感想文等 | この短いエピソードは、「クリスマスローズ咲く頃」が最初4人の話として始まりながら、いつしかアンジーが視点となっていく形で進んでいき、、、ではその時、例えばサーニンは?を、全くサーニンの視点から描いてあるパートなわけだ。 「はみだしっ子」シリーズの中でも、この「クリスマスローズ咲く頃」と「サーニンのメモノート」は、少なくとも私にとってかなり大きな部分を占めており、アンジーの「ピエロ」に対する感慨や、サーニンの独白は読み返すたびに突き刺さってくるものがある。。。
崖っぷちを走ってるみたいだとグレアムが言った …だってグレアム… ウサをはらす手だてが他にないのなら自分をもてあそび楽しむ… ウツの谷間を見ながらソウ状態を駆け登って行く… わざわざ崖っぷちを選んで いつ堕ちるか…いつ… それはとても面白いよ ―――堕ちるまでは
そして何より――この「サーニンのメモノート」は、私にとってある種鬼門の「再会」が隠し切り札のように取り出されてしまうのだ。 すでに会っている人、すでに暮らしている人、すでに。。。その人と「思い出す」形で再会する。。。かつん、かつん、、、と足音が近づいてくる。いつだったか…前にもこうして誰かを待っていた事があったような気がする…そうだ…確かに…いつ? そうして誰かが…あれは誰だった? この「再会」はたまらなくせつなく、つらく、感傷的で、感動的で、きつく、鋭く、、、 私は知っている。新しい出会いのすばらしさも。けれど、「再会」の熱させつなさを愛している。 それは。。。 。。。。。。(おっぺ)
「クリスマスローズ咲く頃」がアンジー視点メインで進んでいく中、さてサーニンなのだが……というだけの「番外編」では、決して、ない。 この「サーニンのメモノート」は、またひとつの「窓のとおく」が語られている、そしてこれまで基本的には「正しい側」に位置していたはずのはみだしっ子たちが相対化される、そんな「どんでん返し」が顕れてくる転換地であるのだ。 さらに、これは個人的なことでしかないけれども、圧倒的なせつなさを以て描かれる「再会」の物語でもあり…… 「クリスマスローズ咲く頃」終盤、家を飛び出したアンジーを追ってサーニンは走り、そしてジャックを呼ぶ。 引き渡してしまっていいの? 今のアンジーを……と考えながら――。 ――ジャックを待ちながら、ふとサーニンは思う。 いつだったか…前にもこうして、誰かを待っていた事があったような気がする… そうだ…確かに…いつ? そうして誰かが… あれは誰だった? 思い出さなければならない気持ちがせりあがってくる。 そんなサーニンに足音が近付いてくる。ゆっくりと……少しずつ…… そしてとまる。 サーニンは顔を上げた…… 「アンジーは?」 ジャックが訊いた。 サーニンは…… 「…雪…降ってた? クリスマス・イブで、ボク達凍死しかけて、病院へ運んだ?……あれ…ジャックだった?」 こうしてはみだしっ子たちの物語は、まったき最初のスタートラインへと回帰する。「恋人」と思った大人に裏切られ、騙されたと思ったからこそスタートした彼らの旅、放浪。 しかし、「恋人」は裏切ってなどいなかった! 騙してなどいなかった! 「サーニン…気づいていたんじゃないのかい? だからクリスマスローズなのだと…じゃあ…」 サーニンは思い出す。覚えてる? ジャック。ボクとの約束…… しないね? もうマックスやアンジーやグレアムを泣かせたりしないね! しないね! そしてあのときジャックは約束したのだ…… サーニンは…… 「ジャック……アンジーはあそこだよ」 これは、サーニンがジャックを再び信じた瞬間、もう一度「恋人」として受け入れ信じ委ねた瞬間だったのだ…… せつなく、甘く、きびしく、つらい「真実」が提示されて在る。「信じられない」とあとにした場所、しかし「信じていない」のははみだしっ子たちのほうだったのだ。そのために彼らは「山の上」までも経験しなければならなくなった。 そして、だから、再び出会い直した「恋人」ジャックとの日々も、そうあるはずだった「幸福」に彩られてはくれない。待ち受けているのは…… だがそれはまた先の話なのだ……(おっぺ)
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