■鈴木主水重則
古くから真田家に従属していた家臣で、沼田城の北西にある名胡桃城の城代を勤めた。
勤勉で実直な人柄で、真田家の家臣の中でも信望の厚い武将であった。
ところが、1589年鈴木主水を悲劇が襲った。例の名胡桃城事件である。
当時主水を補佐していた中山九郎兵衛の手引きによって、北条氏猪俣憲直の侵入を許してしまう。
それというのも、九郎兵衛が主水に「上田城からの呼出し」の偽の書状を渡し、
主水が上田に向かった所を見計らい北条勢を引き入れたからだ。
途中立ち寄った岩櫃城で矢沢頼綱に「謀叛」を注進され、慌てて引き返したが時すでに遅かった。
主水は頼綱から借りた手勢で一戦を交えようとしたがかなわず、
「たばかられたか・・・」といって正覚寺に入り、腹を切って果てた。
実はこの事件は裏が有ったのだが、主水の切腹までは昌幸にも予期できぬ悲劇であった。
現在もこの正覚寺には鈴木主水の墓がある。
★また、鈴木主水の子「右近忠重」は、真田信之の臣として終生よく此れに仕え、
信之が1658年に死去すると共に殉死するほどの主従だった。
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