語る「万華鏡」

(少年アリス)

少年アリス(しょうねんありす)

項目名少年アリス
読みしょうねんありす
分類文芸小説

作者
  • 長野まゆみ(おっぺ)
  • 公的データ
  • 夜の学校に現れた迷いの園、中庭の噴水で季節がすれ違う時、秋の使者が運んできた。群青天鵞絨色のメルヘン。第25回文芸賞受賞作。(おっぺ)
  • 感想文等
  • 最初は、「あ、宮沢賢治みたいなんだな。。。」と感じながら読み進んでいたんですけれど、だんだん、あれ、コツコツ引っかかるところがあるな。。。と思ったりしました。

    「アリスはこんなときにもまだ自負心が勝っている自分の気質に、半ば呆れながら佇んでいた。結局はこの性格が孤独を招くのではないだろうか。一番親しい蜜蜂に対してさえ、弱みを見せまいとして防御している。怪我をする前から包帯をして歩いているようなものだ。」

    「怪我が怖いという心理は、自分が相手に対して優位でありたいという心理の裏返しでもある。持ち札を明かさずにいれば弱い札を隠し、切り札を生かすこともできるが、手の内を見せてしまっては勝つことはできない。だが友人を得ることはゲームではないのだ。勝つことや報酬を受けることを期待するものではない。それでもなお、自分よりも強い札を見せつけられることを恐れて瞳をそらしている。こんな自分を蜜蜂に助けてもらおうなどと考えるのは虫が良すぎる。 」

     僕は、こういうところ読むと、胸がチクリチクリ来ちゃうんですよね(^^;) 逆に、こういうところがあると、そして寧ろ読み続けていたくもなります。。。(^_^;)

     それにしても、少年なのに、アリスという名前だし、友達は蜜蜂という名前だけど別に擬人化でもなく隠喩でもなく人間みたいだし、不思議な感触ですね(笑)

     女性作家の描く「少年」は、男の中に在る、或る部分を抽出して純化した感じです。。。 三原順の少年たちもそうだし。女性にとって、男のこういった部分は、割りと好ましいものなのかなあ。。。?
     成長するにつれ、「女々しい←性差別用語じゃないのか、これ(^_^;)」とか「ガキっぽい」とかいうことで切り捨てて「いかなければならない」部分のようなのですが、どうも僕はその点どうしようもないみたいです。といって、別に僕が純化されたひたむきさの権化というわけではなく、単に、薄汚れて汚くなっているのに、恥じることなく平気でそんな部分をも突出させてしまっているということに過ぎないのですが。。。(おっぺ)
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