感想文等 | これも何年ぶりかで読み返す、麻耶雄嵩の処女作「翼ある闇」。
読んでいて感じたのは、やはり、「普通」の作家の「普通」のミステリというのは、つまりこの木更津悠也という探偵の部分で素直に(笑)終わっているわけなのだ、ということ。
木更津は、単純にメルカトル鮎の引き立て役に終わっているキャラではなくて、寧ろあるいは他のミステリで出てくる名探偵たち「そのまま」だ。多少鼻につくところはあるが、そんなもの鮎川哲也の星影龍三だって同じだし。。。(あるいはメルカトル鮎の「鮎」は鮎川哲也だそうだから、案外木更津悠也の原点は星影龍三なのかもしれない)、有栖川有栖やその他の現在ミステリ作家の書く名探偵たちと、この木更津は十分兄弟でいられるはずなのだ。
もし、この「翼ある闇」が講談社文庫版なら284ページでエンドマークを迎えていれば、それはそれで1つの完結した「新本格ミステリ」として出来ていたろうし、或いは、426ページの段階でもよい。(もっとも、この場合、メルカトル鮎の方が木更津より印象強くなってしまっているのは情けないが(^^;。。。それに、 いくらなんでも、あの「ダルマ落とし」はありかよ、とは思うものの(^^;)
けれど、麻耶雄嵩の場合、そしてこの「翼ある闇」の場合、これでもかと第10章が残っているのだ。。。
こういう過剰さか、私は好きだ。
この「翼ある闇」のもったいないのは、要するに、なんでここにメルカトルが出てくる必要があったのか、というか、メルカトルいいとこないじゃん、というところ(^^;
ズバットやポワトリンのセリフのために、やたら強烈な印象が残っているのだし、謎解きの部分もなかなか意外性もあって印象は強かったものの、結局この作品でのメルカトルはなんだったのだろう?
とりあえず、「メルカトル・シリーズ」とでも言うものが一応の完結を見た後で、今度は時系列に添ってのシリーズをたどって読んでみたいものではある。。。
なお。 私の持っている講談社文庫版1996年7月15日第1刷の場合、なぜかカバーを取ると、そこには「翼のある闇」と、余分な「の」の字の入ったタイトルが出現するのだけど(^^; これはいったい。。。(^^;(おっぺ)
ムードがある。
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