| 項目名 | ボビーZの気怠く優雅な人生 |
| 読み | ぼびーずぃーのけだるくゆうがなじんせい |
| 分類 | ミステリ小説 |
| 作者 | |
| 公的データ | |
| 感想文等 | つまり、「ティムは○○した。」ではなくて、「ティムは○○する。」という形。スピード感等を出すためにときおり出くわすやり方だが、全編にわたってせっせと使われているというのはあまり見かけない。ニール・ケアリーものとはまた違った肌合いを出そうということで訳者が心がけたのか、それとも原語自体にそういう仕掛けがあったのか。 ギャングだかヤクザだかが主人公になって、「実はいいやつなんだぞ」みたいに美化したがった話には乗れない。しかし、正義の味方でもいいやつでもない、ろくでなしが、ある一点だけ譲れないものを見せるときがある話なら、それこそ「話が別」になる。 このティム・カーニーは、泥棒だし、人殺しだ。けれど、子供の前で卑猥なジョークを言う奴はぶん殴ることができる。女を見捨てて逃げることはできるが、子供を見捨てることはできない。これをきれい事と言えば言えるが、けれど、建前とかきれい事とかではなく、理由もなく単純に、「なぜかそれはできないのだ」というものを持っている人というのはいるのだ。 推理小説ではないが、ミステリの仲間だろう。仕掛けはさほどのものでもないが、面白い。しかし、「ストリート・キッズ」の時もそうだったのだけど、男キャラクターに比べて、ヒロイン像がどうも魅力的でないのは、単に私の嗜好の問題なのかな? なんだか随分ふんだんにSEXシーンがあり、それも割りと細かくというか(ごにょごょ)書いてあって、ちょっとポルノティックかな(^^;)とも。私はスケベなので、こう具体的に書いてあると敏感に反応してしまう(^^;)。 訳者解説を読むと、ドン・ウィンズロウはポルノも何冊も書いていた←過去形、らしいので、昔取った杵柄ということなのかも。それにしてはヒロイン像がどうも魅力的でないのは(以下同文。) さて、ニール・ケアリーの第2作目はどんな具合かな?(おっぺ) |