感想文等 | これは仕置人全話の中でもかなり重苦しいエピソードの1つで、悪人であり権力者の父を持った反抗者の息子、その反抗が革命意識となり、革命家たちとして立ち上がりながら、結局は仲間達の意識は権力の簒奪でしかなく、裏切りと失望の中、父親にも捨てられ、ただ、何もできずに死んでいく。そこに絡む仕置人たちの思惑と対決。弛むことなく、冒頭からエンディングまで突っ走っていく疾走感覚は1つの佳作として忘れられないものだ。 伊丹十三演じる悪の親玉も相当な迫力だが、その悪玉を得て、仕置人たちのパワーもいや増しになる。「無宿人」は皆佐渡に送ってしまえとの捕縛にあい、さんざ拷問めいた真似に遭う鉄と錠、ぎゃあぎゃあ喚きながらも不敵だった鉄が、また佐渡に送られると聞いて、今度は真剣に呆然とし、抵抗する。「なんでだ? 何でまた佐渡へ行かなきゃいけねえんだ? なんでまた佐渡へ行かなきゃいけねえんだ?」 主水と出会った佐渡島での生活は、兇悪無双完全不敵の念仏の鉄にも、やはりそれはそれは忌まわしいものだったようだ。「絶対いかねえぞ、佐渡には!」。鉄にとって、今回の仕置の根本は、「佐渡に行きたくない」が最大の動機だったかもしれない。 話の最初、餓えた観音長屋の住人たちが米倉の打ち壊しをやり、同じ住人の鉄・錠・おきんらもそれに混じっているのだが、のっそりやってきた中村主水が、なんと一緒になって米俵を担ぎ上げ手助けしていたりする。 「打ち首になるぞ、気をつけろう」とか言いながら、仲良く打ち壊しをしているのだから心底笑える。この頃の仕置人グループは本当に「仲間」として一体だったのだ。 仕置人たち以外の観音長屋の住人も、主水の行動に特に疑問も持たずせっせと打ち壊しを続けているのだから、主水が何かしら「自分らと連んでいる」という認識は公然のものだったのかもしれない。 鉄は鉄として、錠は錠として、主水は主水として、それぞれの思惑と感情から行動し、いがみ合いつつも本音の部分で信頼し合って1つとなる。この辺りが「必殺仕置人」の醍醐味だ。 打ち壊しで手に入れた米を炊きあげておむすびにし、せっせと長屋の住人みんなで食べていて、喉を詰まらせたおきんの背中を叩き、ついうっかり背骨を外してしまっておきんを悶死させそうになる鉄とか、(「あ、ごめん」と言って元に戻す)とにかく仕置人たちの描き方のパワフルさは、他の回に比べても面白さが強い。 一方、最後の仕置場面では、悪玉伊丹十三も面目躍如の並でない死に様を見せる。主役側もゲスト側も、思いきりノって作り上げた話という感じなのだ。 かなり重苦しいところも多く、全般に痛快とは言えない話だが、それでもなお、最後の最後、おきんの「どんどん食べて! がんがん仕置きして! びんびん生きていきまっしょう!!」という元気いっぱいな大声が、この話全体をやはりパワフルに締めくくっている。 仕置。法によって処刑することを、江戸時代、こう、呼んだ。 しかし、ここに言う仕置人とは、法の網を潜って蔓延る悪を裁く、闇の処刑人のことである。 ただし、その存在を証明する記録、古文書の類は、いっさい、残っていない。 最後のこの恒例のナレーションも、いつもにも増して躍動して感じられたりするのだ。言い過ぎだが(笑)。(おっぺ)
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