幸村祭!
2000年5月7日 安居神社の境内にて
 
 ++ 幸村祭のご報告です(^^ ++
去年、TohkaさんところのHPで拝見して以来、実はとても行きたかった幸村祭へ、5月7日、とうとう参加してきました(^^
お祭り自体は、とてもこじんまりとしていたと聞いていたので、どんなのでしょう?と興味津々だったのですが、 あやうく遅刻しそうになり、間一髪ちょうど始まりに間に合いました。よかった・・・

到着してまず目に入ったのが、真田赤備え隊勢ぞろいの図です!!
おおすばらしい!安居神社の境内に赤い旗が翻っている・・・ 感動を胸に抑えつつ、一番後ろに回って慰霊祭の始まりを待ちながらあたりを眺めます。

「しかし、やはり赤の鎧はかっこいいのう・・集団だとなおさら」→


「おっ?巫女さんがなにやら相談している。  ・・・しかも、胸に短刀を抱えて。 ひょっとして、徳川方の間者が?」

と思ったら、それは幸村公に捧げる舞(何ていうか知らない^^;)の仕度でした(^^
そうこうしてる内に、慰霊祭が始まりました。神主さんがなにやら呪文を唱え始めます(^^; なんんていうのこれ?(勉強不足っす)  ・・・しかし、この呪文が非常にわかりやすかった!
「九度山を〜出て〜大阪入城をした幸村公は〜〜 大阪夏の陣で〜茶臼山に陣を構え〜〜」 って本当はよく覚えてないんですがこんな感じで、講談を聞いているみたいでした(^^
そして、巫女さんが隣で舞を始めます。

すると・・・・
「ご協力、株式会社大丸の〜」
というアナウンスが聞こえてきた。 「おや?大丸ってあの大丸?」こんなメジャーでもなさそうな祭りに協力とは・・・ 「社長ひょっとして真田FAN?なかなかやるな大丸( ̄ー ̄」とか、くだらない事を考えながらも 慰霊祭はつつがなく終わりました。

(←巫女さんの前の方が大丸の方2人!スーツ正装です。外人さんもいてはりました)

(←慰霊祭の途中で隊伍を乱して、情報収集中の赤備え隊発見! ひょっとして、徳川の間者か?)

さて、慰霊祭が終わると午後の行事の部に入ります!
何が始まるのかと期待していたところ、いきなり「撃ち方前へ!」で赤備え隊(堺鉄砲隊)が銃を構え始めた。 「げげっ、この至近距離で放つのか?」昨日彦根で鉄砲の威力(音)を経験しているだけに、 一瞬ひるみました。

「うてーーー」       ・・・・・「ぴか」

「ぴか?いやぴかって・・・」轟音は鳴り響かず、発光だけでした。 ちょっと拍子抜けでしたが、考えてみたら市内で轟音はまずいか。 出入りと間違われる(^^;

この演武を皮切りに催しが始まりました。
・「真田太鼓の披露」 ・・・この内の一曲の曲名がなんと「六文銭」
・「郷土史家の方の話・真田町の方の話」 ・・・幸村公のお話

そして、なぜだか南京玉すだれの演舞。
これが結構感動させるのよ。なぜ玉すだれ?そんな事は気にしないでおきましょう(^^; お母さんの笑顔が素敵です。

そして、とりは講談2連発でした。

左の方が南湖さん、右の方が南海さん。

途中で雨降って強風が吹いたにもかかわらず、とても爽やかに幸村公のご活躍を語ってくださいました。 南湖さんの方は、大阪冬の陣(だよな?)で家康を追い詰めて家康がお寺に逃げ込んだときのやり取り、 南海さんの方は、大阪夏の陣で本多忠朝を討ち果たし、秀頼をつれて九州に落ちのびる話を語られました。 講談を聞くのはこれまた初めてだったのですが、はっきし言ってめちゃ面白い! 講談って昔の演芸ってイメージがあって正直堅苦しいのを想像してたんですが(すいません^^;)、 今の感覚からしても、センス抜群でしたよ。「きりぎりす切り」の辺りは、本当笑わせてもらいました(^^

「くせになりそう〜〜〜〜〜」

去年は行われた寸劇は今年はありませんでしたが、満足!満足! ・・・の一日でした。

最後に幸村を慕って、素晴らしい慰霊祭を見せてくださった関係者の人々に感謝です。
そして感謝の一枚「ぱちり」


戻る


(なんだか気になった旗。幸村街道って何?→)


(みんなで幸村勉強中→)


「これは真田町から来られていた真田太鼓の皆さん」


(赤備えが最後の突撃を相談す・・・の図↑)


「あさて。あさて。あさては南京玉すだれ」
(初めて実物見た。結構感動)













幸村公も、満足の一日だった事でしょう(^^

<追記>
確かにこのお祭り、ずっとのどかな祭りであってほしいですね。 素晴らしさを伝えたいようで伝えたくないような変な気分です(^^; ま、このHPだし、大丈夫か。

このお祭りTohka殿と合流しました。立ちっぱなしでちょっとしんどかったですけど、楽しかったです(^^




Last up 2000/05/09
++ ああ楽しきかな幸村祭 ++