つぼやから見た幸隆公
幸隆公について、まとめると
敵の心理を読み、巧みに心の隙を突いた、謀将でござった・・・。
その才は、ずば抜けていたでござる。
(おそらく昌之公も幸村公もかなうまい)
(秀吉や家康など鼻たれ小僧よ)
権謀術については古今比類無き才能の持主でござる。
戦国一は間違いなく幸隆殿でござる。
その反面、信義についても厚かった。
人目憚ることも行なってきたが、
そうしなければ、信玄公もあそこまではなれなんだでござろう。
真田家の為に、信玄公のために、身銭をきって事にあたられたのでござる。
ゆえに、武田二十四将の一人としての幸隆公の立場は、
非常に重いものであったでござる。
ともかくも、「血のにじむ」思いで真田家の礎を築いてきた。
それが、幸隆公でござる。
最後は、無念ではあったでござろうが、なんの、なんの、
その血は子孫達へ脈々と受け継がれていったでござる。
幸隆公もあの世で我が子孫達の活躍を喜ばれておるでござろう・・・。
(byつぼや 99/3/10)
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− 幸隆公経歴 −
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1513 ( 1) 幸隆公誕生!!!!!!
1537 (25) 長男、信綱誕生!
1541 (29) 信玄・村上などにより小県を追われる
(上杉憲政−長野業政をたよる)
1543 (31) 信玄に出仕(信玄の配下となる)
同年 (31) 次男、信輝誕生!
1545 (33) 旧領に帰る(松尾城)
1546 (34) 信玄と佐久内山城を落とす(佐久平定)
1547 (35) 信玄と佐久志賀城、小田井原城を落とす(佐久平定)
同年 (35) 三男、昌幸誕生!
1548 (36) 上田原の戦いに参戦(信玄 vs 村上 )敗走
1549 (37) 信玄と佐久春日城、平原城を落とす(佐久攻略)
1550 (38) 信玄と再び砥石城/村上を攻める(砥石崩れ)敗走
1551 (39) 砥石城を単独で落とす(!)
1556 (44) 雨飾城を落とす
1560 (49) 海野一族が信玄に随順(幸隆公のおかげ)
1561 (48) 西上野に進出、岩櫃城を落とす(上州攻略)
同年 (48) 川中島の戦に参戦(信玄 vs 謙信 )
1565 (53) 岳山城攻略、幸隆、吾妻郡代となる(上州攻略)
1566 (54) 箕輪城攻略(上州攻略)
同年 (54) 孫、信之誕生!
1567 (55) 孫、幸村誕生!
1572 (60) 上州白井城を計略で落とす(上州攻略)
1673 (61) 上杉軍に白井城を奪われる
1574 (62) 砥石城で病死
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■ 比較的、有名な出来事
■ 子息、孫の誕生
■ 佐久の平定、上州への侵略(幸隆の半生は信玄と共にあった)
活動拠点 抜いた城
同盟 敵対
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小県・佐久・北信濃・上州
佐久/内山城・志賀城・小田井城・春日城
小県/砥石城
更科/雨飾城
上州/岩櫃城・岳山城・箕輪城・白井城
武田信玄
村上義清・上杉謙信・上杉憲政
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