語る「万華鏡」

(アルジャーノンに花束を(小説))

アルジャーノンに花束を(小説)(あるじゃーのんにはなたばを)

項目名アルジャーノンに花束を(小説)
読みあるじゃーのんにはなたばを
分類SF小説

作者
  • ダニエル・キイス(おっぺ)
  • 公的データ
  • チャーリィは陽気な32歳。生まれながらの知的障害者だ。パン屋で働き、夜学に通う。そんな彼に「頭をよくしてあげよう」と科学者からの突然の申し出があった。未知の、危険な実験の被験者になるのだ。しかし、チャーリィは喜んで手術のため入院する。同じ実験を、白ネズミのアルジャーノンも受けていた。やがてIが185にまで高まり、超天才となったチャーリィは自我が強まり、知識欲も旺盛になり、人々を驚かす。だが、驚くべき天才ネズミとなったアルジャーノンは、急速に知能が後退していく。はたして、チャーリィは?―SFの傑作であると共に、読者を深い感動に包み込む不朽の長編小説。(おっぺ)
  • 感想文等
  • これが「スペクトルマン」に流用されて、怪物ノーマンのエピソードにされたことは一部にはよく知られている。けれど、全くの別物だろう。。。(おっぺ)
  • 原型の中編では、
    「おれはどうしてまたバカになったかわからないけどきっとおれが一生けんめいやらなかったのがいけなかったんだろう」
     となっているところ、
     ここが長編では、
     「きっとぼくがいしょけんめいやらなかったからかもしれない」
     になっていて、この「だろう」と「かもしれない」の違い1つで感じるものが違ったらしい。。。
     「かもしれない」は弱い。逃げがある。そんな感じ。
     「だろう」はほぼ断定。つまり、中編でのチャーリーのほうが、潔いのだ。
     11月16日のラストのところで泣けてくるのは、
     「どうか……どうか……読み方やかき方を忘れないよおにしてください……」
     と痛切に書くその中ですでに「読む」という字が手ヘンに売るという字になってしまっている。。。そのつらさもあるかもしれない(ああ、私も「かもしれない」なんて使っているよ。。。)
     アリスとは二度ともう会わないのだろうか。(おっぺ)
  • >>  「おれはどうしてまたバカになったかわからないけどきっとおれが一生けんめいやらなかったのがいけなかったんだろう」

     ”ちょうどこんな感じ”な部分は、あたくしにもありますよ。でもやっぱ、チャーリィ(だったよね?)は、最後には祈ってたじゃ、ないっすか。それがコタエだと思うん。ワタシはね。

     んでもって、『五番目のサリー』は読まれてないっすか?ラスト近くのところ、エヴァの映画の挿入歌、「心よ原始に戻れ」にそっくりや〜と思ってしまったんでいけど、どうでしょう?(新潟県人)
  • チャーリーは十分一生懸命だったと思うんですよね。。。
     私が胸打たれずにいられないのは、「きっとおれがいけなかったんだろう」と。。。他人のせいにするでもなく自然に感じていられる本能的な部分ですね。。。
     「人を責めまい」と佐々木丸美忘れな草」のは覚悟しなければならなかったけれど、チャーリーはそれを当然のようにでき続けていた。それがうらやましいし、そしてまた切ないのでした。。。
    >  んでもって、『五番目のサリー』は読まれてないっすか?ラスト近くのところ、エヴァ
    > の映画の挿入歌、「心よ原始に戻れ」にそっくりや〜と思ってしまったんでいけど、どう
    > でしょう?
     まだ「サリー」は読んだことがないんですよ。んでもって、エヴァーも完結編は見てませんー。
     読んでみようかなー。見てみようかなー。(おっぺ)
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