路状況が悪いようであれば、旅程を切り上げようかと思ってました。
 しかし初日に少々降った程度で、全体的に好天と言って良い状況だったので、この波賀町にも快適にドライブして来ました。

 そして、山の上に波賀城が見えてきました。
 思っていたより高所に有り、目立ちます。あそこまで上るのは大変そうだなと思いつつ、走っていると、周囲の様子が、その前から徐々にそうなっていたんですがあまり気にしないようにしていましたが、いよいよ無視出来なくなってきたんですが、どうもかなり雪が積もって来ています。
 天気は良く晴れて街中では車道は除雪され乾いているんですが、城跡への案内板に従って集落を抜けて山を上り始めたとたんに、路面が完全に雪に覆われ、轍の下も圧雪という状況に。
 レンタカーのFF車にノーマルタイヤでは絶対に上れません。


<麓の公園にある民家の横から見上げる波賀城>

 仕方が無いので、少し戻って公園の駐車場に停め、波賀城を見上げて(30分くらいで着くかな・・・)と想定して、歩いて上り始めました。
 靴はそれなりに不整地でも歩けるモノを履いてますが、スパイクまでは付いていないので、かなり足を取られつつ、ズボンの裾を濡らしつつ轍に沿って上って行きます。
 暫く行くと、轍が終了してます。ちょっと急な所なので、これ以上進むのを断念したのか・・・
 しかし、足跡がさらに先に続いているので、まあ行ける所まで行ってみようと歩き続けます。積雪は約20〜30cmほどですが、人の足跡と動物の足跡が重なって続いています。
 寒くないように、上着を着てきたんですが、この辺でかなり熱くなってきて汗が出てきました。上着を腰に巻いてさらに登ります。


<大きな足跡は人のもので、小さい足跡は鹿?>

 やっと、公園の入り口の駐車場、通常ならここまで車で上れる所まで来ました。ここから更に尾根の先まで300m行くと波賀城、という案内板を見てまだ先が長いなあ、と思いつつ歩きます。
 尾根の根本で、門とトイレなどが有り、ここから少し下った後、尾根の先端のピークを登る手すりと階段のルートになります。
 この辺は、部分的にかなり雪が溜まり、足下の様子が判りづらいので、丸太造り(多分)の階段を踏み抜かないように、滑らないように気をつけながら登ります。
 斜面の南側に出ると、雪は殆ど溶けて地面に大量の鹿の糞が有るのが見えました。


<ここから先の日陰の斜面が大変だった>

 そして、ようやく波賀城の模擬櫓に到着しました。登り始めからここまで45分かかりました。
 戸を開けてみると、お供え物が置いてありました。ここまでずっと付いていた足跡は、これを持ってきた人が付けたものだったのでしょうか。


<木造茅葺の二層櫓>

 順路に従うと登りと逆側の斜面を下るルートなのですが、また雪を掻き分けるのも面倒なので来た方から戻り、門の所まで来て城を振り返りつつ小休止していると、向こうから誰かが歩いて来ます。
 この方が、ずっと付いていた足跡の主で、いつも下から城まで登っているのだそうです。
 雪が無ければ20分で登るのだそうで、途中の轍が切れた辺りから城跡にショートカットするルートが有るのだと教えてもらいました。
 今年はやっぱり、例年より雪が多いのだそうですが、日本海側にもう一山越えるとさらに雪が深くなるのだとか、暫し談笑しました。

 下りは約30分でした。後から調べると標高差が約170m有ったようです。
 中国地方では、以前に夏に大汗かいて登った城がいくつか有りましたが、冬でもやっぱり汗をかいてしまいました。

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