感想文等 | これがたぶん初めて読んだ平井和正SF。小学生の時だったんじゃないかと思う。 アンドロイドやロボットが登場する未来SFなのだが、時代設定が未来なだけで、描かれ方は現代を舞台にしたハードボイルド小説と変わりはない。そう、文体や描写はほとんどハートボイルド・ミステリ小説に近い。主人公の野坂の周辺で起こる事件、人間関係、恋人のケイを巡る周囲との軋轢、そしてお雪の謎。お雪がアンドロイドでなく謎の(人間の)美女で、ロボットやサイボーグ等が登場してこなければ、まさしくハートボイルド・ミステリに他ならないのかもしれない。
しかし、この作品が舞台をアンドロイドやサイボーグの存在する未来に置いている理由は勿論あるのだ。「SFだから」「SFにしたかったから」などということでは全くない。
平井和正は「人間」を書くために、それを必要としたのだ。 そしてそれはまた、単に人間とロボット、アンドロイドの「対比」ということでは、ない。
この長編には原型となった同題の中編がある。プロットもストーリーの骨子も全く同じで、長編化に当たって登場人物が増え、エピソードが膨らまされ、あるいは追加され、長編となっているのだが、水増しとは言えず、寧ろ必要な量が漸く満たされた長編化なのだが、肝心なのは、原型中編では存在しなかった一言が、最後に追加されている点だ。
最初、長編版で読んでいたときには読み流していたサイボーグ猫・ダイの一言なのだが、その言葉が原型には存在していないことを知り、では何故このセリフの追加が必要だったのかを考えてみたとき、大仰なようだが、慄然とした。 テーマがまさしくその一言に集約されていたのだと、初めて気がついたからだ。
冒頭に書いたあらすじ紹介は角川文庫に拠るのだが、「発達しすぎた科学技術の落とし子、お雪が巻き起こす怪事件」というのは、とんでもなく表層的な見方である。 確かに、事件の中心にはお雪がいた……しかし、彼女は何も巻き起こしてなどはいないのだ。 そして……
そして、先程「主人公の野坂」と書き、それはそれで間違いとは言えないはずなのだが、エンディングを読むとき、これはやはり間違った表現なのかもしれないと思う。 野坂の姿など、どこにも、おそらく作者の中にも、存在をやめてしまっているからだ。 そこにいるのは1人のアンドロイドの娘と、サイボーグ猫だけだ。 そして、彼女と彼の小さな会話だけだ。(おっぺ)
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