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投稿時間:2000/03/05(Sun) 03:30
投稿者名:Ruby Tuesday
Eメール:ct-club@abox2.so-net.ne.jp
URL :
タイトル:Re^3: おやおや

>  多数の和人が集まれば当然葬祭等でお寺がよりどころとなり、地域コミュニティーの一員に組み込まれていったアイヌの人たちにも自然に仏教が広がっていったようです。現在ではみなさんいろんな宗教で暮らしています。

教団を持たなたい段階のほうが単にプリミティブとは言えない強さがあると思うのですけれど、だからこそ
受け入れる余地もあるのだと思ってます。
社会的に構造が変化したぐらいでは変わらなかったものって、むしろ表じゃなくて裏側で残っていくもんだと。
裏側っていうと、なんか暗い感じがしますが、そうではなく例えば、ノアの大洪水は我々の伝でいえば何何
である、 みたいな刷り込みじゃなく摺り替えですか? それをどちらに採るかで随分変わってくるとは思いますが。
その辺がうまく読み取れれば、ひょっとするとかなり興味深い日本人像が出てくるような気がしてるんですけれど・・・。

>  宗教的なぶつかり合いというのは表面には出ていなかったようです。
>  当時の和人は神道や仏教とアイヌ民族の信仰を対等に見ておらず、寺を開くことは「撫育」なるものの一貫であったこと、またアイヌ文化は自然体の文化ですから和人が大事にしてる神様なら和人なりに大切なんだろうと、寛容に受け入れたことなどが理由として考えられます。松前にあった八幡様を「ハチマンカムイ」と呼んで御供えしてくれていたりしたようです。ただ、和人側がアイヌ民族の信心深いのを利用して、「この神様(あるいは有名人)」は実は君らのいう「○○カムイ」だから感謝しなさい、みたいな感じで融合、取り込みを図ったことは多々あったようです。「義経神社」などはいい例ですね。

くだらない話しで申し訳ないんですけど、70年前後のサイケデリックを背景に伝統的なアイヌ衣装を身に纏ったアイヌ人が、1人スクっと立って ”カムイ!”
って叫んでる絵が在ったとすると、それはもう世界中の人にインパクトを与えられると思うんですけど。
真面目な研究者の方からはお叱りを受けるかも知れませんが・・・・。(ごめんなさい!)
民族衣装って実はその民族のアイデンティティだったりするわけですから、時にはふだん自分達の着ている
スーツ(めったに着ないか!?)の呪力みたいなものを、ボ〜っと思ってみるのも一興かもしれませんね。

>  火の鳥にあったような神と神の戦いというのはあまりないと思いますが、英雄説話には異民族を連想させる悪神が出てきたり、カムイユカラなどではカムイを大切にするアイヌと信仰心のうすい和人のはなしなどはあります。
>  カムイは人間と対等のもので、生活に密着しており、邪教と戦う任務を持ったカムイというのは存在しないように思います。
>  ただ、アイヌ(=人間)が邪悪な者と戦う時、自分の憑き神(人によって違う)の力を借りたりします。

このへんをもう少し聞きたいですね。
信仰心のうすい和人はどう書かれてますか?
憑き神を呼ぶときはどのようにしたのですか?
>
>  うわー長い。また次回に…

次回が楽しみです!
ところで、レスが遅くてごめんなさ〜〜〜〜い!!! でした。
>


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